「スミラと雪の感覚」

ドイツ語題:Fräulein Smillas Gespür für Schnee

原題:Frøken Smillas fornemmelse for sne

(1992)

 

 

<はじめに>

 

多作ではないが、数少ない作品で、北欧犯罪小説大賞を受賞し、デンマークの代表的なミステリー作家となったペーター・ホゥ。彼の代表作であるこの作品から、スウェーデンやノルウェーとはまた違った、デンマークの小説のエッセンスを感じられることを期待しつつ、読み始めた。

 

 

<ストーリー>

 

十二月のコペンハーゲン。雪の中で、イェザヤの葬儀が行われている。母親のユリアネ、スミラの他に二十人足らずの人間が参列していた。ほとんどがグリーンランドからの移住者であった。

ユリアナとスミラは、白く塗られた集合住宅に住んでいた。十二月、秋から冬にかけて、海が徐々に凍っていく季節。イェザヤが雪の中に倒れているのが発見される。スミラはそのとき現場を通りかかる。雪の上の足跡はイェザヤのものだけだった。

一年半前の八月、スミラは初めてイェザヤに出会った。スミラは、アパートの階段で、パンツ一枚の少年に出会う。出ていけ、お前こそ出ていけとふたりは言い合う。その日の夕方、少年はスミラの部屋の前に立っていた。スミラは彼を招き入れ、ユークリッドの「原論」を読んで聞かせる。それから毎日のようにイェザヤはスミラの部屋にやって来る。スミラは彼に本を読んでやり、時々風呂に入れてやった。少年の母で、グリーンランド人のユリアネはアルコール中毒であった。

スミラは遺体安置所へ行く。そこに、イェザヤは白い布を掛けられて横たわっていた。スミラはイェザヤの解剖をした、検死医のロイエンに会う。ロイエン医師は、イェザヤの死を、事故による墜落死だと断定していた。状況に争った形跡もなければ、死体に暴行を受けた形跡もないという。スミラが解剖報告書の開示を求めるが、医師は断る。スミラは、イェザヤが極度の高所恐怖症で、階段を上の階まで上がるのさえ苦労していた。そんな彼が、自分で屋根に上がるなどありえないという。

スミラは、ユリアンネを訪れ、ユリアネの家族にまつわる書類を見せてくれと頼む。ユリアネは船乗りの夫、ノルサック・クリスティアンセンが事故で無くなってから、毎月九千四百クローネの遺族年金をもらっていた。スミラは警察に電話をし、担当の刑事と話す。刑事は、イェザヤの死は、事故死としてすでに解決済みだと答える。スミラは検察庁へ、苦情の手紙を書き始める。

スミラは父を訪れる。父は高名な医者で、ゴルフコースのある家に、スミラより十三歳年下の女性と一緒に住んでいる。父は若いころ、リサーチのためにグリーンランドを訪れ、そこでスミラの母と会った。スミラの母に限らず、グリーンランドの女性は男勝りで、狩りに出る生活をしていた。父母は結婚し、スミラと弟を設けるが、スミラが三歳の時、父は母と仲違いをしてグリーンランドを去り、デンマークに戻る。母は狩りの途中で、水に落ちて死亡。孤児となったスミラと弟のうち、スミラだけが父に引き取られてデンマークに来た。スミラはロイエン医師について父親に尋ねる。父は、ロイエンは金と名声のためなら何でも引き受ける男であるという。スミラが去るとき、父はスミラに小切手を渡す。スミラの一見贅沢に見える生活は、父からの仕送りで賄われているのだった。

ラヴンいう名前の、検察庁から調査官と名乗る男がスミラを訪れる。スミラが検察庁に宛てて書いた手紙を読んだという。スミラは彼を屋根に案内し、イェザヤが転落死した当時、屋根の雪の上に滑った跡がなかったことを指摘する。もし、誤って転落死したならば、滑った跡があるはずである。スミラには、氷や雪を読む能力があった。ラヴンは、検察庁は引き続き調査を進めるので、苦情の手紙は取り下げてほしいこと、またこのことをマスコミには絶対話さないようにと、スミラに頼む。スミラもそれを受け入れる。

