「殺人者の芸術」
原題:Den döende dandyn(死にゆくダンディー)
英語題:The Killer’s Art(殺人者の芸術)
2006年
<はじめに>
スウェーデンの犯罪小説作家として、ユングステッドの評価は高い。その中でもこの作品は代表作として、数々の評論の中で述べられている。バルト海に浮かぶゴットランド島という極めて閉じられた社会の中での、巧みな演出が光る作品である。
<ストーリー>
「彼」はここ数週間ずっと思い続けてきたことを実行に移す。十一月の土曜日の朝、家から出て来た男を尾行する。彼は男と同じバスに乗る。男はある建物に入る。彼もその後を追う。迷路のような建物の廊下で男を見失った彼はある一室のドアを開ける。二秒間に渡って彼が見たものは・・・
ゴットランド島、ヴィスビュー。二月の寒い土曜日の朝。エゴン・ヴァリンは寝ている妻のモニカを残し、家を出て画廊に向かう。ヴィスビューの町で画廊を経営するヴァリンは結婚して二十五年。彼の周囲はここ一年で大きな変化を遂げていた。彼は翌週の月曜日から、自分の全く新しい人生が始めることを企てていた。その日から始まるリトアニアの若手画家、マティス・カルバリスの展覧会が、自分の企画する最後のものになることを知っていた。画廊に就いたヴァリンは、店の前にサングラスをかけた男が立って、店の中を凝視しているのに気付く。彼が二階へ上がり、再び階下に降りると、その男の姿は消えていた。
「彼」はリサーチと称してコテッジを借りていた。彼が二か月前から周到に準備をしていた計画の、実行の時が来た。彼は装備をリュックサックに詰め、かつらとカラーコンタクトレンズで変装してコテッジを出る。
若い画家カルヴァリスは、展覧会の初日ということで緊張していた。午後一時の開場と同時に展覧会には多くの訪問者がつめかける。その中には、ストックホルムの著名な画商であるシクスティン・ダールもいた。ヴァリンは、カルヴァリスの作品を扱う権利を、ダールと争って勝ち取ったのであった。展覧会は成功し、多くの絵に買手が見つかった。
ストックホルムにある「ブコヴスキー・オークション・ハウス」に勤める美術鑑定人、エリック・マトソンは、その週仕事でゴットランドを訪れていた。土曜日の朝、彼はヴィスビュー郊外にあるムラマリスと言う名の荒れ果てた屋敷を訪れる。その場所は、二十世紀の初頭、ニルス・ダーデルという作家が、代表作「死にゆくダンディー」を描いた場所であった。
展覧会の後の夕食の席に、ダールが現れる。ヴァリンは、ダールと画家のカルヴァリスと喫煙室で話しているのを見かけ、怒りを覚える。夕食後ヴァリンは妻と一度家に戻るが、妻が眠ってから密かに家を抜け出し、ホテルに向かう。ある人物に会うためである。しかし、彼はホテルに着く前に何者かに襲われ死亡する。彼の死体が、ヴィスビューの旧市街を取り囲む城壁の門のひとつ、ダルマン門に吊るされているのが、翌日の早朝通行人によって発見される。
ヴィスビュー警察署の凶悪犯罪担当であるアンデルス・クヌタスは、死体発見の知らせを受けてダルマン門に駆け付ける。彼は永年の経験から、すぐにそれが他殺であることを知る。また、死体が自分と親交のあった画商のものであることを知る。新聞社やテレビ局の記者が現れ、現場の写真を撮り始める。
ストックホルムに住むスウェーデンテレビの記者ヨハン・ベリは日曜日の朝、ゴッドランドのカメラウーマン、ピア・リリャスからの電話で起こされる。彼は事件の様子を知り、すぐにゴッドランドに駆け付けることにし、飛行機を予約する。ゴッドランドは、彼の恋人のエマの住む場所でもあった。彼は前回の事件の際にインタビューしたことで、ふたりの子供の母親であるエマと知り合い、エマはその後離婚し、ヨハンの子供を産んでいた。しかし、ヨハンは依然としてストックホルムに住み、数週間に一度、エマと子供たちに会いに行くだけであった。ヨハンは前回の事件のときに刺されて、瀕死の重傷を負い、数か月前に職場に復帰したばかりであった。ゴットランド島に着いたヨハンは、空港でピアに拾われる。彼はヴァリンが吊るされて場所でクヌタスと会う。彼らは前回の事件の際からの知り合いであった。
「彼」は、ゴッドランドから本土へ向かうフェリーに乗る。彼はフェリーに警察官が乗り込んでくることを怖れていたが、そのような気配はなかった。彼は、船が外海に出た時、何かを海に投げ捨てる。
