第三章:スウェーデン、暗い夢
スウェーディッシュ・ノルディン・エージェンシーのソフィア・オズベリ(Sofia Odsberg)は単刀直入に述べる。
「かつて、スウェーデンの作家を英米に売り込むことは、イタリア、フランス、スペインなどの国に売り込むのに比べて困難であった。しかし、英米において、『翻訳された文学』を『胡散臭いもの』として見る習慣が薄れるにつれ、北欧の犯罪小説は、英米において、今やひとつの『サブ・ジャンル』と言えるものを形作りつつある。犯罪小説が、他の分野の北欧の作品も翻訳され、紹介されるという道をつけたと言っても過言ではない。
オズベリはストックホルムに住んでいるが、ストックホルムは、基本的に他の西欧の大都会と変わらないという。
「多様性がないという点を除けば。限られた金持ちが都心の不動産を買占め、追い出されるように普通の住民は郊外へと移り住んでいる。その結果、ストックホルムは、住民の収入が最も高く、保守党の支持者が最も多い地域になっている。」
と、オズベリは語る。その点が、政治的に過激なスウェーデン北部と違っているという。
オズベリによると、犯罪小説は、現代社会を最も明確に映し出すものだという。
「犯罪小説におけるストックホルムのイメージは、『ウォーターフロント』『可愛らしい路地』というものではなく、『持てる者』、『持たざる者』が混在する場所である。しかし、地方都市も、近年『グローバリゼーション』の影響で倒産する産業も多く、失業、非寛容などの社会問題が蔓延している。犯罪小説作家の前の職業は、これらの社会問題と向き合う機会があるジャーナリストや教師が多い。比較的小さく、均質的な社会であるスウェーデンでは、英国などに比べて、これらの社会問題が表面に出る機会が多い。移民の歴史も浅いので、それだけ問題になりやすい。しかし、多くの国民が、スウェーデンを寛容で、文明化された、世界に対して誇ってよい国だと感じている。しかし、現在の保守的な政府が米国式個人主義を受け入れるに従って、スウェーデンの国民は、これまで自分たちを受け止める社会のセーフティーネットが、機能しなくなりつつあることに気付き始めた。そして、国際化と資本主義によって、世界中の国が、多かれ少なかれ同じようなものになっていくことにも気付き始めた。」
平均的な読者は、出版社から「与えられた」犯罪小説を、疑問を抱くことなく、読まされていると考えてよい。かつては、ロンドンのレストランでは、出版者と作家の代理人の間で、豪華な食事を前にしながら、まだ書かれていない小説の版権についての交渉が行われていた。現在では、同じ場所で、まだ翻訳されていない北欧の犯罪小説の版権についての交渉が行われている。まだどれだけの宝の山が隠されているのか分からないこの比較的新しい分野で、英国の出版者はチャンスを逃したくないと躍起になっている。
カミラ・レックバリ(Camilla Läckberg)は、英語に翻訳され、成功を博したスウェーデンの作家のひとりである。北欧の犯罪小説の読者の多くは、ネオナチ勢力が台頭し、ノルウェーでの不幸な事件の例を待つまでもなく、極右が北欧のサブカルチャーとなりつつあることを知っている。その問題を取り上げたのが、カミラ・レックバリとオーサ・ラーソン(Åsa Larsson)という二人の代表的な女性ミステリー作家である。シューヴァル/ヴァールーの後、レックバリは英国で大きな成功を収めた最初のスウェーデンの作家であろう。彼女は「問題解決のための順序立てた思考の欠如」等、スウェーデンと英国に共通する問題を提起している。
二〇〇三年に出版されたレックバリの最初の本「氷姫」(The Ice Princess、 Isprinsessan)が、英語に翻訳されたのは二〇〇八年とかなり遅い。しかし、彼女は英国で「スウェーデンのアガサ・クリスティー」という評価で迎えられた。彼女の小説がフィエルバッカ(Fjällbacka)という小さな町を舞台にしていること、また、その緻密に練り込まれた筋に、クリスティーとの共通点が見つけられるという理由である。彼女自身は、同じく英国のミステリー作家、ルート・レンデル(Ruth Rendell)に影響を受けたと言っている。しかし、クリスティーに比べて、そのレックバリのスタイルは現代的である。
