テサロニキ
テサロニキのシンボル、ホワイトタワー。監獄に使われていただけあって堅固そうな建物である。
十月二十六日の昼前、妻と僕の乗ったオレンジ色のイージージェット機は、テサロニキ空港に降りた。タラップを降りる。肌寒い。気温は十三度のとの案内だった。妻と僕はハルキディキ半島のリゾートで、六日間の休暇を過ごすことになっていた。
「これやったら、ロンドンの方が絶対暖かいで。」
とふたりで同じことを言う。
「う〜ん、何のためにギリシアに来たんやろ。」
もちろん、暖かさと太陽を求めて。そして、今まで、その期待はこれまで裏切られたことはなかったのに。確かに、今年のロンドンは夏も秋もずっと異常に暖かかった。「ハイティーン」という言葉が、十月になっても天気予報で流れていた。年齢のことではない。気温が十五度から二十度の間であることを表すのだ。雨が降った後なのか、空港の滑走路には水たまりが見える。
テサロニキのマケドニア空港は小さな空港であった。あっと言う間に外に出る。予約を入れていたレンタカー屋に電話して、お兄ちゃん電話して迎えに来てもらう。
「日本人に会ったのは生まれて初めて、感激〜!」
とお兄ちゃんは言った。「世界制覇」を目指す日本人観光客も、さすがにここまでは来ていないようだ。
車でまずテサロニキに向かう。テサロニキはアテネに続くギリシアで二番目に大きな都市である。マケドニア地方の中心だ。マケドニアと言えば、アレキサンダー大王の出身地。大王は紀元前三五六年に生まれ、アリストテレスを家庭教師に持ち、父フィリッポス二世の死に伴い、二十歳の若さでマケドニア王として即位した。彼の国は、それまでさほど強い国ではなかった。戦争をしても、
「また、負けどにあ。」
と他国に言われていた。アレキサンダーは、そんな国を強国に仕立て、当時の勢力を誇っていたペルシアに勝利し、エジプト、中東からインドに至るまでの大帝国を作り上げた人物。
「今日は祝日で、街でセレモニーがあるから、駐車場が見つからないかも知れないよ。」
とレンタカー屋のお兄ちゃんが言ったが、その通り。市街に入り、海岸沿いを走るが、車を停める場所がない。街の中心のアリストテレス広場では、軍楽隊が音楽を奏で、何かの式典をやっていた。
「ホワイトタワー」という円筒形の石造りの建物のすぐ傍に車を停める。この建物は、テサロニキのシンボル的な存在。かつては監獄として使われていたそうである。「海の見えるスターバックス」で簡単な昼食を取り、海岸沿いのプロムナードを歩き出す。
ヨーロッパの観光地はどこもそうだが、地面に広げた布の上に偽物ブランド品の鞄を並べて売っている、黒人の若者がいる。警察官が近づいたのか、彼らはある時突然居なくなる。しかし、二十分ほどするとまたどこからともなく現れ、「店」を広げている。
これもテサロニキのシンボルのひとつ、ガレリウスの凱旋門。レリーフが美しい。