シャルル・ド・ゴール空港のユーモレスク
今回京都で撮った写真の中で何故か一番気に入った一枚。
「今度も、最後にきつねうどんを食べるんでしょ。」
と、カレーうどんを食べながらチズコ叔母が言った。僕が日本に帰ったときの旅行記の最終章はいつもお決まり。関西空港で「きつねうどん」を食べ、誰かに(決まって女性であるが)電話をする。最後の写真はいつも「きつねうどん」。ワンパターン。しかし、実際そうなんだから仕方がない。
日本を発つ前夜、継母を訪れる。継母は水泳の日本選手権を見ていた。北島選手が優勝して、三度目にオリンピックの代表になったシーンを一緒に見る。継母は結構年齢がいってから水泳を始めたが、水中でリラックスをするのが上手いのか、なかなか速い。その日も、何か得るものがないかと思って見ていたという。研究熱心な人だ。
「お母さん、『喪が明けるまで待つ』なんて言わんと、気分転換に水泳でも俳句でもどんどんやって、誰かと話をするのがいいよ。」
と継母に言う。夫に先立たれ、これから話し相手がいなくて寂しくなると思うが、継母を見ていると、上手に気分転換をやってくれそうに思え、少し安心する。法律とはおかしなもので、父が亡くなった時から、継母と僕の戸籍上の関係はなくなった。けれど、僕にとっては、基本的に何も変わらない。
日本へ着いてちょうど二週間後の土曜日の朝、生母に見送られて京都を後にする。関空では、「きつねうどん」の慣例を破り「天ぷらそば」を食べる。いずれにせよ、日本での最後の食事というのは、ちょっとセンチメンタルな味がする。
しかし、今回も、飛行機に乗る前にイズミに電話してしまった。日本を離れるために飛行機にのる瞬間というのは、妙に胸が締め付けられるような気分になる。特に、病気の父や、独りになった母を残して帰るときはなおさら。イズミは直ぐに電話を取った。
「ごめん、飛行機に乗る前に誰かと話したくなって。」
「気分はどう?」
「昨日までは元気やってけど、今は最悪。」
「分かる、人間、守ってあげる人がいる間は強くなれるけど、いなくなると弱いもの。」
イズミはなかなか意味深長なことを言った。
関空からパリへ向かう飛行機の中で、僕はD君にもらった睡眠薬を飲んだ。しかし、良く眠れなかった。自分を包むレイヤーがもうひとつあり、そこは眠っているけど、本当の自分は眠っていない、そんな気分だった。
シャルル・ド・ゴール空港に着き、僕は疲れ果ててロンドン行きの飛行機を待っていた。子供がピアノで遊んでいるのが聴こえる。この空港にもピアノがあるんだ。アップライトのピアノを見つけ、子供が飽きて去った後に弾く。ドヴォルザークの「ユーモレスク」。
「この曲、ドヴォルザーク、ユーモレスク、私の一番好きな曲なんです。」
弾き終わったとき、ひとりのイタリア人っぽい白髪の男性が、英語でそう言いながら僕の方へやってきた。彼は僕の手を両手で包み込むように握手をした。照れくさかったけれど、嬉しかった。
<了>