7章:ナショナリズム――グローバルな問題はグローバルな答えを必要とする

 

 現在、多くの人々はひとつの文明の下で生きようとしている。しかし、孤立化、ナショナリズムの動きも強まっている。どうしてなのだろう。

 そもそも、国家というものは、人類が昔から慣れ親しんだものではない。五千年前には国家は存在せず、社会的な動物である人類は、もっと小さな集団を単位にして暮らしていた。そのうち、人類は共同作業が、成功の鍵であることに気付く。その結果、人類は次第に多様な文化を持つ集団と結び付くようになっていった。国歌もその選択肢のひとつであった。そのグループに属する人の数が爆発的に増えたとき、そのグループは困難に打ち勝つことができた。そのため、人々は次第により大きなグループを作るようになっていった。ナイル河の岸に住む人々たちは、一部族だけでは治水事業ができない。それで、互いに協力するようになり。その集団は徐々に大きくなり、国家へと成長していった。しかし、個々の部族を国家にまとめ上げていくのは、簡単なことではなかった。同じ部族の人をどうしても優遇してしまう傾向があり、他の部族の人を公平に扱うのは難しかった。現在の社会でも、移民を自分たちの同胞と同じように扱うのが難しいように。そのために、ナショナリズムというシステムが必要になってきた。ひとつの国家に住む人々に対して、「自分の国家は他の国家と違う」と思わせ、誇りと忠誠心を持たせるというシステムである。このような考え方は、一面では危険であるが、安定した国は、強いナショナリズムによって支えられているというのも事実である。また、不安定な国は、ナショナリズムのレベルが低いというのも事実である。しかし、「自分たちの国家は、他の国家より優れている」という、自己陶酔的な、ウルトラナショナリズムに上り詰めると、たちが悪くなる。これまで、ナショナリズムが数多くの戦争をもたらした。殆どの戦争は、侵略する国と、その国から自分を守ろうとする国との戦いであった。

 近代になって、国家は、人々に秩序と安定をもたらした。しかし、 一九四五年に全てが変わった。核兵器の実用化がナショナリズムのバランスを狂わせた。核戦争の恐怖である。一度核戦争が起これば、国家などと言っておられない。全てが滅んでしまう。各々の国家はここで運命共同体になった。それにより、国家を越えた、グローバルな思考が進んでいくことになる。

 一九六四年の米国大統領選挙で、ジョンソンは「デイジーのキャンペーン」を行った。テレビのCMで、女の子がデイジーの数を数え始める、途中でそれは男性の声のカウントダウンに取って代わられ、最後は原子爆弾が爆発する。ジョンソンは冷戦の時代、「愛か死」しかないことをアピールし、ナショナリズムを越えた融和を呼びかけたのである。

 しかし、ナショナリズムは結局生き延びた。それは人々が国家に拠り所を求め続けたからだ。現在はどちらの方向に進んでいるのだろうか。プーチンやトランプがナショナリズムに傾倒しているが、ナショナリズムは世界を救えるのだろうか。

 生き延びたナショナリズムが今後進み道はどのようなものだろうか。一つ目は「ネットワーク化」である。国の主権を認めながら、協調してくというやり方。しかし、その試みはこれまで多くの場合失敗してきた。しかし、国家のみに存在価値があり、国家は世界に対する責任を負う必要がないという孤立した考え方は、今では意味がない。それは各国家が、国家の枠を超えた、共通の問題を持っているからである。

 冷戦中、「熱い戦争」が起こることを皆が怖れた。しかし、最終戦争が起こることなく、

冷戦は終結した。核戦争だけでなく、戦争そのものが減少した。今や、戦争で死ぬ者は、肥満や自殺が原因で死ぬ人よりはるかに少ない。それはひとつの政治的な「達成」と言える。しかし、人々はその「達成」に慣れてしまい、それが「当たり前」と考えるようになった。その結果、人間はまた「火遊び」を始めた。米国とロシアが新しい核兵器の開発を始め、核保有国である英国がEUから抜けた。核戦争を防ぐために「世界政府」を作ることは極めて難しい。また変化する国際情勢に合わせて、各国のバランスを取ることも難しい。しかし、ナショナリズムの時代に戻ることだけは避けなければならない。そんなときには、「広島」を思い出して欲しい。また「自分の国こそが第一」というナショナリストには、「自分たちだけで生きられるか」ということを考えて欲しい。

 一九六四年頃には、エコロジーの問題など、誰も考えていなかった。人類は、資源を消費し、廃棄物を捨てることにより、自分たちの生活空間を色々な面から壊し続けてきた。しかし、人類がそれに気づくまでには長い時間がかかった。人類は、何万年もの間に培われてきた自然界の均衡を、短時間で破壊してきたが、それがどの程度進んでいるかについて、まだ完全には気づいていない。例えば、少量では植物に有益であるリンを大量に使った。その結果として、アイオワの農民が、メキシコ湾で漁をする漁民を苦しめている。アマゾンの熱帯雨林や、サンゴ礁の破壊が進み、多くの動植物が絶滅し、エコシステムの破壊が絶え間なく進んでいる。そういう意味で、人類は大量破壊者であり、生活空間は滅亡の方向に進んでいる。

