「関係の箱をふたりが開くとき」
Die Kiste der
Bezihung Wenn Paare Auspacken
Sonja Schönemann /
Ralf Husmann
(2014年)
<はじめに>
ソニア・シューネマンとラルフ・フスマンによる男と女の間のストーリー。一緒に暮らし始めたライナーとラモーナが、「関係の箱」を開き、思い出の品を取り出し、お互いに自分の立場からコメントをしていく。
<ストーリー>
ラモーナとライナーは数年間一緒に住むカップルである。まだ結婚はしていない。彼らは、付き合い始めてから今までのふたりの関係にまつわる思い出の品を箱に入れて残していた。箱を開けてそれらをひとつずつ取り出しながら、ふたりがそのときの思い出を、ふたりのそれぞれ違った観点から語っていく。
ラモーナは、ライナーが、自分と最初に会った場所を忘れてしまっているので、呆れてしまった。ふたり出会ったのは、獣医の待合室。数か月前に一緒に住んでいた恋人、ヤーノシュと別れた後、猫のヴェルナーと一緒に暮らし始めた。猫の様子がおかしいので獣医に連れて行った彼女は、猫の安楽死を勧められる。愕然としている彼女に、犬を連れたひとりの男性が声を掛ける。彼は猫の死に付き合い、彼女を家まで送る。それがライナーであった。ライナーは車中で、サンタナの音楽を掛け、ラモーナの話を黙って聞いている。
「天使に出会った。」
ラモーナは控えめで出しゃばらないライナーに好意を感じる。
ライナーは、女性を見つけたければ犬を飼えと友人に勧められる。
「まあ可愛いワンちゃんですこと。どんな血統で、お名前は何ていうのかしら。」
ペットがきっかけになって、女性との話が発展することがあるという。ライナーは隣人の犬を借り受け散歩に連れていくが、犬は股を太陽に晒したまま寝てしまい、そこが痒くなったよう。ライナーは犬を獣医に連れていく。そこで彼は、猫を安楽死させてばかりの女性に会う。ライナーは気落ちした彼女を車で送る。そんなときには一切自分の話をするなという友人のアドバイスを守って。彼は、別れたモトカノが残していった、サンタナのCDをかける。分かり際、彼ラモーナという名前のその女性の電話番号を聞き出す。
ライナーはコンサート、特にロックコンサートが嫌いだった。特に踊っている男が。ドイツ人に踊りは向いていない。それは、イタリア人に予算管理が向いていない、アメリカに料理の本を書くのが向いていない、日本人にヨーデルは向いていないというのと同じこと。ある日、ライナーはラモーナにロックコンサートに誘われる。
ラモーナもロックコンサートが嫌いだった。静寂を好む彼女は、音楽にそれほど興味がない。特にうるさくて、踊っている人間が臭いロックコンサートは。しかし、彼女はロック好きの女友達からコンサートに誘われる。
「彼も誘って一緒においでよ。」
ライナーに話を持ちかけると、彼も乗り気のようである。さて、ロックコンサート。ラモーナは自分も音楽が好きで、楽しんでいるように振る舞うが、だんだんと耐えられなくなってくる。彼女は、バーにひとり佇むライナーを見つける。帰らないかと彼女が言うと、ライナーは快くオーケイし、ふたりは内心ホッとしながら帰路に就く。
ライナーはラモーナを紹介するために、両親の家に連れて行く。ライナーの父親が陰で発した、
「けっこういける。」
という自分に対するコメントをラモーナは聞き逃さない。両親が、ライナーと昔のガールフレンドと一緒に写っている写真を置いたままにしていたり、父親が妻に対するとんでもないコメントをして、二人が離婚の危機にあるのではいかとラモーナが勘ぐったりするハプニングはあったものの、概ね、両親は、特に母親はラモーナのことを気に入ったようであった。別れ際、ライナーの母親は、
「これまでのライナーの相手には心配で渡すことができなったもの。」
をラモーナに託す。それは、予防注射の手帳であった。
