「夢の中では嘘をつけない」
Störst av allt
(何よりも)
Im Traum Kannst Du Nicht Lūgen
2016年
マリン・ペルソン・ギオリト
(Malin Persson Giolito)
<はじめに>
二〇一六年の、スウェーデン、犯罪小説作家アカデミー賞を受けた作品。著者のマリン・ペルソン・ギオリトは、同賞を三度受賞したリーフ・ペルソンの実の娘である。
<ストーリー>
高校の教室。マーヤ・ノルベリは立ちつくしている。教壇では、担任の教師クリスター・スヴェンソンが死んでいる。窓際ではアマンダが、その他、街で一番金持ちであるセバスティアンが・・・マーヤを除く全員が血を流していた。
裁判、第一日目、月曜日。
マーヤは法廷を学校の授業の一環で見学したことがあった。しかし、自分がその場に被告人として出席しようとは夢にも思っていなかった。傍聴席は多くの人々で埋まっている。
「皆、自分を見に来たんだ。」
とマーヤは思う。隣の席には、弁護人のペダー・サンダーが座り、その横にサンダーの二人のアシスタント、女性のフェルディナンドと、マーヤが「ホットケーキ」と呼んでいる男が座っていた。傍聴席の最前列には、マーヤの父母の姿が見える。傍聴席の大多数はマスコミの人間であった。法廷を見学した際、教師のクリスターは、
「被告人は、有罪を言い渡されるまでは無罪だ。」
と説明した。しかし、父母を除く傍聴席の人々は、マーヤを既に「殺人犯人」として見ているようであった。
サンダーは、マスコミにも頻繁に登場する著名な弁護士であった。彼は、感情を表面に出さないタイプで、マーヤは彼に好印象を持っていた。
「まだ有罪判決を受けていない自分は無罪だ。」
とマーヤは自分に言い聞かせる。
マーヤは、母親の選んだブラウスを着ていた。
「女性は、着るものによって変身できる。」
というのが母親の意見だった。マーヤは前夜、母親に電話をしていた。
「心配しなくていい。きっと良くなるから。」
と母親は電話口で繰り返した。事件の前、母親はマーヤに余り関心を示していなかった。しかし、マーヤは、自分と母親の関係はそんなに悪くないと思っていた。また、母親も、マーヤのことを、手のかからない子供だと思い、学校の成績のよいことにも、誇りを持っているようであった。
「ようこそ、法廷へ。」
と裁判長が呼びかけ、裁判が始まった。未成年者が被告の場合としては異例の、公開裁判であった。それは、サンダーの作戦のひとつであるという。九カ月前、事件があって以来、町の中では、若者による暴動が続いていた。そのことを知らされたマーヤは、
「私がその暴動の引き金になったのかしら。」
と考える。女性検察官のレナ・ペルソンが口火を切る。傍聴席には、記者たちと、画家がペンを取り始める。マーヤは、自分の本当の友達が誰だったのかと考える。セバスティアンとは何時も話をしていた。そして、アマンダともよく話していた。しかし、マーヤには彼らが本当の友達であったのかどうか、今ではよく分からなくなっていた。
マーヤはアマンダと一緒に居るのが好きだった。一緒にパーティーへ行って酒も飲んだし、色々馬鹿なこともやった。アマンダは、両親や周囲に甘やかされて育ち、自己中心的な娘だった。困ったことがあっても、誰かが必ず助けに来てくれると信じているようであった。アマンダは時々、新聞にシリアスな投稿をし、政治的な発言もした。しかし、マーヤはそれを表面的なものだと考えていた。
「アマンダは、チェ・ゲバラがどこの国の人間なのかも知らなかった。」
とマーヤは呟く。検察官は、マーヤが事件の四日前にアマンダに書いた、
「もうすぐこの春は単なる思い出になるわ。」
というSMSを、マーヤが犯行を準備していた証拠として提出する。
検察官は、次にセバスティアンについて話を始める。マーヤは、セバスティアンが「ロックスター」のような人間であったと思う。町一番の金持ちの家の息子で、皆、彼と一緒にいたがっていた。事件のとき、マーヤはセバスティアンの出血を止めようとした。しかし、セバスティアンは、彼女の膝の上で息絶えた。
マーヤは傍聴席の母親の方に目をやる。母親は震えていた。母親はアマンダもセバスティアンも好きだった。マーヤの拘留は、事件の三日後に決定された。その間に、警察が、自分の家を捜索し、携帯や、パソコン、下着までを押収したことをマーヤは知っていた。マーヤは、自分が母親を憎んでいることに気付く。
「私のことを分かっていると思っているから。」
と言うのが、その理由であった。
女性検察官、ペルソンの話は延々と続く。傍聴席には、アマンダや、その他の被害者の家族も座っていた。マーヤは
「被害者の家族は、自分の死ぬことを望んでいる。」
と感じる。ひとりの黒いヴェールをかぶった女性が傍聴席で天を仰いで泣き出した。被害者の身内のようであった。その女性は法廷外に連れ出される。サンダーによりと、審理は三週間続き、今日、初日は「サマリー」の日であるという。しかし、検察官の話は一時間を超えても終わらない。マーヤはその場から出たくて堪らなくなる。
マーヤは事件のあった日の朝のことを思い出していた。その日、マーヤが朝食に降りていくと、両親がマーヤに話をしたいと言った。
「誰かが警察に垂れ込んだのか。」
マーヤは考える。マーヤは両親と話す気になれなかった。そこへセバスティアンから電話が架かる。
「時間がないの、夜にゆっくり話すから。」
そう言ってマーヤは家を出た。
検察官は、殺された人々の写真を順にスクリーンに映し、学校の建物も映した。検察官は、全てを知っている、全能の神であるかのように話した。
「勝手にひとつのストーリーを作り、それに合うように話している。」
マーヤはそう感じた。