「氷姫」の中で、主人公の作家エリカ・ファルク(Erica Falck) は両親の死後、故郷であるフィエルバッカを訪れる。そこで幼馴染の女性アレックスが手首を切断され、氷の入った風呂の中で死んでいるのが発見される。エリカは地元の探偵パトリック・ヘドストレーム(Patrik Hedström)と共に事件を探る。そして、ふたりは一見静かな町に隠された暗い秘密を知る。この本と並んで、読者に強い印象を与える「説教師」(The Preacher、Predikanten)が二〇〇五年に、「石工」(The Stonecutter 、Stenhuggaren)が二〇一〇年に英語に翻訳されている。「石工」では、レックバリのストーリーテラーとしての技術と、スウェーデンの中小都市の社会への分析が、成果をもたらしている。この本は、北欧で発売と同時にベストセラーになり、読者だけではなく批評家からも好意的に迎えられた。彼女は、その離婚がタブロイド紙に取り上げられるほどの有名人になった。どの小説もフィエルバッカを舞台にし、「最果ての地に住む人々」の感受性を余すところなく描いている。
北欧の犯罪小説が成功を収める理由として、人間の行動の余り賞賛に値しないような点とも、感傷的にならず進んで対峙しようという姿勢であろう。「石工」で、少女の死体が漁師の網に掛かる。それが事故なのか、他殺なのか、地元警察署の刑事ヘドストレームは、ファルクの手助けを得て捜査に乗り出す。そして、ふたりの行動は地元の人々との間に摩擦をもたらす。彼は、地元民の蔑視に耐えながら、犯人を見つけようとする。
「氷姫」と並んで、「説教師」においても、読者に不安を呼び覚ますというレックバリのスキルは如何なく発揮されている。しかし、「説教師」においては、人間が極限状態に陥ったとき、道徳心による拘束から放たれるという姿を、人間のひとつの決定的な特性として描いている。また、魅力的であり同時に怪物的である女性の心理を描いている。
二〇〇六年に「不幸な出来事」(The Gallows Bird, Olycksfågeln)
出版されたときのテレビ番組は、スウェーデンの読者に彼女の価値観を知らしめるものとなった。彼女の離婚と、新しい相手との交際について、スウェーデンのマスコミは微細に書き立てた。
レックバリの全ての小説において、彼女は作家とてスウェーデン人としてのアイデンティティーを示しているが、彼女のインスピレーションの源は、クリスティーの住んでいた英国の田舎にあるようだ。彼女は都会派ではない。彼女の描く世界は人間の「善」と「悪」がせめぎあう世界である。
「不幸な出来事」は、フィエルバッカ・シリーズの四作目である。スウェーデンで五十万部以上を売った後、テレビ映画化もされた。英国でも人気を博した。自動車事故で死亡者が出る。しかし、同じような自動車事故がまた起こるに至り、刑事ヘドストレームは殺人ではないかと疑い始める。彼は、作家のエリカ・ファルクと結婚することになっていたが、その際に次々に現れる問題に直面していた。おりから、地元テレビのリアリティー・ショーが話題になっていた。その参加者の一人がさらに過度のアルコール摂取で死亡する。
予測の出来ないような筋、牧歌的な町に突然起こるショッキングな出来事、愛し合いながらも反発し合うパトリックとエリカ、これらの要素が巧みに組み合わされている。「隠し子」(The Hidden Child、Tyskungen)では、エリカは母の遺品の中に戦争中、ナチと関係する物を発見する。それについて、地元の歴史研究者に相談するが、その研究者が殺される。レックバリは、その小説の中で、一九四〇年代のスウェーデンおけるナチス組織に関する秘密を呼び覚ます。
レックバリは、北欧の寒さを中和するような、温かみを持ったふたり登場人物を作り出した。また、彼女は、犯罪小説の読者が、どんなことに興味を持つのかを熟知した上で、書いている。
レックバリの英国での出版者はハーパー&コリンス社のジュリア・ウィスドム(Julia Wisdom) である。彼女は、翻訳権の獲得は、「大量に血液の流れる血管を触診しているようなもの」だという。レックバリは、ウィスドムが翻訳権を獲得しようしたとき、レックバリはスウェーデンでは既に有名な作家であった。スウェーデンの編集者がレックバリの小説には「温かいものがある」という評を聞いて、ウィスドムは版権の獲得を決心したという。ウィスドム自身はスウェーデン語が読めないので、判断ができない。その際は、レポートや評判、他の出版者や編集者の意見が判断の拠り所になるという。
