「ザッハー家の人々」
Das Sacher
ロディカ・デーネルト
Rodica Doehnert
(2016)
<はじめに>
作者のロディカ・デーネルトは、小説家というより脚本家である。この物語は、二〇一六年に、ドイツのテレビ局ZDFとオーストリアのテレビ局ORFが共同で制作したドラマの原作である。ドラマも見たが、「原作に忠実」と言うよりも、そもそもドラマ化を念頭に置いて原作が作られているので、小説とテレビドラマから、全く同じ印象を受けた。
<ストーリー>
チョコレートケーキ「ザッハー・トルテ」のレシピ。一八三二年にフランツ・ザッハーによって考案されて、当時のオーストリアの宰相メッテルニヒに献上された。
「プロローグ」
ウィーン、一八九二年十一月二十八日、霧の深い夜。「死」と「愛」がウィーンの「ホテル・ドペラ」に到着する。そのホテルでは、まだ五十歳にもならないオーナーのエドゥアルト・ザッハーが死の床に就いていた。父親のフランツ・ザッハーがホテルに到着する。一方、ホテルに掃除人として雇われている十一歳の少女マリー・シュタドラーは家族に食べさせるスープの入った壺を持って、ホテルを去るところであった。彼女は六歳のときから貧しい家計を支えるために働きに出ていた。
「死」
ホテルのキッチンでは、オーナーの妻、アナ・ザッハーがオペラ座で出す、ザッハー・トルテを作っていた。彼女は屠殺場を営む農家の出身であった。ホテルに、二組のカップルが到着する。一組目はベルリンから来た新婚のマルタとマクシミリアンの夫婦、もう一組はプリンスとプリンセスであるゲオルグとコンスタンツェ・トラウンシュタインであった。ホテルの従業員は、オーナーの死によって、自分たち職を失うのではないかと心配していた。
ホテルの近くの路上、立っている男の前を馬車が通り過ぎ、金の入った紺色の衣袋が男の足元に投げ出される。家路に向かうマリーは男に襲われる。彼女は男に噛みつき男が怯んだすきに、オペラ座の地下室に逃げ込む。しかし、男は彼女に追いつき彼女を押し倒し、その上に覆いかぶさる。マリーは悲鳴を上げる。男の足元には紺色の衣袋が落ちていた。オペラ座の音符係ヴュートナーが悲鳴を聞きつけ、斧を持って地下室に駆けつける。ヴュートナーは男の頭に斧を振り下ろす。ヴュートナーは怯えたマリーを、オペラ座の中の自分の部屋に連れ帰る。
「おまえの両親はおまえを売ったのだ。」
とヴュートナーはマリーに言う。ヴュートナーはマリーを保護する決心をしていた。
エドゥアルトが臨終を迎える。彼らの三人の子供たちが呼ばれる。アナは自分とエドゥアルトとの十二年間の結婚生活を振り返る。彼女は夫をそれほど愛していたわけではないが、二十一歳のアナは、ホテルの経営に魅せられてエドゥアルトと結婚したのであった。十七歳のプリンセス・コンスタンツェはオペラ座で隣に座っている夫のゲオルクを見る。常に冷徹な計算の基に動くゲオルクを、コンスタンツェは心から好きになれなかった。
エドゥアルトの死後、ホテルを売るつもりであることを、父親のフランツ・ザッハーはアナに告げる。アナはそれを食い止め、何とか自分の手でホテルの経営を続けたいと考える。アナはその意志を義父に伝えるが、父親は、それは無理だと一笑する。警察官のレトナーがホテルを訪問する。昨夜殺人事件があり、死体の横にマリーの持っていた壺が落ちており、マリーが行方不明になっていると警官は告げる。