検察官の話がやっと終わり、次は被害者側の弁護士が話す番になった。それは短く終わり、法廷は休憩に入った。被告側には専用のトイレの付いた、特別の控室が準備されていた。休憩中、他の人々と顔を合わさないようにするためであった。控室では誰もが黙っていた。マーヤはサンダーのプロ意識には一目置いていた。サンダーは、
「犯行はあくまでセバスティアンが計画、実行し、マーヤはその場になるまで、計画について知らなかった。たまたまそこに居合わせただけであり、無罪である。」
というストーリーを用意していた。
マーヤは両親のことを考える。母親は、莫大な遺産で裕福な生活をしたが、その金を失うことを怖れ、金には細かい女性であった。父親は「投資コンサルタント」ということになっていたが、マーヤは父親が働いているのを見たことがなかった。マーヤは妹のレナを不憫に思っていた。自分が眠れないときなど、マーヤはレナを自分のベッドに入れ、彼女の横で寝ていた。
「レナが怖い夢をみてうなされていた。」
マーヤはそんな理由をつけた。彼女が傍にいると、不思議にマーヤの心は落ち着いた。レナは翌朝、「怖い夢」について話すのだった。
休憩が終わり、サンダーが話を始める。マーヤはサンダーの言葉に不安を感じ始める。セバスティアンとマーヤが教室に入って、全てが終わるまで、三分も掛からなかった。銃が発射されていた時間は、ほんの一分か一分半だとマーヤは思う。警察は十九分後に教室に入ってきた。
「全てはセバスティアンに始まり、セバスティアンに終わった。」
マーヤはそう思う。
マーヤは、セバスティアンとの最初の出会いを思い出す。それは彼女が五歳、幼稚園の時だった。母親に連れられた、ファーゲルマン家の横を歩いていると、気の上からマーヤの名前を呼ぶ者がいる。それがセバスティアンだった。セバスティアンは当時から、同世代の子供たちの間で人気者だった。その一週間後、マーヤとセバスティアンはキスをした。セバスティアンはマーヤの身体を触った。そして、その後、マーヤは十三年間待たなければならなかった。
サンダーは、マーヤを本名の、マリア・ノルベリではなく「マーヤ」と愛称で呼んだ。その方がよいという。サンダーは、マーヤのことを、
「マーヤは早熟、知的だが、自分に自信を持てないで、他人に影響されてしまう性格だ。彼女は、大人の世界に疲れているとき、セバスティアンと出会った。彼女は、自分では何も決めていない。したがって責任はとれない。」
と、述べる。事実、マーヤは学校では、教師のお気に入りの、模範的な生徒だった。
「しかし、自分はわざとナイーブに振舞っていただけ。」
とマーヤは思う。サンダーは最後に、マーヤの肩に手を乗せた。その日の法廷は終わり、マーヤは迎えの車に乗って、刑務所へと戻る。
救急車、病院。
マーヤは担架に乗せられ、救急車に運び込まれていた。救急車の中で、彼女は、ぼんやりと、セバスティアンが新しいボートを買ってもらい、自分がそのボートに泊まったことを考えていた。その日、卒業試験が終わったパーティーが学校で行われるはずであった。
「そのパーティーはどうなるんだろう。」
彼女は考える。
「自分以外は皆死んだような気がする。」
彼女はそう考え、隣に乗っている警官にどうなったのかと尋ねる。しかし、警官は何も答えない。
病院に着いたマーヤは、服を脱がされ。数時間にわたり、身体中を検査される。その間、医者や看護師に、何が起こったのかと尋ねるが、彼らも何も答えない。数時間後、マーヤはシャワーを浴びることを許され、血の付いた身体を洗う。シャワーから帰ったマーヤは、
「父と母も死んだの。」
と警官に聞く。五分後に、警官はマーヤの父母を病室に連れてくる。ふたりは、五分間だけということで面会を許されたのだ。母親は何も言わず、ただ泣いているだけだった。父親は、
「ペダー・サンダーに連絡したから。」
と言う。マーヤはサンダーの名前に聞き覚えがあった。五分後、両親は病室を去って行った。
翌朝、病室のマーヤを中年の女性と、若い男性が訪れる。女性は、トイレの中まで、マーヤについてきた。マーヤは手錠をはめられ、病院のガウンのままで、外に出る。マーヤはそのとき、自分が家に帰ることはないと諦めた。玄関には大勢のマスコミが待っていた。記者がマーヤに殺到し、質問をする。
「あなたの友人たちが亡くなったが・・・」
しかし、その質問は、私服の女性警察官に遮られた。警察への道、マーヤは、大勢のマスコミ関係者の乗った車が、自分乗っている車を追いかけて来ているのを感じる。私は、翌日の新聞記事を予想する。そこには病院のガウンを着て、手錠をはめられた自分が写っているはず。
裁判、第二日目、火曜日。
マーヤが控室に入ると、アシスタントたちが用意した食事が置かれていた。アシスタントがチョコレートを、ピラミッドのように積み上げている。マーヤはそれを取って食べる。煙草を吸うことは、認められていないという。
法廷が再開され、女性検察官が話を始める。
「セバスティアンとマーヤは、自分たちを見殺しにした人間に、復讐しようとしていた。彼らは殺せるだけ殺して、自分たちの自殺するつもりでいた。セバスティアンは自殺したが、マーヤはそれが出来なかった。」
サンダーはリラックスして、検察官の話を聞いていた。マーヤは、
「自分は食べられるのを待つ食事、まな板の上の鯉のようなものだ。」
と思う。父母は今日も法廷に来ていたが、話はしなかった。母親がマーヤの髪を直しただけだった。母親は、マーヤが小さい時から、写真を撮る前にいつもそうした。
「被告人は事件に積極的に関与していた。被告人は、セバスティアンを愛していて、愛のためにそれをやったのだ。」
と検察官は声のトーンを挙げる。マーヤは、
「自分が何を言っても、信じる人はないだろう。」
と諦めの気分になる。検察官は、銃のレポートや、鑑識のレポートを、次々と提出する。