ウィスドムはそのときのことを以下のように述べている。
「カミラの本を売り出すにあたり、大規模なキャンペーンを行った。あらゆるメディアを使った宣伝や、書店における『二冊買ったら二冊目は只』のキャンペーン。また、作家自身を、どんどん批評家に会わせ、良い印象を形作るようにした。批評家、バイヤー、オンラインのレヴュー家に、良い印象を与えるために大金を投じた、そして、五冊目の「隠し子」が発表された今、その投資は回収されていると思う。その本は北欧の母とドイツ人の父を両親に持った子供の話しである。」
レックバリは、スウェーデン人として、作家としてのアイデンティティーについて以下のように述べている。
「私はスウェーデン人であり作家である。私は自分の国、自分の社会、自分の世界について、できるだけ正直に書いている。スウェーデン人であることと作家であることを分離することは難しい。私が犯罪小説を書き始めたとき、私が生まれ育ったフィエルバッカを舞台にしようと決めた。私はクリスティーの『ミス・マープル』の舞台になっているセント・メアリー・ミード(St Mary Mead)に影響を受け、大都会ではなく小さな町に興味を持った。フィエルバッカの街は私の小説では、主な登場人物のひとりであり、筋書きを考える大きな要素である。
犯罪小説は、人間のありとあらゆる感情を扱い、また人間性の肯定的な面と否定的な面の両方を呼び覚ますための、素晴らしい手段である。そして制度や建物や会社や工場ではなく、良くもあり悪くもある人間の感情が、社会を作っているのだ。
私は小説でスウェーデンの社会を扱っている。何故か他国の人々はスウェーデンに好ましいイメージを持っている人が多い。私が、他の国と大差のない、実は犯罪も、問題も、公害も存在するスウェーデンを描いて、そのイメージの修正に役立つとすれば幸いである。
どの作品にも政治的な要素を入って来ずには得ない。例えば、私は、議会に進出しようとする極右グループについて書いている。私には何故、そのような偏狭な考え方の人に投票する人がいるのか理解はできない。しかし、かつての社会主義的な理想が立ち行かなくなった現在、それを揺るがすものが出てくるのは悪いことではない。
(現在執筆中の八作目の小説について)タイトルは『天使を作る女』(The Angel Maker's Wife、 Änglamakerskan)で、それは、十九世紀、金のために他人の不用な赤ん坊を引き取った女性に対して使われた言葉である。自分の書いた本のなかでどの本が一番好きかという質問は、自分の子供たちの中で誰が一番好きかという質問と同じで答えにくい。ただ、第二次世界大戦とナチスの活動に興味があるので『隠し子』は自分の中で特別の意味を持っている。」
カミラ・セダー(Camilla Ceder)は、レックバリとはまた違ったタイプの作家である。彼女は社会科学と精神分析を勉強し、小説を書き始めた後も、カウンセラーとして働いている。彼女の第一作「凍った瞬間」(Frozen Moment、二〇一〇年)はスウェーデンではそこそこ成功を収めたが、他に多くの北欧作家が目白押しである現在、それほど注目はされなかった。彼女は、イェーテボリ周辺の西スウェーデンの凍るような田舎の描写と、詩的とも言える描写で風景の持つ雰囲気を伝えることに秀でている。しかし、他の北欧の作家と同じく、暗い心理的な衝動を、犯罪小説の形で描こうとしている。また、スウェーデンの伝統の衰退と、安易なドラッグの使用にも警告を発している。また、社会的な機能不全と崩壊に対する国の責任も述べている。しかし、彼女自身、それを全面に押し出すのではなく、圧倒的なストーリーテリングで包み込む必要性を知っている。
処女作では、オケ・メルケルソン(Åke Melkersson)という男が凍りつくような冬の朝、故障した車を直すために修理工場を訪れる。そこの主人が死亡していた。車に何回も轢かれて。彼は、隣人で女性記者のゼヤ(Seja)に連絡し、風変わりな刑事クリスティアン・テル(Christian Tell)が事件を担当する。ふたりの間には肉体関係ができる。二件目の殺人が起こったときテルは、ゼヤが殺人に関係し、自分に打ち明けていない事実を持っているのではないかと、彼女を疑い始める。まだ若い作者が、登場人物の心理、特に少女期に受けたトラウマに悩むゼヤなどの心理を、巧みに分析している。読者の期待に応えて、第二作の「バビロン」(Babylon)が二〇一〇年に書かれている。
