代書屋

御室仁和寺の五重塔の前で。オーストリアのおばちゃんに撮ってもらった写真。

 

告別式からちょうど一週間後の月曜日、僕はK銀行の窓口で頭に来ていた。気の短い父だったらカウンターを叩いて怒鳴っていたと思うし、星一徹だったら「ちゃぶ台」を引っくり返していたと思う。隣で継母も憤慨している。

その朝、僕と継母は、父の口座を閉じて、残った金を母の口座に移す手続きのためにK銀行を訪れた。父の生まれてから死ぬまでの全ての戸籍謄本、法定相続人、つまり継母、姉、僕の戸籍謄本と印鑑証明、そして、全員が署名捺印した用紙を持って。ところが、書類が所定の物とは異なるため、受理できないという。

「そもそも、こっちはおたくの銀行の担当者が渡した書類を埋めてきただけや。その書類が違ってもそれはあんたとこの問題でっしゃろ。あんたとこで何とかしなはれ。」

と言うが、銀行の事務長と名乗る人物はどうしても受け付けない。別の書類を渡され、それに法定相続人全員の署名捺印をせよという。しかし、姉は今日福岡にいるのだ。仕方がないので、分かった振りをして一度家に帰り、書類を「捏造」することにする。幸い姉の実印は預かっている。それを押して、姉の筆跡を真似て住所氏名を書き、三十分後にまた母と銀行を訪れる。今回は受理されたものの、コピーを取るとかで、一時間近く待たされた。前にも書いたが、姉のアドバイスで、父の預金は全てK銀行に集めてあった。

「もし、預金が複数の銀行にあって、その数だけこんな手続きをしなくてはいけなかったらどれだけ時間がかかり、ストレスが溜まるだろう。」

そう思うとゾッとする。姉のアドバイスに感謝。

 その後、継母とふたりで自転車に乗り、遺言状の開封立会い申請のために家庭裁判所へ行く。風は少し冷たいが、天気の良い日、母とサイクリングも悪くない。家庭裁判所の窓口で、銀行に提出したのとほぼ同じ書類を渡し、手続きのための書類を書く。

僕:「お母さんの生年月日は?」

母:「昭和七年三月五日。」

僕:「職業は?」

母:「無職やろね。」

こんな具合に。このシチュエーション、どこかで見たことがあるぞ。

「そうや、桂春団治の落語、『代書屋』や。」

アホな男が代書屋、つまり司法書士を訪れ履歴書を書いてもらう。代書屋の質問にトンチンカンに答えて、履歴書がメチャクチャになる話。

「住所は、京都市北区紫野西藤ノ森町、風呂屋の向かい。そんなもん、どうでもよろし、向かいが風呂屋でも散髪屋でも。生年月日、それがおまへんねん、戦災で焼けてしもて。」

僕が独りで遊んでいるのを、継母は不思議そうな顔で見ている。

 ともかく、遺言状の開封立会い申請は無事受理され、遺言状は連休明けに、継母と裁判所の判事の前で開封されることになった。継母と僕はその後、昼食に海鮮丼を食べた。