「千の輝く太陽」

ドイツ語題:Tausend Strahlende Sonnen

原題:A Thousand Splendid Suns

2007年)

 

<ストーリー>

 

戦争と不幸な結婚に踏みにじられたふたりのアフガニスタン人の女性の物語。非常に緻密に構成され、しかも大胆に展開する物語。引き込まれた。

 

<第一部>

 

マリアムは母親のナナと一緒に、アフガニスタンにあるヘラートという町の外れに住んでいる。母親のナナは、マリアムに腹を立てたときに、

「このハラミが!」

と叫んだ。「ハラミ」というのは「非嫡出の子」、「私生児」という意味である。ナナが町の裕福な実業家、ジャリールの家で女中奉公をしているとき、彼女はジャリールの子を身ごもる。ナナはジャリールの家を出され、郊外にある小屋を与えられ、そこに住むことになる。そして、生まれたのがマリアムであった。彼女が生まれたのは一九五九年のことである。

 父親のジャリールは、マリアムを可愛がり、毎週木曜日に彼女を訪ねて来た。マリアムも週に一度父親に会うのを楽しみにしていた。十五歳の誕生日の前、父親から誕生日のプレゼントに何が欲しいかと尋ねられたマリアムは、

「お父さんの映画館で、兄弟達と一緒に映画を見たい。」

と言う。当時、ジャリールの経営する映画館ではディズニーの「ピノキオ」の映画をやっていた。

ジャリールには三人の妻と、十人の子供達がいたが、「ハラミ」であるマリアムは、これまで彼等と会うことが許されていなかった。マリアムの願いに、ジャリールは難色を示すが、結局マリアムに押し切られ、明日迎えに来ると言ってその場を去る。

 翌日マリアムは待っているが、父親は現れない。彼女は、意を決して、父親の家を訪ねていくことにする。家の玄関で、父親は留守だと言われる。彼女は家へ帰ることを拒み、父親の帰りを待つために玄関に座り込む。そして、そのまま朝を迎える。

翌朝、マリアムは運転手によって自分の家に送り届けられる。彼女が家に戻ると、母親のナナは首を吊って死んでいた。

「おまえがいなくなったら、私はもう生きていけない。」

マリアムは母親が常々そう言っていたのを思い出し、自責の念にかられる。

 独りになったマリアムはジャリールの家に引き取られる。数日後、マリアムは、ジャリールの妻達に、

「求婚者がいるから結婚しなさい。」

と迫られる。彼女は断るが、結局、無理矢理に婚礼を挙げさせられてしまう。彼女の結婚相手は、ラシードという名のカブールに住む靴職人であった。彼は十五歳のマリアムよりも三十歳以上年上であった。マリアムは生まれて初めてヘラートの町を出て、ラシードに連れられてカブールに向かう。

 大都会のカブールは、マリアムにとって驚くことばかりであった。当時のカブールは進歩的で、女性がベールを被らないで街を独りで歩いていることもざらであった。しかし、保守的なラシードは、マリアムに「ブルカ」の着用を義務付け、素顔を自分以外には晒さないように命令する。ラシードの家の数件隣に、教師の夫婦が住んでいた。インテリを毛嫌いするラシードは、その一家と付き合うことも禁じる。

 マリアムは間もなく妊娠する。ラシードは生まれて来る子供は男の子だと信じ、ウキウキした様子で、赤ん坊を迎える準備に余念がない。しかし、妊娠は流産に終わる。ラシードの失望は大きい。その後、十九歳になるまで、マリアムは六回妊娠するが、いずれも流産に終わってしまった。マリアムは自分がラシードにとって、厄介者になってきたことを感じる。ラシードはマリアムに辛く当たるようになり、何かにつけ暴力を振るう。あるとき、ラシードは、飯が不味いと言って、庭の砂利をマリアムに食べさせた。マリアムはそんな夫を恐れながら日を送る。

