「ドラゴン・タトゥーの女」
原題:Män som hatar kvinnor (女を憎む男)
ドイツ語題:Verblendung (隠蔽)
英語題:The Girl with Doragon Tattoo (ドラゴン・タトゥーの女)
2005年
ドイツ語の本の表紙と、英国での映画のポスター
<はじめに>
二〇〇四年に急死した、スウェーデンのジャーナリストで作家、スティーグ・ラーソンの書いた三部作の第一作目である。彼は、三冊を先ず書き上げ、その出版の契約をしたあと、その発売を見ることなく心臓発作で世を去った。しかし、彼の死後、三部作はスウェーデンのみならず全世界でベストセラーとなり、映画化もされている。
スウェーデン推理小説の伝統を受け継ぎ、極めて緻密に構成されている。ドイツ語で読んだ。非常に長い小説であるが、最後まで楽しく読めた。
<ストーリー>
今は引退した八十二歳の老人のもとに、毎年彼の誕生日である十一月一日になると、額に入った押し花が送られてくる。それは四十年近くも続いている。送られて来る花は年によって違う。今年はオーストラリア原産の白い花であった。そのことを彼は友人で同い年の元警視だけに打ち明けていた。
ストックホルム。ミカエル・ブロムクヴィストは雑誌、「ミレニアム」の共同経営者兼記者である。彼は裁判所から出てきたところ。彼の書いた記事が名誉毀損で訴えられ、彼はその裁判に破れたのであった。その結果、彼は禁固刑と罰金を受ける他、裁判の費用を負担することになった。彼が記事に取り上げた実業家ヴェナーストレームは、スウェーデン政府から多額の補助金を貰い、ポーランドに企業を立ち上げた。その企業は結局倒産したが、それが補助金詐欺のための計画倒産であるとミカエルは書いたのである。しかし、彼の主張は裁判では認められなかった。
ドラガン・アルマンスキーはクロアチア出身の五十三歳、警備保障会社、ミルトン・セキュリティーの経営者である。彼は、一介の社員から社長に登り詰め、会社をスウェーデン屈指の警備保障会社に仕立て上げた、立志伝中の人物である。彼は、数年前、知人の紹介でリズベト・サランダーという若い女性を雇う。皮ジャンに刺青、ピアス、いつもロックバンドのメンバーのような格好のリズベトは、社風にも、他の社員とも合わない。アルマンスキーは結局彼女を解雇する。しかし、リズベトの高度の調査能力を発見したアルマンスキーは、彼女と社外調査員として契約をする。それ以来、重要な身辺調査の案件は、リズベトに任されていた。
弁護士ディルヒ・フローデの依頼で、アルマンスキーは記者、ミカエル・ブロムクヴィストの身辺調査をリズベトに担当させていた。調査を終え報告書を提出したリズベトは、アルマンスキーのオフィスに呼ばれる。そこで、リズベトはブロムクヴィストについての報告をする。その中で、彼女は、今回のヴェナーストレームとの裁判に関して、裁判中のブロムクヴィストの取った態度は極めて不自然であり、彼は情報の提供者を庇っているか、彼が脅迫されているのではないかと述べる。依頼者のフローデは、アルマンスキーとリズベトに、ヴェナーストレームの件について、つっこんで調査するように依頼する。
裁判に破れたミカエルは、雑誌「ミレニアム」の編集部に戻る。編集長のエリカ・ベルガーは夫のある身であるが、ミカエルは彼女の夫も認める愛人であった。彼らはその夜、ミカエルのアパートで一夜を過ごす。ミカエルはエリカに対して、もし裁判で負けた場合、雑誌を守るために、自分は雑誌の編集部を去るという約束をしていた。
クリスマス・イブの前日、ミカエルが編集部を去るために、オフィスの机を片付けていると電話が鳴る。それは弁護士フローデからであった。老弁護士は、自分の主人、ヘンリク・ヴァンガーに会ってくれるよう依頼する。ヘンリク・ヴァンガーは高齢のため現在は引退しているが、かつてはスウェーデンで一、二を争う企業グループ、「ヴァンガー・コンツェルン」の総帥であった人物。現在は、ストックホルムから電車で二時間ほど北へ行ったヘデスタッドに住んでいる。
