「エファの目」
原題:Evas øye
ドイツ語題:Evas Auge
1995年
<はじめに>
ノルウェーの女性作家、カリン・フォッスムが一九九五年に発表した、ミステリーの第一作である。それまで、彼女は詩人として何冊かの詩集を出していた。ノルウェーのこれと言って特徴のない地方都市を舞台に、陰鬱な雰囲気の中で、ストーリーが展開される。彼女は、BBCの「北欧の犯罪小説」の特集番組の中で、現代ノルウェーを代表するミステリー作家として紹介され、インタビューを受けている。
<ストーリー>
犬を連れた男が、女の住む小さな家に近付いていく。
「女にはもう逃げ場がない。」
男はそう思う。
警視コンラッド・ゼーヤーは、服が破れ、あちこち血のついた女性を連れて警察署の建物に入る。女性はエファ・マリー・マグヌス。ゼーヤーが、彼女に犬は嫌いかと尋ねると、
「昔は嫌いだったが、今はそうでない。」
と彼女は答える。
ノルウェーの海辺にある小さな町。四月でまだ風は冷たい。真ん中を流れる川によって、町は二分されている。エファは娘のエマを連れて川沿いを散歩している。太ったエマは、秋から小学校へ行くことになっている。エマが、川岸の岩の間に、男の水死体を見つける。エファはその男に見覚えがあった。エファは警察に電話をすると言って、電話ボックスに入る。エマは外で待っている。しかし、エファが電話を架けたのは、警察ではなく父親であった。エファは、水死体の事を誰にも言わないように娘に告げる。死体は、犬の散歩にきた老女により再び発見され、老女の通報を受けた警察が引き上げる。死体は、数か月前から行方不明になっている、アイナルソンという男で、背中に数多くの刺し傷があった。死体はかなり長い間、水の中にあったと思われた。
二週間後、ゼーヤーは、捜査会議の席で、死体で発見されたエギル・アイナルソンのファイルを見ていた。彼は、車いじりの好きな男で、前年の十月五日、妻と息子に最後に目撃されたのを最後に行方不明になっていた。捜査会議の席には、同僚のカールセン、ゾート、部長のホルテマンがいた。妻の証言によると、アイナルソンはその日、車の買い手が見つかったと言って、夜車で家を出た。車は解体場で発見されたが、彼自身は見つからなかった。死体は、背後から、十数回に渡って細い刃物で刺されていた。おそらく顔見知りの人間に、後ろを向いているときに刺されたと思われた。ゼーヤーは、夜に車の売買に行くことへの不自然さを感じる。また、アイナルソンが行方不明になった数日前、独り暮らしの女性、マヤ・ドゥルバンが自らのアパートで殺されるという事件があった。犯人は逮捕されていない。ゼーヤーはふたつの殺人事件の間の関係性を考え始める。
ゼーヤーは殺された男の妻を訪ねる。そこにはヤン・ヘンリーという名の、小さな男の子がいた。未亡人は、夫が、ビール工場で働くごく普通の工員であったこと、車の買い手が現れたということで、夕方に、夫が慌てて出て行ったという話をする。その時の車の買い手が名乗り出ないということは、その買い手と名乗る人物が犯人ではないかとゼーヤーは考える。妻は更に、行方不明になる数日前、夫が飲み屋で、飲み過ぎて乱暴を働いた同僚に付き添って警察に行ったということで、明け方に戻り、仕事に遅刻したということがあったと告げる。ゼーヤーは息子に、次回はパトカーで来て、それに乗せてやることを約束して別れる。
売れない画家であるエファは、夫と別れ、娘と二人で暮らしていた。夫が定期的に娘を連れにやってきていた。ゼーヤーは、七年前に妻のエリーゼを亡くし、犬と一緒に住んでいた。彼の趣味はスカイダイビングであった。彼は自宅でウィスキーを飲みながら、「ごく普通の」男が、何故後ろから十五回も刺されることになったのかを考える。彼は、アイナルソンが車を誰から買ったのか聞いてみようと考える。