 マリアムが十九歳になった、一九七八年、共和制が倒れ、共産主義者がアフガニスタンの政権を取る。そして、同じ年、マリアムの家の数件隣の教師の夫婦の家では、妻のファリバが女の子を出産していた。ブロンドの髪をしたその女の子は、ライラと名付けられる。

 

<第二部>

 

 一九八七年、九歳のライラは学校に通っていた。カブールの学校では、共産主義政権による、ソ連と共産主義者を賞賛する教育が行われていた。彼女は、幼いときから、隣家のタリクという男の子と仲良くしていた。タリクは三歳のときに、地雷に触れ、片足を失っていた。

アフガニスタンの国内では「ムジャーヒーディーン」(イスラム義勇兵)と政府軍、ソ連軍の戦闘が続いていた。ライラには年の離れたふたりの兄がいたが、ふたりともイスラム義勇兵に徴兵されていた。いなくなった兄に代わり、ライラはタリクを兄のように慕っていた。

息子が兵隊に取られて以来、ライラの母ファリバは病気がちになり、ベッドで寝ていることが多くなった。ライラは母に代わり、家事を切り盛りしていた。父親は、共産主義政権から教師として職を解かれ、粉屋で働いていた。

ある夜、訪れてきた男によって、ライラのふたりの兄の戦死が告げられる。ライラの母はますます気落ちし、体調を悪化させる。ライラのふたりの兄の葬儀に、数件隣に住むラシードの妻、マリアムも手伝いに来る。ふたりはそこで初めて顔を合わせる。

ライラの父は、ライラとタリクを連れて、タクシーを貸し切ってドライブに出かける。父親はふたりに、アフガニスタンに残る古代の遺跡を見せる。バーミヤンの遺跡では、巨大な仏像を前にライラとタリクは息を呑む。

そのドライブの途中、ライラの父は彼女に、自分は母親ほど感情を外に出さないが、ふたりの息子の死に、どれだけ打ちのめされているかを告げる。父親は、いつかは海外に移住して、ライラに十分な教育をしてやりたいと言う。

ライラとタリクは互いに、男と女を意識してつきあうようになる。彼等は秘かに何回かキスをする。

ライラが十四歳になった一九八九年、ソ連軍がアフガニスタンから撤退する。後盾を失った共産主義政権も、急速に弱体化し、人々はこれでやっと内戦が終り、平和が訪れることを期待する。イスラム義勇兵として息子を失ったライラの母も、息子たちの死が無駄にならなかったと、自らを慰める。カブールがイスラム義勇兵の支配下になった日、ライラの母は拍手喝采をする。そして、近所の人々を招いてパーティーを開く。

しかし、アフガニスタンに平和は訪れなかった。これまでイスラム義勇兵として戦ってきたセクトが、お互い対立し、再び内戦状態に逆戻りをしたのだ。大勢の市民を犠牲にした内戦は、ある意味ではソ連軍との戦いよりも悲惨なものだった。カブールの街も、色々なセクトが入り乱れて占領をし、その間をロケット弾が飛び交うことになる。多くの市民が市街戦の犠牲となる。ライラの親友、キティーもロケット弾の直撃を受けて亡くなる。ライラの父は、妻に何度も、

「危険なカブールを逃れよう。」

と提案するが、妻は、

「そのうちに平和が戻る。」

と主張して、カブールを離れようとしない。

 多くの人々が、危険なカブールを脱出して、隣国に逃れていた。ライラの住む街も次第に知った顔が少なくなる。ある日、タリクがライラを訪れ、明日、両親と一緒にパキスタンに脱出すると言う。タリクはライラにも一緒に来てほしいと懇願する。

「愛してるんだ、結婚してくれ。」

とタリクは言う。しかし、ライラは両親を残して、自分だけは行けないと誘いを断る。ふたりはその日、肉体関係を持つ。

 数週間後、ついにライラの母もカブールを脱出することに同意をする。ライラの一家は、家を出るにあたり、荷物の整理をしていた。そこに、ロケット弾が飛び込み、ライラの両親は死亡。ライラも重傷を負う。

 