クヌタスの指示で、ヴィスビュー警察署に捜査班が作られる。メンバーは、クヌタスとほぼ同じ歳のラース・ノルビー、女性のカリン・ヤコブソン、若い刑事のトマス・ヴィトベリ、それに鑑識のソールマンであった。ソールマンの所見では、ヴァリンはまず針金のようなもので首を絞められて殺され、それから門に吊るされたということであった。クヌタスは部下に、まずヴァリンの身辺を徹底的に洗い、彼のここ数日間の行動を調べるように指示する。
クヌタスは、若い画家のカルヴァリスとそのマネージャーが、朝の飛行機でゴットランドを発ってストックホルムに向かったことを知る。日曜日の夕方の捜査会議の際、クヌタスはインターネットに、吊るされたヴァリンの写真が載っていることを見る。その写真はピアの撮ったものであった。ヴィトベリは、ヴァリンの画廊から彫刻がひとつ消えたことを告げる。それはムラマリスの庭にある彫刻のミニチュアであった。クヌタスは捜査会議の後も署に残り、推理を巡らせる。
日曜日の夜、ヨハンはエマを訪れる。彼はストックホルムの職を辞して、ゴットランドに住む決意をし、エマに結婚を申し込む。
ヴァリンの妻モニカは、ヴァリンの書類の中から、離婚届の書類や、ストックホルムの家の売買契約書を見つける。ヴァリンが妻は内緒で、ゴットランド島を出て、ストックホルムに移り住む計画を立てていたことが明白になった。月曜の朝、ヴァリンの妻のモニカが、クヌタスに電話を架けてくる。引っ越し業者が現れ、ヴァリンの荷物をストックホルムに運ぶという。彼らはヴァリンから前払いで既に料金も受け取っていた。その知らせを受けたクヌタスは、ヴァリンの妻を訪れる。クヌタスは、夫の裏切りを知った妻が、取り乱しもせず、妙に落ち着いていることに不審を感じる。
同じく月曜日の朝、ゴットランドからストックホルムに戻ったエリック・マトソンは、勤め先の「ブコヴスキー・オークション・ハウス」に出社する。その朝、貧しい身なりの男が、亡くなった両親の家にあったという絵を持ち込んでくる。その絵は著名なアウグスト・ストリンベリの手になるものだった。マトソンは、二十世紀初頭のスウェーデンの画家については、第一人者であった。しかし、彼が四十歳を過ぎた今もアシスタントであり、何故正式鑑定人に昇進しないことには、ある理由があった。
ヨハンは、同僚のカメラマンのピアが撮った、ヴァリンが門からぶら下がっている写真の公表に反対する。被害者の親族のことを考えると心が痛み、倫理に反するというのがその理由である。しかし、上司はピアが得ダネを得たことのみ喜び、倫理など見向きもしないでセンセーショナルな情報を要求してくる。ヨハンから求婚を受けたエマは、それを喜びながら、結婚生活をずっと続けていくことに自信が持てない。
クヌタスの同僚の女性刑事、カリン・ヤコブソンは小柄ながらサッカーを趣味としていた。独身で三十九歳。クヌタスとは十五年以上一緒に働いている。しかし、彼女は自分の私生活について一切語らない。ともかく、ヤコブソンは、クヌタスが最も頼りにしている同僚である。その日も、ふたりは事件について話すが、「何故、ヴァリンは深夜に再び外出したのか」というところで、推理が停止してしまう。捜査班は新たな情報を得た。カルヴァリスとマネージャーをストックホルムに連れて行ったのはシステン・ダリで、ヴィスビューのヴァリンの画廊の買い手の後ろにいたのもダリであった。また、ヴァリンは吊るされる数時間前に殺され、死亡時刻は午前零時と五時の間であった。クヌタスは、本署から応援の必要性を感じ、ストックホルム警察庁のキールゴルドに連絡する。キールゴルドは部下を数人連れて、翌日ゴットランドに入ることを約束する。
「彼」は男の後を追う。男はジムに入ってトレーニングを始める。彼も入るが、緊張の余り気分の悪くなった彼はトイレで吐く。
ストックホルムからの応援部隊が到着し、クヌタスの捜査班のメンバーは活気づく。ストックホルムからのチームを率いるキールゴルドは巨体で、常に何かを食べていた。彼は、冗談で周囲を笑わせる特技を持っていた。捜査会議の途中で、何かの知らせを受け取ったクヌタスは、突然会議を抜けて外出する。モニカ・ヴァリンが隣人と不倫関係にあったというものであった。そのモニカ・ヴァリンは重要な発見があったとテキストに書いてきていた。クヌタスがヴァリンの家を訪れると、今までにない派手な服装をした妻が彼を出迎えた。彼女は、物置の中から見つかった箱をクヌタスに見せる。そこには二十世紀初頭の有名画家の作品が大量に入っていた。クヌタスは見つかった絵を運び出し、鑑定に回すために、鑑識班に出動を依頼する。
