「言語学とは何か」
田中克彦著、岩波新書
1993年
<はじめに>
田中克彦という人の書いた、岩波新書から出た言語学の入門書である。今から二十年以上前の出版。九月から、「外国人のための日本語教師」の資格を取るためにカレッジに通うことになっている。そのカレッジの指定書籍になっていたので、半ば強制的に買わされて読んだ。(久々に日本語を読んだって感じ。)例によって、読みながらメモを取ったので、ここに紹介することにする。言語学の歴史を概観する上で、なかなか役に立った。
<要約>
フェルディナン・ド・ソシュール(1857∹1913)、スイスの言語学者。
(はじめに)
言語学は、それがそもそも何であるのか、そして、その存在理由が何であるのかを説明することが難しい学問である。本来、言語を比較して、相互関係を調べ、言語の起源を明らかにすることが言語学だと考えられていた。(比較言語学と呼ばれるものだが。)しかし、そんなものではダメだ。自然科学に近い学問として言語学をとらえたい、とらえなくてはならないという機運が高まる。その先鋒となったのが、ソシュールである。ソシュールは、語源学的なアプローチを抹殺しない限り言語学の発展はない、歴史を考慮することは言語の研究の妨げになると述べた。
その後、その時々のイデオロギーと結びついていた、色々な理論が唱えられる。いずれにせよ、言語学、Linguisticという概念は極めて新しいものである。この用語十九世紀の中頃から使われ出したしいのだが、一般的になったのは二十世紀の中頃である。その経緯は、まさに言語とは何かということの再発見と結びついている。そして、その中で、
「言語は、予め普遍的に決められた標準的な概念に貼り付けられたレッテルではない。」
ということが明らかになってくる。この本は、言語学が何によって動かされ、何を巡って争い、どのような方向を目指してきたかを探ろうとするものである。
(第一章、 ソシュールの言語学)
ソシュールはジュネーブ大学で、1906年から、1911年の間に、三度の講義を行った。彼は著作を残さなかったので(講義メモはその都度破り捨てられたらしい)、講義の内容は、彼の弟子によって、学生の取ったノートから復刻された。彼の思想は、近代言語学の出発点になったばかりではなく、他の学問にも影響を及ぼした。
彼の第一の主張は、言語を「論理と規範」、つまり「文法」から解き放つということであった。彼は、言語学の発展を妨げているのが、伝統的な「通事的」なアプローチである、言い換えれば、言語を論理によって説明しようとするアプローチであるとした。ソシュールは「共時的」、「静態的」なアプローチこそ言語学の本来の姿であると説いた。(これに対してチョムスキーは、全ての言語に共通な「深層構造」があると考え、各々の言語は、その「深層構造」が別の現れ方をしている「表層構造」であると説いた。)
彼の第二の主張は、文献学からの脱却であった。古典を研究する余り、「生きた言葉」の研究が疎かになっているというのである。また、言語と書(文字)を全く別の体系で考えるということも彼は主張した。書くことはまず話すことが基本となっている、書(文字)はあくまで言語を記録する手段にすぎないと、ソシュールは主張する。
ソシュールの生きた時代は、比較言語学の全盛期であった。諸言語が、共通の祖先から分化、派生したことを証明する、つまり同系関係を証明することが「科学的」であり、それにより言語学が初めて「科学」の仲間入りをできたと考えられていた。その方法として、言語間で互いに似ているものを探す「比較文法」が盛んに行われた。サンスクリット語から西洋諸言語が派生したことを証明するために、多くの「法則」が作られた。しかし、言語が「どのように」変わるかの法則は見つけられても、「何故」変わるのかの研究は遅れた。そこに進化論や有機体論が持ち出す者もいた。つまり、言語も有機体であり、進化するというのである。ソシュールもそのアプローチに対して一定の評価は与えているが、それを超えた「本物の科学」に言語学を持っていくところに、彼の目標はあった。