午前中はずっと、検察官が話していた。午後になっても、検察官は疲れることなく、マーヤと友人たちの間に交わされたSMSや、セバスティアンの家の監視カメラで撮られた映像を証拠として提示していく。その映像には、何か重いもの入った鞄を抱えて、マーヤがセバスティアンの運転する車の助手席に乗り込むのが写っていた。マーヤはもう、それらを聞いていなかった。
「セバスティアンやアマンダのお葬式はどんなのだったのかしら。」
マーヤはボンヤリとそんなことを考えていた。彼女は、事件の朝、リナに別れを告げなかったことを後悔していた。リナにもう会えないと思うと、それが一番悲しいことだった。
拘置所、第一日目。
少年刑務所内の拘置施設での一日目、午前中にサンダーがやってきた。
「私は何の容疑で逮捕されたの?」
とマーヤはサンダーに聞く。彼は、
「それを、時間をかけてひとつひとつ解き明かしていこう。」
と答える。午後に、警察官による尋問が始まった。尋問団を率いるのは、前日マーヤを病院から連れ出した、パーマ頭の女性であった。彼女は、子供に対するように、マーヤに話しかける。マーヤは、電話セールのような、装った馴れ馴れしさを、彼女に感じる。尋問はビデオに撮られていた。
「セバスティアンはあなたのボーイフレンドだったの?」
とパーマの女性はマーヤに尋ねる。マーヤは、セバスティアンについては何も話さないことを心に決めていた。それは、セバスティアンの父親にも密接に関係していた。別の警官が、
「あなたももう十八歳なんだから、知っていることは全て話しなさい。」
と言う。その言葉を聞いてマーヤは叫び出す。尋問は中止され、マーヤは部屋の外に運び出される。医者が現れ、マーヤに鎮静剤の注射をする。
マーヤが気付くと、四方を鏡で囲まれた小さな部屋の中にいた。そらく、鏡はマジックミラーで、二十四時間監視されているようだった。マーヤは、周囲の人々が、殺人者としての自分の死を望んでいると感じる。
翌朝、少し落ち着いたマーヤに対する尋問が続けられる。セバスティアンは、学校で銃を乱射する前、自宅で父親を殺していた。警察は、私がセバスティアンに宛てた、「父親は生きる資格がない、死ぬべきだ」というSMSを問題にしていた。セバスティアンの父親は、息子を憎んでいた。マーヤも彼の父親が大嫌いだった。それは、セバスティアンがドラッグをやっているからだとマーヤは思う。セバスティアンの父親は、前夜、マーヤに対しても、荒れた態度を取っていた。マーヤ、セバスティアンの催したパーティーについて警察に語るべきか迷う。そこにはふんだんにドラッグがあった。それは、デニスが持ち込んだものだった。
髪にパーマをかけた女性の尋問は続けられた。彼女は何度もSMSの内容について、マーヤに説明を求めた。時々サンダーが割って入った。パーマの女性は、イラつくことはあっても、感情を爆発させることはなかった。セバスティアンは、祖父と猟をする機会があり、銃の扱いに慣れていることをマーヤは知っていた。セバスティアンは、獲物の血を見ると、うっとりするとマーヤに話していた。
裁判、第一週最終日、金曜日。
マーヤは九カ月前に、少年刑務所から、女子刑務所に身柄を移されていた。警察が、自分を特に厳しく扱っていることを世間に示したいためだと、マーヤはその理由を考えていた。彼女は、家に帰ることを諦め、刑務所の服を、今の自分に合っていると考えるようになっていた。サンダーは、マーヤが見せしめのために、特に厳しく扱われていると、不満を述べていた。マーヤは時計をすることは許されなかったが、新聞を読むかとはできた。父母の訪問は禁じられていた。
金曜日、検察側の主張はほぼ述べられて、弁護側の陳述が行われることになっていた。マーヤは自分が、ガンを宣告された患者と同じだと感じる。「父親は生きる資格がない」と書いたSMSが証拠と持ち出されるだろう。それは、単にセバスティアンを助けるために書いたものだった。しかし、それがある限り、いかにサンダーが弁を弄しても、役に立たないとマーヤは感じる。マーヤは仮病を使って、裁判に出ないでおくことも考える。しかし、看守のスッセと話しているうちに、気持ちが落ち着き、裁判に出ることにする。スッセは、テレビ、菓子、睡眠薬などをマーヤに持ってきて、母親のように振舞っていた。
金曜日、マーヤは裁判所に着く。彼女は入念に化粧を整える。裁判が始まり、サンダーが犠牲者ひとりひとりについて話を始める。
「大人は、自分のストーリーを作り、それに辻褄が合うように、都合の良いことだけを聞こうとする。」
マーヤはそう思う。サンダーは、マーヤに
「質問だけに答えろ。」
と言っていた。これまでの尋問でも、マーヤが警察の誘導にはまりそうになると、サンダーは休憩を取って、マーヤに本来のあり方を気付かせるようにしていた。
法廷の冒頭で、サンダーは、
「金曜日でもあり、一週間の裁判で被告人も疲れており、被告人の健康を考え、今日は三時に終わりたい。」
と述べる。マーヤは、サンダーが裁判を長引かせる作戦を取るのかと考える。裁判は予定より遅れる。しかし、サンダーは早めに昼休みを取ることを要求する。法廷では、マーヤが事件の日、セバスティアンの家を訪れ、十一分間彼の家に留まっていたこと、その間に何があったのかが、問題になっていた。
昼休みが終わり、法廷が再開される。教室で、セバスティアンが最初に射殺したのがデニスであった。デニスは、亡命申請中の黒人であった。マーヤは、セバスティアンが、決して人種差別的な理由でデニスを最初に殺したのではないということを知っていた。デニスは、西アフリカの国から来て、里親の下に暮らしていた。十八歳ということになっていたが、実際はもっと歳のように見えた。彼はスウェーデン語も上手にしゃべれず、最初はいじめの対象になったが、その後、ドラッグのディーラーとして、生徒たちに取り入るようになっていた。デニスは麻薬の売買で得た金で、結構裕福に暮らせるようになっていた。マーヤは、デニスがピストルを所持していることを知っていた。そして、セバスティアンはデニスを嫌っていた。