「来月は破傷風の予防注射だから、忘れないでね。」
母親はラモーナに言った。
ライナーはラモーナの両親に会いに行く。両親と話すときにしては出してはいけない話題、それは、音楽、芸術、政治、サッカー。北ドイツに突然バイエルン・ミュンヘンのファンがいたりするから気を付けなくてはいけない。ライナーが考えた末に、ラモーナの父に話題にしたのはビール。ビールの話題でふたりは盛り上がり、三本目からはお互い「ドゥー(おまえ)」で呼び合う仲になった。「ヴァルシュタイナーの流れるところ、氷は融ける。」(ビールの宣伝の文句。)
ライナーとラモーナが一緒に暮らし始めてから、ふたりは、頻繁に友人たちの結婚式に招待されることになる。そこで、何時も聞かされる言葉、
「あんたたちはどうなの?」
ライナーは、結婚と結婚に憧れる女性に懐疑的である。統計的に言うと、結婚したカップルの半分はその後離婚することになる。もし、飛行機の落ちる確率が五十パーセントだとしたら、果たして人は飛行機に乗るだろうか。ところは、ライナーが結婚式の場で、そう言ってしまった。新郎とラモーナに聞こえてしまい、気まずい空気が流れる。
「結婚する」、「子供を作る」、「医者へ行く」、この三点について、男性は強制されないと腰を上げないと、ラモーナは考える。彼女は、ライナーが結婚に懐疑的なことは知っている。しかし、彼が自分も結婚を望んでいないと思っていることが不満である。彼女の友人には、子供の頃、バービー人形に白いハンカチで作ったウェディングドレスを着せているほど、結婚に憧れていた者もいた。ラモーナはそうではない。しかし、彼女は結婚したいとも言っていない代わりに、結婚したくないとも言っていない。なのに、自分は結婚したくないと決めつけるライナーが、ラモーナにとって不満だった。女性が結婚のことを口に出さないことは、決して結婚したくないという意思表示ではないのだ。
男性にとって女性にお世辞を言う、褒めるというのは、極めて難しいことだとライナーは思う。
「きみの瞳は美しい。」
と言うと、
「太ってるし、胸は小さいし、他に褒めるところがないんでしょ。」
と来る。ある時、パーティーに行く前、
「今日の髪型は良いね。」
とラモーナを褒めると、
「ザウアークラウト(キャベツの酢漬け)が乗ってると思っているくせに。」
と言われた。
ラモーナは、男性はお世辞、褒めることが下手だと感じている。女性には、
「今日はここを褒めてほしい。」
というポイントがあるのだ。ラモーナは、パーティーへ行く前、服と靴、アクセサリーに金を使い過ぎて、美容院に行くお金がなかった。それで仕方なく、髪を無造作にアップにしておいた。ライナーはよりにもよって、大枚を投じた服ではなく、髪型を褒めるんだから。どうしてそこまで外せるのか、ラモーナには理解できない。
ふたりの関係が安定しているかどうかは、ベッドの中でなくDIYショップで決まる。ラモーナはアメリカの映画「スカーフェース」を見て、ラモーナは突然、壁を赤く塗りたいと言い出した。それで、ライナーはしぶしぶラモーナを連れてDIYショップに行くことになる。よく知らないのに、あれこれと要求するラモーナに、ライナーは呆れる。
ラモーナにとっては、壁が何色でもそれほど重要なことではない。今のライナーの家の壁の色は、ライナーの元彼女の好みによるものだ。ラモーナはそれを全く別の色に変えたいだけだったのに。
ラモーナが週末、会社の研修のために家を空けることになった。ライナーとっては、久しぶりに一人で過ごす週末。最近ご無沙汰している、かつて自分の行きつけだった飲み屋へ行ってみることにした。しかし、従業員も、客層も、流れている音楽も、ライナーがしばらく行かない間にすっかり変わっていた。居心地の悪いライナーは、アリーナという赤毛の女性に話しかけられる。なかなか魅力的な女性。ライナーはアリーナとベッドにいることを想像する。彼がトイレに立ったとき、ラモーナからの電話が入る。その電話でライナーは、アリーナとのデートを断念する。