十九世紀の後半、ドイツに「青年文法学派」なる一派が現れる。彼らは、音変化は、例外のない規則によって貫徹されると説いた。個々の人々から発せられる言語が、話し手の気付かぬ「規則」の支配下にあるというのである。つまり、個々人の心的な作用は、言語共同体に属する人々に共有される法則に従うという。これは社会主義の到来は必然で不可避であるという、マルクス、エンゲルス主義と似ている。言語を自然科学法則へ導こうとする努力は、十九世紀の比較言語学を二十世紀の近代言語学へ変えていくために、一定の役割を果たした。しかし、ソシュールは真の自然科学を目指すためには、個々人の「心理主義」から脱却しなければならないと考えた。
ソシュールはこの「心理主義を」逆に利用した。彼は個人的なレベルではなく社会的なレベルの「心理主義」を唱えたのである。彼はまず、歴史的なアプローチ、通時的なアプローチを徹底的に排除した。話し手は言語の法則などというものを一切考えていない。そこには現在があるだけで、変化は無意識の中に起こるのである。ソシュールは、言語が言語として機能しているそのからくりを、その原理を明らかにしようとした。
ソシュールの考えは、彼の考え方を肯定的に受け止めた者、否定的に受け止めた者の両者によって受け継がれる。いずれにせよ、言語学研究の問題点がどこにあるか明確にしたことで、彼の功績は大きい。
(第二章、 アメリカの言語学)
アメリカの言語学は、ヨーロッパの言語学と出発点が異なる。ヨーロッパではそれまでの文献学、論理学、古典文法学などの伝統的な手法に縛られた言語学を破壊することから始めなければならなかった。しかし、アメリカにはそのような過去の、歴史的なシガラミはなかった。また、ヨーロッパの言語には必ず文字が使われ、その文字の意味を解釈するところから、言語の理解が始まる。しかし、アメリカ大陸の原住民の間で話されていた言葉には文字がなかった。と言うことは、言語を理解するには、連続する「オト」の中から、何らかの意味、規則性を見つけていくという作業から始まることになる。
人間の発音器官は誰のものもほぼ同じである。しかし、話す言語によって使い方が異なる。人間が言語を獲得するということは、発音器官の行動の型を獲得するということで、この型を破るのは容易ではない。(日本人はRとLの区別は苦手だし、多くのフランス人はHを発音できない。)
音声学は、人間の発する音を、なるべく忠実に写し取るところから始まる。音声学は、音そのものを、物理的、生理的な事象として取り扱う。これに対して、音韻論(音素論)は、連続した音の中から、一定数の単位としての「音素」を取り上げることである。音「フォーネム」を調べると、同じ文字でも、使われる場所によって違った音素になることがあることが分かる。そして、それは話し手が気付きさえしていないことがある。心理、主観など、客観的でないものを一切排除しようとしたのが、アメリカの言語学であった。
ソシュールは言語においては全てが「心的」であると言った。「心」や「精神」というものは自然科学が寄せ付けない世界のように思える。言語の根底をなすのが音である。しかし、同じ音も、言語によって異なった意味を持ちうる。物理的な現象である音が、意味と結びついて、初めて「ことば」となり得るのである。そして、音と意味を結びつけているのは「心」の働きなのだとソシュールは説いた。
「心」などという、見えない概念を言語学から排除しようという動きも盛んになる。音と意味を結びつけるのは、音の中にある許容範囲によるものという、分布主義も生まれた。この動きは、チョムスキーによる「普遍的な文法」の発表まで、主流となる。
次に、「意味」とは何かという問題が起こった。「意味」も、言葉の外にある客観的なもので説明されなくてはいけない。ブルームフィールドは、「意味」は「話し手の場面」と「聞き手の反応」によって生じると述べた。そして「意味」を取るためには、話し手の持っている世界について、聞き手は「科学的」に知る必要があるとした。しかし、話し手の中に、いつも科学に裏付けられた確固とした世界があるのかという疑問が投げかけられた。