<第三部>

 

 ライラは瓦礫の中から、ラシードによって助け出されて、ラシードとマリアムの看病を受ける。徐々に回復しつつあるライラを、ひとりの男が訪れる。彼は、パキスタンの国境で瀕死の重傷を負ったタリクに会ったという。タリクは、死ぬ直前に、

「カブールを訪れたらライラという少女を訪ね、自分の消息を伝えてくれ。」

とその男に言ったという。

 ラシードには下心があった。マリアムに飽きた彼は、若くて美しいライラを妻にしたいと考え、彼女の歓心を買おうとする。ライラは自分が妊娠していることに気付く。彼は自分の腹の中にいる子供を助けるために、ラシードの求婚を受け入れ、ラシードの二人目の妻になることに同意する。

 ラシードは何かにつけて若くて美しいライラを大切にする。マリアムにはそれが面白くない。彼女はライラに辛く当たる。ライラは女の子を出産する。赤ん坊の世話を焼くライラに対して、ラシードは自分がないがしろにされているようで気に食わない。ある時、その怒りをマリアムにぶつける。

「あの娘に、反抗的な態度を教えたのはおまえだ。」

そう言って、ラシードはマリアムを鞭で打とうとする。しかし、そこでライラがラシードにしがみつき、マリアムを守る。

 その事件以来、マリアムとライラの間に宥和と連帯感が生まれる。ふたりはお茶を飲みながら、自分達の生い立ちについて話をするようになる。

 カブールの街では、セクトの間で市街戦が続き、外へ出歩けるような状態ではなくなる。ライラは娘を連れて、パキスタンへ逃れる計画をマリアムに告げる。マリアムも同調し、ふたりでラシードの家を逃げ出す計画を立てる。ふたりはそれを実行に移すが、パキスタン行きのバス乗り場で、警察官に見つかり、ふたりは家に送り返される、逆上したラシードは、マリアムを叩きのめし物置小屋に閉じ込める。ライラとアジザも半死半生になるまで、水も食物も与えられず、暗い部屋に閉じ込められる。

「今度こんなことを企てたら、ふたりとも警察に突き出す。」

ラシードはそう二人に釘を刺す。

 一九九六年、タリバーンがカブールを占領する。ラシードを始め、大部分のカブール市民はタリバーンの支配を歓迎する。しかし、イスラム原理主義者のタリバーンは、女性達にとって過酷な政策を押し付ける。彼等は女性がひとりで外出することを禁じ、また女性が職業に就くことも禁じる。

 ラシードは、アジザが、自分の娘でないと疑っていることをライラにほのめかし、自分はいつでも、ライラとアジザをタリバーンに引き渡す用意ができていると、ライラを脅す。

 ライラは再び妊娠する。破水したライラは、カブールに一軒しかない女性を診る病院に運び込まれ、そこで帝王切開を受ける。カブールの病院では、もうどこも麻酔薬は底を尽きていた。

 ライラは男の子を産む。ザルマイと名付けられた男の子を、ラシードは甘やかす。ラシードの靴屋は、もう余り儲かっていなかったが、彼は借金して、ザルマイに色々な物を買い与え、ついには中古のテレビとヴィデオを買ってくる。

 ラシードの店のある街の一角で火災が発生する。ラシードの店も燃え尽き、彼は生活の糧を稼ぐ術を失う。ラシードは、レストランでウェーターなどの職を試みるが、愛想の悪い彼はどこでも長続きしない。ラシード一家は金に困窮し始める。家財、衣服など、売れるものは全て売り尽くされる。ラシードは、マリアムに父親のジャリールに援助を仰ぐように言うが、ジャリールは数年前に他界していた。

 子供達を食べさせていけないラシード一家は、父親を失ったことにしてアジザを孤児院に預ける。ライラはアジザを訪れようとラシードを誘うが、彼は何かと理由をつけてそれを断る。ライラは独りでアジザを訪れることにする。独りでいるところを路上でタリバーンに見つかり、何度も鞭打たれ、何度も連れ戻されながらも、ライラはアジザの元に通う。