即答を避けて電話を切ったミカエルであるが、ヴァンガーに対するジャーナリストとしての興味を抑えきれず、フローデに対して、ヴァンガーと会うことを承知したと伝える。十二月二十六日、彼は列車でヘデスタッドへ向かう。
ヘデスタッドでミカエルは八十二歳になるヘンリク・ヴァンガーと会う。ヘンリクがミカエルに依頼したい事項とは、三十六年前に起こった、ハリエット・ヴァンガー失踪事件の調査であった。ハリエットは、ヘンリクの兄の孫であり、子育てに興味を示さない父母に代わり、ヘンリクがハリエットの親代わりを務めていた。そのハリエットが三十六年前、十六歳の夏、忽然といなくなってしまったのであった。
ミカエルの父は電気工をしていたが、ある年ヴァンガーとの契約し、家族を連れて、この島に住んでいた。ハリエットは当時、幼いミカエルの子守をしたこともあるとヘンリクは言う。しかし、もちろんミカエルの記憶にはない。
ヴァンガー一族は、ヘデスタッドの町外れにあるヘデビーという島に居を構えている。そして、その島は本土から一本の橋だけで結ばれている。ハリエットが行方不明になった日、ヴァンガー一族の構成員は、年に一度の会合のために、ほぼ全員が島に集まっていた。皆が島に着いた日の午後、島と本土を結ぶ橋の上で、タンクローリーと乗用車が衝突する。その事故のため、橋は不通となり、島は翌日まで本土から隔離されてしまう。まさに、その午後、ハリエットは突如として姿を消したのであった。
ヘンリクは、ハリエットがヴァンガー家の誰かに殺され、遺体は翌日車のトランクで運び去られたのではないかと疑っていた。ヘンリクはハリエット失踪の真相を知るため、自ら組織した捜索隊を率い、警察にも圧力をかけた。また、引退してからは当日に関するありとあらゆる資料を集め、その謎を解こうと努力をしてきた。つまり、ハリエット失踪事件の調査は、引退したヘンリクの、最後の「ライフワーク」と言えた。また、ヘンリクはもうひとつ奇妙なことがあるとミカエルに語る。ハリエットが失踪した翌年から、誰かがヘンリクの誕生日に、押し花を送ってくるというのである。
ヘンリクは、ミカエルに対して、高額の報酬を払うことを条件に、一年間島に留まり、この件の調査をしてくれるように依頼する。また、ヘンリクは、ミカエルに、もし成功すればヴェナーストレームについての秘密を教えると約束する。ミカエルは、エリカの反対を押し切り、ヘンリクの依頼を承諾。荷物をまとめ、ヘデスタッドのヘデビー島にあるゲストハウスに越してくる。ミカエルは時々住まいに遊びに来る猫と仲良くなる。
フローデは、アルマンスキーに、ヴェナーストレームの調査を中止するように依頼する。しかし、事件に興味を覚えたリズベトは、個人的に調査を継続する。
ミカエルは、ヘンリクが集めた膨大な資料を読むことを始める。彼の滞在の表向きの理由は、ヴァンガー一族の伝記を書くということであった。ヴァンガー・コンツェルンは十九世紀から続く会社、株式は上場せず、全ての株式を一族で持ち合う同族会社であった。ヘンリクの統率の下に、隆盛を誇ったヴァンガー・コンツェルンであるが、最近は完全に時代に乗り遅れ、凋落の一途を辿っていた。
島には何人かのヴァンガー一族が住んでいた。マルティン・ヴァンガーはハリエットの兄で、現在ヘンリクの後を継ぎ、ヴァンガー・コンツェルンの会長を務めている。ハリエットとマルティンの父、ゴットフリードは既に亡くなっているが、その妻のイザベラはまだ島に住んでいた。彼女はミカエルに
「他人の家を嗅ぎまわるような真似はよせ。」
