ぬくもりの骨を拾いて
納棺前父の足に脚半と草鞋を結びつける継母。
「春浅し鉄扉に隔つ別れかな」(弘子)
父の白い棺がローラーの上を滑っていく。そして、エレベーターのようなステンレスの扉が自動的に閉じられた。その数分前に棺の蓋がずらされ、火葬場の職員が僕たちに、
「最後のご面会をなさってください。」
と言った。しかし、僕には正直余り興味がなかった。十一月にまだ生きている父に会ったときのことを、僕は父との「最後の面会」だと思っている。
昨年三度父の見舞いに日本へ戻った。いずれの回もロンドンへ戻る前日、父の病室を出ることは辛いことだった。これまでの人生であんな辛い瞬間はそうなかったように思う。
「もうこれで生きて父の顔を見るのは最後かも知れない。」
そう思うと、胸が痛んだ。父と握手をして別れ、病室の扉を閉めるときに、僕は振り返れなかった。自転車を漕ぎながら、涙が止まらなかった。
今、実際に白い棺に入った父の亡骸が火葬場の釜の中に消えていく。しかし、それは、僕にとって「かつて父だった物体」との別れに過ぎなかった。僕は自分でも驚くほどサバサバした気分だった。
その日、京都東山の中腹にある斎場は混んでいた。僕たちのように朝十時からの葬儀というのが多く、いわゆる火葬場のラッシュアワーの時間帯にかち合ったらしい。また、翌日が「友引」でお休みであることも理由らしい。待っている間、僕は久しぶりに会った従兄弟や甥や姪と話をして、結構「楽しい」時間を過ごした。待合室も混んでいて、座れない人も大勢いた。全員が黒い服を着ているのは、ちょっと異様な光景だ。
「川合家のご親族様、おいで下さい。」
二時間ほどして、僕らは火葬場の職員に呼ばれた。
「あの骨を見ると、もうその人はいないと改めて実感するで。」
と、既に二親を見送った経験のある従姉妹のサチコが僕の耳元で言った。
職員の後について、ひとつの部屋に入る。そこにはクリスマスに七面鳥を焼くトレイを長くしたような金属の皿があった。そこに「こんがりと」焼き上がった父の骨が並んでいた。褐色の骨の並び。頭の方から火が噴出していたらしく、頭蓋骨はほとんど原型を留めていない。しかし、父の三本しかなかった歯は全て確認できた。皆が木の箸で少しずつ骨を拾い、白い骨壷に入れた。その骨壷を持つのが僕の担当とのこと。誰も泣く者はいない、黙々とした作業。
位牌を持った継母、骨壷を持った僕、写真を持った姉を先頭に、一向は一列で部屋を出た。
「ぬくもりの骨を拾いて春寒し」(弘子)