「セバスティアンがデニスを殺さなくても、いずれは麻薬売買のトラブルから誰かに殺されていただろう。」
と、マーヤは考える。サンダーは、
「デニスがセバスティアンの周囲から消えるのを望むことは、何の罪にもならない。」
とサンダーは述べる。
検察官は、
「マーヤがセバスティアンの家にいた『十一分間』に、彼女はセバスティアンが父親を殺したことを知った。その後、セバスティアンからクラスメートの殺害を頼まれた。マーヤはそれを拒否しなかった。拒否しないということは、協力したことになる。」
という論理を展開する。それに対して、
「マーヤが銃を撃ったのは、セバスティアンが自分に向かって銃を向けていることを知ったためで、正当防衛である。」
という論理を、サンダーは展開する。サンダーが、
「これ以上、証拠検証を始める段階ではない。」
と述べ、それに他の関係者も同意して、今週の裁判は早めに終わる。マーヤは刑務所からの迎えの車を待つ。マーヤが車に乗るために裁判所の外に出たとき、彼女は多くの報道陣に取り囲まれる。車に乗り込んだマーヤは、少なくとも週末の間、拘置所で静かな生活が送れることにホッとする。そして、今週はまだなかったが、来週は、自分とセバスティアンの関係が、裁判の話題になることを覚悟する。
セバスティアンとマーヤ
事件の起こった前の夏、マーヤは休暇中にホテルのフロント係としてアルバイトをしていた。夕方から翌朝にかけて、フロントで働くのが仕事だった。ある夜遅く、セバスティアンがホテルに入ってくる。マーヤがセバスティアンに会うのは幼稚園以来だった。マーヤは一年学年が上のセバスティアンが留年をし、来年自分のクラスに入るという噂を聞いていた。セバスティアンはトイレを借りにホテルに入ってきたのだが、直ぐにマーヤに気付いた。セバスティアンはマーヤの仕事が終わる翌朝までロビーで待っていて、ふたりは一緒にホテルを出る。帰りの電車の中で、セバスティアンはマーヤの膝枕で眠ってしまう。
その日の午後、マーヤは父母、妹とホリデーの旅行に旅立った。マーヤの家族は、ジュネーブまで飛び、そこからレンタカーでヨーロッパを回る予定であった。マーヤはセバスティアンのことばかり考えていた。
マーヤの家族がニースに着いたとき、ホテルにセバスティアンが訪ねてくる。セバスティアンは、父親のヨットに、マーヤの家族を招待したいという。マーヤの家族は、その日の夜、豪華なヨットの中で、セバスティアンと父親と一緒に夕食をとる。マーヤはそのとき、セバスティアンの父親と初めて会った。マーヤは、最初は良いエンターテイナーという印象を、父親から受けた。セバスティアンの父親は、マーヤと家族に気を遣い、マーヤの両親も、満足しているようであった。マーヤは、セバスティアンの兄がハーバード大学を卒業し、現在成功していること、母親が元ミス・スウェーデンの候補者だったことを知る。しかし、母親に関しては、何故か全く話題に上らなかった。
セバスティアンは、マーヤの両親に、
「マーヤをヨットに残し、あなた方と妹さんだけで旅を続けてくれないか。」
と頼む。両親もそれに同意をする。マーヤはヨットに泊まる。翌朝マーヤはテラスでセバスティアンの父親と会い、一緒に朝食をとる。そこへセバスティアンが起きてくる。ふたりが「おはよう」も言わないで相手を無視しているのを見て、マーヤは不思議に思う。
セバスティアンとマーヤは、ヨットで、モナコやイタリアの海岸沿いに旅を続ける。船の中には実に色々な施設があった。また、乗組員たちも皆マーヤに好意的で、マーヤはヨットでの旅を満喫した。
ヨットがイタリアのある港に停泊したとき、イタリア人のクライアントがヨットを訪れる。クライアント、父親、セバスティアンとマーヤが、岬の上のレストランへ夕食に行く。イタリア人は既に酔っており、坂道を登るのに苦労していた。セバスティアンがイタリア人に手を貸すと、父親の機嫌が急に悪くなった。レストランで、父親の注文した料理をイタリア人が変更すると、父親の機嫌は益々悪くなった。船に戻った後、マーヤは言い争う声を聞く。翌朝、彼女は、イタリア人が怪我をしているのを見る。
「あなたの父親がイタリア人を殴ったの?」
と驚いたマーヤはセバスティアンに尋ねる。
「放っておけ。」
とだけ、セバスティアンは答える。
「母親は出て行った。でも、内部のゴミを外へ持ち出してはいけない。内部で解決しなければいけない。そんな理由で、口外することさえ許されない。」
そう言ってセバスティアンは泣き出す。マーヤは彼を慰め、その後、ふたりはセックスをする。
九日後、ふたりはセバスティアンの父親のプライベートジェットで、ストックホルムに戻る。セバスティアンはマーヤを家まで送り届け、彼女の両親に挨拶する。マーヤは、セバスティアンとの関係が「ひと夏だけのもの」になると覚悟していた。
学校が始まる日の朝、セバスティアンがマーヤを車で迎えに来る。車の中でセバスティアンはマーヤを抱きしめ、マーヤは安心する。マーヤは、ヨットでの旅の途中に撮った写真を時々眺める。そして、自分が幸せそうな顔をしているのに反して、セバスティアンが少しも幸せそうでないことに愕然とする。
マーヤのクラスメートにとって、町一番の金持ちである、ファーゲルマン家の息子と同級生になることは、ある意味で、センセーショナルなことだった。授業が始まる。担任のクリスターが、休み中、どんな本を読んだか、クラスの皆に聞く。そのとき、少し遅れてセバスティアンが教室に入ってくる。驚きと好奇心のガスが教室に充満する。セバスティアンはマーヤの横の席に座り、机の下でマーヤの手を握る。この一年は、自分にとってこれまでと違う一年になる、マーヤはそう予感する。