 ラシードにやっと仕事が見つかり、一家は揃ってアジザを訪れる。その帰り、ラシードは仕事に戻る。マリアムとライラは家の前に佇む男を発見する。それはタリクであった。ライラはタリクを家に招きいれ、彼の話を聞く。そして、「タリクが死んだ」と告げに来た男は、ラシードから雇われた者であったことを知る。

 タリクはパキスタンの難民キャンプで、父親を失う。彼はパキスタンで仕事を探そうとするが、片足がないため、仕事にありつけない。金のために麻薬の運び屋を引き受けた彼は、警察に逮捕され、七年間の刑に服する。出所後、彼は刑務所の知り合った人物の世話で、パキスタンのリゾート地のホテルで掃除と修理を担当しているという。

 その夜、息子のザルマイは、昼間に男の訪問客があったことを父親に告げる。ラシードはその知らせに激怒して、ライラに掴みかかる。ライラが殺されると思ったマリアンは、物置小屋からスコップを持ち出し、ライラの首を絞めるラシードに頭に振り下ろす。ラシードの死体を前にしたふたり。マリアンは自分にある計画があるとライラに告げる・・・

 

<感想など>

 

「千の風に乗って」ではなく「千の太陽」である。このタイトルはライラの父が彼女に語る詩からの引用である。カブールを離れることになったライラの父は、残しておくことになった本を前に寂しさを禁じえない。

「もしも、離れ小島へ五冊だけ本を持っていけることになったら、どんな本を持って行くか。」

そんな話をしながら、父親は本当に自分がその状況に置かれていることに驚く。そんな場所で、父はかつて自分が読んだ詩の一説を、ライラに紹介する。

「屋根の上で光を放つ月の数を数えちゃいけない。

壁の向こうでは千の輝く太陽が隠れているのだから。」

それが、この物語のタイトルになっている。

第一部で、マリアムの生い立ち、結婚に至るまで話が語られる。そして、第二部でライラの話が語られる。そして、その二本の糸が段々と絡み合い、最後には一本の糸になる。そんな構成になっている。

この本を読んで思うことは、イスラム教の不条理さである。とくに女性にとって、イスラム教は過酷な宗教だと思う。何故、このような宗教を、これほど多くの人々が信じるようになったのか、改めて不思議に思う。ラシードは自分の妻達に、自分以外の人間に顔を見せること、ひとりで出歩くことを禁じる。マリアムはそんなラシードの部屋でポルノ雑誌を発見する。そこには男性に顔どころか、全身を見せている女性が写っている。コーランの教えがどのようなものか知らないが、夫にしろ、為政者にしろ、自分に都合の良い部分だけを、適用しているような気がしてならない。

この本を読むと、アフガニスタンの現代史を辿ることができる。しかし、アフガニスタンという国ほど、国の体制がコロコロと変わった国もないと思う。

英国からの独立、王政:19191973

クーデターにより共和制:19731978

社会主義政権の成立:1978年−1989年(イスラム義勇軍とソ連軍の内戦)

ソ連撤退後の内戦:1989年−1996

イスラム原理主義者、タリバーンによる支配:1996年−2001

米国の介入によるタリバーンの一掃と親米国政権:2001

まあ、これだけ全く違う体制に、短期間でコロコロ代わったものだと思う。人々にしてみたら、やっと平和になると期待し、それに失望する、そんなことの連続であったろう。

タリクのヤギの名前に、ふたりが見たロシア映画に登場する女性の名前がついているところが良かった。ジャリールの残した「ピノキオ」のエピソードには泣けた。

「これでもか、これでもか」と、ふたりの女性に色々な難関が訪れるところなど、ちょっとテレビのソープっぽいところがある。しかし、それ以上に、読者をどんどん引き付けて放さない力がこの小説にはある。そして、終わり方が素晴らしい。これほど余韻を残した、感動的な最後の一行に出会ったことは過去に余りない。

 

20127月)

 

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