エピローグ

 

帰って数日後に誕生日。英国でも年金がもらえる年齢になった。

 

「お客様の予約された、アムステルダム発ロンドン行の便は、キャンセルになりました。アムステルダム空港の乗り継ぎカウンターで、代替え便についてお尋ねください。」

韓国のインチョン空港で、アムステルダム行きの飛行機を待っている僕に、そんなメッセージが入った。送って来たのはKLMオランダ航空。

「またかよ。」

本当に、今回は、行きも帰りも、飛行機がまともに飛ばない。その日の午後、僕は母の家を出て、叔母の運転で京都駅へ。そこから電車で関空に向かった。夕方に関空に着く。飛行機は八時なので、関空で日本の名残りに何か美味しいものでも、と思っていた。

「こんなんあり?レストランが一軒も開いてへん!」

コロナで、航空会社や空港は壊滅的な打撃を受けたとは聞いていたが、まだまだそこから立ち直っていないんだ。

関空から飛行機は一応「アムステルダム行き」となっているが、実は韓国のインチョンに降り、そこで、他の都市から来た客を更に乗せて、アムステルダムに向かう。航空会社も、集客と座席を埋めるのに苦労していることが伺える。

午前零時前、インチョンから飛び立つ。CAの女性に、

「アムステルダムからの飛行機がキャンセルになったんやけど。」

と聞いてみると、

「大丈夫、別の便に振り替えられているから、アムステルダム空港の自動発券器に、前の搭乗券を差し込めば、新しいのが出て来るから。」

とのこと。飛行機は午前零時にインチョンを飛び立つ。ちょうど寝る時間なので、七、八時間ぐっすりと眠る。飛行機は五時半にアムステルダムに着陸した。たった五時間半!?そうではない。オランダと韓国には七時間の時差があるので、実際は十二時間以上、飛んでいたのであった。 

 アムステルダムのスキポール空港で、言われたように、関空で貰った搭乗券を機械に差し込むと、新しい搭乗券が出て来た。行先には「LCY」と書いてある。ロンドン・シティー空港行の便だった。シティー空港は、ロンドンの東部、ドックランドにある小さな空港。飛行機も、百人乗り位の小さなエンブラエル機だった。でも、結果的にそれが良かった。朝七時に着いたが、小さな空港で、しかも早朝なので、降りてからあっと言う間に入国審査を通り抜ける。

「荷物よ出て来い。」

祈る気分。乗り継ぎ便に変更があったとき、荷物が積まれてなかったということは、これまで何度もあったから。果たして、荷物は出て来た。飛行機が着陸してから、三十分後に、僕はもう「運転手のいない電車」、ドックランド・ライトレールに乗っていた。家に着いたら九時前。京都の家を出てから、ちょうど二十四時間経っていた。京都もいいけど、ウチもいい。

 

家の近くの菜の花畑。地平線まで一面の菜の花。輪作なので、来年はここでは見られない。

 

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