ラモーナは金曜日、中年の中間管理職の冴えない中年男性三人と、離婚したばかりの女性社員一人とアイフェルにある研修施設へ向かう。そこで彼女は、別の会社から同じ研修に来ているインゴという男性と知り合う。ふたりはホテルの庭を散歩し、ラモーナはドングリを拾う。夜、インゴとワインを飲んでいるとインゴはラモーナに迫って来る。ラモーナは、
「私にはパートナーがいるの。」
と言って席を立つ。ラモーナはライナーに電話をし、彼の声を聞いてホッとする。
ラモーナは一度だけ、友人のターニャの息子の「名付け親」になったことがある。しかし、「名づけ子」のフェリックス一歳の誕生日を祝った後、ターニャとラモーナの間は疎遠になっていた。あるとき突然、ターニャが週末フェリックスを預かってくれないかと尋ねてくる。フェリックスは五歳になったという。子供はあまり好きでないラモーナだが、数年間放ったらかしにしていた罪の意識もあって、それを引き受ける。土曜日、フェリックスはやってくるが、会話には乗ってこないし、突然泣きわめいて高価な花瓶は壊すし、その花瓶の破片で怪我をするし、ラモーナにとって散々なことになる。怪我の手当てを済ませたフェリックスは、やっと静かにテレビゲームで遊び始める。そこへライナーがサッカーから戻って来る。彼は、
「大人しくて良い子じゃない。」
と言い、その後も、フェリックスと仲良く遊んでいる。
ライナーは寝室で、スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演のテレビシリーズ「ザ・パシフック」を見ていた。名作なのに、ラモーナは「ナチスの映画」と決めつける。これはアメリカ軍の日本軍の戦いでナチスは登場しないのに。戦争映画で文句を言われたので、雰囲気を出そうと、ポルノのDVDをかけたら、ラモーナはもっと気を悪くしてしまった。
ラモーナは、ライナーが「なし崩し」的に寝室にテレビを持ち込んだことが許せない。寝室にあるテレビは、最大の避妊具だとラモーナは感じる。最初、新しいテレビを買ったので、古いテレビが仮に寝室に置いてあるとラモーナは思った。そうしたら、いつの間にか、テレビにアンテナとDVDプレーヤーが接続されていた。しかも、ライナーが見始めたのは、「ナチス」の映画だ。文句を言うと、今度は東ヨーロッパのどこかの国の女性が登場するポルノ。寝室はカップルにとって、聖なる場所なのに。
ライナーは、ラモーナに、統計的に言って、カップルの関係が破たんするきっかけになるのは何かと聞く。最初のホリデーの後なのだとライナーは言う。「パラダイスのような場所」という言葉に踊らされてはいけない。パラダイスは、アダムとイブが最初にいさかいを始め、追い出された場所なのだ。ライナーは、ラモーナの希望で「地上の楽園」、「神の住む島」と呼ばれるバリ島を訪れる。気温三十二度、湿度百パーセントの中での観光も楽じゃない。
「リラックスするのもしんどいことだ。」
と彼は思う。ラモーナは写真を撮るのに忙しい。
ラモーナは休暇が終わって、ドイツに帰った後、写真を見て、
「パンフレットと一緒だわ。」
とうっとりとしている。
ライナーは男性の喧嘩にはそれなりのルールがある。最初口で話して、次に行為に訴える。しかし、女性の喧嘩にはルールがない。いきなり、思いもよらぬ行為に出るから始末が悪い。
三年前のクリスマスに、ライナーは一冊の本をラモーナに贈った。それは「ぼくがどれだけきみのことを好きかわかるかい」と言う題のウサギの話だった。ラモーナはそのプレゼントに感激し、友人たちにそのことを触れ回った。しかし、この前の復活祭に、ライナーはまた同じ本をラモーナに贈った。
「もう持っているわよ、一度くれたじゃない。」
とラモーナが言うと、ライナーは、
