「氷姫」
原題:Isprensessan 「氷のプリンセス」
ドイツ語題:Die Eisorinzessin Schläft「眠れる氷のプリンセス」
2004年
<はじめに>
「スウェーデンのアガサ・クリスティー」と評判の高いレックバリの第一作。今後おなじみとなる、パトリックとエリカのコンビが出会い、事件を解決していく。どの辺りがアガサ・クリスティー的なのか、興味のあるところ。
<ストーリー>
氷が薄く張ったバスタブに横たわる女性。
「氷のプリンセス」
そう呟きながら、男は去っていく。男は彼女を愛していた。
スウェーデン西部のフィエルバッカの町、冬、マイナス十五度。フィエルバッカの町はひと昔前までニシン漁で栄えていたが、ニシンが取れなくなってからは、夏の間だけ訪れる観光客からの収入で生きているような土地になっていた。引退した漁師のエイレルト・バリは毎日同じコースを散歩する。彼は週末だけこの町に滞在ずる若い女性アレクサンドラ・ヴュクナーと散歩の途中で知り合う。バリはアレクサンドラが家を空ける期間、彼女のアパートを管理する役目を引き受けた。彼はいつものようにアレクサンドラのアパートに入る。そこで、バスタブに横たわる彼女を発見する。驚いて外に走り出たバリは、ちょうど散歩中であったエリカ・ファルクと出会い、彼女に自分の見たことを話す。
伝記作家であるエリカ・ファルクは、最近両親が自動車事故で死亡し、その遺品の整理のためにフィエルバッカの実家に戻っていた。最近仕事が上手くいかないエリカは、仕事に対する意欲を失いかけていた。彼女にはアナという妹がいて、アナは夫のルーカスに説得され、両親の家を売ることをエリカに要求してきていた。エリカは何とか両親の家を持ち続けたかった。
エリカは散歩の途中、バリからアレクサンドラの死について告げられる。エリカがアレクサンドラの部屋に入ると、浴槽に横たわるアレクサンドラの手首の傷から、白いタイルを染め、赤い血が流れていた。エリカとアレクサンドラは幼い頃の親友であった。アレクサンドラの性格を知るエリカは、彼女が自殺したということが信じられない。アレクサンドラとエリカは学校が始まった第一日目から仲良くなった。社交的で、人好きのするアレックスは学校では人気者であった。学年が進んだあるとき、アレクサンドラは理由も言わずエリカから遠ざかり、直後に町を去り、その後、ふたりの間の交友は途絶えていた。
娘の死の知らせを受けて、アレクサンドラの両親がフィエルバッカに戻って来る。エリカは両親を訪ねる。父親は、アレクサンドラの死が自殺ではないと主張する。アレクサンドラは血が嫌いで、血を見ると気分が悪くなり、ときには失神するような性格であったという。父親は娘が手首を切って血を流すことなどできないと言う。エリカ自身、アレクサンドラを発見したとき、誰か他人の気配を感じていた。母親はエリカに娘の追悼文を書いてくれるように依頼する。エリカはそれを受ける。内心、自分の小説の題材になることを期待して。エリカは手始めに、アレクサンドラの夫、ヘンリク・ヴュクナーに会うためにイェーテボリに向かう。
アンデルス・ニルソンはカンバスに向かっていた。しかし、絵を描かず、彼はビールを飲み続ける。彼は酔いつぶれて眠ってしまう。母親が彼のアパートを訪れる。彼女は二十五年間、息子のアパートに通い、食料品を運び、部屋を片付けていた。
イェーテボリの豪華な屋敷で、エリカはアレックスの夫ヘンリクに会う。ヘンリクは親から財産と事業を受け継いでいた。ヘンリクとアレックスは結婚して十五年になるが、エリカの目から見たヘンリクは落ち着き、少しも取り乱したところがなく、とても最近妻を亡くした夫には見えなかった。夫は、アレックスが完璧主義者で、自分が傷つきたくない性格であったこと。夫とも共有できないような秘密を持っていたようだと語る。また、アレックスにはユリアという歳の離れた妹がいたが、妹は姉から完全に無視されていたようだという。
