4章:平等――データを制する者が未来を制する

 

 技術の進歩は人間に平等をもたらすと信じられていた。事実、インターネットの普及により、世界中どこでも情報にアクセスできるようになり、国や地域による格差は狭まった。しかし、人間社会の中にある階級、格差は、広まっているように思われる。

不平等は、狩猟採集社会からあった。墓の副葬品を調べると、贅沢なもの、なにもないもの、色々な墓がある。しかし、所有物自体が少なかったので、大きな格差とはならなかった。農業革命以降、人々の所有物は爆発的に増え、格差も劇的に広がった。そして、その「格差」を正当化するための理論も生まれた。最たるものは「神から与えられたもの」という説明である。そのうち、格差は結果だけではなく、規範、理想となった。格差がある方が、誰かが誰かを治めるとう体制が整い、社会が安定するからである。当時は社会が、人間の身体に例えられた。頭、手、足、それぞれ違う働きの者がいて、身体が、社会が成り立つという説明である。産業革命、帝国主義の時代には、作業員や兵士なので、多くの人手が必要になった。そこで資本家、労働者という新たな格差、差別が生まれた。

二十世紀に入り、階級、人種、性別による格差は徐々に縮小していった。二千年に渡って続いた格差、不平等が次第に取り払われていった。さらにグローバル化の時代を迎え、世界中どの国でも同じように生活できるという夢が広がった。確かに社会の間の格差は少なくなったが、社会の内部での格差が、最近になって、広がりつつある。世界人口の一パーセントの金持ちが、世界の富の半分を所有している。上位百人の資産が、貧しい方から数えて四十億人の人と同じだという。そして、今や、その格差はどんどん大きくなっている。

バイオテクノロジーの進化は、経済的な格差を、生物学的な格差に変えようとしている。今後、肉体的、認知的な能力を改善する方法が見つかれば、やがて、金持ちが「寿命」を買い漁る時代が来るだろう。これまで、王や貴族は、自分たちの優越性を正当化しようとしてきた。しかし、彼らが生物学的に優れていたわけではない。あくまで、経済的、政治的な優等生が、何らかの理論で正当化されていただけである。しかし、二一〇〇年ごろには、より良い肉体と頭脳を買うことができる金持ちは、生物学的にも優れているという時代になるかも知れない。バイオテクノロジーとAIの発達は、一部の人間を「超人間」化し、残りの人間を「役立たず」にしてしまう可能性がある。そうすれば、国家は「役立たず」の大衆に対する投資をやめてしまうかも知れない。特に発展途上国では、その傾向が強くなることが考えられる。国際化によって、横の格差は狭まるだろうが、縦の格差である貧富の差は広がって行くだろう。それに対抗するために、エリートに対する反対運動が起こる可能性もあるし、非グローバル化が選ばれ、孤立主義を採る国が増える可能性もある。

これまで大衆は、安い労働力、消費者としての存在意義があった。しかし、二十一世紀になり、オートメーションが益々盛んになると、労働力としての意義は失われつつある。その中で、富を一部のエリートだけに独占させたくないなら、データ所有の方法をきちんと定めなければならない。

かつては土地、そして産業革命後は生産手段が、富の象徴であった。それを一部の人々に独占させないように、色々な力が働いてきた。今後はデータに対して、それを考えなければいけない。データコントロールをめぐる争いはもう始まっている。まずは、「注目度をコントロールする」ということから。SNS企業が、注目度を集めるために、無料のサービスを提供し、それによりデータを自分のところに囲い込んでいるのだ。企業の狙いはもちろん、顧客に商品を売ることである。その商品選びを、人間からアルゴリズムに移そうとしているのだ。例えばグーグル。グーグルは常に最良の選択をすると消費者に信じさせようとしている。グーグルの狙っているのは、

「私は車が欲しんだけど、どんな車を買えばいいのだろう。私の好みは分かっているはず。推薦してくれない?」

そんな買い方なのだろう。

「データ巨人」と呼ばれる企業は、現在、莫大な金を集めている。その目的は何だろう。単に決断を下すだけではなく、有機的な生命を操作できるようにAIを誕生させることなのだろうか。前提は「データは価値を持つ」ということである。人々は無料のメールやビデオを楽しむことと引き換えに、データを差し出している。それは、かつてアメリカやアフリカで、西洋諸国が、僅かな対価と引き換えに、土地をどんどん買い上げて行ったことと似ている。売ってしまった人間が、その損失に気づいたときには、もう後の祭りだったのである。気が付いた時には、全てのデータを盗まれてしまっている。また、「データ巨人」の目指すところは、人間を機械と結び付けることにより「ネットワーク中毒」にして、ネットワークなしでは生きていけないようにすることもあるだろう。

データは誰の物であろうか。もし全ての国民の「バイオメトリック」なデータが政府に渡れば、政府は国民を容易に操作できる。DNAや脳のデータとなると、もっと深刻である。データは政府の物?それとも企業の物?それとも他の集合体の物?もし、政府がそれを所有すれば、「デジタル独裁」が始まる。政府はオーケストラの指揮者のように、国民を操れる。また「憎悪」や「不安」などの感情を、国民に搔き立てることもできる。そうなると、政治は、政府の指揮するサーカスに成り下がってしまう。データを政府が所有しても、企業が所有しているより、良いことは余りないようである。

「自分のデータは自分で管理する」という人もいる。これまで人類は土地や生産手段を所有管理していた。しかし、データ管理の経験はこれまでない。データは瞬時に動き、管理が極めて難しい。現在、データをどのように所有するか、それが最重要課題である。それに回答できない、政治、社会システムは崩壊してしまう。では、バイオテクノロジー、情報システムの革命にどう対処すべきなのか。誰がそれを決めるのか。話を続けよう。

 

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