「あれはきみだったの。」
と言ってしまった。その後はもう大変、
「一体、何人の女にこの本をあげたのよ。」
ということになり、ラモーナは家を飛び出して言った。男性には「感情」というものはないのだと思いながら。
ライナーは考える。男性の感情はニューヨークの地図みたいなもの。はっきりしていて次に何が起こるか予想できない。それに対して、女性の感情はベニスの地図みたいなものだと。いたるところ路地や袋小路があって、予想できない。
ライナーとラモーナのアパートには浴室がひとつしかない。ライナーはカップルが住んでいる場合、浴室はふたつ必要だと思う。ふたつとも女性のために。ふたりの浴室には、数えられないくらいのビンとチューブが並んでいる。ライナーのものはほんと二つか三つで残りはラモーナのもの。ライナーは何故それだけのビンやチューブが必要なのか理解できない。肌のクリームも、背中用とお腹用では違うのだろうか。
ラモーナは、浴室をパートナーと共有する際、三つの段階があると考える。第一は、パートナーの前で化粧や髭が剃れる。第二は、パートナーの前で小便ができる。第三は、パートナーの前で大便ができる。ラモーナは第二段階で止めたいと思っている。というのも、大便をしている人間の顔は、ベッドで恍惚としている表情と似ているからだ。ベッドで絶頂に達しようとした瞬間に、相手が大便をしている姿を思い浮かべるのは、かなりまずい状況である。
ライナーは、ラモーナに誘われて、休暇を自然の中で、つまり田舎で過ごすことになった。都会と田舎との最大の違いは、濃い人間関係だとライナーは思う。都会ではアパートの隣の部屋に住んでいる人さえ知らないが、田舎ではどこで誰が何をしているのか、皆お互いに知っている。また、娯楽の少ない田舎では、何かにつけて酒を飲む。村の酒場へ飲みに行ったライナーは、短時間で、村の男たちと意気投合をしてしまう。飲みすぎた彼は、宿に戻るなり、吐いてしまう。
ラモーナは母親の食事が好きになれなかった。それどころか、子供の頃、母親の作った食事がトラウマになっている。最初、母は粉を水で溶かせばできる料理ばかり作った。そして、電子レンジが出来ると、単に温めればよい食事ばかりを。ラモーナが文句を言うと、
「子供や亭主を抱えて時間がないんだから仕方がないじゃないの。」
と言われた。ラモーナが田舎の飲み屋に来ている女性を見ると、皆が自分の母親のような気がした。
ライナーは、ベッドの中でお互い汚いことばで罵り合うと、ふたりがより燃え上がるという記事を読み、試してみる。彼は、ラモーナを「シュランペ(雌犬)」と呼んだ。ラモーナは一瞬動きを止め、信じられないという顔でライナーを見る。仕方なくライナーは、国会議員の答弁的に、
「ナハトティッシュランペ(電気スタンド)」と言うつもりだったと繕う。ラモーナはますます激昂して、
「身体を突き通すようなセックスをするような相手もいるのに、あなたのは『経理課員』のセックスのようなものね。」
と口走る。今度はそれにライナーが腹を立て、ふたりの間の関係は数週間途絶えた。男性雑誌の記事の内容を、鵜呑みにしてはいけない。
土曜日の午後、ラモーナが戻ると、リビングルームに、ライナーの属するサッカーチーム「アーテムノート・アヤックス(息切れアヤックス)のメンバーが集まってサッカーの試合を見ながらビールを飲んでいた。
「ビールまだある。」
と聞いてくる男たちに対し、切れそうになりながらも、ラモーナはチームのメンバーの相手をする。その夜、頭に来ているラモーナと仲直りをするために、ふたりは「モノポリー」のゲームを始める。しかし、そのルールについてまた喧嘩になりラモーナは家を出て、女友達のアパートに泊まる。
ラモーナが家を出た話をライナーが友人たちにすると、
「おまえはドイツでラモーナはヒトラーだ。おまえは彼女に利用されていいただけだ。」
「ラモーナを初めて見たときに、小野ヨーコに似ていると思ったんだ。」