エリカは、次に、アレックスが経営した画廊の、共同経営者であるフランシーヌを訪ねる。アレックスとフランシーヌは、パリで美術史を勉強した後、イェーテボリで抽象画の画廊を開いていた。フランシーヌも、アレックスは滅多に自分の内面を明かさず、自分の周囲に壁を築いていたという。また、アレックスがここ数カ月、頻繁にフィエルバッカを訪れていたことも話す。フランシーヌはアレックスが夫のヘンリクを愛していなかったことを認める。何よりエリカを驚かせたのは、アレックスが最近妊娠しており、その事実だけは喜びの余りにフランシーヌに打ち明けていたことであった。フランシーヌはアレックスの死は自殺ではないと断言する。
エリカはフィエルバッカに戻る。彼女は義理の弟のルーカスの弁護士から手紙を受け取る。妹のアナは何事も自分で決められない性格で、エリカはアナがルーカスに利用されていると信じていた。エリカは、相続の件を、友人の弁護士マリアンネに相談する。マリアンネはヘンリクを知っており、彼を金の事しか考えない冷酷なビジネスマンであると評する。しかし、エリカ自身も、三十五歳になるが、いまだに独身、結婚して子供が欲しいと考え始めていた。また、出版社から催促を受けているものの、次の仕事になかなか取り掛かることができないでいた。
その夜、エリカはダンとペルニラ夫婦を訪れる。ダンは漁師であったが、それだけだは食べていけなくなり、副業として学校の教師もしていた。かつてエリカはダンを愛していたが、彼女が町を去ったことでふたりの関係は終わり、数年後にダンはペルニラと結婚。ふたりの子供を設けていた。エリカはダンとまた友達として家族ぐるみで付き合っていた。エリカは、ダンにアレックスの話をする。彼も、アレックスが自分の周囲の重要な人々に何故心を閉ざしていたのか不思議に思う。
フィエルバッカの隣にあるタヌムスヘーデ警察署の署長メルベリは秘書のアニカから、イェーテボリ警察の検視医から電話があったことを伝えられる。彼はイェーテボリで問題を起こし、左遷される形で田舎の警察署に赴任していた。本人もそれが屈託となり、何かにつけて三十六歳の女性秘書のアニカにあたり、アニカはセクハラとも思える彼の言動に嫌気がさしていた。メルベリに対して検視医のペダーセンは、アレクサンドラ・ヴュクナーの死は自殺ではなく他殺であると断言する。何者かが多量の睡眠薬を飲ませた後、彼女を浴槽に沈め、そこで両手首を切ったという。また、彼女が妊娠三ヶ月であったことも検視医は告げる。滅多に大きな事件の起こらない田舎の警察が、殺人事件の捜査を引き受けることになる。
男はアレックスの手を握ったあと去っていく。過去の時間が、濁流のように押し流されるのを感じながら。
メルベリはアレックスの両親と夫に、警察に出頭するように命じる。アレックスの父は出張で不在、母親のビルギットが警察に行くことになる。ヘンリクはエリカに電話をし、動揺している義理の母親の家に行って、彼女と一緒に居てくれるように伝える。エリカもそれを引き受け、エリカはビルギットを訪れる。ヘンリクが到着し、警察署に行くことになるが、ヘンリクはエリカにも一緒に来てくれるように頼む。エリカも乗りかかった船ということで一緒に行くことに同意をする。
メルベリは部下の若い刑事パトリックに、尋問に同席するように命じる。パトリックはそこでエリカに会う。パトリックとエリカは同級生で、母親同士仲が良いことから、かつて、ふたりは兄妹のように親しく付き合っていた。パトリックはエリカのことが好きであった。しかし、エリカがフィエルバッカを去ってから、ふたりの交友は途絶えていた。
メルベリはアレックスの母親と夫に、アレックスが他殺であることを告げる。エリカはそれを聞いてヘンリクが本当に驚いていないことに気付く。また同席しているパトリックも、裕福な家庭で育った男に、隠された一面があることに気付く。メルベリはビルギットとヘンリクに、アレックスが殺されたと思われる日の様子について尋ねる。金曜日の夜、母親が電話をしたときにアレックスは生きていた。しかし、ボイラーが壊れたという知らせを受けて修理人が午後九時に来た時に、ベルを鳴らしたものの誰も出なかったという。
尋問が終わり外に出る時、パトリックはエリカに話しかけ、ふたりは土曜日の夜、パトリックの家で一緒に食事をすることを約束する。
酔いつぶれて寝込んでいたアンデルスは午後に目を覚ます。彼は前夜、アレックスのことを悪く言った酒場の客と喧嘩になり、乱闘をしていた。母親から電話が架かる。母親はアレックスが自殺ではなく他殺であるという噂が街に広がっていることを告げる。アンデルスは友人に電話をし、外出する。
