要するに落語?

 

三人で演じられる「落語」だと思ったとたん、すんなりと入って行けた。

 

第三幕の牽引役はフィリップの息子、ボビー・リーマンである。彼は、大恐慌の後、軍事産業に投資を集中させる。折しも、第二次世界大戦が勃発し、軍事産業は伸び、「リーマン・ブラザーズ・バンク」の業績も回復する。彼は、他社に先駆けて、経営にコンピューターを導入する。第二次世界大戦後も、彼は経営トップとして君臨する。しかし、彼がリーマン家のメンバーとして経営陣に加わった最後の人物であった。彼の死後、「リーマン・ブラザーズ・バンク」は何度も売りに出され、新しい経営者に買い取られる。そして、二〇〇八年、史上最大の負債を抱え、「リーマン・ブラザーズ・バンク」は倒産する。

ともかく、三時間に渡って、これだけの歴史を、たった三人で演じてしまうわけである。サイモン・ラッセル・ビールは、最初の幕はヘンリーとして登場し、次の幕ではフィリップとして登場する。アダム・ゴドリーは、最初の幕はマイヤーとして登場し、次からはボビーとして登場。その合間合間に一時的に現れる人物を、三人が交代で引き受けるのである。

「メッチャ、目まぐるしい。」

注意して見ていないと、今誰がどの人物として台詞を言っているのか、混乱してしまう。また、突然ナレーションも入る。「手の空いている」人物がナレーターになるときもあるし、

「ボビーはそのとき悲しかった。お兄さん・・・」

などと、独りでナレーションと台詞を引き受けているときもある。

「どこまでナレーションで、どこから台詞なの!?」

これも、劇を複雑にしている原因であった。これって、日本の落語に似ていると思う。

「(ナレーション)儲かった日も代書屋の同じ顔、川柳というのはなかなか面白いところに目をつけるもんで、そう言われてみますと、代書屋さんという商売は、今日は儲かったと言うて余り嬉しそうな顔をしている人はおりまへん。たいてい陰気な顔をして、机にもたれて店番をしてるてなもんで。

(登場人物A)『こんにちは。おたく、代書屋でんな?』

(登場人物B)『へえ、うちは代書屋ですが。』」

これは、三代目桂春団治の「代書屋」の冒頭。ひとりの落語家が、ナレーションから登場人物の台詞まで全て独りでやっている。しかし、聴いている方にそれほど違和感はない。これと同じような現象が、その日の舞台でも起こっていた。

 この舞台、最初は正直退屈だった。三人のユダヤ人のおじさんたちが、舞台の上で、何かを言いながら、引越し用の段ボール箱をあちこちに運んでウロウロしているだけ。音楽が流れるわけでもなく、新しい登場人物が現れるわけでもない。俳優だけに、明瞭に話しているので、英語は聞き取れるのだが、言葉の裏にある、皮肉、辛辣さ、ユーモア、風刺などは、ネイティブ・スピーカーでない僕にはとても理解は無理。しかし、時間と共に、次第に楽しめるようになってきた。それは、落語と同じように「お約束事」を理解し、それを受け入れることができるようになったからだと思う。

 

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