ヨハンはエマから、結婚を承諾するSMSを受け取り狂喜する。彼は結婚の決まった若い女性のように、結婚式のこと、結婚後の生活を思い描く。しかし、間もなく、彼はストックホルムの本社に呼び戻される。
金曜日の夜、仕事を終えたエリック・マトソンは、帰りにバーによりかつての同級生たちと一杯飲む。彼は結婚し三人の子供を設けながらアルコールとドラッグの問題で離婚、その後親権も失っていた。アルコールの問題が、彼がいまだに正式の鑑定人になれない理由であった。彼は、会社からの給料に似合わない派手な暮らしをしていた。かつては親からの仕送りを貰っていたのだが、今はそれも途絶え、アパートの扉を開けると、いつも請求書や督促状が山のように入っていた。彼は二重生活を送っていた。同級生たちと別れ家に帰ったマトソンは、再び外出する。翌朝、彼はホテルの部屋で目を覚ます。彼はゲイ・クラブへ行き、そこで知り合った男と、関係を持っていたのであった。日曜日の夜、ヴァルデマースッデ美術館へ行き、そこで「死にゆくダンティー」の絵を見る。ダーデルも同性愛者でありながら、同時に女性と結婚して、子供も設けていた。マトソンはダーデルと自分を同一視していた。
二月の寒い朝、「彼」は遅れて来た電車に乗り、ストックホルムの郊外から都心へと向かう。
ヴァリンの家で見つかった絵は、ストックホルムの「ブコヴスキー・オークション・ハウス」に運ばれ鑑定された。担当したのはエリック・マトソンである。彼は、それらの絵が全て本物で、全て盗難にあったものであるとクヌタスに連絡する。
ヴァリンの殺された朝、ゴットランド島を発ってストックホルムに飛んだ画家のカルヴァリスとマネージャーが島に戻って来た。クヌタスとヤコブソンは、一度はヴァリンと契約することに決めた彼らが、ダールの説得で決心を翻し、ダールと契約したことを知る。ふたりとも、ヴァリンの殺人への関与は否定する。ふたりはリトアニアに戻っていく。
昼食の際、クヌタスは、同僚のカリン・ヤコブソンの私生活についての質問をする。ヤコブソンは怒って席を立つ。捜査会議の席で、キールゴルドが、ヴァリンについての新たな事実を述べる。ヴァリンは、ストックホルムで、画廊の共同経営者としての権利を買っていた。その共同経営者の中に、フゴ・マルムベリという男が含まれていた。
フゴ・マルムベリは深夜友人宅で開かれたパーティーから帰宅する。タクシーが見つからず歩いている彼は、若い長身の男に後を付けられていることを知る。その若い男は突然姿を消す。
ヴァリンが殺された場所が通行人により明らかになり、ヴァリンの財布がそこで見つかる。そこには四桁の数字を書いた紙片が入っていた。キールゴルドの調べで、その番号が「ヴィンヴュー・ホテル」の夜間ドアの暗証番号であることが分かる。ヴァリンがホテルに行こうとしていたことはこれで明らかになった。しかし、その日展覧会に現れた、その夜ホテルに泊まっている女性はひとりもいないことが分かった。クヌタスはヴァリンも同性愛者ではないかと疑い始める。ヴァリンの企画した展覧会の招待状は「ブコヴスキー・オークション・ハウス」に送られており、会社はそのときちょうどゴットランド島にいたエリック・マトソンを派遣していた。しかし、マトソンは、実際は展覧会に顔を出さなかっただけではなく、自分が招待されていた事実を警察に話していなかった。クヌタスはマトソンを疑い始める。
日曜日の夜、エリック・マトソンはアパートで、自分の過去を回想していた。彼は裕福な家庭の一人息子として育った。母親は社交界との付き合いに忙しく、父親は出張が多く殆ど家にいなかった。彼は使用人に囲まれ、両親の愛情を知らないで育つ。しかし、金だけはふんだんにあり、欲しい物は何でも手に入った。彼は、両親の期待したビジネスの世界には進まず、美術を志す。そこでダーデルの絵に出会う。彼は同性愛に目覚めるが、一応大学は卒業し、結婚をし、三人の子供を設ける。彼は、その間ずっと両親から仕送りを受け、贅沢な生活を続けることができた。しかし、アルコールとドラッグに溺れて離婚、子供たちへの親権も剥奪される。仕送りも止められる。しかし、彼はライフスタイルを変えることはできなかった。