 最大の問題は気候変動である。ここ一万年、地球上の気候は安定し、それが人類の発展に寄与してきた。しかし、人類の発展の裏にある犠牲は大きかった。二酸化炭素など、温室効果ガスが、今や、想像を超えるスピードで、気候を変化させている。核戦争を除けば、気候変動は人類最大の脅威である。二酸化炭素の排出を減らさなければ、地球の温度は二度上昇する。そうすれば数々の問題が引き起こされ、住む土地を追われる人が大量に発生する。もし、両極の氷が融ければ、太陽光を反射しなくなり、もっと温度が上がる。我々はてぃっピングポイントに近づいており、我々は「今」何かをしなくてはいけない。

 このような問題に、ナショナリズム的な考えで、一つの国家だけで、対処できるだろうか。畜産業は環境破壊の大きな原因になっている。しかし、現在、細胞から肉を作ることも出来るようになった。このようなことは、一国では達成できない。他の国を巻き込んでこそ、効果が生まれる。その意味で、ナショナリズム、孤立主義は、核戦争より危険と言えるだろう。

 しかし、それぞれの国の利害が対立する。北極の氷が融ければ、ロシアは温暖化し、航路が確保され喜ぶだろう。また再利用可能エネルギーを、日本や中国は喜ぶが、ロシアやサウジアラビアのような産油国にとっては面白くない話である。ナショナリズムが、環境問題の解決を妨げているひとつの例、それは、米国がソーラーパネルに三十パーセントの関税を課したことである。それによって、米国の産業は守られるが、太陽エネルギーの利用は妨げられる。核兵器は見ることが出来るが、気候変動は見えにくい。その上、ナショナリストの中には、それを見ようとしない人間もいる。

 気候変動と同じように人類にとって脅威になっているのが、技術革新、特に情報工学とバイオテクノロジーの部門におけるものである。「デジタル独裁」が進みつつあり、必要とされない人が大量に発生しようとしている。世界中で同時に起こっている技術革新に対して、ナショナリストはどのように対処するのか。どこか一国で革命的な発明が行われれば、他の国も追従する。それが悪いことであれば、全体としてもコントロールが必要になってくる。そのモラルを定めないと、技術革新が人間の内面を危機に陥れ、フランケンシュタインの政界になってしまうのである。そして、ナショナリズムは、そのようなモラルを作ることができない。それは、地球規模で考えなければならない。

 次は「非有機的な生命」をどうするかということである。ホモサピエンスは霊長類の一種にすぎない。その身体的な制限はネアンデルタール人やチンパンジーと変わらない。そして、その思考方法は、間もなく情報技術やバイオテクノロジーの発達によって、AIに真似られるだろう。それでも、多くの人が、

「意識のあるのは有機物だけだ。」

と言うかも知れない。しかし、意識は作られるかも知れない。また、意識のない者に支配される危険性もある。そんなとき、ナショナリズムは全く意味をなさない。人々は、ナショナリズムの壁を越え、グローバルな視点で物を見ないといけない。イスラエルがパレスチナ人から国を守っている間にAIに支配されてしまえば、元も子もない。昔のナイル河治水のように、力を合わせなければ管理できないことがある。

 核兵器、環境破壊、技術革新の脅威は、人類存亡の危機と言える。しかし、この三つを合わせると意外な展開が見られるかも知れない。戦争は、科学技術を飛躍的に発達させた。人間は、困った時に意外な力を発揮する。環境問題も、人間の科学技術発達の起爆剤になることを期待したい。

一九五〇年代以降、超大国は戦争を避けてきた。核兵器を保有している限り、新たな戦争は、「核の均衡」を破ることになり、双方を滅ぼす危険があるからだ。しかし、攻撃を受けることなく、攻撃できる方法が開発されたらどうなるだろうか。また、核兵器が古くなる前に、試しに使ってみようと考える国が出たり、核兵器が第三者の手に入ったらどうなるだろうか。「核の均衡」が破られる可能性は色々ある。ライバル関係が強まれば強まるほど、共同で問題を解決することが困難になる。

ナショナリズムの波も、時代を逆行させることはできない。技術革新はどんどん進んでいる。もはや一つの国だけでは何も解決できない。また「共通の敵」は、団結の推進力となることもある。人類の三つの敵、「核戦争」、「気候変動」、「技術革新」に対して人類は団結していかねばならない。それはEU憲章を見ればよく分かる。「ヨーロッパ内の古い対立を乗り越え、団結して宿命に立ち向かう」。しかし、それは、国としてのアイデンティティーを捨てることではない。しかし、各国の歩調が乱れれば乱れるほど、統一行動は難しくなってくる。

これまで、独立運動に、多くの血が流れた。しかし、最近はそうではない。ヨーロッパでは、平和裏に解決されることが多くなった。他の地域もそれを見習うべきであろう。人類が生き延びるためには、各国が、ナショナリズムを越えた、世界の統一歩調のための義務を果たさなければならない。ナショナリズムは人類が生存してこそ達成されるのである。かつて、人々は、協力して問題を解決するために国を作った。それと同じように、今。人類共通の問題を解決するために、「世界市民」としてのアイデンティティーが必要なのだ。世界政府は別に必要ない。また、グローバル化と愛国心は別に矛盾しない。個々の政府が、「グローバル化」に興味を持てば、それでいいのだ。現在、選挙で誰を選ぶかについて、四つのポイントがあると考えられる。

@    核戦争を避けられるか。

A    地球温暖化に対処できるか。

B    テクノロジーを制御できるか。

C    二〇四〇年の世界を予想しているか。

過去を語るだけの政治家は、存在価値がない。

 

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