厳しい冬
アブダビへ向かって旅発つエチハド航空のエアバス三八〇機。
チェックインを済ませ、ターミナルビルの窓から外を見る。空港全体が小雨に煙っている。そんな中、アブダビ行き、エチハド航空のエアバス三四三型機がプッシュアウトされ、滑走路に出るのが見える。無事旅行費用を貯めたスミレが一昨日インドに向かうために乗った飛行機だ。
「ええ、『エチハド航空』??そんなの聞いたことない。」
スミレが切符を取ったとき、妻は言った。アラブ首長国連邦の航空会社だ。スミレはアブダビで乗り換えて、デリーへ向かった。無事デリーに着いたというメールが昨日会社と家の両方に着いた。
出発までまだ一時間以上ある。空港が見渡せる見える喫茶室でミドリに手紙を書く。飽きたので、カメラを自分に向けて写真を撮っていると、隣の男性が
「写真、撮ってあげるよ。」
と言ってくれた。撮ってもらった写真を見る。自分でも疲れた顔をしているなと思う。
今日も寒い日だ。今年のヨーロッパはとにかく寒い冬だった。ロンドンでも雪が何回も降り、気温が低いのでそれがなかなか融けない。「冷蔵庫の中にいる」というより「冷凍庫の中にいる」、そんな実感。そんな寒さの中、僕とインド旅行の費用を稼いでいた末娘のスミレとのふたりは、黙々と働いていた。後で聞いたが、英国では観測史上一番寒い一月だったという。
一月に入り、妻と息子が日本から戻ってきた。彼らの着いた一月七日は、幸い天気が良く、ふたりを乗せた飛行機は無事ロンドンに着いた。前日は吹雪で、空港は閉鎖されていたのだ。
寒いだけでなく、精神的にもなかなか厳しい冬だった。クリスマスの直前、同僚のJが亡くなった。彼は一年足らず前にガンが見つかり、手術と化学療法を受けたが、ガンに勝つことができず、わずか三十数歳で他界した。Jは特に仕事がバリバリできるというわけではなかったが、いつも明るくムードメーカーだった。彼が入社したときは、僕が彼の教育係りだった。彼は三十数歳にして「若ハゲ」、全然と言っていうほど毛がなかった。朝、日の差し込む時間、僕の前に座っている彼が言う。
「窓からの太陽が目に入って、画面が見えないや。」
「こっちも、あんたの頭からのリフレクション(照り返し)で画面が見えんぞ。」
大晦日が葬式だった。若くで亡くなった人の葬式に出るのはいつも嫌だ。その日も寒い日だった。外で棺の到着を待っている間に風邪を引いた。葬式の間、お母さんがずっと泣いておられて、その泣き声を聞いているのは、本当に辛かった。
それと、一月は勤務査定の月。自分が査定されるのはどうでもよいのだが、他人を査定するのは、性格的に嫌でたまらない。それやこれやでストレスが溜まったのか、急に不整脈が出て、一度病院に運ばれる始末。その厳しい冬は今も続いている。
隣のおじさんが撮ってくれた。ヒースロー展望カフェにて。