父との別れ
英国では絶対にお目にかかれない家庭用エアコン。必要ないもの。
トモコは手術を済ませ、数日前に退院してきたばかり。毎日こんなに走り回っていて、大丈夫なのかと思う。サンドイッチをもらったが、僕は朝食を済ませたばかりで、昼飯を食わない主義なのだ。
病院に行く前に継母を訪ねる。継母は昨夜から、下痢と嘔吐で苦しんでいた。そんな人が食べられるかどうか分からないが、とりあえず一食分のサンドイッチを渡す。もう一食分は、
「お昼に食べてね。」
と言って、生母の家に置いてきていた。
今日はフジタ医師とソーシャルワーカーのSさんと午後四時半から継母も交えて話をすることになっている。体調の悪い継母がそれに来られるか、ちょっと心配になってくる。
従兄弟のFさんも風邪で下痢がひどく寝ているという。このクソ暑い時期、暑さで身体が弱るからだろうか。あるいは、冷房のせいだろうか、沢山の人が体調を崩しているようだ。
その日もほぼ父の病室で過ごす。病室の中は時間が経つのが遅い。もう十五分くらい経ったかなと思って時計を見ると、二、三分しか経っていない。相対性理論によると、「時間はどこでおも同じ速さで過ぎない」という。それが病室の中にいると分かるような気がする。おそらく父もそうなのだろう。しきりに時間を聞いてくる。しかし、今日は別れの時間がはっきり言って怖い。時間が経って欲しいような欲しくないような、複雑な気分だ。
昼過ぎ、生母の家に戻り、昼寝をする。生母も横で昼寝をしている。こう暑いと、本能的に昼寝をしてしまう。イタリア、スペイン、ギリシアで「シエスタ」の時間があるのは必然なのだと思う。
二時過ぎに病室に戻る。さすがに父もセンチメンタルになっている。
四時過ぎ、継母は体調が快復したのか、何とか病院までやってきた。継母、僕、フジタ医師、Sさん、それと看護婦長の五人でミーティングが行われる。「胃ろう」と言って、腹に穴を開け、チューブを通し、直接胃に栄養を送り込む方法を提案されるが、父もそれは嫌がっているし、断ることにする。
結局、父は転院することになった。父もこの病院を出たがっているし、ちょうどいいのでは。Sさんが転院先の病院を捜してくれるという。
六時に病院を出る。父にまだ意識があり、別れの挨拶ができるのは幸せなことかも知れない。人生で辛い瞬間は何度もあったが、これ辛い瞬間は今まででなかったように思う。
「お互いに」これで「最後の別れ」になるのを知った上での別れなのだから。
父と握手をして病院のドアを出るとき、僕はもう振り返れなかった。
泣かないように努力しながら生母の家に戻り、銭湯に行って、ビールを飲みながら夕飯を終え、明日の出発に備え荷造りをする。
白い暖簾が夏らしい銭湯・船岡温泉。一日置きに男湯、女湯が入れ替わるので、この暖簾も変わる。