と伝える。ヘンリクの兄のひとり、ハラルド・ヴァンガーも島に戻り住んでいるが、彼は人付き合いが嫌いで、顔を見せない。ミカエルはハラルドの娘で、今は地元の学校の校長をしているセシリアと懇意になり、何度か夜も一緒に過ごすようになる。
ミカエルは一族の過去についてヘンリクから聴く。ヘンリクの兄、リヒァルトは、戦争中ナチスに入党し一族から追放される。しかし、彼の死後、妻と息子のゴットフリードは、ヘデスタッドに帰ることを許される。ゴットフリードは現在の会長のマルティンとハリエットの父である。会社の要職を任されていたゴットフリードであるが、ある時期から酒浸りとなり、島の船着場で不可解な溺死を遂げる。
ヘンリクはハリエットの手帳も保存していた。そこには次のような不思議なメモ書きがあった。
「マグダ 32016、サラ 32109、RJ 30112、RL 32027、Man 32018」
当時の警察もこのメモに注目、これを電話番号と考え、その番号にハリエットとの関係のありそうな人物は見つけ出そうとした。しかし、この番号の家には当該の名前またはイニシャルの人物はおらず、その家の人々もハリエットとの繋がりを否定していた。
ミカエルは当時警察官としてハリエット失踪事件の捜査を指揮していたグスタフ・モレルを訪れ、話を聴く。モレルは、自分がえられるありとあらゆる角度から、ハリエットの身辺を洗ってみたが、確固とした手がかりは得られなかったと述べる。モレルはハリエットの失踪を、極めて用意周到な殺人事件であると推理していた。捜査班が解散してからも、長い間、モレルは個人的にこの件の調査をしていた。彼にとっても事件は、ヘンリクに対してと同様、「ライフワーク」と言えるものであった。
モレルは警察官には誰にもそんな事件がひとつはあると言う。例えば、彼が警察に入った頃、先輩のトルステンソンは一九四九年、ヘデスタッドで起こった、レベッカ・ヤコブソンという若い女性が、殺された後、バラバラにされてオーブンに投げ込まれて焼かれるという事件の捜査を、生涯「ライフワーク」していた。その事件も結局未解決のまま迷宮入りしたのであるが。
リズベトは、後見人である弁護士のニルス・エリック・ビュルマンの事務所を訪れる。リズベトは子供のときから異端児であり、周りの子供達と馴染めなかった。何度か周囲の子供達との対立を繰り返すうちに、十三歳のとき精神障害がある子供達の病院に入れられてしまう。病院を出た後も、飲酒、麻薬、暴力で何度か警察の世話になる。しかし、後見人の弁護士、ホルガー・パムグレンの努力により、次第に社会生活に馴染み、パムグレンには心を開くようになる。しかし、唯一の理解者であったパムグレンが脳卒中に倒れる。彼女の新しい後見人として弁護士のビュルマンが任命されたのであった。
ビュルマンは弁護士としての立場を利用し、リズベトをレイプする。何度目かにレイプされそうになった時、リズベトはミルトン・セキュリティーから持ち出したカメラでレイプの場面を撮影し、その後スタンガンでビュルマンの身体の自由を奪う。彼は、腹に「私はサディストの豚、いやらしい強姦者です」と書いた刺青を彫られる。そして、今後は何でも言うことを聞くようにと約束させられてしまう。
やっと、悪徳後見人から解放されたリズベトは、ヘンリク・ヴァンガー、ミカエル・ブロムクヴィスト、ヴェナーストレームを引き続き個人的に調査してみることにする。
三月、先の判決で禁固三ヶ月の判決を受けていたミカエルは、服役する。刑務所での生活は、保養に来ているように、おしなべて快適なものであった。ミカエルは三ヶ月の刑期を二ヶ月に短縮され、五月には出所する。出所したミカエルは、ヘンリク・ヴァンガーが「ミレニアム」の経営に参加することをニュースで知り驚く。
