Tシャツは出すもの入れるもの

 

兼六園徽軫灯籠(ことじとうろう)、観光客の半分は外国人だった。かえって安心感。

 

「けち〜、ええやん、ちょっとくらい。」

僕は去っていくおじさんに向かって、心の中でつぶやいた。これで、「日本人は観光地で写真を撮り合わないのでは」という「疑惑」がいよいよ強くなった。その時は幸い数分後に、キャノンの一眼レフを持ったカップルが現れ、男性が写真を撮ってくれた。よかったあ。

「ヨーロッパへ来るアジア人は、よく自画撮り用のセルフィースティックを持っているよね。でも、ヨーロッパ人の自画撮りは余り見ない。つまりあれば、『互いに写真を撮り合わない文化』の産物なのかも。」

僕はそう考えた。

数日後、僕は京都の友人にそのことを話した。しかし、彼は、写真を人に頼むというのは、日本でも普通に行われていて、彼自身も頼まれるし、頼むこともあるという。

「日本人はセルフィースティックをなん使わへんよ、あれは中国人と韓国人だけ。」

と友人は言った。ということは、僕が写真を撮ってくれるように頼んだおじさんの虫の居所がたまたま悪かっただけかも。日本を発つ前々日に彦根城へ行ったが、確かにそこでは日本人から写真を撮ってくれと頼まれたし、日本人に頼んでも快く撮ってくれた。

金沢で兼六園を訪れた後、義母、妹夫婦、それと甥で夕食に出かけた。暖かいのを通り越して、ちょっと蒸し暑い夕方。僕はTシャツで外に出た。

「あれ、伯父さんTシャツ中に入れてる。だっせえ〜。」

と甥が言う。僕はTシャツの裾を、ジーンズの中に入れていた。

「今時そんなことしている人ないわよ。」

とさほど年齢の変わらない妹も言う。僕はTシャツの裾をズボンから出した。英国では、Tシャツの裾をズボンの中に入れている人、結構いると思うんだけど。日本ではいないのかな。

その翌日、僕は金沢から京都に向った。京都駅から地下鉄に乗り、鞍馬口駅で降りてから、母の家に向かう。ぼくはその約一キロメートルの間、すれ違う人がTシャツを「中に入れているか」、「外に出しているか」を数えてみた。家に帰るまでに、三十九人のTシャツを着た人とすれ違った。前にボタンのあるシャツ、襟のあるポロシャツ、女性のブラウスは除いている。その結果・・・

中に入れていた人:二人

外に出していた人:三十七人

中に入れていた二人はいずれもファッションに全く関係のなさそうな六十歳過ぎの男性、日本ではTシャツは外に出すものであることがこれでよく分かった。その点でも、僕は京都に住む友人にコメントを求めた。

Tシャツは皆出すよね。それどころか、スーツでも下のシャツを外に出す若者も多いよ。」

ヒェ〜、そんなんも「あり」なん?日本人は「シャツを出したがる民族」なんだ。

 

京都に居る間は、一日も欠かさず鴨川に沿って八キロ歩いた。決めたらとにかく続ける僕。

 

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