プラチナムジュビリー
この日、英国の各地でストリートパーティーが行われていた。参加できなくて、女王陛下、ごめんなさい。(Bristol Post紙サイトより転載)
「プファー!」
と僕は言った。こう言いたくなるのは、スポーツをしたり、授業をした後、一口目のビールが喉元を通り過ぎたとき。そして、寒い日に暖かい風呂に浸かった瞬間、また、暑い日に冷たい水に飛びこんだとき。いずれも、「温度と関係した快さ」という共通点があるかな。僕は、イオニア海に浮かぶ、ケファロニアという島で海に飛び込んだ。昨夜から色々あって疲れていたが、まさに疲れが吹き飛ぶ爽快感だった。その日は、エリザベス女王在位七十周年、通称「プラチナムジュビリー」を記念した四連休の最初の日だった。
在位されてから七十年を迎えるエリザベス女王、九十六歳にしてまだ現役。大した人である。そのお祝いのため、三週間ほど前から英国の街の中には、ユニオンジャックの旗が目立つようになった。出発する週の月曜日、娘のミドリとパブに行った。パブは、デコレーションの真最中。天井に英国旗を張り目巡らせ、女王の写真の入った大きな旗をバーの上掲げる作業が行われていた。英国は祝賀ムード一色。六月二日、木曜日がそのために特別の休日になり、木曜日から日曜日までが四連休になった。
前週の週末から、学校のハーフタームホリデー(学期の間にある一週間の中間休み)も始まっていた。先ほども書いたが、その四連休の初日の木曜日に、僕たち家族は、英国を発って、ギリシアのケファロニア島にやって来たのだ。これまで、学校の休みに休暇を取ることはなかった。値段も高いし、混んでいるし。しかし、昨年から僕が学校に勤めるようになってから、学校の休みの時期に合わせて休暇を取らざるを得なくなった。
前週の金曜日辺りから、英国内の空港が、大混乱に陥っていた。二年に及ぶコロナ禍による海外渡航規制がなくなり、三月から、再び自由に出入国ができるようになった。
「やっと海外で休暇が過ごせる!」
人々は、四月の復活祭休み、今回のハーフターム、(おそらく、来たるべき学校の夏休みにも)、争って海外でのホリデーを計画したのである。僕たち家族もその中に入るのだが。制約が解かれ、大勢の人々が海外旅行を試みた。しかし、二年間の間の規制により、欧州の航空会社は大幅な減便を余儀なくされ、空港はほぼ開店休業状態が続いた。当然、その間に従業員も大幅に減らしていた。三月になって、また乗客が戻って来たとき、航空会社や空港がそれに対処出来なかったのである。慌てて人を雇おうとしても、採用には時間が必要だし、採用しても、その人々が仕事に慣れるのにも時間が掛かる。かくして、空港や航空会社は、押し寄せる客をさばき切れず、飛行機は大幅に遅れ、沢山の飛行機がキャンセルになっていた。「空港におけるカオス」が、先週から、ウクライナ戦争を抑えて、BBCニュースのトップで報じられていた。ともかく、僕たちは無事に飛ぶことが出来た。そして、午後にこうしてギリシアの海にいる。
「プファー」
には、そう言った安堵感も含まれていたのだ。
ホテルのあるスカラの町の海岸。この人口密度の低さがひとつの魅力。