「人の港」
原題:Människohamn
ドイツ語題:Menschenhafen
(2008年)
ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
John Ajvide Lindqvist
<はじめに>
スウェーデンのファンタジー作家、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストの代表作。彼は、二〇一八年に映画化され全世界で上映された「ボーダー・二つの世界」の作者として、一躍有名になった。
<ストーリー>
一九九六年、引退したマジシャンのジモンは、島の港で魚獲りの網を仕掛けていた。上がって来た網の中に、人の指ほどの生き物がいる。ムカデのように沢山の足があり、黒光りをしていた。ジモンはその生き物に見覚えがあった。四十年前、米国にいるマジシャンの大先輩、ダンテを訪れたとき、ダンテが、その生き物を見せてくれたのだった。その時は、死んで乾燥し、瓶に入っていた。ダンテはそれが「水の精霊」であると言った。
ジモンは海で見つけたその生き物を家に持ち帰り、マッチ箱の中に入れて飼い始める。彼は、その生物に自分の唾液をかける。何とも言えない奇妙な味が口の中に広がる。ジモンはその生き物と自分との間に、何らかの関係が築かれたことを感じる。それ以来、彼は毎朝、唾液を生物にかけた。ある日、彼がそれを忘れて買い物のために船に乗ると、口の中に不快感が広がり、嘔吐してしまった。それからは、ジモンは生き物に唾液を掛けるのを忘れることはなかった。
アンデルシュは島に戻る。二〇〇四年、妻のセシリアの間に出来た娘のマーヤが行方不明になった後、彼は島を去っていた。マーヤの居なくなったショックと、寂しさを、アンデルシュは酒で紛らわせていた。いつしか酒量は増え、妻のセシリアも彼の下を去って言った。一年ぶりに、アンデルシュはかつて家族で住んでいた家に戻る。彼が唯一懇意にしていた島の住人はジモンだった。ジモンは、マーヤを可愛がっていた。アンデルシュはジモンに自分の帰宅を告げる。二人は、アンデルシュの祖母、アナ・グレータを訪れる。八十二際になるか彼女は独りで住んでいた。
島に戻ったその夜、アンデルシュが眠っていると、玄関のドアを叩く音がする。アンデルシュはドアを開けるが、そこには誰もいない。しかし、アンデルシュはモーターの音を聞く。それはモーターボートかバイクの去っていくような音であった。翌朝、村の郵便ポストが壊されているのが分かる。人々はその悪戯が誰の仕業か測りかねる。
アンデルシュは、かつてマーヤが寝ていた部屋に入る。そして、ビーズ玉を見つける。色の違うビーズ玉を並べて模様を作ることは、マーヤの好きな遊びだった。アンデルシュはそれを手に取って自分でやってみる。
アンデルシュは、隣人のエリンを訪れる。アンデルシュは若いころエリンと付き合っていた。エリンは若いころは美人で、村の若者のあこがれの的になっていた。アンデルシュはエリンを見て驚く。単に年老いただけではなく、全てが醜くなっていた。アンデルシュは整形手術の失敗を疑う。エリンは自分の意思で、それをやったと言う。アンデルシュはエリンと一緒にワインを飲み、酔って深夜に家に戻る。
夜中に目を覚ましたアンデルシュは、机の上に文字が書かれているのを見つける。「わたしを・・・して」と書かれていた。アンデルシュはマーヤのスケッチ帳を開く。「おあばちゃんのアナ・グレファへ」と、一枚の絵の裏に書かれていた。「グレタ」を「グレファ」と書いている、アンデルシュは、マーヤが「T」を「F」と書き間違える傾向があったことを知る。その規則を当てはめると、机の上に書かれていた文字は「わたしを連れてって」という意味になった。アンデルシュはそればマーヤからのメッセージであると信じる。窓ガラスが割れる、アンデルシュが窓際に行き、外を見るが、誰もいない。風の強い夜だった。彼は、木の枝が当たって窓が割れたのだと、自分に言い聞かせる。
ジモンは十年間飼っている「精霊」が弱って来ているのを感じていた。艶が亡くなり、灰色になって、余り動かなくなってきていた。
アンデルシュは、海岸に遺体が打ち寄せられているのを見つける。それは、村人ホルガーの妻、シグリッドのものだった。彼女は一年以上前から行方不明になり、村人たちは、夫のホルガーが殺したのではないかと噂していた。シグリッドの遺体は、死亡してからまだ一日も経っていなかった。彼女は何処で、一年以上生きていたのであろうか。ジモンは、マーヤの失踪も合わせて、村人たちが突然消える事件が多発することを気遣い、何とかしなければならないと思う。
ジモン、アナ・グレータ、アンデルシュ、その他の村人たちが集まる。そこで、アナ・グレータは島の黒い歴史について、村人に初めて話をする。十六世紀、島はニシン漁で賑わっていた。面白いようにニシンが獲れ、人々は裕福な暮らしを送ることができた。しかし、ある年から、急にニシンが来なくなった。島の住民は、海に「生贄(いけにえ)」を捧げることを思いつく。女性や子供を海に投げ込むと、ニシンが戻って来た。住民は、それを繰り返すようになる。しかし、その噂が中央の政府に伝わる。「悪魔と契っていた」と判断された島の人々は、ある者は殺され、ある者は追放になり、島は無人になる。アナ・グレータの説は、それ以来「海」が生贄を欲しがり、定期的に 人間を神隠しのようにして、奪い去っているのではないかというものだった。