(第三章、 言語の相対性と普遍性)
人間は自然に母国語を覚え、それをどうして学んだのかという記憶がない。自分の住む社会により、無理やり、つまり「暴力的に」覚えさせられたのだ。個人がただ受け入れるしかない社会のシステムをソシュールは「社会的事実」と呼び、言葉がその最大のものであると、彼は言った。ソシュールは、言葉の指す「モノ」とそれを表す「オト」の関係に必然的なものはなく、言語によって「恣意的」に決まっていると述べた。言葉によって指される概念、つまり意味も、言語によって異なる。例えば、日本人は水と湯を区別するが、英語では両方ともwaterである。つまり、意味の世界でもその分類は極めて恣意的であると言える。連続した音に区分を設けていくつかの単位に分けることを「文節」と言う。この「文節」が、言語によって異なることは、音だけではなく、言語が表す「概念」にも当てはまるのである。
ドイツ意味論学派は、言語とは出来上がった製品ではなく、作り出す力であるとした。外界にある物が、言語によって意味づけされ、初めて人間の所有となる。そして、その言語によって意味づけされる世界は、共通の言語を話す共同体によって異なると考えられた。そして、物が音と出会う領域は「精神の中間世界」と呼ばれた。ドイツ意味論学派にとって言語学とは、その固有の「中間世界」を明らかにすることだった。
ウォーフは、世界を見る見方は言語に依存していると考えた。一見、万人に共通の科学があると錯覚しがちだが、それは人々が西洋的な合理的思想の体系を、そのまま取り入れただけである。英語以外の母国語を持った人々が、英語人として振舞うことは、仮の姿であることになる。体系的に考えるということ自体が、ヨーロッパ言語の作った体系に、身を委ねているにすぎない。
言語学を、実証的、客観的、自然科学的にしようという動きと正反対なのがチョムスキーである。彼は、いくら材料を集めて分析しても、その言語そのものを記述できないと考え、言語を作る大本、製造装置である「心」を分析しようとした。彼は、人類はホモ・サピエンスとしての「精神」というものを共有していて、言語はその精神によって生ずると考えた。言語の中枢にあるのは文法で、それは全人類を通じて共通である。彼はその文法を「生成文法」と呼んだ。普遍的な文法が変形して各言語で表されるのであり、その結果得られた文は同じ意味を持つという。
(第四章、 社会言語学)
一般言語、普遍言語などというものは存在せず、言語学の対象になるのは、話し手と聞き手の間で理解される具体的な個別言語である。しかし、生命体が四肢や器官の寄せ集めでないように、言語も語や文法の寄せ集めではない。それ自体が完結したシステムである。また言語と言語は、相互浸透のないはっきりした境界によって隔てられている。日本語と朝鮮語の中間の言語というのは存在しないのである。それでも、文字と国家の出現以前は、この境界は今よりももっと流動的であったことが考えられる。
国家の成立により、ことばとことばの間に境界が設けられ、「OO語」という概念が生まれた。また逆に、国家としての結びつきをより強固なものにするために言語が利用された。このように言語は深い政治的背景を持っている。自分たちのアイデンティティーを強調するためには、隣接言語とはできるだけ離れた言語である方が望ましいのだが、そうするとコミュニケーションの道具としては矛盾が出てしまう。しかし、多くの国は「国語の純粋性」を高めることに努力した。国家が言語を作ったということは、とりも直さず、言語学が国家に従属していることになる。それを打ち破るためにソシュールは、言語から政治、民族、国家や、文化的価値を引き剥がし、自立させようとした。ソシュールは、ことばを民族に属する「イディオム」(固有語)という概念で捕らえようとした。
