「昼の時間」
Mittagsstunde
デルテ・ハンセン
Dörte
Hansen
(2018年)
ウィキペディア、ドイツ語版より。2018年フランクフルト書籍見本市で。
<はじめに>
ドイツのフリースランド地方と日本の京都、場所は離れているが、私はこの本を読んで、とても懐かしい気がした。一九六〇年代の社会、それが徐々に変わっていき。現在の姿になった過程を描く物語。人の変化を中心に描いているのが面白い。
<ストーリー>
ドイツ、北フリースランド地方のブリンケビュール村。一九八〇年代。マレット・フェダーセンにとって、自然界の変わった出来事は、全て大きな災害の予兆だった。魚、鳥、木、動物、それらの異変を見つけては、彼女は家々を回り、
「世の中の終末は近い。」
と村人に説いて回った。村人はそれに慣れっこになり、マレットの言うことに耳を貸す者はいなかった。彼女は冬でも木のサンダルを履き、それをカラコロ言わせながら村中を歩き、裏口から人々の家に入り込んでは、奇妙なスケッチを家の中に残していた。彼女は自分の世界の中に生きている女性だった。マレットの父、ゼンケとエラは、村で宿屋を営んでいた。
一九六〇年代の中ごろ、ゼンケ・フェダーセンの宿屋は村の人寄場所だった。特に村の男たちはそこに集まり、ビールや火酒を飲んでいた。折しも、村中の測量が始まり、測量技師たちが宿屋に泊まっていた。十七歳のマレットは歌が好きで、客たちと一緒によく歌っていた。彼女は宿屋の仕事に興味を示さず、せいぜい飼われている数匹の動物をするくらいだった。ある夏の日、宿屋でバンドの演奏があり、彼女はバンドをバックに歌謡曲を歌う。それを聞いていた測量技師のひとりが、マレットに声を掛ける。
数週間後、母親のエラは、娘が起きて来ないので彼女部屋に見に行く。娘は布団を被って寝ている。そんな日が続いた後、エラは娘を無理に布団から引っ張り出す。マレットは妊娠していた。父親は宿屋の客の誰かだと想像されたが、マレットはそれを明かさなかった。予定日が近いある日、マレットは、厩舎の二階の隙間から一階の土間に転落する。彼女は骨折し、病院へ運ばれる。
入院中、帝王切開で男の子が生まれる。ゼンケとエラは、母子を家に連れて帰る。マレットは育児にまったく興味を示さない。赤ん坊は、ゼンケとエラが育てることになる。男の子はイングヴァーと名付けられる。彼は、祖父であるゼンケとエラを「父さん」、「母さん」と呼び、母親であるマレットとは姉のような立場で成長する。事故の怪我がもとで、マレットの足は不自由になり、靴が履けなくなる。彼女は、冬でも木のサンダルを履いて過ごす。そして、「エホバの証人」のパンフレットを持って村の家々を回り、「世の中の終わりは近い」と説き始める。両親や村人、教会の牧師も、諦めてしまい、マレットにやりたいようにやらせておく。
村の小学校には、住み込みの教師、シュテーンセンが働いていた。独身で、学校の建物の中に住んでいる彼は、何十年にも渡ってブリンケビュールで教えていた。北フリースランド地方では「プラットドイチュ(低地ドイツ語)」が話されていたが、シュテーンセンは、子供たちに「ホッホドイチュ(標準ドイツ語)を話すことを強要していた。それを守れない者たちには体罰も辞さない厳しい教師だったが、後年、エラ・フェダーセンと不倫関係があったことが判明する。
イングヴァー・フェダーセンは成長し、大学入学資格を得る。彼はミリタリーサービス(兵役)の代わりに社会福祉サービスを選択し、老人ホームで働く。彼はその後、キール大学で考古学を専攻。博士号を取り大学に残る。彼は同じ「ヴォーンゲマインシャフト」(一つの家に共同で住む)で三十年近くを過ごす。五十歳に近づいた今も独身である。二〇一二年、イングヴァーは、九十三歳と九十一歳になった、祖父母を世話するために、一年間休職し、ブリンケビュール村に戻ることにする。マレットは家を飛び出し、行方不明になっていた。彼は、宿屋を手伝いながら、久々に故郷の村に住むことになる。祖父のゼンケはまだしっかりしており、宿屋の仕事にも出ていたが、祖母のエラは認知症になり、ヘルパーの世話を受けながら暮らしていた。
十二月の末、イングヴァーは、同居人であった女性、ラグンヒルト・ディーフェンバッハの誕生日のパーティーのために、キールに戻る。家には、長年同居人だったクラウディウスを始め、多くの知人が集まっていた。彼らは学生のときから実に三十年以上、その家で共同生活を送っていたのだった。家事を殆どしない他の二人に代わり、イングヴァーは掃除や料理を三十年間引き受けていた。彼は夕食によくパスタを茹でた。ラグンヒルトは、それまでイングヴァーの愛人のような立場だったが、イングヴァーが出てから、クラウディウスと懇意になっていた。今回も、イングヴァーは彼らのためにパスタを作る。
