「凧を追う人」

原題:The Kite Runner

ドイツ語題:Drachenläufer

 

カレド・ホセイニ

Khaled Hosseini

2003

 

 

<はじめに>

 

Kite Runner」(原題)、「Drachenläufer」(ドイツ語題)ともに「凧を追いかける人」という意味であるが、これはアフガニスタンに昔からある「凧合戦」に由来する。凧を揚げ、ガラスの破片などと一緒に編んだ糸で、他の凧の糸を切る。糸を切られた凧は落ちてゆき、最後に残った凧が勝つというゲーム。そのゲームのもうひとつの楽しみは、糸を切られた凧が落ちてきたところをキャッチすることだという。その凧を追うために、大勢の人がカブールの街路を走り回る。それは、作者によると、スペインのフィエスタの前、闘牛のための牛が放たれた街を、男達が牛と一緒に走り回る光景に似ているという。主人公アミアの友人、ハッサンは、風を読み、凧の落下地点に先回りをする名人であった。

 物語の主人公アミアは、アフガニスタンでは主流派の「パシュトゥーン人」であるが、ハッサンは少数民族の「ハザラ人」である。ハザラ人とは、主にアフガニスタンに住む、モンゴロイド、蒙古系の人々だという。この物語の中で、ハザラ人がアフガニスタン社会で「二級市民」として扱われていることが述べられている。ハッサンも、その「東アジア的」「中国的」な容貌のために、他の子供達に苛められる。

もうひとつ、この物語を理解するには、アフガニスタンの歴史を知っておく必要がある。アフガニスタンは一九一九年英国から独立してからずっと王国であった。しかし、一九七三年、クーデターで王国が倒れ共和国となる。しかし、その後社会主義政権による更なるクーデターがあり、次第に内戦状態となる。一九七九年にはソ連軍が介入。ソ連軍の撤退の後、イスラム原理主義者タリバーンの支配。タリバーン政権が米国の介入に寄って倒され、現在に至っている。この物語は、それらの歴史を背景に進んで行く。

 

 

 

<ストーリー>

 

「私」、アミアは裕福な実業家である父のババと共に、カブールに住んでいた。アミアの母は、アミアの出産の直後に死亡していた。彼は、父とどこかしっくりいかない関係の中で育っていた。それにはおそらくふたつの原因があった。アミアには自分の誕生のために母を殺してしまったという負い目があった。読書と詩作の好きな少年であるアミアに対し、子供は逞しくさえあればよいと考える父は、どこか失望していた。

ババとアミアの親子の住む屋敷の外に建てられた小屋には、召使いのアリーとその息子のハッサンが暮らしていた。アリーとハッサンはハザラ人である。ハッサンは上唇が切れている「兎唇」であった。ハッサンの母親は、ハッサンを産んだ後、家を飛び出し行方不明になっていた。アミアとハッサンは同じ乳母によって育てられたのであった。ハザラ人であるが故に、アリーとハッサンの親子は近所の人々に蔑視されていた。

ババはハッサンも自分の子供用に可愛がっていた。アミアとハッサンは、主人と召使いという関係ではあったが、幼い頃からずっと遊び相手であった。しかし、アミアは他のパシュトゥーン人の子供達と遊ぶときは、ハッサンを仲間に入れることはなかった。

ハッサンはゴムを貼った「Y」字型のパチンコの名手であった。ハッサンは「主人」であるアミアに忠誠で、常にアミアを立て、アミアの言うことなら何でも聞いた。ふたりで木登りをしたり、パチンコで犬を苛めたり、雪に閉ざされた冬の間は暖炉の傍でトランプに興じたり、そんな子供らしい生活が一九七五年まで続いた。

アミアは字の読めないハッサンに物語を読んで聞かせ、ハッサンもそれに熱心に聞き入っていた。そのうち、文章を書くのが好きなアミアは、自分でも物語を書き始める。アミアは自分の書いたものを父親のババに読んでもらいたいが、父親はアミアの書いた物に興味を示さない。しかし、ババのビジネスパートナーであり、友人であるラヒム・カーンはアミアの書いた物を読んでくれた。ラヒム・カーンは、

