スチュワーデスは差別用語
乾杯の音頭を取るS先生。
「ケベは今回、どの飛行機会社で帰ってきたん?」
と「課外活動」の時間、つまり二次会でユーコが僕に聞いた。僕たちはワインバーを貸し切って飲んでいた。
「アシアナ航空、韓国の航空会社。」
「なんで?」
「スチュワーデスのお姉さんがきれいやから。」
そこで、隣のツネボンが口を出した。彼は医者である。
「『スチュワーデス』やて、ケベ、今、差別用語使いよった。」
そう言えば、僕は最近、日本のマスコミが「スチュワーデス」という言葉を全て「CA、キャビンアテンダント」あるいは「客室乗務員」という言葉に置き換えているのを思い出した。また、「看護婦」という言葉も「看護師」と置き換え得られていることも。僕は日本にいないので、当然その背景を知らない。僕が外国暮らしをしている間に、日本語はどんどん変わっているのだ。
「なんで『スチュワーデス』が差別用語なん?」
と僕。
「今は女性だけを表す言葉を、職業に使うたらいかんねん。」
とツネボン医師が説明してくれる。
「アメリカだと、客室乗務員は男性が多いのよ。それもゲイの人が。でも、ゲイの男性に親切にしてもらうって、とっても良い気分。」
とユーコが訳の分からないコメントをする。
「『スチュワーデス』は差別用語やけど、『スッチー』とか『スッチャデス』は差別用語と違うねん。」
ヨッチャンが言った。彼も医者で、乳腺科の専門医とのこと。先ほどダルに、
「女の乳を揉んで金儲けしやがって。」
と揶揄されていた。
「そうや、『スッチー』とか『スッチャデス』は差別用語と違う。」
とツネボンも同意している。酔っているのか、本当なのか、ともかく、最近の日本語は分からないことが多い。隣では、ホリケンが「半沢直樹」の話をしていた。
それに先立つ「給食」の時間、つまり一次会は、大徳寺の隣にある寿司屋の二階であった。僕の前にミチコがいた。彼女も、フランス、ベトナムと海外生活の長かった人だ。フランス語の達人なのは知っていたが、現在は大学教授だという。お互い、ドイツとフランスにいるとき、数回手紙は交換したことがあるが、会うのは三十年振り。
「今度フランスへ来たら、英国まで寄ってね。」
と言っておく。彼女が本当に来てくれたら嬉しいんだけど。
結構世界中に散っていた同級生だが、定年を前に日本に再び集まりだした。