翌日、警察署で同僚のカールセンと話したゼーヤーは、十月一日に殺されたドゥルバンと、十月五日に行方不明になったアイナルソン関係を洗ってみると言う。ゼーヤーはパトカーに乗って、再びアイナルソンの未亡人の家を訪れる。そこで、車を買った相手の名前を聞き、息子のヤン・ヘンリーと話す。息子は父親がいつも緑色の「つなぎの作業服」を着ていたこと、その作業服は車のトランクに入っていたと言う。その作業服は車の中から発見されてはいなかった。彼は犯人が血の付いた衣服を隠すために、作業服を着て帰ったのではないかと推理する、ゼーヤーはパトカーにヤン・ヘンリーを乗せて、町を一周する。別れ際に、ヤン・ヘンリーは、車を買いたいと連絡した人物は女性で、父親はその名前と電話番号をメモしていたと告げる。ゼーヤーは、アイナルソンに車を売った男を訪れるが、失業してやむなく車を売ったという以外に情報は得られない。
ゼーヤーはマヤ・ドゥルバンのファイルを読み始める。彼女は自宅のベッドの中で裸で死んでいた。服は自分で脱いだと考えられる。また体内に精液が残っており、それがDNA鑑定にかけられたが、該当者はなかった。エファ・マグヌスはドゥルバンの友人であった。車の中に作業着は発見されず、その代わりにコンドームが見つかった。アイナルソンの勤めていたビール会社に電話をしたゼーヤーは、彼が、ドゥルバンが殺された翌日、遅刻をしていることを知る。
ゼーヤーはアイナルソンがよく行っていたという飲み屋を訪れる。亭主は、アイナルソンとその同僚が、頻繁に店に出入りしていたこと、その中でもアイナルソンはリーダー各であったことを話す。アイナルソンが、酔って乱暴をはたらき、警察に連行されようとした若い男を、介抱し、警察から身請けしたという話は本当であった。ドゥルバンも何度かこの店に顔をだし、彼女が殺された夜は、客がひっきりなしに出たり入ったりしていたと亭主は証言する。
ゼーヤーは、エファの前夫であるヨスタイン・マグヌスを訪れる。そこで、娘のエマが、川で死体を見つけたことを父親に話していたことを知る。翌週、ゼーヤーは再び、エファを訪れる。エファは、確かに自分は警察に電話をした。その記録が残っていないのは警察の落ち度であると主張する。ゼーヤーは彼女がひどく狼狽しているのを知る。
翌日、ヤン・ヘンリーが、母親が美容院に行っている間に、独りで警察署を訪ねて来る。かれは、車の買い手の名前と、電話番号を書いた紙をガレージで発見したという。そこにはリランドという名前とオスロの電話番号が書かれていた。その番号に電話を架けたゼーヤーは、その名前が数年前に死んだ女性の結婚前の名前であることを知る。ゼーヤーは夫を訪ねてみることにする。ゼーヤーはオスロの郊外に住む独り暮らしの老人を訪れる。彼は、エファの父親であった。メモを見た老人は、その筆跡を知らないというが、彼の家に掛かっている、娘のエファの絵のサインと、そのメモの筆跡は同じものであった。ゼーヤーは再び、エファの家へと向かう。父親は娘に警察官の来訪について告げる。
エファは身を隠すことを決心する。彼女が、家を出ようとすると、ひとりの男が車から降りて来た。
「マヤを殺して金を盗ったのはおまえだ。金を返せ。」
と叫ぶ男は、家に乱入してくる。エファは地下室から外へ出ようとするが、男に捕まる。彼女は男の隙を見て外に走り出る。彼女は走って来た車に助けを求める。それは、ゼーヤーの車であった。ゼーヤーは彼女を警察署に連れて行く。
エファはゼーヤーに話し始める。
昨年の秋、エファは金に窮していた。絵は売れず、電気料金、電話料金も払えず、食料品を買う金もない状態であった。彼は、町のカフェで偶然、幼馴染のマヤ・ドゥルバンに出会う。ふたりは子供の頃、仲の良い友人同士であったが、十五歳のとき、エファが引っ越したことにより、ふたりは会わなくなっていた。その後消息が途切れ、彼女たちはその日二十五年ぶりに再会したのであった。金に困っているエファと違い、マヤは高級な衣服を着て、時計や装飾品も一流品ばかり身に着けていた。マヤは、エファを町で一番高級なレストランに誘う。マヤは、自分が売春で稼いでいることをエファに打ち明ける。そして、エファにもやってみないかと誘う。マヤは、フランスでホテルを開くため、既に二百万クローネ近い金を貯めていることをエファに話す。マヤは、その金を、父親から受け継いだ別荘に隠していると話す。マヤは、一万クローネの金で、エファの絵を買う。そして、金を渡し、翌日の夕方届けて欲しいと頼む。エファは久々に大金を手にし、エファの誘いに応じて、売春をすることを考え始める。