朝になり、マルタとマクシミリアンは、有名な詩人が出入りするというカフェに行く。マルタとマクシミリアンは半年前に結婚していた。ブレーメンのユダヤ人の裕福な商人の家庭で、ひとり娘として育ったマルタは、自分で出版業を起こすことを決意した。そして、家族の承諾なしに、編集者であり作家でもある、プロテスタントのマクシミリアンと結婚、将来は父よりの遺産を基に出版社を起こす予定でいた。ベルリンに住むマルタとマクシミリアン、新婚旅行に詩人や小説家の多いウィーンを訪れ、ビジネスのチャンスを探っていたのだった。マルタは、旅の途中手紙で、自分が結婚した旨を父親に伝えていた。コーヒーを飲んでいるマルタとマクシミリアンに、ウェーターの口から、ホテルの主人の死が知らされる。ハネムーンの宿で、数メーターしか離れていたいところで人が死ぬ、ふたりはそれに不吉なものを感じる。
ホテルの部屋で、コンスタンツェは屋敷の自分の部屋に置く家具の布を選んでいた。年老いた召使がお何部屋にいた。掃除係の若い女性フローラが、自分の同僚のマリーが行方不明になっていることを告げる。そこに、ゲオルクの父、ヨゼフ・フォン・トラウンシュタインが入って来る。貧乏貴族で名前は立派だが金のない彼は、息子を金持ちの娘コンスタンツェと結婚させることにより、家計を持ち直そうとしていた。
夫のエドゥアルトの死後、ホテルと家庭での実権を握ろうと、アナは従業員や子供たちに特に厳しい態度を取り、自分が主人であることを認めさせようとする。カフェで、コンスタンツェはマルタに話しかける。マルタはこれから夫と一緒に出版社を開こうとしていることを話し、コンスタンツェはプリンスと結婚した自分の身の上を話す。そのとき、オペラ座の音符係であるヴュートナーがカフェに入って来る。彼は「ザッハー・トルテ」を一個だけ買い店を出て行く。そこに、マルタの夫、マクシミリアンが入って来る。マクシミリアンは、次の目的地に出発しなければならないと告げる。別れ際、マルタはコンスタンツェにベルリンでの住所を渡す。コンスタンツェは早速マルタ宛の手紙を書き始める。
ヴュートナーは、マリーにトルテを食べさせる。マリーは本当に両親が自分を売ったのかと考える。刑事レヒナーの上司は、部下にマリーの件の捜査中止を命じる。当時のウィーンには少女の失踪事件に長く関わっておれないほど事件が多発していたのだった。レヒナーは殺された男が売春宿の用心棒であることを突き止めていた。しかし、その売春宿にはマリーはいなかった。殺された男は、オペラ座の通用門から運び出された形跡があった。当時は、階級を問わず梅毒が流行っていた。感染した者は処女と交われば治るという迷信が流れていた。その可能性を考えたレヒナーは、上司の言いつけに背いて、マリー失踪の捜査を続けることにする。
マルタとマクシミリアンは、ベルリンの家に戻る。そこには、マルタの父であるアルツァー・グリュンシュタインが待っていた。ユダヤ人の父親は、娘が自分に隠れて、キリスト教の男性と結婚したことを知り、激怒して駆けつけたのであった。マルタは何とか父を宥め、母の遺産を出版社へ投資できるように父親を説得する。父は娘が結婚したときに渡すよう死んだ妻から預かった、瑠璃のネックレスをマルタに与える。マルタは、毅然としない夫の態度に、不満と不安を感じ始める。
トラウンシュタイン家の居城に戻ったコンスタンツェは、妊娠していることに気付く。夫のゲオルクは、保守的な父親やその友人に反対されながらも、村に学校や病院を作ることに奔走していた。コンスタンツェは、孤独を紛らわせるために、ホテルの従業員フローラを自分の身の回りの世話のために引き抜くこと、また、マルタを自分の城に招待することを夫に依頼する。マリーはヴュルトナーから逃げようとする。しかし、彼から、ここに居れば皇后に会えると言われて翻意する。
