思い出のホテル
香港国際空港に到着。「大阪行きのお客様は急いでください!」の声に急かされる。
この空港ホテル、僕にとって「思い出の場所」である。コロナの最盛期の頃に一度病気治療のために帰国した。当時は、検疫期間として全ての入国者は二週間隔離されることになっていた。その最初の四日間の強制隔離期間を、僕はこのホテルで過ごしたのだった。廊下にも出られず、コンビニ弁当だけで過ごした四日間。廊下の外には、二十四時間、職員の監視があった。食事は、部屋の前に置かれて、ちょっと刑務所みたい。
チェックインを済ませる。
「このホテル、お金を払って泊まるの、今回が初めてなんです。前回は、検疫隔離でお世話になりましたから。」
金を払いながら、フロントの男性に言う。
「当時はご不便だったでしょうね。今日は、ゆっくりお寛ぎください。」
彼は言った。英国ではまだ正午過ぎ。身体はかなり疲れているが、なかなか眠くならない。下のコンビニで酒とつまみを買い、また睡眠剤を飲んで、テレビを見ている。一時ごろにやっと眠った。
でも、この夜、無理に京都に帰らないで、ホテルで過ごしたのは正解だった。風呂に入ってすっきりできたし、ベッドで眠れた。いくら五時間眠ると言っても、飛行機の中で座って眠るのと、ベッドで横になって眠るのでは、疲労回復度が全然違う。英国と日本の時差は八時間。時差ボケにはいつも悩まされる。そして、今回は、最終日まで、その時差ボケに悩まされ続けた。
「歳なのかなあ。」
朝六時、もう眠れない。疲れはかなり回復している。七時に朝食に行く。粥があった。寝不足と、旅の疲れに、お粥は最高。温かさが胃に染み渡り、活力が湧いてくる。朝食後、もう一度横になるが眠れそうにない。諦めて、チェックアウトを済ませ、九時十二分発の「はるか」に乗って、京都に向かう。朝は雲が多く肌寒かったが、京都に近づくにつれ、青空が広がり、京都駅に降り立ったときには、かなり暖かく感じた。京都駅から、タクシーで鞍馬口の母の家に向かう。タクシー運転手が不足していて、観光客の戻った京都は、タクシー不足に陥っているとのこと。
「待たずに乗れた、お客さんはラッキーですよ。」
女性運転手は言った。
火曜日の午前十一時に母の家に到着。日曜日の午後四時にハートフォードシャーの家を出てから、三十五時間経っていた。その日の午後は、天気がよかったので、鴨川の土手に行って、芝生に寝転んで本を読んでいた。「太陽に当たると時差調整が速い」と誰かから聞いたからだ。しかし、今回はそれもあまり効果がなかったよう。でも、暖かくて気持ちが良い。芝生の上で、鴨川の流れる音を聞きながら、「サピエンス全史」を読む。そのうちに、二、三十分間眠ったようだ。それで、かなり気分が良くなった。
何とかギリギリで関空行の搭乗口に到着。「荷物は無理かな?」