「君には才能がある。将来は作家になったらいい。」

とアミアを激励する。気を良くしたアミアは、物語を書き続ける。

 一九七三年、カブールの街に銃声が響き渡る。クーデターが置き、王政が倒れ、アフガニスタンは共和国になる。その直後、年長の少年アラフとその仲間にふたりは取り囲まれる。アラフはハザラ人を劣等民族として毛嫌いしており、そのハザラ人と付き合うアミアにも我慢がならなかったのだ。ふたりが袋叩きに遭いそうになったとき、ハッサンはパチンコで相手を脅す。

「片目になってもいいのか。」

それで、ふたりは少年たちから逃れることができた。しかし、その日以来、ふたりはアラフとその仲間に狙われることになる。

ババはアミアと同じようにハッサンを可愛がっており、どこかに行くときには必ずアミアと共にハッサンも連れていった。また、ハッサンの誕生日には必ず高価なプレゼントを贈った。ある年など、誕生日のプレゼントに、インドから医者を連れてきて、兎唇を治す手術をさせた。自分という息子がありながら、召使いの息子にそこまで気を遣う父親のことを、アミアは常に不満に思っていた。

カブールでは毎年冬になると凧合戦が行われ、子供達はそれを最大の楽しみにしていた。アミアとハッサンも冬の間はよく凧を揚げて遊んだ。一九七五年の冬、凧合戦でアミアは優勝する。それにより、アミアは自分が始めて父親の期待に応えられたと感じる。アミアの凧に敗れた青い凧が流されて落ちて行く。「凧を追う」ことの名人であるハッサンは、その凧を受け止め、アミアにプレゼントするために駆け出して行く。

「きみのためなら何千回でも。」

と言い残して。

アミアはなかなか帰って来ないハッサンを捜しに出かける。そこで、凧を捕まえたものの、アラフとその仲間に囲まれているハッサンを見つける。アミアはハッサンを助けに行かず、ハッサンがアラフとその仲間に暴行を受けるのを隠れて見ている。

「友達を見殺しにした。」

その日から、そのことがアミアの心の中で、大きな負い目となる。

その後、アミアとハッサンの関係に変化が生じる。アミアは凧合戦に勝ったことにより、自分と父親の距離が縮まったと感じる。しかし、同時に、自分と同じように父親に可愛がられるハッサンに嫉妬と反発を感じ始める。また、凧合戦の日以来、ハッサンといることにより、自分の臆病さ卑怯さを突きつけられるようで、アミアにはハッサンが次第に疎ましく感じられるようになる。

一九七六年の夏、アミアはハッサンを丘の上のリンゴの木の根元に連れ出す。そして、そこでハッサンに向かってリンゴを投げつける。

「反撃しろ、仕返ししろ。」

とアミアはハッサンに向かって叫ぶが、ハッサンは無抵抗で、リンゴをぶつけられる。リンゴの赤い汁が、血のようにハッサンの顔とシャツを染める。

 数日後、アミアは買ってもらったばかりの腕時計と金をハッサンの布団の下に隠す。そして、金と時計が見つからないと父親に告げる。しばらくして、金と時計がハッサンの寝具に下から見つかる。

「おまえが盗んだのか。」

というババの問いかけに、ハッサンは

「はい。」

と応える。アリーはハッサンを連れて家を出ることを決意する。

「許すから、留まってくれ。」

と懇願するババを後にして、アリーとハッサンは雨の中、家を去って行く。アミアは複雑な思い出それを見ている。そして、それがハッサンを見る最後となった。

 

一九八三年、ババとアミアはカブールを去る。更なるクーデター、ソ連のアフガニスタン侵攻、共産主義者の支配下で、それまで王政、資本主義に加担した人々は次々に粛清されていた。密告が盛んに行われ、友人、親戚、兄弟までも、信用できない状態になっていた。

自分の逮捕を事前に察知したババは、鞄一つを持っただけで、アミアとふたりカブールを脱出する。トラックの荷台でジャララバードへ。そこからタンクローリーの中に潜んでカイバル峠を越え、ふたりはようやくパキスタンのパシャワーに辿り着く。そこで、ふたりは米国への亡命を申請、それが認められたふたりは、カリフォルニアに移住する。

そこでババは友人のアフガニスタン人が経営するガソリンスタンドの店員として働き始める。アミアはカレッジに通う。ふたりは、収入を得るために、ガレージセールなどで不用品を買い集め、それを週末の蚤の市で売るということを始める。その蚤の市には、アフガニスタンから亡命してきた人々が集まっていた。その中に、かつてアフガニスタンの国防軍の要職に就いていたタヘリ将軍もいた。将軍にはひとりの娘がいた。アミアはその娘、ソラヤに一目惚れをする。

