馬格?
夏の昼間は、馬たちも木陰で過ごす。
さて、オープンデーで子供たちの相手をさせる馬は何時も決まっている。今回僕のセッションには、マルコ、ヘティー、パーシー、レミーが選ばれた。彼等は「馬が出来ていて、馬格の良い」馬である。えっ?人間でいえば「人間が出来ていて、人格の良い」ということ。
人間と同じで、馬にも「パーソナリティー」があり(パーソンではないが)、相性もある。今年の冬、ルーニーという馬が来た。レスキューされた馬が殆どを占める中で、ルーニーはサンクチュアリのメンバーのクロエというお姉さんが買った、彼女の持ち馬である。馬車を引くのが得意、馬力はあるが、結構大人しい、扱い易い馬だ。馬牧場の古くからの「住人」いや「住馬」に、ブランブルという黒い大型の馬がいる。真っ黒でいかつい感じがするが、彼も普段は大人しく、人懐っこい、彼も扱い易い馬だ。しかし、何故か二頭は「相性」が悪い。文字通り馬が合わない。一緒にしたとたんに喧嘩が始まり、ブランブルがルーニーを追い回し始める。
「何故なんだろう?前世で、親が敵同士だったんだろうか?」
でも、人間もそうだよね。僕の友達にAさんとBさんがいる。Aさんは良い人で僕とは上手く行き、Bさんも良い人で僕とは付き合える。しかし、ふたりは仲が悪い。そんなケースってよくある。
喧嘩をしている馬の間に入って仲裁する馬もいる。ポーロという白黒ブチの馬だが、彼は、他の馬たちが喧嘩をしていると、
「まあまあ、ご両人、いや、ご両馬、お互いにそう熱くならんで。頭を冷やしやしょうや。」
という感じで間に入っていく。それを見たとき、僕は彼を尊敬した。
「ポーロは、人格者、いや馬格者なんや。」
日曜日、妻と森の中などを歩いていると、馬に乗った人によく出会う。馬にまたがり背筋を伸ばし、カッポカッポと歩いておられるのは、誠に格好が良い。馬も皆大きくて立派である。
「乗馬に使われている馬に比べると、サンクチュアリの馬って、何となく、皆ショボいわね。」
と妻が言う。そりゃそうだよ、サンクチュアリの馬は捨てられた馬。
「格好が良い、立派な馬なら、誰も捨てへんよ。」
それなりに、聞くも涙の背景を持った馬も多い。狭い所に何カ月も閉じ込められていたとか。皆、苦労人、いや苦労馬なのである。
幸い、馬たちはロックダウンを知っているか知らないか知らないが、その時期を無事過ごした。僕が馬牧場で働き始めてから二年弱。幸いにこれまで、一頭も馬の死にも出会っていない。歳を取ったり、病気の馬が多い中で、しかも、六十頭近くいる中で、一匹の馬も死んでいないというのは、奇跡的だと思う。もうダメかと思った馬も数頭あったが、持ち直した。そして、そのことは、世話をしている者にとって誇りでもある。
夏本番になると、麦が色づき、野原ではアザミが咲き始める。