スミラは氷晶石を扱っていた国営企業について図書館で調べる。アルミ精錬と融剤してかつて使われた氷晶石はグリーンランドで産出されたが、一九八〇年代までに資源を取り尽し、会社は現在他の業務に転換していた。スミラはかつての工場跡に行き、昔の従業員から、リュービング夫人という古くからの職員が、近くに住んでいることを知る。スミラはアパートの地下室に入る。地下室の一角を、電気工のペーターが作業場として借りていた。イェザヤはペーターと仲が良く、ふたりで色々な装置を作っていた。スミラが地下室の壁が改造され、秘密の出入り口が作られていることを発見する。

スミラは、地下室にあった、イェザヤの物の入った煙草箱を持ち帰る。スミラはまずかつて氷晶石を扱っていた会社に電話をする。そしてそこの社長から、会社の書類は国の機密として五十年間公開されないことを知る。次に、スミラは検察庁に電話を入れる。そして、ラヴンという調査官はいないこと、ラヴンは実は警察の経済犯罪課の刑事であることを知る。

翌朝、イェザヤを扱った検視医、ラーガーマンをスミラは訪れる。検視医は、最初から事故死として、極めて形式的な検死を行ったと述べる。次に、スミラは、氷晶石の会社に長く奉職したという、リュービング夫人を訪れる。彼女は定年まで会社の経理課長を務め、会社の内情を熟知していた。彼女は、会社が二度グリーンランドに資源探査のための調査団を送ったことを認める。最初スミラの調査への協力を拒否したリュービング夫人だが、思い直し、会社の資料室の鍵をスミラに渡す。

スミラはその日の深夜、かつての氷晶石の会社の敷地内にある資料室を訪れる。しかし、そこには番犬がいた。スミラは一度家に戻り、魚の中に睡眠薬を仕込み、それを犬に食べさせて眠らせ、資料室に入る。そして、グリーンランド調査のときの資料を抜き取り、その場で読み始める。一九九一年の調査の際、事故が起こり、イェザヤの父であるノルサック・クリスティアンセンを含む五人が死亡していた。スミラは医師の診断書の中に、異常なものを発見する。そのとき、何者かが資料室の中に入ってきた。スミラは資料の入った棚を、その侵入者の上に押し倒す。その男は、電気工事人のペーターであった。彼はスミラの後をつけてきたのだと言う。彼らは倒れた棚を元に戻し、ペーターの車でアパートに戻る。ペーターは、イェザヤが、何かに怯えていたこと。月に二度、彼が赤いBMWに乗った男に連れ出されていたこと。ペーターが駐車中のその車の鍵を破って確かめたところ、その車はヴィングという弁護士のものであったことなどをスミラに語る。

スミラは翌日の午後、イェザヤの葬儀に参列する。その帰り道、彼女はラヴンとその部下に呼び止められる。彼女は警察へ任意出頭を求められる。警察には、もうひとり、キャプテン・テリングという男が待っていた。そこでラヴンは、スミラのこれまで経歴を読み上げる。彼女は大学で地質学を専攻したあと、何度か調査団に加わり、グリーンランドを訪れていた。しかし、彼女はその都度調査団の中で問題を起こし、除名されていた。ラヴンとテリングは、自分たちにはスミラを逮捕する権限があると脅す。そしえ、逮捕されたくなかったら、スミラの独自の調査を打ち切るように言う。スミラもそれに従う。

スミラは、イェザヤを見殺しにしたという自己嫌悪に陥り、うつ状態となる。彼女は誰とも会わず、何も食べず、部屋に閉じこもる。彼女は十一歳のとき、父親に連れられてデンマークに来たが、父親とは一切口を聞かず、一度逃亡を試みる。怪我をしたスミラを父親が連れ戻しに来るが、彼女は父親の手をナイフで刺す。その後、スミラと父親の間の関係は改善されていた。グリーンランドに残り、アザラシを獲って暮らしていた弟は、住んでいた土地を奪われて自殺していた。