などと言って慰める。彼が家に戻るとラモーナからSMSがあった。ヒトラーはこんな優しいSMをくれない。ライナーはラモーナとやり直そうと決心する。
ライナーはラモーナが買ってきたトースターが気に食わない。デザイナー・トースターであるという。六ヶ国語で、パンの使い方、焼け具合が表示されるという。本来トースターは、「テネリファ」(ドイツ人に人気のある地中海の島)と同じでよいとライナーは考える、「醜い、安い、退屈だけどコンガリ焼ける」、それで十分。六ヶ国語で表示されるとこっちが馬鹿にされているような気がする。ライナーはラモーナに隠れて、トースターを捨ててしまう。
ラモーナは高い物、良い物を買ったら長持ちをして、結局は得をすると思っている。そして、同じ木製のヘアブラシを十年以上使っている。でも、男はそうでない。常に新しい物を試そうとしている。数年に一度ガールフレンドを乗り換えるというのも男にとっては理想じゃないのだろうか。「それがあればどうなるか」、よりも「それがなければどうなるか」を考えるのがいいのではないだろうかと、とラモーナは考える。
ライナーはプレゼントを受け取ったときの相手の反応は、「心から喜ぶ」、「喜んでいる振りをする」しかないと思っている。その後で、
「で、レシートまだ持っている?」
と聞かれたときは、必ず後者である。女性は冷え性になり易いという事実と同じく、男性はプレゼントを見つけられないというのが、自明の理であるとライナーは考える。そのために、商品券というものが考え出されたのだとも。三賢人は産まれたばかりのキリストに「乳香」、「没薬」、「黄金」を贈ったというが、赤ん坊に香水と煙草と金をあげてどうするのか、これがよい証拠である。しかも、ラモーナは全てを持っている。あるとき、ライナーはラモーナにカメラを贈った。良い考えだと思ったが、それでもラモーナは喜んでいるようには見えなかった。
普通他人からプレゼントを受け取ったときの反応は「喜び」、「失望」くらいのものだ。しかし、ラモーナがライナーからプレゼントを受け取ったときの反応は「パニック」だ。ある日、彼女はカメラを貰った。これまで彼女はカメラに興味もないし、これまで一度も写真を撮ったこともなかった。
「カメラの欲しいのはあなたでしょ。」
ラモーナは、ライナーにカメラを贈るために、秘かにカメラのリサーチをしていた。ライナーがくれたカメラは、そんなに上等なものではないことを彼女は知っていた。彼女の欲しかったのはバスローブ。それがないことをライナーに示すために、シャワーを浴びた後、わざと裸でライナーの周りを歩き回ったのに。ライナーは露出狂とでも思ったのだろうか。本当に男性は鈍感だとラモーナは思う。
ライナーは風邪を引いて寝室で寝ていた。その横のリビングではラモーナと女友達による「女性だけの会」が開かれていた。その会話を聞くことはライナーにとって衝撃的だった。他の女性よりは「節操のある」と思っていたラモーナが、他の女性と同じように、つまらない事をのべつ話しているからだ。「二〇〇一年宇宙の旅」の映画は、最初の二十分間会話が一切ない。これこそ男の映画であるとライナーは思う。
「女性だけの会」が終わってラモーナが寝室に戻ると、ライナーが、
「きみも他の女性と一緒だったんだ。」
と落胆したように言った。実は、その日ライナーが隣の部屋で寝ていることを皆知っていて、彼を驚かせるようなことばかり言ったのだった。その次の会は、女性だけで行われ、いつもの通りの会になった。
女性に対してしてはいけない質問は何かとライナーは考える。「神は存在するか」、「人生の目的は何か」という以上に「結婚したいか」という質問だと彼は思う。
一方ラモーナは一緒に暮らし始めて五年が経つのに、一向にライナーが結婚に関する質問を持ち出さないのを不満に感じている。