エリカは夜、アレックスの家に侵入する。彼女自身何かは分からないものの、何か手掛かりを得ようとしたのだった。昔よく出入りしたので、合鍵の隠し場所は分かっていた。彼女は家に入る。そのとき、別の人物が家に入って来る。エリカは洋服ダンスの中に身を隠す。別の侵入者は、家の中で何かを捜していたが、見つからなかったのか、そのまま去っていく。エリカは洋服ダンスの中に、何か硬い物があるのに気付く。それはカンバスであった。エリカが取り出してみると、そこにはアレックスのヌードが描かれていた。絵の素養のないエリカではあるが、その絵の素晴らしさに目を見張った。また、エリカはその絵をどこかで見た気がした、エリカは床に落ちている紙を拾い上げる。彼女は無意識のうちにその紙をコートのポケットに入れる。
ルーカスの弁護士と遺産相続について話し合うために、エリカはストックホルムを訪れる。ルーカスは遺産を折半するために、家を売るか、半分の金を払うことをエリカに要求する。エリカは両親の家を売りたくないが、金もない。エリカは敗北感に包まれて外に出る。ストックホルムの喧騒を目の前にして、エリカはフィエルバッカでの静かな生活に対する憧れを強くする。エリカはポケットに手を入れ、アレックスの家で拾った紙を見つける。それは古い新聞記事であった。
アレックスの葬儀が営まれる。彼女の両親、夫のヘンリク、共同経営者のフランシーヌ、エリカの他に、妹のユリアも参列していた。ユリアは美貌のアレックスとは正反対の女性で、涙も見せず、投げやりな態度で、参列者の中でひとり浮いている存在であった。葬儀の後で、参列者がアレックスの家に集まる。エリカはアレックスのヌードの絵を、どこかで見た気がしたかが何故なのか分かる。フランシーヌを訪ねたとき、それと同じ色調の絵が画廊に掛けてあったのだ。エリカはその絵についてフランシーヌに尋ねる。フランシーヌはその絵が、アンデルス・ニルソンというフィエルバッカに住む若い画家によって描かれたこと、アレックスが彼の才能を見出して絵を売ろうとしたが、彼が酒浸りになり絵を描くのを止めてしまったことを告げる。
参列者が集まる席に、町の有力者であるネリー・ロレンツが入って来る。ネリーの夫、ファビアン・ロレンツはフィエルバッカで缶詰工場を始め、それが成功し、町の半分の人がその工場に関係した職に就くようになっていた。夫の死後、ネリーが会社の経営を切り盛りしていた。ネリーはアレックスの両親や夫に弔意を伝えた後、ユリアに話しかける。それまで周囲の人間に全く関心を示さなかったユリアだが、ネリーとは親しく話し始める。
土曜日の夜、エリカはパトリックの家で夕食を取る。パトリックは憧れのエリカを迎えるので緊張している。食事の後、エリカはパトリックに、夜にこっそりとアレックスの家に忍んでいったことを告げる。彼女はそこで拾った新聞記事をパトリックに見せる。それはファビアン・ロレンツと、ネリーの息子の失踪事件に関する記事であった。一九七七年、息子のニルスが一切の痕跡を残さず行方不明になっていた。その事件で、ファビアンとネリーは力を落とし、ファビアンは翌年に死亡していた。パトリックとエリカは、何故アレックスがその事件に興味を持っていたのか不思議に思う。また、ネリーが何故ユリアと親交があったのか、誰かと会っていることを知りながらも、どうして、夫のヘンリクが、アレックスが毎週末フィエルバッカに行くことを許していたかも、ふたりには謎であった。
誰からも無視され続けて男。彼女だけが自分を見てくれた。また、自分だけが本当の彼女の美しさを認識できた。
エリカはネリーの招待を受け、彼女の豪邸でティータイムを過ごす。彼女と死んだ夫のファビアン、行方不明になった息子のニルスの写真は並んでいるが、養子のヤンの写真が一枚もないのをエリカは不思議に思う。エリカはネリーがアレックスを個人的に知っており、嫌っているという印象を受ける。エリカがネリーとアレックスの妹であるユリアの関係を尋ねると、ネリーは不機嫌になり、ユリアとは葬儀の後で初めて会ったと言う。そこで電話が架かり、会話は中断する。養子のヤンが現れる。彼は養母を丁寧に扱いながらも、行動にどこかわざとらしさがあることにエリカは気付く。ネリーが席を外したとき、書類トレーに置かれた一枚の書類にエリカの目が行く。そこには、全く説明し難いことが書いてあった。