アナの夫が亡くなってから一か月が経った。夫の遺言で、ホテルの今後は、財産管理人の弁護士に委ねられることになる。アナはそれまで、ホテルを完璧に運営することにより、自分の経営者としての腕を示そうとする。従業員のフローラは、トラウンシュタイン邸に貸し出されることになる。ある日、皇帝の甥が、ホテルを訪れ、食堂の中の個室を借り切り、バレリーナと過ごしていた。そこへホテルの視察官が訪れる。従業員たちは、皇帝の甥のことを視察官に隠そうとする。酔った皇帝の甥が裸で廊下に飛び出したことで、それが明らかになってしまう。落胆するアナを、義父のフランツが慰める。
一八九三年の夏、ベルリンに「アダーホルト出版社」が設立される。マルタは印刷機を購入し、それの調整に忙しい。出版社の第一の本を書き上げるはずのマクシミリアンは、なかなか思うように書けずに苦しんでいた。使用人のメニングもそんなマクシミリアンを見て、出版社の将来に不安を感じ始める。コンスタンツェからの招待を、出版社立ち上げの準備が忙しいことを理由に断り続けていたマルタだが、夫の勧めで自分だけ、招待に応じることにする。
マルタは独りで、トラウンシュタイン邸に向かい、コンスタンツェに迎え入れられる、コンスタンツェは臨月を迎えていた、マルタはウィーンのホテルにいたフローラが、現在はトラウンシュタイン家で働いているのを見て驚く。コンスタンツェとマルタはすぐに打ち解け、「ドゥー」で呼び合うようになる。(ドイツ語には親称ドゥーと敬称ヅィーがある)コンスタンツェは詩や小説を書くのが好きであった。彼女は自分の書いた小説をマルタに渡す。コンスタンツェは自分が小説を書いていることを、夫のゲオルクには秘密にしていた。屋敷に滞在するマルタは、階級の間の壁を取り払おうというゲオルクの熱意に感銘を覚える。マリーの行方不明事件を追う、レヒナー刑事は、マリーの母親、ゾフィー・シュタドラーを訪れる。
コンスタンツェの陣痛が始まる。そこへレヒナー刑事がトラウンシュタイン家を訪れる。レヒナーは、ゲオルクにマリーの母親のゾフィーがかつてトラウンシュタイン家で働いておりゲオルクと関係を持ったこと、マリーはゲオルクの娘であることを調べ上げていた。ゲオルクはゾフィーと関係したことを認めるが、自分に娘のいることは知らなかったと答える。コンスタンツェは女の子を産み、その子はローザと名付けられる。そのとき、マリーはヴュルトナーに連れられ、貴賓室に座る皇后を見ていた。
アナにホテルを継承することが認められる。アナはホテルを「ホテル・ザッハー」と改名する。ゲオルクはホテルを訪れ、そこで友人たちと食事をしていた父親に会う。ゾフィーを家から追い出したのは父親であることを知ったゲオルクは父親をなじる。父親はスキャンダルを避けるため、家族の栄誉を守るためには避けられないことだったと答える。トラウンシュタイン家の執事が、ゾフィーを訪れ、金を渡す。
アナは義父が去っていったことにホッとしていた。彼女は義父を懐柔し、また、娘のアニーを管財人の息子に嫁がせることにより、自分がホテルを継ぐことができるよう、工作をしていたのだった。
「生」
五年が経った。マルタはコンスタンツェの小説を自分の出版社から出し、それはベストセラーとなっていた。世間は、謎に包まれた作者、リナ・シュタインが誰であるかを知りたがったが、マルタはそれを夫にも明かしていなかった。一方、出版社からはマクシミリアンの本も出版されたが、その本は全く話題にならなかった。マクシミリアンは自己嫌悪に陥るとともに、リナ・シュタインに嫉妬と興味を感じていた。マルタは自分の体調が悪いことに気付く。
コンスタンツェには長女のローザを先頭に、三人の娘がいた。ゲオルクは、ザッハーホテルにたむろする若者のひとりであるヴィンツェント・ザハリアスと共に、政治活動に余念がなかった。体調が悪いマルタは、医者に妊娠していることを告げられる。妊娠のためウィーンの見本市に行けなくなったマルタは、夫のマクシミリアンに代わりに行ってくれるように頼む。マクシミリアンはホテルに到着する。当然マルタが来るものだと思っていたコンスタンツェは、夫のマクシミリアンが現れたことに驚く。マクシミリアンは、妻の妊娠についてコンスタンツェに告げる。