クリスマスイブの夕方、郵便受けから長い紙が送り込まれる。

「自殺だけはするな」

紙にはそう書かれていた。送り込んだのはペーターであった。スミラは部屋を出て、ペーターの部屋へ向かう。ペーターは彼女のために食事を作る。ペーターはもう一度、資料室に忍び込み、一九六六年のグリーンランド調査の際の資料を持ち帰って読んでいた。ふたりは資料から、医者のロイエンがそのときの調査に参加をしていたことを知る。ペーターはスミラにキスをしてよいかと尋ねる。スミラはそれを無視して食事を始める。ペーターはイェザヤの部屋にあった船の模型が「極地博物館」のために作られたものであるという。そして、その入っていた箱には、送り先として、弁護士ヴィングの名前が書かれていたと告げる。スミラは部屋に戻り、イェザヤの煙草箱の中にあった、カセットテープを聞く。それはスミラの理解できない言葉での男性の演説であった。長い沈黙の後笑い声が入り、残りはジャズが入っていた。

十二月二十六日、スミラは再びリュービング夫人を訪れる。夫人は一九五〇年代から六〇年代にかけて、会社が莫大な利益を上げていた時期には、社長が特注のロールスロイスに乗っていたと話す。しかし、社長、技術担当重役、営業担当重役は留守がちで、経理担当重役が、実質的に会社の決定権を握っていたという。彼女は一九六六年の調査の際、十一万五千クローネの使途不明金が発生していること見つける。そのことを経理担当重役に報告するが、重役は彼女に見て見ぬふりをするように命令した。そして、一九九一年、二度目の調査の際にも四十五万クローネの使途不明金が生じていた。彼女が再び経理担当重役に問い合わせるとそれは船のチャーター料だという返事であった。わずかなサンプルを持ち帰るのに船をチャーターする必要はもちろんなかった。しかし、夫人は間もなく定年を迎え会社を去る。その経理担当重役は、今弁護士をやっているヴィングという男であると彼女は言う。スミラとペーターは関係する人物のリストを作る。そこには四人の名前が書かれていた。

l  ダヴィッド・ヴィング

l  ベネディクテ・クラーン

l  ヨハネス・ロイエン

l  アンドレアス・フィネ・リヒト

早朝、スミラは凍った海の上にいた。心配して後をつけていたペーターが、彼女を抱きかかえてアパートに戻る。ユリアネに訪問者があった。バーバリーのコートを着たその男は、時間からして、通常の訪問者とは思えなかった。ペーターの車で、その男の後を追う。男は「ヴィング弁護士事務所」に入っていった。彼こそダヴィッド・ヴィングであったのだ。スミラとペーターは清掃会社の職員の振りをして、ヴィングの部屋に入る。ヴィングはその部屋の中にいた。スミラは壁に掛かっている船の写真を見て、

「私は船に興味がある。この船はグリーンランド調査のために使われたものだ。」

とヴィングに言う。

 スミラがアパートに戻ると、父親からの手紙が来ていた。父親はロイエンについての新聞記事を同封していた。ロイエンは一九三九年に最初に映画撮影チームと一緒にグリーンランドへ行き、一九四九年に氷晶石の会社に顧問医師として就職していた。新聞記事は、一九六六年と一九九二年に、彼がグリーンランド調査に参加したことは触れていなかった。

 スミラは、エスキモー学研究所に電話をする。そして、そこの所長に、イェザヤの持っていた、テープの解析を依頼する。所長は、港に係留されている船まで来いと言う。スミラは、港へ行き、大型ヨットの中に入る。その中はエスキモー関係の品々で一杯であった。そこで待っていた男は、スミラの言葉からスミラの生い立ちを言い当てる。そしてイェザヤのテープを聴いて、グリーンランドのアングマグサリク出身の四十代半ばの男が、トゥーレ空軍基地のレセプションで演説したものであると言う。また、ジャズは、当時空軍基地を慰問に訪れたアメリカのバンドであると言う。別れ際、その男が盲目であることが分かる。またその男の名がアンドレアス・フィネ・リヒトであることも。

 スミラはその日の朝、ベネディクテ・クラーンに電話をし、午後カフェで会う約束をしていた。クラーンは有名な将軍の娘で、六十歳半ばの女性であった。カフェでクラーンと会った、スミラとペーターは自分たちが歴史の研究家であり、ロイエン医師について調べていると言う。クラーンは、第二次世界大戦の終結直後、英国空軍の通訳として雇われ、ハンブルクで働いたことを話す。彼女はそこでロイエンと会ったと話す。クラーンの話から、一九四六年、ヴィングとロイエンの間で何かの情報が交換されたことが想像できた。その後、一九六六年と一九九一年に、何かをグリーンランドから運び出す試みがなされたが、どちらも事故で失敗に終わったらしい。アパートに戻ったスミラは、ペーターにキスをする。ペーターはイェザヤが毎月一回、医者の診断を受けていたことをユリアネから聞き出していた。何のための検査なのかは、母親のユリアネも知らなかった。