エリカがヘデビー島を訪れてくる。彼女はヘンリク・ヴァンガーに会うために来たとミカエルに伝える。雑誌「ミレニアム」はミカエルが去ってから、ヴェナーストレームから圧力をかけられた企業が、次々と広告主の座を降り、危機的な状況を迎えていた。ヘンリクは、エリカに対して、「ミレニアム」に対する出資を申し出る。その打ち合わせにエリカはヘンリクを訪れたのであった。ヘンリクとヴァンガー・コンツェルンの後ろ盾により、「ミレニアム」はひとまず危機を脱する。しかし、ミカエルは個人的な復讐の手段として、雑誌が使われるように感じを受け、素直に喜べない。
出所したミカエルは、ハリエット失踪事件の捜査を再会する。彼はハリエットが失踪した日に撮られた写真を見ていて、一瞬何かに気付く。しかし、それが何であるか言葉にできない。彼は、ハリエットが好んで過ごした岬に近いゴットフリードの家に出かけてみる。晩年酒浸りになったハリエットの父が過ごし、溺死した場所でもある。ハリエットは、唯一の友人と言えた歳の近いアニタ・ヴァンガーと、行方不明になった夏の間も、ここで過ごしていた。ミカエルは、この場所で、ハリエットに何かが起こったことを確信する。
数日後、ミカエルはひとつの糸口を発見する。ハリエットが失踪した日の午前中、彼女は学校の友人達と、街で行われたパレードを見物していた。新聞記者が写した写真の中の何枚かにハリエットが写っている。その中の一枚、他の人間が皆パレードの方向を見ているなかで、ハリエットだけが別の角度を眺め、驚きの表情を浮かべていた。ハリエットはその直後、友人達と別れ急いでヘデビー島に戻り、ヘンリクに何かを告げようとし、多忙なヘンリクに後回しにされていた。そして、その数時間後には姿を消している。彼女は道路の向かい側に誰かを見つけ、衝撃を受けたことが考えられた。
橋で起こった交通事故の写真の中に、ヘンリクの屋敷が写っているものがあった。その時、ハリエットの部屋の窓が開いている。その窓の中に、白いワンピースを着た、薄い色の髪の女性が写っているのをミカエルは発見する。顔の特徴は分からない。しかし、その女性が、ハリエットの失踪と関係していることは容易に想像できる。ミカエルはその女性がセシリアではないかと疑う。
ヘンリクは更に、驚いた表情のハリエットの横で写真を撮っている若いカップルを見つける。そのカップルは別の写真で、家具工場の名前の入ったライトバンの傍にも写っていた。ミカエルは、ひょっとしたら、若いカップルの撮った写真に、ハリエットが見て驚いた人物が写っているのではないかと想像する。
娘のパーニラがミカエルを訪れる。彼女は壁に貼ってある、
「マグダ 32016、サラ 32109、RJ 30112、RL 32027、Man 32018」
という書付けを見て、
「お父さんも聖書の研究をしているのね。」
と言う。ミカエルが驚いて問い返すと、聖書の読み手にとって、「32016」は「第三章、第二十節、第十六句」意味するものだという。娘が帰った後、ミカエルは早速聖書を調べてみる。「第三章、第二十節、第十六句」は果たして次のようなものであった。
「女がもし、獣に近づいて、これと寝るならば、あなたはその女と獣を殺さなければならない。彼らは必ず殺されるべきである。その血は彼らに帰するであろう。」
ミカエルは「RJ 30112」、つまり「第三章、第一節、第十二句」を読んで愕然とする。
「彼らはまたこれを節々に切り分かち、祭司はこれを頭および脂肪と共に、祭壇の上にある火の上のたきぎの上に並べなければならない。」
レベッカ・ヤコブソン(RJ)はまさに、頭を切り離されたあと焼かれたのである。ハリエットは、彼女が失踪する十数年前に起こった殺人事件に対して何かを知っていたのだ。
