沙羅双樹
先斗町でたまに日本人に会うと驚く、そんな日も近い。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
いきなり、平家物語の冒頭。どうしたんでしょ。高校の頃、古文の時間にこの一節を習った時、「祇園芸者のうめき声、処女無情の響きあり」なんて、けしからんパロディーを作っている同級生がいた。何故、この一説を持ち出したかというと、備中高梁へ行った日の夜、京都の先斗町(ぽんとちょう)にある「沙羅双樹」という居酒屋で、従姉妹のSちゃんとそのご主人と飲んだから。沙羅双樹は、お釈迦様が亡くなったとき、傍に生えていた木と言われており、仏教と馴染みが深い。大徳寺大仙院の石庭の奥にあるので、実物を見たい方は、大仙院へどうぞ。
岡山から新幹線で京都駅に着いて、地下鉄を乗り継いで、三条京阪まで行き、そこから先斗町に入る。
「富士に高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし、融けて流れりゃ皆同じ。」
と歌われた先斗町は、両側に料亭の並んだ、路地と言ってもいいくらいの狭い道。三条から四条まで続いている。Sちゃん夫婦との待ち合わせの時間は六時。三十分ほど早く着いたので、先斗町を歩いてみる。そして、驚く。
「げげ〜、外国人ばっかりやん。」
「そう言うおまえかて、外国人やんけ。」
と言い返されそうだが。とにかく先斗町を歩いている人々の八割が、外国人観光客なのだ。京都の高級料亭街だった先斗町、何時から外国人の観光スポットになっちゃったんでしょう。それに合わせるように、かつては敷居の高そうだった両側のお店も、現在は誰でも気軽に入れる店に変わっている。
六時十分前に、歌舞練場の前で、Sちゃんと旦那さんと出会い、右隣の「沙羅双樹」に入る。一九六九年開店ということで、古き良き時代の居酒屋の雰囲気を残しているお店だった。メニューもその頃から変わらないという。何故か「ジャガイモのコンビーフ炒め」が有名だという。それを頼んでみると、なるほどなかなか「いける」。自分で作れそうで、どこかが違う、微妙な味付けである。Sちゃん夫婦と会うのは半年ぶり。定年退職の先輩であるご主人に、色々「定年退職したときの心得」を聞いた。ご主人は、デイケアに通う老人たち送迎のアルバイトを始められたという。その苦労話も聞く。面白かったのはその店の客層。若い人はおらず、僕たちと同じ年代の人たちばかりだったこと。
九時ごろにお二人と別れ、また地下鉄を乗り継いで、母の家に戻る。さすがに、備中高梁でよく歩いたので、足も身体も疲れており、タクシーに乗ろうかという誘惑に襲われる。それに何とか打ち勝って、僕は地下鉄の階段を降りた。
入り口が、何とも「昭和」な居酒屋「沙羅双樹」の玄関。