アナの娘アニーは、十五歳で管財人のシュスターの息子と結婚し、男の子を設けていた。アニーは自分の結婚を、母親が準備した政略結婚であると考えていた。コンスタンツェに付いて、フローラもホテル・ザッハーに来ていた。そこで、彼女は恋人で、ホテルの使用人であるヨハンと、束の間の逢瀬を過ごす。
コンスタンツェは、マクシミリアンをオペラに誘う。終演後、ふたりは手を取り合って、ホテルに戻る。コンスタンツェは、マクシミリアンの小説を気に入っていると話す。別れ際、マクシミリアンは、コンスタンツェに、シュタイン夫人を知らないかと尋ねる。コンスタンツェはそれを否定して部屋に戻る。
オーストリアの皇后、エリザベートが暗殺されたニュースが流れ、世間は騒然となる。ホテル・ザッハーにも、弔問に駆けつけた名士や貴族が宿泊する。ゲオルクも、ウィーンに向かうことにする。
部屋では、フローラが原稿を清書していた。マルタの父が、ベルリンのマルタを訪れる。父と夫の間はうまくいっていなかった。父がベルリンに滞在中、マルタは流産してしまう。彼女は夫を追ってウィーンへ行くことにする。
翌日、マクシミリアンは、コンスタンツェを美術史博物館に誘う。ホテルに戻ったマクシミリアンは、コンスタンツェこそがシュタイン夫人の正体であることを言い当てる。その後、マクシミリアンは、コンスタンツェの部屋を訪れ、ふたりは肉体関係を持つ。
マリーは六年間、ヴュルトナーの下で、一歩も外に出ないで暮らしていた。彼女はある日、外の様子がおかしいことに気付く。ヴュルトナーは、皇后の暗殺について話す。オペラ座で皇后エリザベートを何回も見て、皇后に親近感を持っていたマリーは衝撃を受ける。彼女は、ヴュルトナーから、自分の父親がトラウンシュタイン家の息子であるこという噂を知る。彼女はオペラ座を出て。父親に会いに行く決心をする。彼女は手紙を書き、それをホテル・ザッハーのコンセルジュに渡し立ち去る。マリーはその後、修道院に保護を求める。ヴュルトナーはマリーが出て行ったショックで首を吊って自殺する。マリーの手紙は、ゲオルクではなくコンスタンツェに届けられる。その手紙を読んだコンスタンツェは修道院にマリーを訪れる。何をしたいのかというコンスタンツェの問いに、マリーは、そのことはゲオルクだけに話すと答える。ふたりが話しているときに、刑事レヒナーが入って来る。彼は、ヴュルトナーが死んだことを告げ、その容疑者としてマリーを警察に連行する。
ホテル・ザッハーは皇后の死を悼む人々で溢れていた。そんな中、ゲオルクとマルタは同時にホテルに到着する。お互いのパートナーが不在であることを知らされたふたりは、バーで待つことにする。ふたりは、トラウンシュタイン家で最初に会った時から、互いに魅かれるものがあったことを再認識する。ゲオルクは夫婦二組での夕食にマルタを招待する。
コンスタンツェとマクシミリアンがホテルに戻る。互いに関係を持ち、後ろめたいところのある二人だが、「攻撃は最大の防御」に徹する。コンスタンツェはゲオルクにマリーからの手紙を渡し、隠し子がいたことの真相を問い質す。マクシミリアンはマルタに、シュタイン夫人の正体が誰であるかを黙っていたことをなじる。しかし、最後はコンスタンツェとゲオルクが折れる。
マリーを警察に連行したレヒナー刑事だが、最後は警察が彼女を解放したという陳述書にサインをさせて捜査を終結させる。コンスタンツェはマリーをトラウンシュタイン家に引き取ることを夫に提案する。ゲオルクが金を渡したことにより、ゾフィーと夫は金回りがよくなり、夫の経営する石炭小屋は使用人を雇うほどになる。マリーはトラウンシュタイン家で暮らすために、両親に別れを告げる。