「彼」は深夜、スケートを履いて、凍った海側からヴァルデマースッデ美術館に近付く。彼は、排気管から美術館内に侵入する。アラームが鳴り響くが、彼は警察が来るまでに十分以上かかることを知っていた。彼はダーデルの「死にゆくダンディー」の絵を、額から切り取り、リュックサックに入れ、侵入したのと同じ経路で建物の外に出る。駆けつけた警察は、盗まれた絵の入っていた空の額の前に、小さな胸像が遺されているのを見つける。
盗難事件を担当したストックホルム警察のクルト・フォスタムは、ゴットランドのクヌタスに電話を入れる。盗まれた絵の前に置かれていた彫刻は、数週間前、殺されたヴァリンの画廊から持ち去られたものであった。警察は、ヴァリンの殺人事件の犯人と、今回のヴァルデマースッデ美術館での盗難事件の犯人が、同一人物であることを知る・・・
<感想など>
ゴットランド島はスウェーデンで最大の島、バルト海の中でも最大の島とは言え、日本で言うと、北方領土の択捉島とほぼ同じ面積、人口はほぼ六万人に過ぎない。こんな小さな、閉じられた世界をも、犯罪小説シリーズの舞台にしてしまう、そんな作家の想像力、構成力は驚嘆に値する。スウェーデンの犯罪小説には、地方都市、本当に小さな場所を舞台にしたシリーズが多い。ヘニング・マンケルのヴァランダー・シリーズはスコーネ地方の田舎町イスタードを舞台にしているし、カミラ・レックバリのシリーズはそれより小さい町、フィエルバッカを舞台にしている。私はイスタードを訪れたことがあるが、こんな狭い場所で十数人が殺されるという設定は、ちょっとやりすぎではないかと、驚いたことがある。しかし、作者のユングステッドは、島という閉じられた世界を、一種の「密室」として、利用している。つまり、簡単に出入りのできない場所という特性を、ストーリーに取り入れている。
ユングステッドは一九六二年、ストックホルムの生れである。ゴットランド島出身ではないことに驚いたが、彼女の夫がゴットランド島の出身であった。スウェーデン国営放送のレポーターやキャスターを務めたというから、作品の中の副主人公であるジャーナリストヨハン・ベリが彼女の分身であると言える。
北欧の犯罪小説の評論の中で、彼女の評価は極めて高い。それがこの作品を今回読んでみようと思ったきっかけである。しかし、英語ではほぼ全ての作品に翻訳が出ているのだが、ドイツ語では翻訳がなく、この本は私としては例外的に、英語で読んだ。四百ページを超える大作であるが、短めの章立て、分かり易い文章で、テンポ良く読むことができ、長さを感じさせなかった。
登場人物も概して類型的でなく、良く描けていると思う。カミラ・レックバリの小説の、超ステレオタイプ、善者、悪者のはっきりした設定に比べればはるかに深みがある。
しかし、ひとつ分からないのが、クヌタスの異常なまでの同僚のカリン・ヤコブソンへの入れ込み様である。スコットランドの本庁への転勤のオファーを受け入れようとした彼女を、クヌタスは、彼女を副部長に任じ、自分の引退したとき、部長に昇進させる約束までして、ゴットランド警察に引き止めようとする。当然、若い彼女に先を越されることになる古手の男性刑事たちは面白くないわけで、捜査班は空中分解寸前になる。何故、クヌタスがそこまでヤコブソンに執着するのか、良く分からなかった。彼女を愛しているのかと勘ぐってしまうが、一方では、クヌタスがデンマーク人の妻と良い関係にあることも描かれている。警察は組織であるし、ヤコブソンも自分の将来とキャリアのために道を選ぶ権利があるわけだ。それを阻んでまで彼女に執着するというのは単に身勝手というものではないだろうか。
「彼」として描かれる若い男性が犯人であることが最初から読者には分かっている。他の登場人物とは一線を画して描かれているので、犯人が、通常の登場人物の中にはいないで、それ以外の人物、「別の人物」であることも読者に最初から容易に分かってしまう。その辺りが、この構成の弱点と言えるかもしれない。
美術の世界も、何のかんのと言っても、ドロドロとした、金、権力、愛憎が渦巻く世界なのだ。「殺人者の芸術」という英語のタイトルも振るっている。犯人は、ヴァリンの死体が、一服の絵となるように視覚的にアレンジしているからだ。「死にゆくダンディー」という絵は実際に存在し、この物語に書かれているように、「ダーデルの私生活」、「宗教画」、「時代背景」など色々な解釈が可能な絵であるという。
結論として、ユングステッドは面白そうなので、他の作品も読んでみようという気になる作品、つまりかなりポジティブな印象を与えてくれる作品であった。
(2015年11月)