ライナーは自分には調書も短所もあるが、最大の短所は「オーガナイズの下手なこと」だと自分では思っている。幼馴染みでサッカー仲間のメーレが、ミリと結婚することになった。ライナーはメーレの木曜日の夜に行われる「独身と別れる会」のオーガナイズをすることになった。彼は、「思い出の場所を訪ねて」という企画をするが、散々な結果になる。それでも、メーレと彼は、一晩中飲み明かすことになる。メーレの、
「ミリは俺の家だ。俺は帰れる家が欲しかったんだ。」
という言葉に啓示を受けたライナーは、その夜、ラモーナにプロポーズをする決心をする。彼は、ラモーナにどのようにプロポーズをしようかと、その設定のオーガナイズを始める。
ラモーナは胸にしこりが出来て、それを摘出する手術を金曜日に受けることになっていた。それで、ライナーに、金曜日の朝、病院まで送って行ってくれるように頼んでいた。癌かも知れないと考えたラモーナは、遺書を書き直す。しかし、大事な手術の前の晩に、メーレと飲みに行ったライナーは帰って来ない。結局帰ってきたのは朝方で、酔っぱらったライナーは倒れるように眠ってしまった。仕方なく、ラモーナは別の友人に頼んで、病院まで送ってもらう。その日、病院から戻ったラモーナ、ライナーの様子がおかしいことに気付く。ラモーナは、ライナーが自分と別れるタイミングを見計らっていると思い込む・・・
<感想など>
ラルフ・フスマンは、ユーモア小説の天才とでも言うべき人で、一ページに一度必ず笑いだす、三百ページの小説を書ける人だ。今回は、ソーニャ・シューネマンという女性作家との共作である。ひとつの出来事を、女性の目、男性の目の両方からコメントするという構成である。女性のコメントはシューネマンによって書かれ、男性のコメントはフスマンによって書かれたことは容易に想像がつく。シューネマンは脚本家で、ドイツのコメディーショーの脚本を手がけてきたという。
本では、黒い印刷の中にピンクの文字が混ざる。最近、日本のテレビのバラエティーショーでは、笑わせどころを字幕で見せるが、それと同じ手法である。ここで笑ってくださいという場所がピンクで印刷されている。このような本は、正直言って、粗筋や要約を書くのは不可能である。それでも、上に粗筋らしいものを書いたが、読まれた方は、
「それで、何が面白いの?」
と思われるであろう。喜劇の面白さを解説しようとすることはナンセンスなことだ。上記は、私自身が、この本がどんなものであったかの忘備録の意味しかなない。
私は、男性であるので、ライナーの意見に共感を覚えることが多い。雄弁は男の特質ではないという気持ちも分かる。私も、女性へのプレゼントは苦手。相手が何を欲しがっているのか、見当もつかない。基本的に、女性は、自分の気持ちを分かってほしくて、それを伝えるために行動する、あるいは演技をする。しかし、男性にはそれを理解する能力が先天的に欠けているため、誤解が生じ、それが関係の悪化の原因となる。私も、妻を始めとする女性に、
「言いたいことがあるなら、はっきりと面と向かって言ってよ。」
と言いたい気持ちになったことが何度もある。
この本を読んでいて不思議に思ったこと。それは、ライナーもラモーナも、職業については一切触れられていないこと。ラモーナが朝仕事に出るシーンはあるが、ふたりがどんな仕事をしているのかは全く不明。人間は起きている時間の半分は仕事をしているわけで、この辺り、ちょっと不自然な気がした。また、「関係の箱」の由来にも全く触れられていない。ふたりが箱から思い出の品を取り出して、コメントをしていくのだが、その品が箱に入れられた経緯、そもそも何のためにその箱が存在するのか、一切の説明がない。まあ、しかし、この本はコメディーであるので、そこに論理とか、必然性を求めるのは無理というもの。
ともかく、気軽に笑える本であった。私は、オーディオブックで聴いたが、女性と男性の軽妙な語りで、文字で読むより楽しめた。
(2016年4月)