ババが体調を崩し、肺癌であることが分かる。ババは治療を拒み続ける。アミアは、ソラヤと結婚できるようにタヘリ将軍と交渉してくれるように父親に頼む。死を間近にしたババは、父親としての最後の仕事としてそれを引き受ける。将軍はソラヤとアミアの結婚を認め、ふたりは結婚式を挙げる。その直後、ババは亡くなる。

ババが亡くなってしばらくして、アミアは最初の小説の原稿を仕上げる。彼はそれを出版社に送る。その原稿は採用され、アミアの書いた小説が世に出ることになる。作家として、順調なスタートを切ったアミアであるが、彼等夫婦に子供が出来なかった。アミアはそのことを、自分がハッサンにしたことに対する、神から与えられた罰ではないかと考えるようになる。

アミアは小説家として成功し、新しく家も買い、ソラヤと幸せな結婚生活を送る。結婚してから十三年の月日が経った。アフガニスタンではソ連軍が撤退したもの、その内戦が続き、大量の難民が国境を越えパキスタンなどに逃げてきていた。カブールを始め主要都市はタリバーンの支配下に置かれていた。

ある日、アミアはパキスタンに亡命したラヒム・カーンからの電話を受け取る。ラヒム・カーンは自分が病気であり、残された日が長くないことをアミアに告げる。そして、自分が死ぬ前に、伝えなければならないことがあるので、是非パキスタンまで自分を訪ねて来てくれと懇願する。アミアはそれを承知する。アミアには何故か、自分がハッサンにした仕打ちをについて、ラヒム・カーンは知っているという確信があった。

アミアは、パキスタンのパシャワーに亡命しているラヒム・カーンを訪れる。ラヒム・カーンの病気は進行し、余命幾許もない状態であった。ラヒム・カーンは、ババとアミアがカブールを去ってから起こった出来事を順に語る。

ババとアミアがカブールを去ってから、ラヒム・カーンは彼等の家に移り、家を守っていた。ソ連軍が撤退し、共産主義政権が倒れると、アフガニスタンは内戦状態になった。カブールでも多くの家々が破壊される中、幸いにして、ババの家は被害を免れていた。やがて、カブールとアフガニスタンの大部分はタリバーンの支配下に入る。最初、人々はタリバーン政権を歓迎する。しかし、実際に待っていたものは、前にも増しての圧政と不自由さであった。

歳を取り、病を得て、屋敷の管理が困難になってきたラヒム・カーンは、ハザラ人の居住地域へハッサンを捜しに出かける。ラヒム・カーンはハッサンを見つけ出し、自分と一緒に住んでくれるように頼む。父親のハッサンは地雷に触れて死亡していた。ハッサンはラヒム・カーンの要請に従い、妻と共にカブールのかつて自分と父が過ごした家に戻る。そこでハッサンの息子ソーラップが生まれる。生後間もなくハッサンを捨てた母親も現れ、つかの間の安定した日々が戻る。

しかし、ラヒム・カーンもまたタリバーンのブラックリストに載り、カブールを離れなければならなくなった。彼は、ハッサンと妻、息子に屋敷の管理を頼み、パキスタンのペシャワーに逃れる。しばらくして、ラヒム・カーンはハッサンと妻がタリバーンによって殺され、息子のソーラップは行方不明になってしまったという知らせを受け取る。ラヒム・カーンは死ぬ前の最後の願いとして、アミアにアフガニスタンに行き、ソーラップを捜し出して、パキスタンまで連れてくれるように頼む。アミアは最初、余りにも危険な使命であるのいう理由でその頼みを断る。

ラヒム・カーンはアミアにこれまで秘密にしていた事実を告げる。ハッサンは実はババの子で、アミアとハッサンは腹違いの兄弟であるということ。アミアはそれを聞いて激怒し、衝撃を受けて外に飛び出す。しかし、その後彼は再びラヒム・カーンの元に戻り、ハッサンの息子を捜しにアフガニスタンに入ることを承諾する。