その日の午後、家の値段を決めるために、不動産鑑定士がエリカの両親の家を訪れることになっていた。エリカが家に戻るとルーカスが来ていた。間もなく不動産鑑定士が現れるが、その男の前で、エリカは家の価格が下がるような否定的なことばかりを並べる。鑑定士が帰った後で、激怒したルーカスはエリカの首を掴み、無理矢理キスをして出て行く。
パトリックはアニカにロレンツ家に関する資料を集めてくれるように頼む。パトリックの机の上にはアニカの集めた資料や新聞記事が高さを増していく。パトリックはそれを読み始め、ネリーが、両親を亡くし心に傷を負った少年を養子として迎えたことを知る。署長のメルベリは、犯人の目星が立ったと言う。
エリカは、港で漁具の修理中のダンを訪れる。彼女は、アレックスの家に忍び込み、二十五年前のニルス・ロレンツの失踪事件の新聞記事の切り抜きが下着の間に隠されているのを見つけたことをダンに告げる。ダンはエリカに事件に関わるなと忠告する。そのとき、ダンの妻のペルニラが現れ、ふたりを憎しみの籠った目で見つめる。
男はアレックスを亡くしてから、深い孤独に苛まれていた。
アンデルスの母親ヴェラは、ロレンツ家の掃除婦として雇われていた。彼女は、ネリーに殺意さえ覚えるほどの憎しみを抱いていた。彼女は、船乗りの夫を事故で亡くしてから、独りでアンデルスを育てていた。ヴェラが息子の家の前を通ると、アンデルスはちょうど警察に連行されるところであった。メルベリは、アンデルスがアレックスの死後も、アレックスの家に出入りをしていたという隣人の証言を基に、彼を逮捕した。パトリックはアンデルスの家を捜索するが、特に証拠となる者は発見できなかった。パトリックは証言をした老女、ダグマ・ペレトンを訪れる。クリスマスツリーと菓子作りが趣味のダグマは、殺人のあったと思われる一月二十五日に、アンデルスがアレックスの家の中に入るのを確かに見たという。また、それ以前も、アンデルスはアレックスの家を度々訪問していた。ダグマは、またエリカとアレックスが幼かった時代のことも良く知っており、ふたりが大の仲良しであったこと、アレックスがある日突然居なくなったときのことをパトリックに話す。
メルベリはアンドレスを尋問する。アンドレスは何度もアレックスの家を訪れていたことは認めるが、殺人は否定する。彼はアレックスが妊娠三ヶ月であったことを聞きショックを受ける。彼はアレックスを愛していた。しかし、彼が最後にアレックスと寝たのは四カ月前だった。
パトリックは、エリカに相談に出かける。パトリックはアンデルスに関する捜査が進展しないことをエリカに話す。アンデルスを子供の頃から知るエリカは、アンデルスは殺人を犯すような人間ではないと断言する。ふたりは再び、アレックスの家を訪れる。テーブルの上には二人分の食器が用意され、オーブンの中には食事が準備されていた。ワインが開けられ、少しだけ減っていた。アレックスは、誰かと一緒に食事をするために待っていたのだった。しかし、全てから、指紋は丁寧に拭き取られていた。パトリックとエリカは、「アレックスが睡眠薬入りの飲料を飲まされ、眠っている間に浴室に運ばれた」という状況を再現してみる。そして、ひとりでアレックスほどの体重のある大人を、浴室まで運ぶには、かなりの力のある人間か、複数の人間にしかできないことに気付く。
間もなく、殺人のあったと思われる時間帯に、アンデルスが家にいたという証人が現れ、アンデルスは釈放される。彼は家に着くなり、それまで自分が描いた絵を切り刻む。犯人であると確信していた男を釈放する破目になり、メルベリは警察署で荒れまくる。パトリックは、殺人のあったと思われる時間帯にアレックスが家に居たと証言する隣人を訪れる。未婚の母である彼女も、アンデルスが人を殺すような人間ではないと言う。
