鹿児島へ

昔は長崎行きの寝台特急だった「さくら」という名が鹿児島行きの新幹線の名になった

 

今年はもう二度京都に帰ったが、そのたびに生母の家に居候をしている。それで、世話をかけている生母に、たまには感謝の気持ちこめてサービスすることにした。父も落ち着いていることであるし、一泊か二泊で温泉にでも行こうかと考えた。

「どこに行こうか。」

一ヶ月ほど前に、僕は電話で生母に聞いた。そのとき、今年九州新幹線が全線開通し、新大阪から鹿児島行きの直通列車が走り出したことを思い出した。是非それに乗ってみたい。

「どう、鹿児島なんか。」

乗り物が好きな母も鹿児島行きに賛同した。鹿児島は姉の旦那の故郷であり、その母親のキヌコさんが住んでいる。昨年姪の結婚式で、生母とキヌコさんは席が隣同士、結構仲良く話していた。その後も何度か手紙を交換しているらしい。

「どうせ鹿児島に行くんやったら、キヌコさんと会って一緒に食事をしようや。」

ということになった。生母からキヌコさんに手紙を書いてもらう。普段から余りお客さんの来ないキヌコさんは、京都からふたりが鹿児島まで来るということを聞いて、最初パニックになってしまったそうだ。

 日本に着いた次の水曜日、ふたりで九時前に家を出て京都駅に向かった。海外に永く住んでいると、日本ではごく普通の光景が珍しく見えることがある。京都から新大阪までは新快速に乗ったが、京都駅のホームで、皆がきちんと二列に並んで待っているのを見た。電車が着いてドアが開くと、降りる人々がその二列の真ん中を整然と進んで行く。これは海外での無秩序な電車の乗り降りを見慣れている僕にとって、一種の感動的な光景だった。日本人は秩序を守ることを訓練されていて、それを破る人がいない。

 新大阪駅で気付いたのだが、指定席の車両の前でも、二列乗車というのが励行されていた。

「指定席やし、もちろん全員に席は確保されている。おまけに始発駅やし、どうせ列車は十分近く停まっている。それやったらバラバラに乗っていもええやん。」

と思うのだが、日本人はそれをやらない。車が来ていても来てなくても、赤信号のときは道を渡らない、それが日本人なのだ。

 そんなことに感心しながら、僕と生母は、新大阪から鹿児島中央行きの新幹線「さくら」に乗った。八両編成の車両は、九州新幹線全通の今年三月から使用されているもの。幅の広い新幹線の車両の片側二席ずつという贅沢な配置、飛行機のビジネスクラスのようなシートだ。博多で乗務員が交替し、そこからは中国語と韓国語のアナウンスが入る。さすがに九州に来たという感じがする。「さくら」はほぼ四時間で鹿児島中央駅に着いた。

 この「鹿児島中央駅」だが、「鹿児島駅」というのは別にあり、昔は「西鹿児島」という名前だったのが、新幹線が通る際に改称されたものだ。昔から、長距離列車は皆「西鹿児島行き」だった。「西鹿児島」は「鹿児島」より偉かったのである。

 

飛行機のビジネスクラスのように快適な「さくら」の座席。