翌日、エファは自分の書いた絵を持って、マヤのアパートを訪ねる。マヤは、エファがその日から「商売」を始められるよう、すっかりと用意を整えていた。最初にマヤが客を取り、それを最初、ドアの隙間からエファが観察し、勉強することになった。マヤはベッドの下に隠されている、護身用のナイフを見せる。ビール腹にポニーテールのマヤの客がやってくる。二人の様子を、エファはドアの隙間から観察する。男はベッドの下にあるナイフを発見する。それが元で、マヤと男は言い争いになり、激昂した男はマヤを絞殺する。エファはそれを見ていた。エファに気付くことなく、男は立ち去る。エファは窓から、その男の乗っている車、白い、オペル・マンタと、ナンバープレートの番号を見る。エファは、マヤの家の中に置いてあった金を持って、自分の家に戻る。
翌朝、エファはゼーヤーの訪問を受ける。ゼーヤーは、エファの名前と電話番号が、殺されたマヤの手帳に書かれていたと言う。エファは、昨日、マヤのアパートを訪ねたことは認める。しかし、それはあくまで買ってもらった絵を届けに行っただけであるとエファは主張する。エファは、マヤを殺した男が、ビール工場で働いていると言っていたことを思い出し、ビール工場の駐車場を訪れる。そして、そこで白いオペル・マンタを発見する。エファは、マヤが別荘に隠したという金を回収することを考える。彼女は、懐中電灯、ハンマー、タガネなどを買う。夕方、再びビール工場の前に戻ったエファは、白いオペル・マンタの後をつける。そして、その車を運転する男の住む家を知る。その日の夜、エファは車で、マヤの父親の別荘がある湖畔へと車を走らせる。二十五年以上前、彼女はその別荘で夏を過ごしたことがあった。彼女は昔の記憶を頼りにその別荘を見つける。窓枠をこじ開けて別荘の中に侵入したエファは、工具の仕舞ってある小屋の、ペンキの缶の中に、金を発見する。そのとき、エファは車が家の前に停まる音を聞く。エファは慌ててトイレの便壺の中に身を隠す。入って来たのは男で、必死で何かを捜している様子。マヤの金について知っていたのはエファだけではなかった・・・
<感想など>
二部構成である。前半は、場所的にも、時間的にも近い場所で起こった、殺人事件と失踪事件を追う警視ゼーヤーを中心にしている。半年間、犯人の目途がつかなかったふたつの事件であるが、失踪した男の他殺死体が発見されてから、捜査は進展を見せる。ゼーヤーの捜査は、エファ・マグヌスという女性に行き着き、彼女が、事件の真相に迫る重大な情報を持っていると信じるようになる。後半は、エファの告白である。ゼーヤーに保護され、警察署に連れていかれたエファが、ゼーヤーに話す内容が書かれている。はっきり言って、前半だけで、読者は何が起こったのか、大体予想がついている。後半はそれを、確認していくということになるのだが、最後にはまた、どんでん返しが用意されている。
舞台になっているのは、オスロの近くの小都市である。真ん中を流れる川によって、町は二分されている。九月の終わりには既に雪が舞い、五月になってもまだ寒い日が続く。町を流れる川は、急流で、黒い水が渦を巻いている。そんな、暗い雰囲気、灰色のイメージが、物語を支配している。BBCで、北欧犯罪小説の番組が企画されたとき、ノルウェーの代表的なミステリー作家として、ヨー・ネスベーとカリン・フォッスムが紹介されていた。その中で、フォッスムは、寒い国の閉じられた空間での殺人事件を描いて成功を収めたと述べられていた。この本を読んでなるほどと思った次第である。
暗い雰囲気の中で進むストーリーの中で、何か温かい、肯定的なものを感じるとすれば、それは警視ゼーヤーの人間味ということであろうか。彼は四十九歳、七年前に妻のエリーゼを亡くし、その後、独りで暮らしている。かつてソマリアでボランティアをしていた看護師の娘イングリッドが同じ町に住んでいて、孫がひとりいる。認知症の母が老人ホームにいる。スカイダイビングが唯一の趣味で、夜はたいてい一人でウィスキーを飲んでいる、そんな設定になっている。行方不明になった男の幼い息子をパトカーに乗せてやったり、つなぎの作業着を買ってやったりする他、エファを問い詰めながらも、彼の語り口には何か温かいものを感じる。
章に分かれていないで、四百ページ近い話が延々と続いているので、少し読みにくい。また登場人物が「良い人」、「悪い人」という類型になっているのが少し気にかかった。
(2015年5月)