「イディオム」という考え方は、言語から政治的な要素を排除する目的であったが、同時に、「均質言語」、という均質な研究対象を手に入れることも目的としていた。しかし、ひとつの共同体においても、階層、年齢、性別などによって話されることばが微妙に違ってくる。全く均質な言語を話す単位を求めるならば、単一の個人に行き着く。そのような究極の単位として「個人語」(イディオレクト)というものが考えられた。社会は口も耳もない、言語は個人からのみ発せられる。しかし、言語という共同体なしには、個人のことばも存在しないのであるから、これは矛盾である。言語における「個」と「集団」の問題を解決するために、ソシュールは「ラング」と「パロール」という概念を設けた。「ラング」とは言語の社会的な側面であり、社会により共有される約束事と言える。「パロール」とは個人的な側面であり、個人的な言語の運用である。ソシュールは「ラング」を研究対象にすることにより、「均質言語」を求めようとした。チョムスキーは全く別の方法で、「普遍文法」という概念から「均質言語」を求めようとした。
ソシュールとチョムスキーが言語を、非社会科、非歴史化という極へ持っていこうとした反面、それと対極的に、言語とは何か、言語を研究することが、生きている人間にどんな意味を持つのかという点も研究されるようになった。これが社会言語学と言われるものである。それは言語の持つ様々な社会的な形態を、様々な社会集団と結びつけるかということを目的とした。社会言語学は、言語の多様性に着目し、ひとつの共同体の中の、方言、階層や職種による変種が主な研究対象となった。
バーンステインが「コード」という概念を持ち出した。ひとりの人間でも、話す相手によって話し方を変える。その選択肢をバーンステインは「コード」と名づけた。慣れない人が突然インタビューをされたりすると、普段はやらないような話し方になる。このような、特定の状況と結びついた話し方、書き方が「制限コード」、状況や文脈に依存することなく理解可能な話し方、書き方が「精密コード」と呼ばれた。学校は「精密コード」を教える場所であり、「制限コード」しか使えない者は頭が悪いとされる。日本の近代教育は、ヨーロッパ的精密コードを日本語の中に浸透させるのが目的であったようだ。
社会言語学が、言語の変化が共同体の中で全般的に起こるのではなく、特定の社会層に現れることを見つけたことで、言語の変化の現場をつきとめた功績は大きい。言語が変わることを歓迎する人は余りいない。最初は「乱れ」として捉えられる。しかし、結果的に言語は変化していく。それはなぜだろうか。ラボフは、言語変化が社会全体として一般的に行われるのではなく、特定の階層に担われていることを証明しようとした。
ある社会階層の中に、特に高い層に最初に言語の変化が現れる。それに、クールだとか、上品だとか、好ましいとかの評価「プレステージ」が与えられる。すると、他の階層の人たちが、自分たちもその「プレステージ」を獲得するために、その変化を取り入れことにより、その変化が言語全体に浸透するのである。この説は、言語の変化が決して自然法則などによるものではなく、人間の意志による、主体的な活動の結果として捕らえることに成功した。それ以前の「音韻法則」など、言語があたかも話す人間の意志を超えたところで、神秘的に変化するという概念が否定された。
ソシュールは、共時的な見地に立ち、言語が時間と共に変化するという通時的な見地を無視した。しかし、言語が常に揺れ動き、変化していることは否定しようがない。コセリウは「変化は言語の本質で、その変化に無意識、無目的なものはない」とした。それをラボフが、第一段階では限られた少数の人間だけに生じた変化が、第二段階で拡散、普及し、より多くの人間に話されるようになり、第三段階で新しい形が社会全体に行き渡り、古形は排除されると実証した。
(第五章、 クレオール学とソビエトの言語学)
学問は、そのときどきの社会情勢と結びついており、熱狂が去った後、そのときと同じ共感が得られるかというのは甚だ疑問である。
