びっくりしてコロンブス

 

サンタ・クルーズにあるコロンブスの船「サンタ・マリア号」のレプリカ。

 

一四九二年九月六日、スペイン女王イザベラの命を受けたクリストファー・コロンブスは、カナリア諸島を発ち、西に向かって出発した。そして東から吹く貿易風に乗って航海を続け、約一ヵ月後の十月十二日に島影を発見し、上陸する。そこは今のカリブ海に浮かぶ西インド諸島の一部であった。コロンブスはそこがアジアであることを疑わなかった。

僕たちの子供時代は学校で「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と習った。

「これってちょっと変やない?」

それまでにもアメリカ大陸には何百万人もの原住民が住んでいた。その人たちは当然アメリカ大陸の存在を知っていたのだ。

「ほな彼らは人間やないんですか、おかしいやないですか、責任者出て来い!」

と人生幸朗さんなら言うだろう。そんな批判があったためだろう、最近ではかなりソフトな表現になっていて、ウィキベディアでは「キリスト教世界の白人として最初にアメリカ海域に到達した」という記述に納まっている。

コロンブスは大西洋を西に向かうとアジアに到達すると考えていた。彼を西への旅へと掻き立てたのは、マルコ・ポーローの書いた「黄金の国ジパング」、つまり日本であったという。つまり、日本で黄金を手にしたかったのだ。例え日本へ来ても、そんなに金が転がっているわけじゃないのにね。僕の子供の頃、コロンブスといえば英雄であった。しかし、今は原住民を無差別に虐殺した残酷な人間としての一面も描かれている。動機や人格はともかく、あるかないか分からない目的地に向かって、とにかく出発したコロンブスの勇気、行動力は評価に値すると思う。コロンブスは四回、アメリカへ向かう船旅を試みているが、すべてこのカナリア諸島が出発点となっている。カナリア諸島は、コロンブスゆかりの場所なのである。

ラ・パルマ島の「首都」サンタ・クルーズの川岸に、コロンブスの乗った「サンタ・マリア号」のレプリカが置いてある。前後に短く、左右と上下に長い、ずんぐりむっくりの船である。コロンブスはスペイン女王イザベラをスポンサーにして作った三隻で最初の航海を始める。どこまで行っても陸地に着かないので不安になり、暴動寸前になった乗組員を説得しながらの旅であったという。

サンタ・クルーズは今でも港町。大きなフェリーが接岸しているのが見える。サンタ・クルーズだけにクルーズ船も寄航するそうだ。それにトム・クルーズが乗っていたりして。

サンタ・クルーズからさら更に北へ向かう。珍しくトンネルが続く。島の北東の端にある、ファハナとう村に下りると、そこには海水プールがある。きれいな水。泳いで見たいのは山々だが、その日はタオルも海パンも持ってきていなかった。それに水温はおそらくホテルのプールよりもっと低そうだ。

「残念やけど泳ぐのはやめとこ。」

さすがに、水があれば水温に関わらず飛び込みたがる、ドイツ人も泳いでいない。

 

誰も泳ぐ人のいない、ファハナの海水プール。すごくきれいな水なのだが、温度が・・・

 

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