 スミラは登記局へ行き、デンマーク氷晶石会社と、一九九一年の探査に金を出したゲオインフォルム社について調べる。ゲオインフォルム社は株式会社ではなかったが、役員として、カチャ・クラウセン、ラルフ・サイデンファーデン、そしてテルク・フヴィードの三人が登録されていた。リヒトから話があるという電話を受けたスミラは彼の住むヨットへ向かう。中に入ると、リヒトは椅子に縛り付けられて殺されていた。何者かがヨットの艫綱を切って、ヨットを岸から引き離す。そして、同時にヨットには火がつけられた。火だるまになったヨットからスミラは海に飛び込み、凍るような海水の中、やっと岸にたどり着いたところを、ペーターに助けられる。

 大晦日、スミラは父に電話をして「ネオカタスロフィズム」について尋ねる。父親はそれが隕石の衝突などの「大災害や天変地異によって生物の運命、進化が決定される」という理論で、一時盛んになり、コペンハーゲンでそのセミナーが開催され、自分も招待状を受け取ったが、行かなかったと述べる。スミラは、ゲオインフォルム社の役員の素性についての調査を父に依頼する。

 スミラは検視医のラーガーマンを再び訪れる。そして、自分がヨットの火災で負った火傷を見せる。検視医は、最初守秘義務を盾に情報の提供を拒むが、結局スミラに情報を与える。ヨットの火災現場で発見されたリヒトの死体は溺死ではなく他殺であることを告げる。また、イェザヤが死んだあと、検死をしたロイエンは、その日当番でなかったのに、なぜかそのとき病院に来ていたという。彼は、グリーンランド調査の際の、検死報告書を調べてみることを約束する。その夜、スミラはペーターと一緒にベッドで眠る。これまで、かたくなに人を愛することを拒否していたスミラだが、彼女はペーターを本気で愛し始めたことを感じる。

 スミラとペーターは、ペーターの友人であるという、船会社のオーナー、ビルゴ・ランダーを訪れる。彼は、子供のような背丈の男であった。スミラはランダーに、船をチャーターする方法を尋ねる。ランダーは船の借り貸しの手続きを説明するが、危険な海域への航行や、危険な荷物の運搬には、それなりの裏契約がなされると話す。スミラは父親からふたつの封筒を受け取る。ひとつは、ゲオインフォルム社の役員テルク・フヴィードについての新聞記事。もうひとつはヴィクトール・ハルケンフヴァドという男への紹介状であった。スミラはハルケンフヴァドに会い、テルク・フヴィードについての情報を求める。ハルケンフヴァドは、フヴィードは永らく東南アジアに住んでおり、一九九一年に、シンガポールで、一度逮捕されたことがあることを告げる。スミラとペーターは高級住宅街にあるゲオインフォルム社の建物の前で張り込む。夕方に、数人の男女が玄関から出て来る。スミラはその中の女性に見覚えがあった。彼女イェザヤの葬儀に参列していた。スミラとペーターは女性の後をつける。彼女は桟橋まで行き、「クロノス」という名前の船に乗り込む。

 スミラがアパートに戻ると、ドアに貼っておいたセロテープが剥がれている。何者かがドアを開けたのだ。スミラとペーターは中に入る。中にはラヴンがいた。彼は、ヨットの火災の後、それまでの役割から外されたと告げる。そして、焼けたヨットの中にあったリヒトの電話で、最後に受けたものがスミラの番号であったことを告げる。スミラが、フヴィードについて何か知っているかとラヴンに尋ねる。ラヴンは知らないというが、スミラは即座にその嘘を見抜く。帰り際、スミラはラヴンにコートを着せる際、彼の財布を抜き取る。財布の中には何枚かの写真が入っていた。スミラとペーターの写真の他に、熱帯と思われる場所で、白衣を着て写っている男がいた。それがテルク・フヴィードであることをスミラは直感的に見抜く。