例えば、十九世紀のヨーロッパの比較言語学は、インドからヨーロッパにかけて広域に分布する諸言語が、元々はひとつの「祖語」から分岐したものであると仮定した。しかし、それは今から考えると、あてにならない幾つかの仮定の上に築かれた、砂上の楼閣のようなものだと言える。また十九世紀には、言語が完結した有機体であり、外からの影響によらず、内的な法則によって発展すると考えられていた。
十九世紀の中頃にその矛盾に気づいた人物がシューハルトである。彼は、言語を人間から切り離して自立した生命を与えることは誤りで、言語は自然の有機体ではなく、社会の産物であると主張した。そして、言語変化の大きな理由のひとつは、異なる方言、異なる言語からの影響であるとした。つまりふたつの言葉が接触して混交が生じ、原因はふたつの言語を話す個人、ソシュールで言う「パロール」が問題になると言った。彼は、ふたつの文化、ふたつの言語が接触する場所を訪れ、そこで話されている言葉を調査し、そこに生じた間に合わせの言語「クレオール語」が市民権を獲得し、言語として採用されることを証明した。彼のこの考え方は、百年以上も実質的に忘れ去られていたが、二十世紀の後半に復活し、英語などの言葉も「クレオール語」という側面から、研究し直されている。
ソ連において、マルによる「ヤフェティード言語学」が一世代を築いた。マルは言語が階級的であると主張し、印欧語族が席巻する前に、ヤフェト語族なるものが一大言語群を形成していたと述べる。マルはシューハルトと同じく、言語の発展は「交叉」によるものであるとした。彼の理論は、一時ソ連の公式の理論となったが、彼はソ連のイデオロギーに追随する「御用学者」であり、自分の反対派を次々と弾圧したらしい。皮肉なことに、彼の死後、彼の理論自体もスターリンにより否定、粛清されてしまう。
(おわりに)
言語的知識は、ある言語共同体に属する者なら、年齢、性別、教養の区分もなく、誰もが身につけている。その意味で他の知識と明らかに違う。しかし、全体像を示そうとしたり、それを企てることがおかしいくらい自明な知識なのである。チョムスキーの言う「文法」は、文字以前に全ての人間が持っている。ひとりひとりの心の中に。しかし、誰もが持っている知識あるから、誰でもそれについて発言でき、その中には、自分の都合の良い部分だけを取り出して、無責任に発言する者も出る。
また、言語が社会的活動、社会現象であるから、言語学は、文化的、政治的背景から切り離して論ずわけにはいかない。それだけにイデオロギーの色の強い学問となる。言語学を論じるとき、言語は自分自身のものであると同時に他者のものでもあるという、この特異な機構を忘れてはならない。
<感想など>
私事だが、現在はエンジニアの私だが、大学、大学院ではドイツ語学文学をやった。修士論文を書くとき、教授の書いたものも含め、殆どの論文が「読書感想文的」なものなので、
「ここは一発違ったやつを書いてやれ。」
と思い、心理学、統計学、コンピュータのグラフ等を散りばめた論文をでっちあげた。口頭試問のときに、教授連は、
「こんなやり方も、今後は出てくるのでしょうね。」
と言っただけ。論文はあっさりと審査を通り、私は学位をもらった。
当時、私の「文学」、「語学」を何とか自然科学的なもの、実証的はものに近づけなければという思いは、この本を読む限り、言語学者が百年以上考えてきたことなのだ。この本には、言語学を、自然科学的な学問として成立させようとした人々の、様々な試みと苦労の歴史が書かれている。
とは言っても、最初から最後までソシュールが顔を出す。別に著者の田中さんがソシュールのファンであったというわけでなく、近代言語学を語る上で、ソシュールの占める割合がそれほど大きかったということであろう。
「言語なんていうものは、音も、意味も、山ほどあるものを人間が適当に、自分勝手に区切って、作り出したものに過ぎませんよ。」
と言うような考えは、二十世紀の初めには革命的なものだったのだろう。ところで、このソシュールと言う人、講義の原稿など一切残さず、言ってみれば講義が終ったあとメモは破り捨てていたという。大した人である。それぐらい鷹揚な人だからこそ、革命的な理論が構築できたのかも知れない。