アミアはファリドという協力者を得て、彼の運転する車でカイバル峠を越えてアフガニスタンに入る。故郷は見る影もなく荒れ果てていた。

カブールの街も戦火で破壊されていた。アミアとファリドはソーラップを捜すために孤児院を訪れる。孤児院の院長は最初、アミアたちを追い返そうとするが、アミアは自分たちタリバーンではないということを証明して、ようやく中に入ることができる。院長は、ソーラップと思われる少年がいたが、今はいないと言う。問い詰められた院長は、ソーラップをタリバーンの隊長に売ったことを白状する。ファリドは逆上して、院長に殴りかかるが、アミアが彼を止める。院長は、

「その隊長に会いたければ、競技場へ行け。」

と言う。

 アミアとファリドは翌日サッカーの試合の行われる競技場に行く。ハーフタイムに目隠しをした二人の男女がフィールドに連れて来られ、そこに掘った穴に入れられる。不義を働いたとされる男女に、ひとりの体格の良いタリバーンが石を投げつけ始める。「石打ちの刑」が始まったのだ。アミアとファリドは、ジョン・レノンのような丸い眼鏡をかけたその大男が、ソーラップを買った男であることを知る。

 試合後、アミアはその大男、タリバーンの隊長に面会を求める。彼の部屋に招き入れられたアミアは、その男がかつてハッサンに暴行を加えた、アラフであることを知る。ソーラップが連れて来られる。アラフはソーラップを性的な慰み者にしていたのだ。アラフを

「俺を倒したならば子供を連れて行ってもよい。」

と言い、アミアに殴りかかる。アミアは半死半生の目に遭うが、

「これで、自分がハッサンに対してやったことの償いができた。」

と妙に清々しい気持ちになる。アミアが殺される一歩手前で、ソーラップがアラフの目にパチンコで金属の球を打ち込み、アラフは倒れる。そのすきに、アミアとソーラップは逃げ出す。外で待っていたファリドの車に乗せられて、アミアとソーラップはアフガニスタンを脱出、パキスタンのパシャワーに辿り着く。重傷を負ったアミアは病院に運び込まれ、そこで手術と治療を受ける。

 病院に居るアミアは、ラヒム・カーンが街から消えたことを、ファリドから聞いて知る。何とか動けるようになったアミアは、タリバーンの追手を避けるために、ソーラップを連れてイスラマバードに逃れる。アミアは。

「自分がずっと傍にいて、タリバーンや孤児院には返さない。」

とソーラップに約束する。

 アミアはソーラップを自分の養子にすることを決意し、電話で妻に、子供の頃からのハッサンやアリーに自分のしたことを全て告白して了解を求める。妻のソラヤもソーラップを家に迎えることに同意をする。

 しかし、ソーラップを米国に連れて帰ることには大きな障害があった。米国のヴィザが取得できないのである。アミアは領事館と弁護士と相談をする。また、ソラヤを通じて、米国の移民局に勤める彼女の叔父にも協力を要請する。

弁護士は、しばらくの間、ソーラップを孤児院に住まわせれば、彼が「孤児」と認められて、養子縁組の許可が下りる可能性があることをアミアに伝える。アミアはソーラップにしばらく孤児院で過ごしてくれるように頼む。ソーラップはそれを嫌がる。

その夜、アミアは妻からの電話を受ける。叔父の尽力で、ソーラップのヴィザが取れそうだという。アミアは嬉しい知らせを、風呂に入っているソーラップに伝えようとする。浴槽では手を剃刀で切ったソーラップが血まみれになって横たわっていた・・・

 

 

<感想など>

 

時間と空間を超えた壮大な話である。一九七〇年代のアフガニスタンから始まり、最後は二〇〇三年のサンフランシスコで終わる。そこには、アフガニスタンの現代史が語られる。私にとって、アフガニスタンは遠い国である。二〇一二年の現在、私は英国に住んでおり、英国軍がまだアフガニスタンに駐留しているので、アフガニスタンのニュースを時々見聞きすることができる。しかし「同時テロ」の後の米英軍の侵攻がなければ、存在さえ忘れ去られそうな国である。物語を通じて、アフガニスタンの政治、歴史、文化、民族、習慣について多くを学ぶことができた。

アミアの属するパシュトゥーン人は、ハッサンの属するハザラ人を常に蔑視している。この民族的な対立は想像を絶するものがある。アミアとハッサンが実際には兄弟でありながら、主人と召使いとして生きなければならなかった理由もここにある。