久々に故郷に戻ったイングヴァーは、その変容の激しさに驚く。道路が付け替えられ交通量が増えていた。農家が仕事をやめ、その跡に都会の人間の別荘が立っている。女性が車を運転するようになり、皆が近くのスーパーに買い物に出かけるようになり、村の食料品店はさびれていた。村の小学校は閉鎖され、子供たちは近くの街のもっと大きな小学校に通うようになっていた。夕方宿屋のバーに来る男たちが少なくなっていたが、イングヴァーはその中に昔の同級生を何人が見つける。宿屋自体も、厩舎を潰して駐車場を作り、車でやって来る客の便宜を図っていた。
イングヴァーは、ゼンケとエラの「鉄婚式」(結婚七十周年)のパーティーを企画する。彼はキールの同僚も含め、五十人くらいのゲストを呼ぶ予定だった。ゼンケも、それを楽しみにし、そのために着る背広にブラシをかけ、靴を毎日磨いていた。かし、一週間前にゼンケは亡くなる。パーティーの日は、葬式となる。棺にはゼンケが、着るのを楽しみにしていた背広姿で収まっていた・・・・
北フリースランドの位置
<感想など>
「何と読みにくい小説だ!」
最初、私は頭を抱えた。時代が各章ごとに飛ぶ。八十年代から始まるが、六十年代、八十年代、二〇一〇年代と、時代が行きつ戻りつして、ストーリーが進んで行く。
「この時代はいつなのか?」
まず、それを解明しないと筋が追えない。もう少し読者に時代を類推する糸口を与えてくれる工夫が欲しかった。
主人公は、村で宿屋を営むフェダーセン家のメンバー、マレット、ゼンケ、エラ、イングヴァーだが、その他の村人たちの変化も詳しく描かれる。村でバンドを結成しているハニ、食料品店の女主人、ドーラ・コープマン、そして、教師のシュテーンセンなどである。
シュテーンセンは、生涯のほぼ全ての時間、ブリンケビュール村の小学校に奉職し、何世代にも渡る卒業生を送り出し、最後は引退して町に戻る。滅多に感情を表に出さない、常に生徒との距離を保とうとする教師、私は、やはり小学校の教師をやっていた、義理の祖父を思い出した。シュテーンセンの方針はふたつ、
「出来る子は伸ばすが、出来ない子には多くを望まない。」
という一種の切り捨て教育。それと、徹底して
「学校の中では標準語を話せ。」
という言語教育である。しかし、この堅物先生が、実は不倫をしていたというのは面白い。シュテーンセンは生徒に結構容赦ない体罰を与える。私は、イングヴァーと同じく、一九六〇年代に小学校へ行っていた。今では考えられないことだが、当時は、体罰が普通だったのだ。教師の言うことを聞かない子供たちは、容赦なく叩かれた。家に帰ってそれを親に言っても。
「叩かれるようなことをするおまえが悪い。」
で済まされる時代だった。
私は一九六〇年代京都に住んでいた。家の前の道が舗装され、下水道が通り便所が水洗になり、スーパーマーケットが出来、上賀茂から来る農家の小母さんの野菜売りが大八車から軽トラに代わり、ロバのパン屋の屋台をロバが引かなくなり、路面電車が次第に廃止され・・・そんな変化を眺めていた。北フリースランド地方の「近代化」を読んでいると、何故か違和感がなく、自分の体験と合わせて理解できてしまうのが面白い。
ドーラ・コープマンは食料品店「エディカ」の主人である。私がドイツに住み始めた頃、どんな小さな村でも、一応食料品店兼雑貨店が一軒はあって、それが「エディカ」というチェーン店、あるいはフランチャイズであった。それも懐かしい。
「昼の時間
(Mittagsstunde)」とは、正午を指すのではない。ドイツでは、伝統的に、働いている人間は家に帰って昼食を取っていた。基本的に皆家にいるので、昼の二、三時間は「ミッタークスシュツンデ」、「ミッタークスパウゼ」と呼ばれ、街が静かになっている。その数時間のことである。私事だが、ドイツに住んでいるとき、「昼の時間」の間は、子供を外で遊ばせることが出来なかった。「昼寝」の時間でもあるので、騒がしくできなかったのである。今は、皆、仕事場で昼食を取り、夕食がメインになりつつあるので、「昼の時間」の伝統は、だんだん廃れているかも知れないが。
ともかく、私にとって懐かしさのこみあげてくる作品であった。
舞台となる「北フリースランド地方」は、ドイツの北方、ユトランド半島の東側の付け根、北海に面した場所である。平らで、干潮時には広い干潟ができるで有名。オランダと同じように、堤防で囲まれた町が多いという。
作者のデルテ・ハンセンは、一九六四年、北ドイツのフーズム生まれ、北フリースランド地方のヘーゲルという町で育っている。彼女自身が生まれたときは低地ドイツ語を話し、小学校で初めて標準ドイツ語に触れたと言っている。キールの大学で社会言語学、英文学等を治めた後、ハンブルク大学で博士号を取っている。その後、長年、ドキュメンタリー番組の制作に携わり二〇一五年に最初の長編小説を発表した。二〇一九年に出版されたこの小説で、彼女は数々の賞に輝いている。
(2020年4月)