以下は、私がこの本を読んでいる間に書いたメモである。何かの参考になるかも知れないので挙げておく。
また、筒井康隆の「文学部唯野教授」という本で、ソシュールが分かり易く述べられている。それも挙げておく。
<メモ>
(ソシュールの言語学の位置づけ)
通時言語学 > 比較言語学、言語の歴史的側面を扱う>取り上げない
共時言語学 > 非歴史的、静態的、ある時点における言語の内的な構造を扱う
ラング > 社会的側面、社会により共有される約束事、語彙、文法など、シーニュ
シニファン > 音韻、音の連続 「犬」「dog」「Chien」
シニフェ > 意味、概念、「ペットで飼われる四足の動物」
パロール > 個人的な言語の運用 >取り上げない
差異の体系、言語記号の恣意性
シニファン、シニフェとも、差異だけが意味を持つ
音韻 > 無限にある音の連続を、有限な差異によって恣意的に区切っている
意味 > 鰹と鮪は英語では同じ、日本語では違う、これも恣意的なもの。
両方とも差異を通じて、恣意的に区切っているに過ぎない。
言語は単なる恣意的な取り決めにすぎない。
(チョムスキーの言語学の位置づけ)
チョムスキーが唱える言語学の理論は、非常に緻密で難解であるが、彼の哲学は非常にシンプルだ。
「すべての言語には、それを生成する共通した『普遍的な文法(Universal Grammar)』が存在する」
各言語によって言葉や発話の仕方は違っていても、我々には人類が共有している「生物学的資質」としての言語能力が備わっていると、チョムスキー教授は主張する。自然界が雪の結晶を作るのと同じように、言語は人間が自然に身につけている、生物としての基本特質の一つである。 世界には様々な言語が存在するが、言葉として外側の形になっているものは、あくまで周辺的なものであり、「そのコアな特質から見れば、各言語には何も違いがない」とチョムスキーは主張する。それは音声言語に限らず、手話等の視覚言語でも同様であるという。
<筒井康隆作、文学部唯野教授の抜粋>
だいたい批評家って人たちは、本来は作家がいるから生きていける人たちなんで、最初から作家に負けちゃってるわけなんだけど、どうしても作家に勝とうとするの。
そこで絶対に作家が反論できない、権威のある批評の方法を文学以外のところにある難しい理論から持ってくるわけだけど、そのひとつがソシュールの構造言語学でした。こんな難かしい理論だから、お前ら反論できるまいってわけ。そりゃできませんよ普通は。作家が言語学なんか勉強したら、小説の文章がおかしくなりかねないし、そもそも作家の勉強ってのは難かしい理論を読むことなんかじゃない。それでも勉強しなきゃ反論できないからって、中には勉強して反論してくる作家もいる。そこで批評家の方は、 これはいかんていうんで、もっと難かしい理論を持ち出してくる。批評がどんどん難かしくなっていくのはあたり前だよね。作家が読んだって何書いてぁるのかちっともわからなかったりする。『今なぜ批評は難かしいか』なんてこと今さらのように問題にしてるけど、原因は簡単。早く言やあそういう理由なの。だからこの文芸批評論もどんどん難かしくなっちゃぅ。
ご免なさいね。悪いのは批評家なんだからね。でも批評家だって可哀相。やさしい印象批評書いたら根拠のないあいまいな批評だって言われるし、根拠を求めて理論を応用するとわからないって言われるしさ。でももしかすると、作家と批評家のことばが伝達不能になった状態って、理想的な状態なのかもしれません。喧嘩しないでそれぞれ勝手にやってられるわけだもんね。でも日本の批評家の多くは食わなきゃならないから、まだまだそこまで専門的にはなれません。たいていは印象批評をやり、ときどき思い出したょぅに『ソシュールによれば』なんてやってる。