 スミラとペーターは、ビルゴ・ランダーに会うために、正装をしてカジノへ向かう。ランダーはカジノの一部を所有していた。彼は、ブラックジャックで大負けをしている三十代半ばの男を示す。ルーカスという名のその男は、優秀な船乗りで、船長として色々な場所への探査に参加していた。しかし、ギャンブル好きで、財産の全てを失っていた。ランダーはスミラをルーカスに引き合わせる。ルーカスは三月に、グリーンランドのゴッドホブより北へいてくれという依頼を、一組の男女から受けていることを話す。ルーカスは、春に氷のある海域に行くのは自殺行為であると一度は拒否する、しかし、大枚の金と、四千トン級の砕氷船を用意するからという条件でそれを受け入れたという。船長として雇われた彼は、今、乗組員を探しているところだと言う。

 そこへラヴンが現れる。彼はカジノの警備も担当していたのだ。スミラはラヴンに財布を返す。ラヴンは、ロイエンが何を発見し、何を取りに行こうとしているのかは知らないという。また、テルク・フヴィードを知らないと言ったものの、嘘がばれてしまったラヴンは、テルクはミクロ生物学者で、ヘロインより強い幻覚症状の出る、薬を開発していたという。またカチャ・クラウセンは骨董品の売買をしていたが、骨董品の中に麻薬を隠していた。そして、ザイデンファーデンは運輸業者で、麻薬の輸送を担当してという。

 スミラはカジノのバンドの中に、黒人のトランペット奏者を見つける。その演奏ぶりから、スミラは、彼がイェザヤのカセットテープに入ってジャズの演奏をしていたミュージシャンだと確信する。スミラが確かめると、確かに、その男はグリーンランドのトゥーレ空軍基地を慰問し、演奏していた。しかし、そのときバンドを率いていたポール・チェンバースは既に亡くなったと話す。

 スミラはランダーの車に乗る。彼女は凍った海の上に立つ。ロイエンもリヒトも、目的は違うが、どちらも欲に駆られていたと、スミラは考える。ランダーに送られてアパートに帰ったスミラだが、誰かが待ち伏せをしているのを感じる。自室に戻ると、見計らったように電話が鳴る。スミラは電話を取らない。部屋を出たスミラはユリアネに会う。ヴィングとの関係を黙っていたユリアネをスミラはなじるが、ユリアネは、ヴィングに部屋代を払ってもらっていたため、追い出されることを恐れて言えなかったと答える。身の危険を感じたスミラは父の家に泊まることにする・

 スミラの父の家に、検視医のラーガーマンが調査の際の事故で犠牲になった人間のレントゲン写真を持って訪れる。それは一九九一年調査のものであった。ラーガーマンとスミラの父はレントゲン写真の検討を始める。骨が粉々になるほど、至近距離での爆風を受けていた。また、腹の中に、特殊な寄生虫が認めらえた。

 スミラは登記局に出向き、前回も会った若い職員に新聞記事を見せる。それは、シンガポールで自殺した女性のものであった。その女性は、ナタリー・ラヴンという名前であり、シンガポールで秘書をしていた。スミラは次に、開発研究所の資料室へ行く。そこで、前でコンピュータを使っていた男の、ユーザー名とパスワードを盗み見したスミラは、テルク・フヴィードの書いた論文を探して読む。それは巨大な隕石の衝突による、海洋生態系の変化についてのものであった。父の家に戻ろうとしたスミラは、父の家にも見張りがいるのを見つける。裏口から家に入ったスミラは、父親の運転する車の後部に隠れて、家を出ることに成功する。港で、ランダーがゴムボートを積んだ車で待っていた。スミラとランダーはそのモーター付きのゴムボートで海に出る。ランダーは、ペーターとは海軍の潜水部隊で一緒であったこと、ランダーが氷の下に閉じ込められたとき、ペーターが命を賭して彼を助けたことを述べる。

 

