一番好きな映画

 

車窓にはビニールハウスが広がる。

 

「ごめんなはり線」の終点、奈半利は、正直言って、何にもない場所だった。高架の鉄道がそこでプッツリ切れている。漁港である。街の中を歩いてみるが見るべき物もない。台風に対するためか、津波に対するためか漁港の防波堤がずいぶんと高い。ここからは室戸岬行きのバスが出ているが、今日中に京都に戻らなければならない僕には室戸岬まで行っている暇がない。

 朝から何も食べていない僕は、駅前の漁協直営の店でカニの入ったうどんを食べた。駅の売店で、切干大根を買う。生産者の名前が入っている。女性。おそらく、この近くの農家のおばちゃんなのだろう。奈半利では一時間ほどいただけで、また引き返した。途中の駅で藤色の帽子をかぶった幼稚園児がホームから列車に向かって手を振っている。僕も手を振り返す。

 後免駅で降りる。昔からこの駅の駅員さんほど損な役回りはないと言われている。列車が着くたびに、

「ごめ〜ん、ごめ〜ん」

と謝り続けなければならないのだから。

昼過ぎに特急「南風」岡山行きに乗る。間もなく雨が降り出した。列車は雨に煙る瀬戸内海を渡り、岡山に着く。新幹線ホームに行くと、そこに「のぞみ」が停車していたので、それに飛び乗り、京都へ向かった。津波の被害はほとんどなかったようだ。良かった。

翌三月二日、昨日は一日乗り物に乗っていたし、少し歩いた方がよいと思い、鴨川まで歩く。七時過ぎだが、曇っているのでまだ薄暗い。

 今日は火曜日、父がデイサービスに行く日だと勘違いして、八時過ぎに父の家に寄る。実はデイサービスは水曜日と土曜日で、父と継母はのんびりと朝食を食べていた。

 昨日遅くまで、母はBSで古い映画を見ていたという。それで朝食の途中映画の話題になった。

「おれの一番好きな映画は黒澤明の『生きる』や。」

と父が言う。僕も見たが、確かに名作だ。それまで平々凡々と、事なかれ主義で生きてきた公務員が、ガンで自分の死の近いことを知った後、突然使命感に目覚める話。

「ええと、主演は志村ケンやったかいな。」

と僕が言うと、

「主演は志村喬、小田切みきと田中春夫も出てたな。」

と父が言った。母と僕は顔を見合わせる。八十九歳の父だが、数十年前に見た映画の、主役のみならず、脇役の俳優の名前までしっかりと覚えている。その記憶力は驚異という他はない。ちなみに父のベストワンの洋画は「風とともに去りぬ」だそうだ。

「戦争前、日本が貧しい中で、あんな映画を作れる米国と戦争して勝てるわけがないと思ったわ。」

と母が言った。

 

やなせたかし氏による後免駅のキャラクター。ごめんなはり線の全ての駅に違ったキャラがいる。

 

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