この『ソシュールによれば」というフレーズ、よく見かけるんだけど、 これやる批評家はだいたい構造主義やってきた批評家です。ソシュールの本としては『一般言語学講義』っていう講義録が一冊あるだけです。自分じゃ本を書かなかったの。だからこれ一冊読めばいいわけなんで、この本の内容、文芸批評に関係のあるところだけやさしく説明します。
ソシュールのえらいところは、まあ、えらい学者はたいていそうなんだけど、それまでの学者があたり前のことだと思っていたことを問題にして、基本的なことを徹底して考えたところにあります。今ここでぼくが『助けて』と叫んで、この中の誰かが今夜の十一時四十五分に歌舞伎町の暴カバーで『助けて』と叫んだとします。じゃ、ぼくとその人とが、別べつの時と場所で同じことばを発声したのだという言いかたは正しいかどうか。正しいとすればそれはなぜか。そんな馬鹿ばかしいこと、それまでは誰も考えなかった。無意味だと思われたし、そんなことははじめから正しいってことがわかっているといぅので誰も問題にしなかったの。
ところがソシュールは、じゃ、それがなぜわれわれにわかっているのか。わかっているとはどういうことかを考えました。それは大変な問題で、あんまり大変だから完全にはやれっこなくて、だからソシュールも本を書かなかったの。ただ講義をしただけだった。だからこそほかの人が編集したその講義録が次の世代で問題にされて、いろんな人に大きな影響をあたえたんです。
さて、ソシュールによれば、言語は記号です。記号のシステムです。そしてこの記号というのは、記号でもってあらわしたもの、たとえば猫ということば、それから、記号が示しているもの、たとえば実際の猫、このふたつが結びついたものです。これをソシュールはシニフィアンつまり能記、シニフィエつまり所記と呼んだの。猫ということばがシニフィアンで、実際の猫がシニフィエです。でもソシュールは、シニフィアンとシニフィエの結びつきは恣意的であると言いました。つまり猫ということばと、あの毛むくじゃらの、四つ足の、ときどき化けて出たり猫のエイズなんてものにかかったりするあの動物との結びつきは、ほんの気まぐれの思いつきによって結びついたものだって言うの。犬も気まぐれに犬と呼ばれているだけだ。誰ですか今『ウッソー』つて言ったひとは。じゃ、それ証明して見せようね。
『猫』という字を見ておれたちはあの猫という動物を思い浮かべるけど、あらゆる場所で『猫』が通用するわけじゃない。英語ならキャット、フランス語ならシャ、イタリア語ならガットオ。また、同じ言語がぁらゆる時代に同じ意味で通用してきたわけでもない。『貴様』というのは、近代前期まで目上の人に対する丁寧語でした。今君たちがここの文学部長に貴様と言ったら、日玉のとび出る叱責か、あるいは強制入院が待っています。シニフィアンである『猫』が、シニフィエである実際の猫とはどんな自然な、確実な結びつきを持っていないってこと、これでわかったかな。つまり言語ってのは命名目録じゃないの。これがソシュールの言う、記号の恣意的性質。気まぐれです。
では言語は記号であるとして、なぜ記号の『システム』なのか。そんなに気まぐれなのに、どうしてシステムとか体系とかを作ることができるのでしょうか。たとえばぼくが『猫を飼ってるんだよ』と一言ったら、君たちの中の誰かが『どんな猫』といって訊ねたとします。ぼくとその人とは声の質も声の高さも、つまり周波数がまったく違うのに、なぜ同じ『猫』と言ってることがお互いにわかるのか。それは『ネコ』が『ネギ』でも『タコ』でも『ハコ』でもない『ネコ』だからです。混同されやすいほかの言語と混同されない限り、どんな発音やアクセントでも『ネコ』は猫なの。つまり重要なのは区別です。ほかの言語との区別がある限り、発音は重要じゃないの。今のはシニフィアン、つまり能記の場合だけの区別だったね。