 スミラはハンブルク船籍四千トンの船「クロノス」に乗り込み、雑役婦として働くことになる。ルーカスがその船長として乗り組んでいた。船はコペンハーゲンを出港。行先は告げられていない。ルーカスはスミラを他の乗組員に紹介する。船には三人の乗客がいたが、それが誰かは分からず、彼らの居住区への乗組員の立ち入りは禁止されていた。若い乗組員のヤッケルセンは、クロノスには砕氷機能があり、船の大きさに似合わない強力なエンジンが装備されているので、船は、おそらく氷の海に向かっているとスミラに言う。

 深夜、スミラは船長のルーカスに呼ばれる。クラウセンとザイデンファーデンが、何人かの乗組員にガラスのカプセルを正確な位置に沈める作業をしていた。海へ入ったガラスのカプセルは開く。スミラはその光景を見せるために、ルーカスが自分を呼んだことを知る。スミラは、掃除中、ヤッケルセンの部屋で、チェスの駒の中に隠された麻薬を発見する。ルーカスが、クラウセンとザイデンファーデンと食事をしている席で、スミラは給仕をさせられる。ルーカスは氷の海を航海することの危険性をふたりの乗客に説明している。

「テルクはどうしている。」

というルーカスの問いに、クラウセンは、

「仕事中だ。」

と答える。

 翌日、スミラは、ヤッケルセンが麻薬常習者であることを知っていることで彼を脅迫し、彼を従わせる。スミラはヤッケルセンから、貨物室に入るマスターキーを手に入れる。船に詳しいヤッケルセンは、昨日何かを沈めたのは、練習のためであり、実際沈められるのは、おそらく何らかの測定装置であると予想する。

 スミラの嗅覚は、船がグリーンランドに近づいていることを彼女に感じさせる。船長のルーカスはスミラを呼び、氷の状態について気づいたら報告するように言う。スミラは、船の中を測定し、貨物室にある積荷の大きさを知ろうとする。乗組員の何人かは、特に刑務所から出たばかりのスイス人の料理人ウルスは、スミラを警察からの回し者ではないかと疑っていた。

 スミラは、ヤッケルセンから得たマスターキーで貨物室に入り、積荷を調べる。鋼鉄のレール、アイスクライミングの装備が積み込まれていた。しかし、スミラは何者かに発見され、防火毛布に包まれる。スミラは死を覚悟するが、そのとき火災報知器が鳴り、スプリンクラーが作動する。スミラは、その隙に毛布から抜け出し、男を持っていたねじ回しで刺し、甲板に脱出する。

スミラは、船長と乗客たちに呼び出される。そこでスミラは初めてテルクに会う。スミラはテルクから発散する魅力を感じるとともに、アパートの前で待ち伏せていた男が、テルクであることを知る。何をしていたのかという問いに対して、スミラは階段から落ちて気を失っていたと主張する。ヤッケルセンは、スミラを助けるために、火災報知器を作動させたのは自分であるという。また、スミラを毛布に包んで運んでいたのは、フェアライネ、ハンセン、モーリスの三人であり、スミラがねじ回しで刺したのはハンセンではると言う。また、ヤッケルセンは、前方の貨物室は、温度、湿度が調整できるようになっており、生物を積み込むためのもののように感じられると言う。

 スミラは医師であるゾネの手当てを受ける。彼は好感の持てる青年であった。スミラはもう一度ヤッケルセンに手伝ってくれと頼む。弱みを握られているヤッケルセンは、再びスミラに協力することになる。ヤッケルセンは、自分がルーカス船長の弟であることを告げる。スミラは、各階に通じている、食事を運ぶエレベーターの中に自分を押し込む。そして、乗客たちの居住区のある階へ、エレベーターを動かせる。乗客たちの居住区で、スミラは大きな水槽と、生物学や化学の実験室のような装置を発見する。そこへザイデンファーデンが現れ、スミレは慌ててエレベーターの中に隠れる。

船に着氷が始まり、船長のルーカスは、乗組員全員に、甲板に出て、氷を砕くように命じる。スミラはフェアライネに近づき、

「港でヨットが燃えたとき、桟橋であんたを見た。そのことを次の寄港地で警察に話す。」

と言う。それは単なる脅しであった。それに対して、フェアライネは、

「この船はどこへも寄港しない。」

と笑って言う。

 グリーンランドの数キロ沖合に、石油を積み出すための巨大なプラットホーム「グリーンランド・スター」が作られていた。クロノスはそこに接岸する。ルーカスは四人目の乗客をそこで乗せると言う。スミラは船を出ようと決心する。しかし、桟橋へのタラップを、ハンセンが守っていた。そのとき、船全体が停電する。その闇に紛れて、スミラは船を降りる。桟橋で、スミラはヤッケルセンを発見する。彼は、何かの注射を打たれて倒れていた。スミラは彼を引っ張って船に戻る。四人目の乗客が乗り込んでくる。それはペーターであった・・・