ミカエルは弁護士のフローデに調査に進展があったことを伝える。その際フローデは、ミカエルに、ミルトン・セキュリティーを通じてミカエルの身辺調査をしたことを、口を滑らせてミカエルに話してしまう。強い興味を持ったミカエルは、自分についての報告書を読む。そして、その詳細さ、正確さに対して感心する。しかし、その中に、自分のコンピューターをハッキングすることなしには得られない情報が載っていることに気付く。報告書の作成者は「リズベト・サランダー」となっている。ミカエルはストックホルムに向かう。
ミカエルはストックホルムでリズベトのアパートを訪れる。突然の来訪者に驚くリズベトであったが、ミカエルのペースにはめられて、彼を招き入れ、話をすることになる。ミカエルは、ハリエットの手帳に聖書の句と共に記されていた、レベッカ以外の四件についての調査をリズベトに依頼する。その後、「ミレニアム」の編集部に立ち寄ったミカエルは、記者のひとりヤンネ・ダールマンが、ヴェナーストレーム側に情報を漏らしている疑いがもたれていることを知る。
ヘデビー島に戻ると、彼の住まいに侵入した後がある。今までは遊びだったが、これからは殺人犯との真剣勝負となることをミカエルは覚悟する。
ヘンリク・ヴァンガーが心臓発作で倒れる。病床からヘンリクは、たとえ自分が死んでも、ハリエットに関する調査に任務を遂行して欲しいとミカエルに伝える。他のヴァンガー家のメンバーは、ヘンリクが倒れたのを機に、調査を止めて、ヘデビー島を去るようにと、ミカエルに圧力をかけてくる。
彼は、ハリエットが失踪した日の午前中、何かに驚いているハリエットの写真を撮っていた若いカップルの乗っていたライトバンの素性を探し出し、その家具会社のあるノルスエに向かう。退職した従業員の協力を得て、ようやくカップルの女性を探し出す。果たしてその日に撮った写真はまだ存在していた。
リザベトがオートバイでヘデビー島にやってくる。彼女の調査の中間報告をするためであった。リザベトの調査結果は驚くべきものであった。レベッカ・ヤコブソンの他の四件にそれぞれ該当者がいた。つまり同じように若い女性が残虐な殺され方をし、しかも犯人が見つかっていない。また、ハリエットのメモにあった五件だけではなく、他にも同じような未解決の女性殺人事件があり、それは一九四九年から一九六六年までリザベトが確信したものだけで九件、しかも犯行現場はスウェーデンの全土に及んでいた。
もしも、同一犯人による仕業ならば、一人の人間が長い間、広範囲に動き回りながら、その行動を疑われなかったのは何故なのだろうか。殺された数人の女性はヴァンガー・コンツェルンと関係があった。ミカエルはリザベトに、町の新聞社へ行き、ヴァンガー一族の当時の行動を洗うように依頼する。
ミカエルの住まいに泊まったリザベトが翌朝起きると、いつも遊びに来る猫が、殺された上に焼かれて、彼女のオートバイの座席の上に乗せられていた。また、ジョギングに出かけたミカエルは何者かに銃で撃ちかけられる。ミカエルは犯人が自分のすぐ傍におり、いよいよ犯人が行動を起こし始めたことを感じる・・・
<感想など>
ミカエルはヘンリク・ヴァンガーによりヘデビー島に呼ばれた時、ハリエット失踪事件について、自分が何かを見つけられると思っていない。事実、ヘンリクにより収集された膨大な資料を読んでいるときも、何も見つけられない。と言うより、既に全てが調査し尽くされていると感じられたのである。そのミカエルが遂に見つけた、時間の解明のふたつ糸口、ひとつは偶然から、ひとつは彼の記者として鋭い観察眼によるものである。
@ ハリエットの手帳に記されていた番号は聖書の句であることの発見
A
写真の中で、ハリエットは何かを見て驚いていることの発見
以上が、この物語のふたつの大きな「鍵」と言えるであろう。