ではシニフィエ、所記の場合の区別はどうだろうか。この場合の所記とは実際の猫そのものだけど、子供に猫を教えることを考えてみよう。シャム猫だの三毛猫だのペルシャ猫だの虎猫だの、いろんな猫を持ってきて、これも猫だよ、これも猫だよといって教えたつて、五百種類ものけものの大集合の中から子供が一匹の猫を選び出そうとする時の助けにはなりません。もうわかったでしょ。猫がどんなものかを教えるには犬や豚や鼠などとの差異を教えなきゃならないの。猫というのは独立したものではなく、けものの名前の体系の中にあるひとつのものであって、ほかのけものとの関係によってやつと名前として成立します。この場合もやはり、猫はすべて同じでなくてもいいのであって、大や豚や鼠と混同されない限り、 つまりほかのけものとの差異がある限りはシャムだって三毛だって猫なの。
『ムスメ』と『オバハン』は違うし、『オバハン』は『ババア』と違う。 だから『オバハン』は『ムスメ』との差異、『ババア』との差異の中で、はめてオバハンとして意味を持つの。このしように、言語の、 つまり記号の体系の中には差異しか存在しません。
ところでさっき、おれと誰かさんが違う音声で『猫』と言っても猫は猫だと言ったよね。ことばを実際に発する発話。これをパロールと言います。発話される言語の方はラング。ソシュールは自分の言語学の中からこのパロールを分離してしまって、研究の対象としてはラングだけをとりあげました。で、パロールはいらない。なぜいらないか。パロールってやつはさっき言ったように、話している音声を、周波数だの何だのといった物理学的な見かたで研究する音声学の対象になるんだけど、こいつを切り離すことによって言語学の対象は、
より本質的なものに限られてくるとソシュールは考えたの。
パロール、つまり発話行為とか発音とか発声とか音声とかいうような個人的な、そして偶然的なものにこだわっていると、言語学は救いがたい混乱に陥ってしまう。むしろ社会的な、そして本質的なラングだけに集中した方が、かえってパロールまでを言語学として研究できるように分類できるってわけ。早く言っちまえば、ラングつまり言語は、国の中の制度みたいなもの。パロールつまり発話は、その制度ゆえに起るひとつひとつの事件みたいなものなんだよね。
ソシュールはそのほかにも、自分の言語学の中からいろいろなものを分離し、切り離していきました。共時的眺望と通時的眺望とを切り離したのもそのひとつです。言語を共時的に研究するということは、そのことばの歴史的な進化などを考えず、今なら今というひとつの時間的に孤立した言語のシステムだけを研究することです。通時的に研究するというのはその反対。
ほら。さっき『貴様』ということばの意味の移り変わりを話したみたいに、言語の進化を研究することです。ソシュールはこのうちの共時的研究を優先的にすべきだと言いました。なぜかっていうと『貴様』っていうことばの意味の移り変わりにしろ、『サルモモヒキ』が『サルマタ』と『モモヒキ』に分裂して進化した例のような、音声の移り変わりにしろ、どんな言語だって進化し、変わり続けてる。そもそも恣意的な記号が、つまり気まぐれな言語が、歴史の力によって変わらないわけはない。だからこそ歴史的でない分析が必要である。ほかの言語との関係においてだけ、確定しなくちゃいけない。ソシュールはそう言いました。
それどころか、歴史的な事実は言語体系の外側で発生するなんてことまで言ってます。つまり言語というものが指し示している対象までわきに置いといて、論じようとしなかったの。早く言やあ、『猫』という言語を効果的に研究するには、実際の猫をカンコの中へ入れとかなきゃならないってわけ。
さて、このようなソシュール言語学は、現代言語学者、記号論学者、人類学者、文芸評論家など、 いろいろな方面の人に影響をあたえました。そうした人たちの中から構造主義が生まれたの。いろいろな人に影響をあたえたのもあたり前で、だいたい構造主義というものが、ソシユールの言語理論をあらゆるものにあてはめていこうという試みだから、もうなんでもできちまうわけで、神話、中華料理のメニュー、会社組織、儀式や礼儀作法、こういったもの全部を記号の体系と見て、その中にある秘められた規則をとり出そうとしたの。だから今だって文芸批評出身のくせに野球を論じようなんで頓珍漢なコラムニストが出現したりもするんです。
(2014年8月)