マリーはトラウンシュタインの屋敷で暮らし始める。腹違いの妹たちは彼女になつき、一緒に遊ぶようになった。その頃、ザハリアスもトラウンシュタイン家で暮らしていた。ボヘミア人である彼は、民族自決の原則による民族国家を夢見て、統一国家の設立というゲオルクの理想とは考えを異にしていた。しかし、ザハリアスはゲオルクの良い相談相手であった。ゲオルクの父は、マリーを屋敷に引き取ったことに反対していた。マリーは、父親が、青い絹の袋を持ち歩いているのに気づく。屋敷の庭で、マリーはザハリアスに会う。ザハリアスは自分の乗っていた馬にマリーも乗せ、邸内を走る。ふたりは互いに魅かれ始める。コンスタンツェはマリーが家族の中で自由に振る舞い、娘たちもマリーを慕っていることが面白くない。莫大な持参金を持ってトラウンシュタイン家に嫁ぎ、家族全員が経済的に彼女に依存しているのに、自分が軽んじられていることをコンスタンツェは不満に思う。深夜、コンスタンツェはマリーが図書室にいるのを見つける。マリーは、熱心にトラウンシュタイン家の系図を読んでいた。
ベルリンへ戻って来たマルタとマクシミリアンは緊張した関係を続けていた。しかし、ある日ふたりとも酔っ払い、本音を言い合うことで、ふたりは融和する。
一八九九年の大晦日。ホテル・ザッハーでは新しい世紀の到来を祝うひときわ盛大なパーティーが行われることになっていた。ホテルに到着したザハリアスは、アナ・ザッハーにマリーと結婚したいと話す。アナの息子のエドゥアルトはパーティーの前から酔っ払い、母親に絡んでいた。コンスタンツェとゲオルクがホテルに到着、またコンスタンツェから招待を受けてやってきた、マルタとマクシミリアンもホテルに到着する。ゲオルクは初めて、正式にマクシミリアンと会う。コンスタンツェは自分がマルタを裏切ったことを謝り、マルタもそれを許す。客もホテルの従業員も、新しい世紀の到来を盛大に祝う。マルタはマリーに自由を与えウィーンに戻すことを提案する。マルタは夫とベルリンに戻り、もう一度やり直すことを決心する。平和な新年であるが、その平和はあと十四年間しか続かない。
「愛」
一九一四年、新しい世紀を迎えてから十四年が経っていた。アナの娘アニーは十二年前にすでに死亡、息子のエドゥアルトは、近くのカフェでザッハー・トルテを出し、母親のホテルで出すオリジナルと競っていた。ボヘミアの独立のために命を捧げることを決意したザハリアスは、マリーとは別の女性と結婚、三人の子供をもうけていた。完璧な標準語を話すようになったマリーは、ウィーンでサロンを開いていた。ゲオルクの父親は、脳卒中で身体が不自由となったが、民主化運動に参加している息子のことを今でも恥じていた。警察は、民主化運動を抑えるために、危険人物と見なされる活動家をリストアップしていた。その中にザハリアスの名前も入っていた。コンスタンツェの三人の娘のうち、長女のローザは婚約していた。次女のイルマがマリーのサロンに出入りしていることに、コンスタンツェは反対していた。
マルタの父親が亡くなる。マルタは遺産相続の手続きのために独りでブレーメンに向かう。マクシミリアンはコンスタンツェからマルタ宛に送られて来た新しい小説の原稿を手にする。マクシミリアンはコンスタンツェに電話をする。ふたりはウィーンで会うことにする。
出張の途中に、ゲオルクはベルリンを訪れる。マクシミリアンはウィーンに発った後だったが、ちょうどマルタがブレーメンから戻って来る。マルタは夫が突然ウィーンに向かったことを不審に思う。ゲオルクとマルタは一緒に夕食を作って食べる。ふたりは魅かれ合う。ウィーンに電話を入れたゲオルクは、ザハリアスがスパイ容疑で、警察に逮捕されたことを知る。ゲオルクとマルタは夜行列車でウィーンへ向かう。