セバスティアンの存在は、クラスメートや教師から、概ね好感を持って受け入れられていた。彼は、遅刻と忘れ物の常習犯だったが、それを咎める教師たちもいなかった。しかし、マーヤはセバスティアンとサミールが合わないことに気付いていた。お互い無視をしているだけではなく、二人の間には緊張があった。
学期が始まって九日後、セバスティアンがホームパーティーを開いた。彼の父親は留守であった。同級生や友人たちが招待されたが、セバスティアンの昨年までの同級生は、皆、大学に行っているのでいなかった。マーヤはアマンダと一緒にパーティーに向かう。セバスティアンは、マーヤを見ると、
「退屈なパーティーだ。」
と言って、彼女を海に誘う。水の中でふたりはセックスをする。パーティーにはデニス、それにセバスティアンと仲の悪いはずのサミールまで来ていた。サミールは、セバスティアンの去年までの同級生、ラッベに誘われて来たという。海から上がったマーヤは、身体を温めるためにサウナに入る。そこにはサミールが既にいた。サミールは酒か、ドラッグに酔っているようであった。サミールは、
「セバスティアンは中身のない、空のコーラ缶みたいな男だ。付き合うのはよせ。」
とマーヤに言う。
「少なくとも、あんたはここへ来て、彼の用意した薬や酒を貰っているんでしょ。だったら、少しは感謝しないと。」
と、マーヤは反論する。マーヤがサウナから出ると、パーティーの参加者は増えていた。プールサイドでは、ビキニ姿のアマンダが身体をくねらせて踊っていた。マーヤもバスローブを脱ぎ捨てて一緒に踊る。マーヤが髪を乾かしていると、音楽が急に止む。彼女が外に出ると、デニスが血を流して倒れ、サミールが警備員に捕まっていた。サミールは警備員につまみ出される。
「喧嘩がなければ、パーティーは面白くない。盛り上がってきた。」
とセバスティアンはマーヤにつぶやく。
パーティーのあった週末が終わり、月曜日、セバスティアンは、マーヤを学校から送った後消える。アマンダも病気で休み。授業のない時間、マーヤは図書室で過ごす。そこに、サミールが入ってきて、マーヤの隣の席に座る。サミールは、
「パーティーの席で言ったことは謝る。俺はあそこに行くべきでなかった。」
とマーヤに言う。マーヤはこれまで強気一辺倒だったサミールの知らない面を見たような気がした。
セバスティアンの家でのパーティーの後、六週間ほど後に、マーヤ、セバスティアン、アマンダ、サミールは、別の学校に通い、アマンダのボーイフレンドでもあるラッベの家に招待された。海辺の大きな屋敷である。マーヤは、ラッベの母が、息子のガールフレンドのアマンダを、実の娘にように扱っているのに驚く。食事が始まる。ラッベの父親も食卓に加わる。ラッベは学校の成績は良くなかったが、サミールが試験の前に彼を助けて、何とか進級を果たしたことは誰もが知っていた。セバスティアンはサミールに、
「いくら貰ったんだ。」
と尋ねる。サミールが無視すると、セバスティアンは更に激しい調子で質問した。ふたりの間に緊張が走る。それを和らげようと、ラッベの母がサミールに、
「サミー、ご両親はお元気なの。」
と尋ねる。サミールは、母親が、病院で看護師として働いていると答える。
「サミー、おまえの母親は弁護士じゃなかったのか?」
とセバスティアンはサミーに尋ねる。
「国では、父親は弁護士で、母親は医者だった。」
とサミールは答える。
「俺は、その『弁護士』の父親がタクシーを運転しているのを見たぜ。こっちで、看護師やタクシーの運転手をしている移民は、皆、自分の国では医者やエンジニアだったと言うのか?」
セバスティアンはさらにサミールに絡む。
「セバスティアン、もういい、それぐらいにしておけ。」
とラッベの父が割って入る。
「ヨーロッパで良い暮らしがしたいから、移民がヨーロッパにやって来るのよ。」
とラッベの母も助け船を出す。
「少しは大学卒もいるだろうが、皆が大学卒じゃない!」
とセバスティアンは言う。ラッベの父が立ち上がり、セバスティアンを散歩に誘う。
「この嘘つき男がここに座っているのに、どうして俺が行かなきゃいけないんだ。」
とセバスティアンは反抗する。しかし、ラッベの父親は彼を連れ去り、少しして、独りで戻ってくる。
「セバスティアンは家に帰ったよ。皆に済まないと言っていた。」
その後、誰も、セバスティアンのことを話題にしなかった。
夜、マーヤは自分にあてがわれた寝室から窓の外を見た。海岸に、サミールが独りでたたずんでいるのが見えた。私は彼の横に行く。
「十五歳で初めて学校に来たときは、本当にストレスの連続だった。」
とサミールは言う。
「セバスティアンの言っていたことは本当なの?」
とマーヤが聞くと、サミールは、
「両親は医者でも弁護士でもない。ラッベの両親からは金を貰ったことも事実だ。セバスティアンを追い出したラッベの両親には、感謝しなくちゃいけない。」
と答える。
「あなたは優秀なんだから、嘘をつく必要はないわ。」
とマーヤは言う。
「あんたたちは、何も分かっちゃいない。この国では『歴史』と『背景』が必要なんだ。」
とサミールは言う。そして、
「セバスティアンとやるときは、ちゃんと避妊をしろよな。」
と言って立ち去る。ラッベの家からの帰り、マーヤはセバスティアンの家に立ち寄り、彼を慰めるためにセックスをする。
クリスマスが近づいてきたある週末、セバスティアン、アマンダとマーヤは、クラブ「モンタージュ」に出かけた。人気のあるクラブはいつも外に列が出来ているが、セバスティアンはその列を乗り越え、いつも優先的に入場できた。セバスティアンは何度かそのクラブで問題を起こし、警備員につまみ出されたことがあるが、その特別待遇は変わることがなかった。セバスティアンは何度もトイレに行く。ドラッグを吸っているらしかった。マーヤはセバスティアンと、こんな生活に飽き始めていた。セバスティアンは、ハイになってわめき散らしていた。マーヤは彼の振る舞いに耐えられなくなっていた。かと言って、去ることも出来なかった。