セダーの英国における出版者であるカースティ・ダンシート(Kirsty
Dunseath)は、
「北欧の犯罪小説に対する熱狂は、持続性のあるものだ。波はあるだろうが、北欧が優秀な作家を輩出し続ける限りは、英国において読者を獲得し続けることができる。」
と述べている。ダンシートは、セダーの本を英国で出版するに当たり、読者の反応だけではなく、ほかの国の出版者の話と、スウェーデンでの評価を参考にしている。
「翻訳した本を売り出す際、そのマーケティングの方法は、本によって全く異なるテイラーメイドである。」
とダンシートは述べている。セダーは自分が育った環境が作品にどのような影響を与えているかについて以下のように語っている。
「北欧の犯罪小説に特別な基調があるとすれば、まず、シューヴァル/ヴァールーの遺産である社会学的、心理学的な精神、それと作者が生まれ育った環境だと思う。私の場合、小説の舞台は私の想像力を掻き立てる雰囲気を持っている場所であり、それは特定の場所ではない。私の小説の舞台になる場所は、ある時は田舎であり、ある時は都会であり、まちまちである。私の興味は、何が人間を犯罪に向かわせるのか、どのような極限状態に置かれたとき人間は抵抗に耐え切れず罪を犯してしまうのか、そこにある。北欧の犯罪小説の多くには、一見理想的に見える社会の中の、脆弱性や孤独感が基調としてある。社会のグローバル化が進むに連れて、個人的な特色が減少し、その過程が犯罪小説の題材となる。私は他の犯罪小説も読むが、ゆっくりとした語り口で、警察の捜査活動より、登場人物の内面に焦点を当てた作品が好きだ。
私が書くものに特定のテーマがあるわけではない。敢えて言うならば、私がソーシャルワーカーであるせいか、人間のスタート地点と、その人の生きてきた状況を知れば、その人間を理解できるという確信が私にはある。人々が、それまでやった決断を、どのように正当化しているかについても興味がある。そんな考えは、私の小説の登場人物の設定を複雑なものにするが、それが私の狙いなのである。私は登場人物を何層ものレイヤーで包み、現実以上に複雑なものにする。その複雑化こそが私の書き方なのだ。」
出版者はセダーが「次の大物」になることを望んでいるが、レックバリが「次の大物」として推すのがモンス・カレントフト(Mons Kallentoft) である。彼は、永年旅と食事のエッセーを書いており、犯罪小説の分野に来るのはかなり遅かった。レックバリはカレントフトが男性でありながら、女性主人公を巧みに扱う点を賞賛している。最初の三冊はスウェーデンでベストセラーとなった後、フランス語の翻訳の契約がまとまり、映画かも予定されている。
カレントフトの英国での出版者であるニック・セイヤース(Nick Sayers)は、北欧の犯罪小説のブームが長く続くと予測している。
「予測を立てるほど無意味なことはないが、私の占いでは、北欧の犯罪小説のブームは続くだろう。北欧の人間は火星人ではない。彼らの社会は我々の社会と似ており、それでいて興味を掻き立てるだけの相違点もある。何より、良い書き手が揃っている。ある程度『ブランド』になれば、同じような物を売っていくのはそれほど難しくない。」
しかし、英語しか話さない出版者にとって、どの外国作家を選ぶかということは、容易ではない。
「もちろん、オリジナルを読むことができないのは不利な点だが、信頼の置ける読者のレポートは十分な判断材料となる。英国のマーケットには、まだ翻訳小説に対する先入観が残っているが、そのうち『良いものは良い』という考えが定着するのではないか。翻訳を通じて、違う文化に触れ、違った角度からスタートするのも良いのではないか。カレントフトの『真冬の犠牲』(Midwinter Sacrifice、Midvinterblod)に対する反響はセンセーショナルで、彼は他の作家から一歩抜き出るのではないか。」
フィンランド人のアンティ・ツオマイネン(Antti Tuomainen)とスウェーデン人のキェル・エリクソン(Kjell Eriksson)も新しい世代として、迎えられている。
