海を見ていた午後

 

京都は立つ前日まで、気温が二十度を超え暖かかった。鴨川の水辺にも人影が。

 

「海を見ていた午後」は松任谷由美さんの曲である。女性が、「ドルフィン」という海の見えるカフェを独りで訪れ、ソーダ水を飲みながら過去を振り返るというシチュエーション。その歌詞の中に、

「あのとき目の前で思い切り泣けたら

今頃二人ここで海を見ていたはず」

というのがある。「あのときこうしていたら」と(多くは後悔の念も持って)考えるのは人間の常。彼女は、そうしなかった。思い切り泣けなかった、自分に正直に振る舞えなかった。

その結果、今の自分がある。独りで海を見ている。では、そんなシチュエーションのとき、彼女は、自分は、どうすればよいのだろうか。それはひとつしかないと思う。

「自分の決断が『良い決断』になるように、少しでも努力すること。」

人生の中でたまには、これまで自分のした決断についてゆっくりと考え、それをどうしたらよい方向に向けて行けるか、自分の中で「作戦会議」をする、そんな時間が必要だと思う。そして、今回の丸四週間の休暇は、「反省」と「作戦会議」のために、貴重な時間だったような気がする。

 この旅行記はこれまでのものと少し違う。これまでは旅が終わってから、「帰って来た者」の視線で、過去を振り返って書いていた。今回は、行動とエッセーの文章が同時進行している。したがって、書き始めたときは、最後がどうなるのか、見当もつかなかった。「海を見ていた午後」なんていうタイトルを付けたが、海を見ていたのは最初の数日だけで、その後は庭を見ていることが多かった。これも、

「海を見つめていたら、これまで比較的、自分について正直になれた。」

と言う希望的観測でもって、このタイトルで書き始めたので、それは別に庭でもよかったような気がする。

 今、英国への帰り道、韓国のインチョン空港で、ロンドン行の飛行機を待ちながら、この部分を書いている。何となく、この先の道が見えてきたような気がする。

「自分を見つめ直す」なんて書きながら、この際だからということで、色々やりたいこともやった。京都で同窓会に出て、東京、金沢、備中高梁、近江八幡、比良山へ行った。京都でも、無鄰菴、時代祭、修学院離宮、細見美術館などを訪れた。それに何より、沢山の人と会って話をし、時には一緒に食事をした。それを全部やってもなお、誰にも邪魔されない暇な時間がふんだんにあった。

夕方、銭湯、船岡温泉に行って、ビールを飲み、母の手料理を食べるというゴールデンコースを、何回も出来た。話をした方々が余りに多すぎで、この場でひとりひとりにお礼を言うことはできない。しかし、最後に改めて、僕の日本滞在を楽しいものにしてくれたことに対し、皆さんに「有難うございました」と言いたい。また、英国でこれまでお世話になった同僚にもお礼を言いたい。この「有難う」は、今、この時、この文章を読んでおられる「あなた」に対して、発せられたものです。

 

ロンドンへ向かう飛行機。機中では殆ど薬を飲んで眠っていた。

 

(了)

 

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