サンタ・ルチアの日、学校の講堂で、米国人の女性ジャーナリストの講演会が行われていた。著名な講師を呼んだスポンサーはクラエス・ファーゲルマン、セバスティアンの父親であるというもっぱらの噂だった。講堂には、生徒たちだけでなく、保護者達も集まっていた。「世界経済は科学である」、というのが、講師の主張らしかった。講演がひとまず終わり、質疑応答の時間になる。サミールが、世界経済と、スウェーデンの現状、特に移民問題の現状との関係について質問する。マーヤは、サミールが、流ちょうな英語で質問することに驚く。サミールは更に、貧富の差の問題について質問する。世界中で、極めて少数の人間が、殆ど全ての富を握っている現状があるという。講師はセバスティアンに、意見を求める。講師は、セバスティアンが、今回のスポンサーの息子であることを知っていたのだった。
「富裕層が投資をし、職場を作らないと、貧しい人々は働く場所がない。」
とセバスティアンは答える。そして、その後、眠ったふりをしてしまった。サミールはその日のスターだった。講師もサミールの質問を「グッド・ジョブ」と評する。マーヤもサミールに、「良かった」というサインを送る。マーヤはセバスティアンと話をしたくなかった。彼女は独りでバスに乗って家に帰る。彼女は独りになりたかった。ドアのベルが鳴る。開けるとサミールが立っていた。マーヤは彼を家に招き入れる。
女子刑務所
週末、マーヤは良く眠れないまま、翌朝の散歩の時間を迎えた。刑務所での散歩は、二人一組だった。私はドリスという中年の女性と一緒だった。ドリスは一切話をしなかった。マーヤはドリスがどうして刑務所に来たのか、色々想像をして楽しんでいた。
サミールとキスをしてから、マーヤの生活はカオスだった。セバスティアンは、常にマーヤの居所を探ろうとした。マーヤは、セバスティアンの中に、理解できない物が育っているように感じた。
「サミールは私を助ける王子ではなく、毒リンゴだ。」
とマーヤは感じた。マーヤはサミールが転校してきたときのことを思い出す。エキゾチックで頭も良い、「きれいな男の子」だとマーヤは思った。
マーヤは今の刑務所での生活が嫌いではなかった。未決囚で、他人との接触が禁じられているので、独りの時間を過ごすことができるからだった。妹と会えないことが、唯一の苦痛だった。判決が出た後、どの刑務所に移され、どんな生活が始まるのか、それが不安だった。
裁判、第二週、月曜日。
月曜日の朝、マーヤは裁判所へと向かう。車にはサンダーが同乗している。法廷は暗く、ここで後二週間過ごすのかと思うとマーヤはゾッとした。今週は弁護側の話す番で、サンダーが、
「自分たちの主張の基礎を築きたい。」
そう言う。裁判長が
「マーヤ・ノルベリは殺人、ならびに殺人幇助罪で起訴されている。」
と口火を切る。サンダーは、
「被告はそのどちらに対しても否認している。」
と述べ、
「憶測と事実を明確に区別しなければいけない。」
と話す。サンダーは、マーヤが、クラエス・ファーゲルマンの殺人の計画を立てたという検察の主張は、全く根拠のないものであると一蹴する。
「確かに、セバスティアンは、精神的に不安定で、両親の離婚等家庭内での問題もあり、ドラッグの常用者で、銃が傍にありその扱いに慣れている・・・つまり、統計的に言って、殺人犯人である可能性が高い。しかし、マーヤにはどれも当てはまらない。マーヤは、検察側の主張するような人間ではない。検察は、マスコミに乗せられ、自分で作ったストーリーに合う発見だけを、無理やり並べているだけだ。」
と検察を非難する。裁判長は、サンダーに、具体的な話に入るように促す。サンダーはそれを無視するように、自分のペースでの陳述を進める。
「検察の言った状況は幾つかの例外を除いてほぼ会っていると思うが、念のために、もう一度自分で状況を再現してみた。これまでマスコミで報道されていた、検察側からの視点から一歩下がって、マーヤの視点から事件を観察してみた。」
とサンダーは言う。
「何が憶測で、何が事実であるかを明確にしたい。」
サンダーはそう繰り返す。サンダーは、事件のあった日、セバスティアンの家の玄関の監視カメラの映像を写す。三時半にマーヤが去り、七時にまたマーヤが現れるのが映っていた。
「三時半には父親のクラエスは生きていた。そして、七時にはもう死んでいた。その間マーヤは自分の家にいた。その間の出来事に対するマーヤの関与は憶測に過ぎない。」
と、サンダーは主張する。
マーヤはその夜の出来事を思い出していた。その夜、セバスティアンは家でパーティーを催していた。真夜中過ぎに父親のクラエスが戻り、父親は、私を除く参加者を追い出す。そして、セバスティアンと私に向かって、
「直ぐに出ていけ!もう帰って来るな!」
と怒鳴った。ふたりは散歩にでかけ、戻ると、父親は台所に抜け殻のような格好で座っていた。
その夜、マーヤがセバスティアンに打ったSMSが再びサンダーの手によって表示される。
「あなたの父親は必要ない。」
夜三時半から、朝七時にかけて、マーヤは二回セバスティアンに短い電話をした。検察によると、そのとき「父親を殺す段取り」が話し合われたという。マーヤはセバスティアンが、父親を嫌いながらも、一種の神格化をしていたと思っていた。セバスティアンはそんな父親の別の面を見てショックだったのだ。マーヤは、何とかセバスティアンの側に立ってあげたくて、そのSMSを書いたのだった。
「『必要ない』ということは『殺す』ということを意味するのでしょうか。電話の内容も分からない、SMSが何を意味するのか判然としない。確かに、セバスティアンは自分の父親を殺したいと思っていた。父親は、息子や家族を、侮辱し、精神的に虐待し続けていたから。」