カレントフトの最初の小説「ペセタ」(Pesetas)はマドリッドの麻薬ディーラーを描いているが、彼は食事の評論家として、スペインのバスク地方を訪れ、その印象を書き綴っていた。カレントフトは一年うち八ヶ月は旅をし、殆ど本国にいないが、スウェーデンの地方を巧みに描いている。
「私は風景を舞台の書割に使う。私の美的な目的に合うような風景はどんどん取り入れる。」
と彼は述べている。
「自分はエスターゲットランド(Östergötland)の出身だが、そこは私の原風景で、自分は生涯望む、望まざるに関わらず、そこに帰属している。」
彼のシリーズには、主人公としてマリン・フォース(Malin Fors)が登場する。
「私は潜在意識の中でマリン・フォースを作り上げる。私はリサーチよりも、頭の中で潜在意識の中で作られたイメージ、風景、ストーリーが強いことを見つけた。地理、物の名前などが現実的であることは私には重要でない。
舞台となるリンケーピングはスウェーデンを代表する『小宇宙』である。そこには、スウェーデンを代表する大学や、病院、企業があるだけではなく、およそスウェーデンが持っている全ての問題、汚染、階級格差、移民問題などが人口十九万人の都市に詰め込まれている。また町の周囲に森などの自然が残されているのも、観光客にそれほど毒されていないもの、極めてスウェーデン的だと言える。
犯罪小説は誇張された現実感と捜査への緊急性を作ることができる。それらは現代を生きる人間の生活の中に表現される。犯罪小説は『おれはこの世の中で何をしてるのだ』という、人間の存在に対する疑問を解き明かすきっかけでもある。
私は個人に対するスペースが余り残っていないような集合的な社会で生きている。そこで起こる数々の事件が私を捉える。例えば、私は子供の虐待と痴漢行為などを題材とする。弁護士がいつも加害者に甘いこれらの分野で、私の小説を通じて誰かが動くことを期待している。
スウェーデンでは移民問題について語ることはタブーであった。その結果、極右勢力が、議会レベルまでに侵入してくることになった。私は自分の本の中で移民問題を取り上げている。社会から締め出された人々を取り上げ、極右勢力の台頭を抑えるためである。多くのスウェーデン人は、まだ国家が自分たちを助けてくれると思っている。そして、そうでないことに気付いた人々は、失望する。私は北欧の社会民主主義は死んだと思っている。そこには現代に合った、別の価値観が必要になると思う。
私は「真冬の犠牲」の中で、詩的なフィーリングとある種の魔術的な要素を取り入れた、警察小説の新しい核を作ろうとした。本は国際的に売れ、文学的であり、同時に気軽に読める本としてある程度成功を収めたと思う。「夏に死す」(Summertime Death、Sommardöden)の中で、私はマリン・フォースについてより詳しく語り、かれがヒロインであるが、スーパーヒロインでないことを知ってもらったと考えている。」
カレントフトは、ウォルター・モスリー(Walter Mosley)、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)、セバスチャン・フォークス(Sebastian Faulks)、ジェームス・エロイ(James Ellroy)、トゥルマン・カポト(Truman Capoto)、 ディヴィッド・ピース(David Peace)、ミケル・フーレンベックフーレン(Michel Houellebecq)などの作家から影響を受けたと話している。そこにはペーター・ホーの名前がない。一九九三年にスウェーデン・犯罪小説・アカデミー賞を受けたケルスティン・エクマン(Kerstin Ekman)の「黒い水」(Blackwater、Händelser vid vatten)はホーの影響を受けていると言える。英語圏でもベストセラーとなったが後が続かなかった。早朝エンジンの音で目を覚ましたアニー・ラフトは、自分の娘が十八年前の殺人事件の犯人であると思われる男の手にあることを発見する。ほんの三分の二が過去の出来事の再現である。様々な登場人物の過去が、十八年後に結びつく。そこでも、エクマンはそこでも自分の生まれ育った北部スウェーデンを舞台にしている。