ルーカスのアナへの暴力は日に日にひどくなる。最初は外から見えない身体を殴るだけであったが、最近は顔にも手を出すようになってきていた。子供を父親から引き離すことはできないと考えるアナは夫の暴力に耐えていた。それは、またルーカスを嫌う姉への反感からでもあった。一方、アレックスの夫のヘンリクは複雑な感情であった。子供の頃から望む物は何でも手に入ったヘンリクだが、アレックスだけは別であった。ヘンリクと両親の家を訪れ、その家具と調度を見たアレックスは、掌を返したように彼との結婚を承諾した。ヘンリクは、家と金のためにアレックスは自分と結婚したのではないかと思い悩む。
男はアレックスとの時間を思い出す。彼女の中には対立したものが同居していた。彼女が死んだことにより、最終的に彼女は自分の物になった。
アナはエリカに電話をし、家を売ることに早く同意をするように言う。エリカは、それを拒否し、ルーカスの言うことを聞いてばかりおらず、自分で考えろと言って電話を切る。
土曜日の朝、エリカの家をユリアが訪れる。ユリアは昔の写真を見せてくれるようエリカに頼む。エリカは、父親のアルバムを持って来る。子供の頃仲の良かったエリカとアレックスが一緒にいる写真が沢山あった。しかし、ある時から、アレックスは写真から消えていた。エリカは、ユリアに、葬式の席でネリーと親しく話していたが、ふたりはどうして知り合ったのかと訪ねる。ユリアは大学の頃、毎夏、ネリーの缶詰工場で事務のアルバイトをしていたからだと答える。彼女なりの目的を達成したのか、ユリアは去っていく。
アレックスが殺されてから三週間が経つが、捜査は進展していなかった。パトリックがエリカと夕食を約束した土曜日になった。パトリックもエリカも、朝からソワソワしている。ふたりとも太ってしまい、身体に会う服が見つからないことを嘆く。しかし、その日の食事は上手く行き、ふたりは楽しい夜を過ごす。エリカはパトリックに、ユリアが朝自分の家を訪ねてきたこと、またネリーが財産をユリアに遺そうとしていることを告げる。ふたりはワインを飲み、寝室へ向かう。色々と仕事に関する悩みや、個人的な問題を抱えるふたりだが、それを忘れて、ふたりは幸福感に浸る。
アンデルスの飲み友達のベングトがアンデルスの家に行く。そこで首を吊っているアンデルスを発見する。遺書はなく、他殺の可能性が強かった。その連絡を受けたパトリックは、小さな町で偶然ふたりの殺人者が活動する可能性が極めて小さいことから、アレックスとアンデルスは同一人物により殺されたのではないかと思う。署長のメルベリは、署の全員を集め、捜査会議を開く。署の全員が、ふたつの殺人事件に投入されることになる。その中には、警察学校を卒業したてのマルティン、定年の日の指折り数えているゲスタ、パトリックとアニカを嫌っているエルンストも含まれていた。
ネリーの養子であるヤンは妻のリサと言い争っている。妻は何時までも母親と同じ家で召使のように暮らすのに耐えられないという。ヤンは、ネリーが死ねば、莫大な遺産が入るのだからそれまで我慢するように妻を説得する。
エリカはダンを訪れる。彼女にはある確信があった。ダンは自分の好きな詩人の詩集を親しい人間に送る癖があった。エリカが最初アレックスの家を訪れたとき、その詩集があった。しかし、次回訪れたときにはそれは持ち去られていた。エリカはダンがアレックスと関係していたのではないかと質し、ダンもそれを認める。アレックスが待っていた人物はダンで、お腹の子はダンのものだったのだ。エリカはダンに、妻と警察にそのことを正直に話すことを勧める。
パトリックは、アニカの見つけた新聞の切り抜きで、ヤンの生い立ちを知る。彼は息子を粗末にする両親の下で暮らしていた。一九七五年、彼らの家に火災が発生し、両親は焼死。外の馬屋で寝ていたヤンだけが助かった。その後、ヤンはロレンツ家に引き取られ、養子となっていた。また、アンデルスの携帯電話の記録から、彼が数回ヤンに電話をしていることを知る。パトリックはヤンを訪れ、その点を問い合わせるが、ヤンは全て無言電話であり、誰からの電話か知らないと語る。パトリックは、ヤンを担当したソーシャルワーカーを訪れる。彼女は、ヤンが両親の斡旋で性的暴行を受けていた可能性の高いこと、ヤンには冷酷な面があり、両親の家に放火をして両親を死なせたという疑いがあったことを認める。彼女は、ロレンツ家に引き取られたヤンが、人が変わったように丁寧な物腰になったことに驚いたと語る。