原文は英語で書かれているが、もちろん、アフガニスタン人の登場人物は、現地の言葉で話しているという設定になっている。それはペルシャ語であるようだ。アミアはパシュトゥーン人であるが、パシュトゥーン語では話していない。再びアフガニスタンを訪れたアミアは、タリバーンの話すパシュトゥーン語が分からないと書かれているし、イスラマバードはペルシャ語の本屋でアミアは本を買い、それをソーラップに読んで聞かせている。

この辺り、理解するのに少し努力を要した。

 

一言で述べると、これは「償い」の物語である。幼いアミアがハッサンに対してしたことは、確かにひどい。助けてくれた友人を見殺しにし、その友人に罪をなすりつけて、家から追い出してしまう。人間として許されるものではない。そして、それが「許されるべきものではない」ということを一番良く知っているのは、アミア本人なのである。

「あのとき行動していたら自分のそれからの人生は別のものになっていただろう。」

アミアは常にそう感じながら生きる。そして、彼はそのことを誰にも話さない。妻に対しても。ソラヤはアミアから求婚を受けたとき、自分は「過去のある女」であると述べ、自分の過ちを告白する。アミアは告白を聞いて、それで楽になるソラヤを羨ましく思う。しかし、それでも彼は自分の過去を妻にも話さなかった。

アミアは十字架を背負って成長し、生き続ける。そして、最後に、自分が幼いときにした仕打ちを、命をかけて償うのである。ハッサンの息子を取り戻しに行ったアミアは、タリバーンにより殺されかかる。そのとき、暴行を受けながらアミアは大声で笑う。

「今俺は、自分が何年もの間、背負い続けてきた罪の、償いをしているのだ。」

自分が何年も背負ってきた罪からようやく解放される、それは彼にとって一種の快感であったのだ。

 

 戦火に追われ、故郷を離れることになった人々の悲哀が語られる。ババは、パキスタンに逃れるために、タンクローリーに乗り込む前、土を煙草入れに詰める。ババは祖国の土を持っていたかったのだ。ババは再び祖国の土を踏むことがなく、米国で亡くなる。

 しかし、亡命できた人は、まだ幸せな人々かも知れない。サンフランシスコのアフガニスタン人コミュニティーで出会う人々は、裕福ではないが、まあまあ落ち着いた暮らしをしている。アフガニスタンに残った人々の辛酸は想像を絶するものであったろう。

 

この物語の構成であるが、最初の方で「何気なく」語られた言葉や事実が、後で意味を持つように仕組まれている。それが余りにも多いので、ちょっと「わざとらしさ」が残るくらい。

アミアとハッサンが乱暴者のアラフとその仲間に囲まれ、危うく袋叩きになりかけたとき、ハッサンはパチンコでアラフの目を狙い、

「これ以上近付くと、片目にしてやる。」

と脅す。二重数年後、ハッサンの息子が、父譲りのパチンコで、アラフの目にパチンコで金属の球を打ち込むことにより、それが果たされる。

ハッサンは兎唇であった。アラフと戦ったアミアは重傷を負う。彼の上唇は真ん中が鼻の下まで切れる。

ソラヤとアミアには子供が出来ない。養子を取るということを提案される。しかしそれを断る。しかし、ふたりは結局ハッサンの息子を養子に取ることなる。

これらの例は一部だが、このような「未来への暗示」が至るところに散りばめられている。そういう意味では、かなり古典的な作風であると思う。

 

タイトルにあるように、物語の最初と最後で大きな役割を果たすのは「凧」である。ハッサンは「凧揚げ」と「凧追い」の名人であり、アミアとハッサンは二人で協力して「凧合戦」に優勝する。地面に落ちてきた相手の凧を捕らえ、アミアにプレゼントするために、ハッサンは走り出し、その凧を取られたくないがゆえに、年長の少年達の暴行に耐える。

それまでしっくり行かなかった父子の関係を、凧合戦に優勝することにより改善できると信じるアミア、そして、事実そうなったようにも思えたのだが。

そして、時代と年月を経て、サンフランシスコの空に揚がる凧によってこの物語が閉じられるのである。

 

良く練られた筋、しかもアフガニスタンと言う見知らぬ土地を舞台にしながら親近感を感じさせる描写、なかなか面白く読めた。二〇〇五年、米国でベストセラーの第一位になっている。

 

20123月)

写真は2007年の同名の映画より

 

戻る>