サンダーがそう述べると、傍聴席の記者たちが色めき立つ。サンダーは続ける。
「マーヤがその日の朝、十一分間ファーゲルマン家にいたとき、父親が既に殺されているのを知り得て、セバスティアンの持つ鞄の中身が、爆発物と銃であることを知り得たのか。全ては憶測に過ぎない。検察側は、マーヤがセバスティアンの計画について知っていたことを、証明できない。」
「犯行に使われた武器は、ファーゲルマン家の数字合わせの金庫に仕舞われていたが、マーヤはその開け方を知らない。マーヤは、武器を運ぶのを手伝ったが、セバスティアンは、前夜父親に「もう帰って来るな」と言われ。そのための衣類や日用品を詰めた鞄を持っていても少しも不自然でない。爆発物の入った鞄は、マーヤのロッカーに入れられたが、ロッカーの鍵を持たないセバスティアンは、それまでも日常的にマーヤのロッカーを使っていた。」
次に、サンダーは自分なりに、犯行現場の再現を行う。
「セバスティアンは鞄を一番後ろの机の上に置き、中から銃を取り出し、まずデニスを撃った。マーヤはそのとき後ろにいた。次にセバスティアンは教師のクリスターを撃った。マーヤは、鞄の中にもう一丁の銃があるのを見つけ、セバスティアンを止めさせるために、銃を取った。しかし、ロックされていなかったので弾が飛び出してしまった。それがアマンダに命中。次に自分も殺されると思ったマーヤはセバスティアンを撃った。それは正当防衛以外の何物でもない。」
また、サンダーは言う。
「捜査の結果を詳細に調べたが、マーヤがセバスティアンと一緒に殺人を計画していたことを示す記述はどこにもない。セバスティアンが独りで計画し、実行したことは明らかだ。」
検察官が思わず立ち上がる。
「そのような立場に置かれ、驚いた少女が何をするのか、説明していただきたい。」
サンダーは冷静にそう尋ねる。
昼休みに入る。午後の法廷は静寂に包まれている。マーヤはサンダーが、何故、スウェーデン一の弁護士なのか初めて理解できた。彼は百パーセント時が満ちるのを待っていたのだった。そして、一見無駄だと思われ、誰もしない、自分でもう一度一から調査するということをやれる人物だった。そして、もちろん、そこから出てきた結論に、人々は大きな興味を持つことになる。マーヤは、セバスティアンから渡された鞄の中身が武器であることを、実は薄々気付いていたのだった。
その日の法廷が終わった。翌日はマーヤ自身や弁護側の証人が、証言台に立つことになっていた。法廷には、「マーヤは有罪ではない」という空気が流れ始めていた。被害者側からの証言はない。何故なら、被害者は全て死亡しているからだ。
「サミールも明日証言台に立つのかしら?」
マーヤはそう考えながら裁判所を去る。
サミールとマーヤ。
土曜日の朝、マーヤは自分のベッドでサミールと一緒にいた。昨夜から、サミールはマーヤの家に泊まっていた。マーヤの両親は留守で、セバスティアンも南アフリカに出かけていた。ここ六日間で、マーヤは五回サミールと寝ていた。セックスではマーヤがサミールをリードしていた。マーヤの携帯にSMSが入る。それを聞いて、サミールは、
「勉強しなきゃいけないから、帰る。」
と言い出す。マーヤは引き留めて、一緒に朝食をとる。セバスティアンは病気だと言うマーヤに対して、サミールは
「あいつには同情は禁物だ。そんな価値さえない男だ。」
と言う。サミールが帰ろうとしてドアを開けると、アマンダと鉢合わせになる。アマンダは何が起こっているのかを知って立ち去る。
その日の午後、マーヤはアマンダのいる厩舎へ行く。アマンダは、マーヤに腹を立てていた。マーヤはサミールとのことを誰にも言わないでとアマンダに頼み、アマンダもそれを約束する。
マーヤは何度もサミールにコンタクトを取ろうとするが、サミールは電話は取らないし、SMSにも返事をよこさない。マーヤは電車で、サミールの住む街に行く。そこは、モスレムの移民が住む地域だった。マーヤはその街を、生まれてから見た中で、一番醜いと思った。サミールのアパートに行き、ベルを鳴らす。小さいアパートに、父母、ふたりの弟が住んでいた。家族の誰も、マーヤに興味を示さない。サミールは、マーヤの訪問について怒っているようだった。彼はマーヤを外に連れ出し、駅まで行く。そこから電車に一緒に乗る。彼は口を利かなかった。中央駅でマーヤを別の電車に乗せる。
「俺たちは何度か寝ただけだ。特別な関係だなんて思わないでくれ。」
とサミールは別れ際に言う。マーヤは寒さの中、凍えそうになりながら家に戻る。彼女はセバスティアンに電話をする。
「お前の言いたいことは分かっている。」
とセバスティアンは言うが、そこで電話が切れる。マーヤはその夜、セバスティアンとサミールに何度も電話するが、ふたりとも電話を取らなかった。
マーヤはクリスマスの前に高熱を出した。しかし、マーヤの家族は、彼女の祖父を訪れることになっており、病気のマーヤも車の中で毛布にくるまりながら、祖父の家に向かう。彼女は道中、着いてからもずっと眠っていた。祖父の住む地域は、記録的な大雪にみまわれており、テレビのアンテナは倒れ、インターネットも不通になっていた。そこで、マーヤは家族と祖父と、静かな生活を過ごす。それはマーヤにとって最後の安心できる時間だった。マーヤは快復する。
クリスマスが終わった日、母親がマーヤを起こす。クラレスが電話をしてきて、セバスティアンが自殺を試み、精神科の病院に収容されたという知らせを母親に伝えたという。二時間後、マーヤは迎えに来たヘリコプターに乗って、セバスティアンの入院している病院へと向かう。誰も、マーヤがセバスティアンのところへ行くのは当然だと思っていた。また、彼女自身も、行かねばならないという、使命感のようなものを感じていた。