エリカは、ある女性作家の伝記を書いていたが、今回の事件に作家としての興味を持ち始める。彼女は、密かにアレックスとその周辺のメモを取り、まとめ始める。そして、本業よりもそのことに時間を取るようになる。
パトリックはアニカから電話を受け取る。重要な発見があったという。アニカは、アレックスのこれまでの経歴を確認していた。そして、一九七七年に彼女がフィエルバッカを去ってから、一九七八年にスイスの寄宿制の学校に入学するまで、彼女自身の経歴も、彼女の家族の経歴も、空白になっていることが分かった。その空白の一年が事件の謎を解く鍵だと直感したパトリックは、アレックスの両親に会いにイェーテボリに向かう・・・
<感想など>
四百頁近い大作である。各章が、男性の独白で始まるのが特徴。それが誰の声であるかは、かなり早い段階で明らかになる。
ストーリーを進めるために、多少のご都合主義はどの作品にもあるが、余りにもそれが現実離れしていると、ストーリーそのものについていけなくなる。そのひとつが「何故殺人現場の家に自由に出入りできるのか」という点である。かなり早い時点で、アレックスの死が自殺ではなく他殺であることが分かる。その時点で、彼女の家は、殺人現場なのであるから、当然、立入禁止にされ、鑑識が入ると思ってしまう。しかし、その家に自由に出入りでき、しかも、そこに葬儀の後、大勢の人が集まってしまう。犯人の指紋が残っているかもしれないのに。この展開は正直ひどい、あり得ないと思う。
また、殺されたアレックスは妊娠していたが、その父親が犯人の可能性が高い。しかし、その胎児のDNA検査をしたという話も出て来ない。このあたりストーリー展開についていくのに苦しむ。
ルーカス、メルベリ、ヘンリク、ヤンという敵役が全て男性。しかも、徹底的に否定的に描かれている。超ステレオタイプである。この登場人物は、主人公の邪魔をするためにしか存在しない。いわば、水戸黄門の「悪代官」、「越後屋」である。人間であるから、良い面も悪い面もあるという前提を一切拒否した人物設定。この辺り、ストーリーを進めるためだけに人物が登場し、行動する、シャーロック・ホームズ、アガサ・クリスティーの古典的な世界への逆戻りと言える。レックバリのことを現代のアガサ・クリスティーと呼ぶ人もいるが、確かにその表現は的をえている。また、女性の書いた小説には、男性が敵役として登場することが多いが、やりすぎではないだろうか。確かに女性の読者は獲得できるかも知れないが。
フィエルバッカというスウェーデン西南部の小さな町が舞台になっている。昔はニシン漁で栄えた場所らしいが、今はロレンツ家の経営する缶詰工場と夏の観光だけで持っているような土地。早く言えば田舎。殺人事件にはおおよそ縁のない場所である。このあたり、マンケルのヴァランダー・シリーズのイスタードと設定は似ている。小さな土地には、その土地にだけ通用する常識があるらしい。とにかく、噂は一日で町の隅々まで広まってしまう。良い噂も(余りないが)悪いう噂も、あることもないことも。小説では、この田舎の小さな町の特性が重要な役割を果たす。殺人の動機も、この町に住んでいる人たちの理論であり、正直犯人に共感を覚えることが難しかった。「狭い場所での濃い人間関係」を扱っているという点で、クリスティーの「ミス・マープル」シリーズと共通点がある。
斬新というと、カップルがふたりで事件の解決に挑むということだろう。若い警察官のパトリックと若い作家のエリカは故郷で久しぶりに出会い恋に陥る。パトリックが前面に立ち、エリカがバックアップをするというコンビ。この辺り、コツコツして味気なくなりがちな犯罪小説に花を添えている。
レックバリという作家の作品、スウェーデン国内では、英国の「ハリー・ポッター」並みに売れている。また、彼女自身も「リアリティー・ショー」番組の優勝者と付き合ったりして、ゴシップ誌やワイドショー番組を賑わした存在だという。しかし、その国内での知名度のわりに、海外での翻訳は意外に少なく、「北欧の犯罪小説」の評論を見ても、余り重要視されていない。この辺り、アガサ・クリスティーというより「ハリー・ポッター」の女性作家、J・K・ローリングスにむしろ似ていると思う。
(2015年)