 

この作品は、1997年に映画化された。

 

<感想など>

 

 それにしても長い小説。ドイツ語訳で五百ページ以上。だからと言って、そんな複雑な筋ではない。

「このストーリーで、よくぞここまで引っ張ってくれました。」

と正直思った。書いた人も大変だったとは思うが、読む人にとっても結構しんどい小説であった。

 デンマークのコペンハーゲンと、グリーンランドが舞台になっている。主人公のスミラ・ヤスパーセンは、グリーンランド生まれ、母親がイヌイット、つまりエスキモーで、父親がデンマーク人という設定ンいなっている。

グリーンランド。日本人にはもちろんのこと、ヨーロッパ人にも馴染みのない場所である。万年雪と氷で覆われた世界最大の島。デンマーク領であるが、本国のデンマークより遥かに広い。ヨーロッパ人の入植する前は、僅かなエスキモーだけの住む土地だった。植村直己さんが、犬橇で縦断している。そんなグリーンランドが、経済的に注目を浴びたことがある。それは氷晶石が発見されたことだ。グリーンランド特産の氷晶石は十九世紀の終わりごろアルミニウムの精錬の触媒に使われるようになり、それを世界に専売することにより、デンマークは莫大な利益を上げた。しかし、その後、他の安価な触媒が発見され、氷晶石も資源を掘り尽し、鉱山は閉じられ、会社は解散した。その氷晶石の会社が、この物語に登場する。

近年になり、再び注目を浴びているのが、北極圏の下に眠る油田である。その埋蔵量は、中東の油田に匹敵するとも言われている。ただし、厳しい環境の中、海底から採掘するのはかなり難しいことらしい。既にいくつかの石油採掘用のプラットホームが作られている。そのひとつの「グリーンランド・スター」がこの物語に登場する。

エスキモーとの混血の主人公という設定は面白い。彼女の回想の中に登場する、エスキモーの生活、価値観も読んでいて、それなりに勉強になる。何せ、スミラの故郷は、北緯八十度の場所である。そこでも生活がどのようなものか、常人にはちょっと想像がつかない。スミラの行動パターンが時折理解できないは、彼女がエスキモーとの混血であるからではない。物語は一人称で書かれており、「私」つまりスミラの語りとなっている。その中で、彼女がどうしてそのような行動を取ったのかが、延々と述べられている。しかし、彼女の、自分に対しては正当化されている行動が、読んでいる者には、時として理解できない。

グリーンランドに、膨大な投資をしてもペイするような何かがある。その秘密を守り抜くために、少年イェザヤは殺された。そのことは物語の半分くらいで明らかになる。それが何なのかというのが、物語の後半の興味である。前半は、コペンハーゲンが舞台。後半は、その「何か」を取りに行くためにチャーターされ、スミラも乗組員として乗船している、「クロノス」が舞台になる。

私がペーター・ホゥの名前を知ったのは、二〇一一年に放送されたBBCの番組、「スカンジナビア推理小説の物語(Nordic Noir, The Story of Scandinavian Crime Fiction)」である。数人の北欧の作家が紹介された際、デンマークの代表のような形で、ペーター・ホゥが登場した。番組の中で、彼の作品は、雪や氷、北欧の暗くて寒い風土と結び付けられて、語られていた。多作ではないが、この本も含めて充実した作品群を発表、デンマークの犯罪小説の代表選手と言ってもよいと思う。私と同じ一九五七年生まれ、一九八四年に文学修士号を取ったところまで、私と似ている。しかし、彼の名前を知ってから、実際に彼の作品を読むまでに、何故か五年もかかってしまった。この作品を読んでいると、彼は、一徹で、妥協を許さない人ではないかと想像してしまう。

面白い。しかし、かなりの忍耐力を要求される作品である。

 

20167月)

 

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