マクシミリアンとコンスタンツェはホテル・ザッハーで出会い、一緒の部屋で寝ていた。そこへ、ゲオルクとマルタが到着する。ふたりは互いのパートナーが、ひとつのベッドで寝ている部屋へと足を踏み入れる・・
<感想など>
ホテル・ザッハーはウィーン実在する高級ホテルである。また、主人公のアナ・ザッハーも実在の人物である。ちなみに、ホテル・ザッハーは「ブッキング・ドットコム」等のインターネット・サイトからも予約ができる。ちなみに値段は一泊ダブルルームで三百七十二英国ポンドと「ブッキング・ドットコム」には表示されている。約五万円。日本の温泉地の最高級旅館と同じような値段である。また、ここの名物は小説にも出て来る「ザッハー・トルテ」、チョコレートケーキである。死ぬまで一度はこのホテルに泊まって、名物のトルテを食べてみたい。人生の新たな目標が出来た気がする。
舞台はウィーン、オーストリア・ハンガリー帝国の時代である。それまでオーストリアを支配してきたハプスブルク家が、民族運動を抑えるためにハンガリー帝国と組み、二重帝国を形成した。トラウンシュタイン家はハンガリーの貴族、ザハリアスはボヘミア(現在のチェコ)の出身で、独立運動に身を任せるという設定だ。皇后エリザベートの暗殺事件、第一次世界大戦の発端となるサラエボ事件(皇太子の暗殺事件)、民族の独立運動等、歴史的な背景が巧みに織り込まれていて、その時代を知るためには勉強になる部分もある。
小説と、テレビドラマの最大の違いは、小説においては擬人化された「愛」と「死」が登場し、ふたりが常に登場人物を監視し、コメントしているのに対し、テレビドラマではそれが存在しないことである。「Das Sacher」、「ザッハー一族」あるいは「ホテル・ザッハー」というタイトル、一応主人公は「ホテル・ザッハー」の女主人のアナということになるだろう。しかし、アナは主人公でありながら脇役に回ることが多く、ストーリーの大半は、マルタとマクシミリアン、コンスタンツェとゲオルクという二組の夫婦を中心に展開する。ゲオルクとコンスタンツェは貴族である。当時の貴族の生活がどんなものだったのか、なかなか我々には想像しにくい。もちろん、屋敷や庭についての記述はあるが、規模感というのが分からない。テレビドラマ版で、トラウンシュタイン家の屋敷とその庭園を見て、想像を超えた規模に驚いた。当時の貴族というのはとんでもない生活をしていた。
この小説の多くの登場人物の中からひとりを絞るとすると、コンスタンツェ・フォン・トラウンシュタインであろう。十七歳で半ば政略結婚のような状況で貴族に嫁いだコンスタンツェ、世間知らずのお嬢様から三人の娘の母へと変わっていくが、一貫して小説を書いているという設定になっている。そして、彼女の作品は、出る本出る本、皆ベストセラーになってしまうという不思議な人である。彼女がリナ・シュタインいうペンネームで小説を書いていることは、夫さえも知らない。知っているのは、出版社のマルタと、小説を清書する召使のフローラだけである。そして、その小説の中で、主人公はアメリカに行ったり、世界中を動き回る。インターネットもない時代、想像力だけでそこまで面白い、説得力のある小説が書けるのか思ってしまうが、まあ、ご愛敬ということで納得しておこう。
映像化を前提に書かれているので、極めて読み易い。くだくだとした内面の説明などがないからだ。一度読んだら読み返す必要のない平易な文章もよい。気軽に楽しめて、歴史の勉強にもなるという本であった。
(2017年1月)