一種の密室トリックである。交通事故により唯一の橋が不通になり、一時的に外界から切り離された島でも事件。アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を思い出させる。また同時に、過去の事件を解くという、これもまた、かなり使い古されたパターンでもある。これもクリスティーの「象は忘れない」以来、かなり使われている。そういう意味で、非常に「お約束事」に則った、オーソドックスな推理小説であるという印象を受けた。
リズベトとミカエルのコンビ芸で魅せる本である。四十五歳の有能な記者で、正義感に溢れてはいるが、奔放な私生活を送るミカエル。ハッカーであり、抜群の記憶力を持つが、子供時代の過去を背負った、少女の面影を残す二十五歳のリザベト。漫才のように、ふたりの掛け合いで話が進む。そのテンポはこれもまた面白い漫才師のように絶妙である。
これまで、他人と付き合えず、ほとんど誰にも心を閉ざしていたリズベトの「社会化」も見所である。彼女が、反発を感じながらも、だんだんとミカエルのペースに乗せられ、彼に心を開いていく過程が面白い。
「どの家の地下室にも死体が眠っている」(203ページ)その表現が面白い。幸せそうに見える家族でも、いま、幸せそうに見える家族であるからこそ、ひとつはふたつ、触れることがタブーになるような暗い過去を持っているものなのである。これは、真実であると思う。そのすぐ後の、「しかしヴァンガー家に限って言えば、家中が墓場である」という、ミカエルの感想も出色である。
ミカエルは「名誉毀損、侮辱罪」で、刑務所に入ることになる。しかし、彼の刑務者暮らしが、極めて快適なものとして描かれているのが面白い。スウェーデンの刑務所を舞台にした小説ではロスルンド/ヘルストレームの「エドヴァルド・フィニガンの矯正」も読んだが、確かに暗いイメージがない。スウェーデンの刑務所は居心地の良い場所なのだろうか。「刑務所と修道院には差がない」(369ページ)という、ミカエルのコメントが絶妙である。
無駄のない小説である。例えば、ミカエルがヘデビー島に着いて、ゲストハウスに腰を落ち着けた日、猫が遊びに来るシーンがある。一見意味のないようなエピソードなのだが、その猫が後である役割を果たすことになる。全てが、後で意味を持つように構成されている。無駄がない。しかし、無駄がなさすぎる。これもスウェーデンの推理小説であるが、ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズでは、結構「無駄足」の部分も描かれ、それが物語にリアリティーを与えている。無駄足のない捜査、無駄のない人生などというものは存在しないのである。従って、その部分が取り除かれ、意味を持つ部分だけで物語が構成されてしまうと、何となく現実感が失われてしまう。この物語の唯一の欠点はそこにあると思う。
今回、聖書の第三章「レビ記」を改めて読んだが、旧約聖書というのは実に奇妙な書物だと思った。一章がまるまる「このような罪を犯したものはこのような刑罰に処す」という、まるで刑法の条文に当てられているのである。その罪も、「近親相姦」や「獣姦」という、かなり「えげつない」ものばかり。しかもその刑罰たるや、現代のイラン政府も真っ青というほどの残虐な肉体刑なのである。どうしてユダヤ人には、当時こんな条文が必要で、今も必要なのか、全く理解に苦しむところである。
日本ではこのシリーズ「ミレニアム三部作」というタイトルで発売されているという。「ミレニアム」というのはミカエルの働く雑誌の名前である。しかし、実際読んでみると、この雑誌が、タイトルになるほど重要な役割を果たしているとも思えない。奇妙な命名である。
また登場人物の名前であるが、拙いスウェーデン語の知識ではあるが、現実の発音に近いと思われる日本語表記をした。おそらく、日本語訳とは違っていると思うが了承いただきたい。
楽しめた作品。第二作、第三作も引き続き読んでみたいと思う。しかし、いずれも七百ページを越える大作。時間がかかりそうだ。
(2010年8月)