マーヤはセバスティアンの病室に入る。セバスティアンは泣き出す。マーヤも一緒に泣く。彼はクリスマスイヴにデニスと外出し、ドラッグをやっているうちに意識不明になって倒れたという。デニスはその場を去り、匿名で救急に電話があった。運ばれた先の病院で、意識を回復したセバスティアンは手首を切って自殺を図り、この精神科の病院に連れて来られたという。父親は、秘書をよこしただけ、顔も出さないで、スキーへ行ってしまった。兄は米国に帰り、母親とも連絡がつかない。セバスティアンは家族から見捨てられた状態であった。マーヤはセバスティアンと一緒にいることを決める。どうせサミールは自分を欲しくないことも分かったのだから。
「死ななければならないのはお父さんの方よ、あなたではないわ。」
マーヤは彼の耳元でつぶやいた。マーヤは、
「私がセバスティアンを助けたかったかどうか誰も聞かなかった。なのに、私がそれに失敗したことについて、皆が私を非難する。」
その、不公平さを感じる。
裁判、第二週、火曜日。
サミールは銃弾を三発浴びたが、唯一生き延びていた。検察側の証人として、サミールは、マーヤが故意にアマンダを射殺したと証言していた。サミールの出廷は、来週の月曜日に予定されていた。サンダーは、
「検察側は、自らストーリーを作り、そのストーリーに合うように、限られた証言や、捜査結果をつなぎ合わせている。」
と言う。しかし、サンダー自身も、自分の考える別のストーリーを作り、それに合わせて事実を組み上げているに過ぎないのでは、そうマーヤは感じる・・・
<感想など>
先ず、著者について。マリン・ペルソン・ギオリトは、スウェーデン、ミステリー界の大御所、リーフ・ペルソン(Leif G. W. Persson)の娘である。彼女は一九九四年にウプサラ大学を卒業、最初はルクセンブルクの欧州裁判所で働いていた。彼女はベルギーのブルージュにあるヨーロッパ大学でヨーロッパ法の修士号を取得した。また、彼女はスウェーデンのストックホルム大学とフランスのカトリック大学でも学んだ。一九九七年から二〇〇七年まで、ペルソン・ギオリトは法律事務所マンハイマー・シュワルティングに雇われたが、三人目の子供を妊娠したときにそこを去った。
二〇〇八年に、彼女はブリュッセルの欧州委員会で競争法の弁護士として働き始めると同時に、最初小説、「ダブルストローク」(Dubbla slag)の執筆を始める。二〇一五年以来、ペルソン・ギオリトはフルタイムの作家に転向、現在は家族とブリュッセルに住んでいる。彼女はまた、「アメリア」(Amelia)誌に寄稿し、そこで文学について論陣を張っている。二〇一七年七月五日に、ペルソン・ギオリトはスウェーデン・ラジオ P1のプログラムを主催した。
ペルソン・ギオリトの執筆活動は、小説「ダブルストローク」(Dubbla slag)で二〇〇八年に始まったが、二〇一〇年にはスリラー小説の「ひとつだけ」(Bara ett)、二〇一二年には「合理的な疑惑の向こうに」(Bortom varje rimligt tvivel)を出版。二〇一六年には、この「何よりも」(Störstav allt)が出版され、数々の賞を受けている。
この作品、法廷を舞台にしたものである。これは、法廷に実際何度も出た者でないと書けないと思った。著者が、法学を学び、その専門家として活躍したことを考え、なるほどと思った。
学校に於ける、銃の乱射事件をテーマにしている。最近は、銃乱射の「元祖」米国のみならず、ヨーロッパの国に於いても、学校やイベント会場で銃を乱射し、不特定多数の人間を殺害する時間が頻繁に起こっている。そういう意味では、現代の世相を反映した、タイムリーな作品と言える。
教室で、生徒によって、教師や同級生が射殺される。警察が教室に突入したとき、ひとりの少女だけが無傷でいた。彼女は銃を手にして、明らかに彼女の手にした銃から発射された弾によって、死亡した人物がいた。少女、マーヤ・ノルベリは逮捕され、殺人罪で起訴される。彼女の弁護を引き受けたのが、スウェーデン屈指と言われる弁護士、ペダー・サンダーである。弁護側は、マーヤの行為を正当防衛であり、無罪であると主張する。最終的に、彼女が有罪か無罪か、検察側と弁護側の丁々発止のやりとりが、法廷で展開される。これがなかなかの見ものである。
私は、この小説を読んで、「ルイーズ・ウッドワード事件」(Louise Woodward case)を思い出さずにはいられなかった。一九九七年、ボストンの裕福な家庭でオーペアとして働いていた十九歳の英国人、ルイーズ・ウッドワードが、その家族の八カ月になる幼児への、殺人罪で逮捕され、起訴される。幼児に暴力を加え、死にいたらしめたというのである。米国のこと、裁判はテレビ中継された。私もその裁判の中継を見ていたが、検察官が身振り手振りを交え、舞台俳優のように喋る様子に、大きな違和感を覚えた。ルイーズは、一度は殺人罪で有罪判決を受けるが、裁判長により「傷害致死」、懲役八カ月に減刑され、既に八カ月以上拘留されていた彼女は、服役することがなく、釈放される。その後、彼女は英国に戻ったと聞いている。この小説では、十八歳のマーヤが、優等生タイプの、少しポッチャリした少女として描かれる。私は、何故か、ルイーズ・ウッドワードとマーヤをダブらせながらこの小説を読んだ。検察側の主張の仕方も、ウッドワード事件と似ていると思う。
ドイツ語で四百五十ページを超える長い小説である。法廷の場と、マーヤの過去の記憶が交互に語られる。長いが、緊張感は持続されている。「ベニスの商人」の昔から、法廷劇というのは面白い。法廷での遣り取りがメインになっているが、意外に読み易い文章である。「夢の中では嘘をつけない」というタイトルは、マーヤが裁判の最終週の前に眠らないように努力したことによる。その理由が「夢の中では嘘をつけないから」と言うものであった。この作品二〇一九年にスウェーデンでテレビドラマ化されている。
(2019年7月)