ジモンは、夜、煙の臭いに気付く。近くに火事が起きていると悟ったジモンは外にでる。村で一番大きな別荘が燃えていた。水の乏しい島、風の強い夜、村人たちは燃えている家を取り囲むが、なす術がなかった。
燃えた家には時々エリンが泊っていた。アンデルシュは、彼女を心配して、彼女を探す。彼女は、冬の間は使われていないユースホステルにいた。アンデルシュは彼女を自分の家に連れ帰る。エリンは更なる整形手術を受けたのか、顔に傷があり、一段と歳を取って見えた。エリンは、ヘンリクとビョルンの兄弟が、家に火をつけたという。アンデルシュは耳を疑った。ヘンリクとビョルンの兄弟は、アンデルスと同い年で、学校に行っている頃よく遊んだ仲だった。兄弟はいたずら者だった。しかし、十数年前、凍った海の上でモペットに乗っていて溺れ死んだと思われていた。その彼らが再び現れたというのだ。そして、エリンによると、兄弟は当時から全然歳を取っていないように見えたという。
アンデルシュは、家の中にカメラのあるのを見つける。まだフィルムが入っていた。彼はそのフィルムを現像する。そこには娘のマーヤが写っていた。しかし、マーヤは何時も、カメラの方を見ておらず、別の方向を見ていた。アンデルシュは、それが灯台のある方向だと気付く。どうして、マーヤは何時も灯台に気を取られていたのだろうか。マーヤが行方不明になったのも、灯台の近くだった。
ジモンとアナ・グレータは島のために、何か手を打たないといけないと考える。幼馴染のふたりは、結婚することにする。ジモンは、披露宴に集まった人たちにスピーチを始める。それは結婚式のスピーチというよりは、驚くべきことに対する、村人たちへの警告だった・・・
<感想など>
何年かに一度、誰かが行方不明になる島、ゴヴァステン。海に囲まれた土地なので、人々はそれを水難事故と片付けていた。アンデルシュの娘マーヤもあるときに行方不明になる。捜索の甲斐もなく、彼女は見つからない。彼と妻のセシリアは島を出ていく。そのアンデルシュが一年後に島に戻る。そして、彼は娘のマーヤからのメッセージを受け取ったと確信する。彼が娘を探すための行動が、ひとつのストーリーラインである。
何故、島で行方不明者が次々と出るのか。どんな対策を講じたらよいのか、それをジモンとアナ・グレータは考える。二人の説は、かつて、差し出された人間の生贄(いけにえ)を受け取ることに慣れた「海」が、自ら生贄を選び、海に引きずり込んでいるのではないかというものである。「海に意思がある」。この発想は二〇〇四年に書かれた、ドイツの作家フランク・シェッツィング(Frank Schätzing)による「群れ」(邦題:「深海のYrr」)と共通する。海の中に、巨大な生命体が生息し、人間に挑戦するというもの。ともかく、二人の説に同調したアンデルシュは、自分の娘を取り戻すために、「海」への逆挑戦を試みる。
幾つかの不思議な出来事が展開する。
ひとつはジモンの所有する「水の精霊」である。黒いムカデのような、ダンゴムシのような昆虫なのであるが、「火」、「空気」、「土」、「水」という、地球を作ると考えられていた四つの「要素」のうち、「水」を司る存在だという。持主は、日に一度唾液を「精霊」に掛け、それにより「精霊」は生き延び、持主との関係を維持する。この「精霊」が、最後に大きな役割を果たすことになる。
次は、行方不明になった者の復活である。ヘンリクとビョルンの兄弟は、若いころから暴れ者、悪戯者であった。彼等は、十年前、ティーンエージャーの時、突然居なくなる。凍った海の上でバイクを乗り回していて、海に落ちて死んだと考えられていた。その兄弟がまた現れ、悪戯を始める。そして、彼等は全然歳を取っていないように見えた。彼等は黄泉の国からの復活を遂げたのだろうか、もしそうでないなら、十年間何処で何をしていたのだろうか、そんな興味が持たれる。もし、彼等が「行方不明になった者たちの国」から蘇ってきたならば、自分の娘も帰って来られるはず、とアンデルシュは確信を強める。
逆に「歳を取りすぎる」女性、エリンがいる。彼女は若いころ容姿がよく、テレビのリアリティーショーにも出演した存在だった。久々に彼女を見たアンデルシュは、それが彼女であると信じられなかった。年齢以上に年老いて、醜くなっていたからである。エリンは自分が整形手術を受けたことを認める。しかし、何故、醜くなるように整形手術受けるのか。それが分かるのも、物語が最後に近づいてからである。
「ファンタジー」と呼べばいいのだろうか、「ホラー」というのだろうか。ジャンル分けをするのに苦しむ本である。
ドイツ語版の作者紹介によると、リンドクヴィストは一九六八年、ストックホルム近郊のブラッカベリに生まれた。彼を有名にしたデビュー作「Låt den rätte komma in(正しい物を入れろ)」の主人公もその町に住んでいる設定になっている。作品は映画化された。彼は、テレビのピン芸人として登場し、成功を博した。その後執筆に専念し、そこでも成功を収めている。「人の港」は彼の三作目の作品である。
彼の名前を一躍国際的にしたのが、二〇一八年に作られた映画「邦題:ボーダー、二つの世界(Gräns)」である。映画は二〇〇六年に刊行された短編集「Pappersväggar(紙の壁)」の一編を原作にしている。カンヌ映画祭にも出品され、英国や日本でも公開された。
スウェーデンの島の神秘的な雰囲気を背景、題材にした作品群としては、ヨハン・テオリンの「エーランド」四部作が有名だが、この作品は、それ以上に「神秘」そのものを題材にしている。
(2020年2月)