「夢をくれた少年」
原題:La Gang dei Sogni(夢の中のギャング)
ドイツ語題:Der Junge, der Träume Schenkte (夢をくれた少年)
(2008年)
<はじめに>
移民街に住む、貧しい少年が、自分の特技とする「本当のような嘘の話」によって、成功していくという話。読んでいて気持ちの良い、読後感もすっきりする、「爽やかな」小説である。一九二〇年代のニューヨークを舞台にしている。
<ストーリー>
一九〇八年、南イタリア、アスプロモンテの農村で、十四歳のチェッタは農作業中に強姦され身篭り、男の子を産む。彼女はその子をナターレ(イタリア語でクリスマス)と名付ける。村に居辛くなった彼女は、アメリカに移住する決心をする。幼子を連れてナポリから貨物船に乗ったチェッタはニューヨークに着く。入国審査の歳、通訳を通して息子の名前を尋ねられた彼女は、「ナターレ」と答える。それを通訳が「クリスマス」と訳したことから、男の子は「クリスマス」という名前になってしまう。
クリスマスは十四歳になり、母親のチェッタと一緒にニューヨークのローワー・イースト・サイド・ゲットーで暮らしていた。そこは黒人や移民が住む、貧民街である。チェッタは「ナイトクラブで働いている」ということになっていたが、結局は売春で生計を立てていた。
クリスマスはその頃ニューヨークに跋扈していたギャング団のひとつ入るように誘われる。しかし、彼はそれを断り、自分のギャング団を結成することにする。と言っても、メンバーは、同じアパートに住む、同じイタリア人で、ちょっと気の弱い少年サントとふたりだけ。「ダイアモンド・ドッグ団」と気取った名前を付けてはみたが、最初の仕事はいつも苛められている肉屋の犬を守るというチャチなものだった。
裕福なユダヤ人の家庭のひとり娘ルース・アイザクソンは、父母から独りで出歩くことを禁じられていた。父母が留守のある夜、彼女は、屋敷の庭仕事をするために雇われた若者ビル・ホフラントと彼の車で外出する。最初は笑っていたビルだが、途中で豹変し、彼女を強姦し、彼女の指輪を盗るために薬指を切断、彼女を置いて逃げ去る。
クリスマスは血まみれになって倒れているルースを見つけて、自分のアパートに運び込む。そして、母親による応急手当の後、サントと一緒に彼女を病院に運び込む。しかし、病院の前で、彼女に乱暴を加えた犯人と間違えられ、彼等は留置所に入れられる。ふたりは、事情を知ったルースの父親フィリップ・アイザクソンによって、留置所から出される。
病院にルースの祖父、ソール・アイザクソンが現れる。クリスマスは彼に、ルースに会わせてくれるように頼む。祖父はそれを許す。ソール・アイザクソンは工場を経営しており、ニューヨークでも数折りの金持ちであった。ルースに会わせた後、祖父は自分のロールスロイスで、クリスマスを家まで送らせる。貧しい人々が住む移民街、クリスマスは衆目の中、高級車から降り立つ。それを見た人々は、クリスマスが有力なギャングのボスと懇意になったのではないかと噂をする。クリスマスもそれを否定しない。
数週間後の朝、再びロールスロイスがクリスマスのアパートの前に停まる。運転手が荷物をクリスマスに届ける。それは、当時まだ珍しかったラジオであった。それはクリスマスに助けられたルースからのプレゼントであった。クリスマスは、その日の昼食に招待される。クリスマスは想像さえしなかった豪邸で、ルースと再会する。そして、彼女の父母、祖父と会食をする。ルースとクリスマスはお互いに好意を持ち始める。
ルースに暴行を働いたことで警察から指名手配されたビルは、次第に追い詰められる。彼は別の人間になりすますことを考える。ビルは海外からの移民を乗せた船に泳ぎ着き、便所で同じ年恰好をした移民の若者を絞め殺し、パスポートと金を奪い、その若者に成りすまして上陸する。別人として働き出したビルであるが、毎日自分が電気椅子で死ぬ夢を見てうなされる。彼は、再びルースの屋敷に侵入し、
「俺はいつまでもおまえを見張っている。」
という手紙をルースの部屋に置き立ち去る。彼はニューヨークを出て、デトロイトに向かう。
クリスマスとルースは毎週金曜日、彼女の図書館の帰り道、セントラルパークのベンチで会っていた。ある日、ルースはビルからの脅迫状をクリスマスに見せる。怒ったクリスマスは、ルースの祖父、ソール・アイザクソンにその手紙を見せる。祖父は部下にルースを守り、ビルを探し出すことを命ずる。祖父は、クリスマスに自分の経営する店で働くことを勧める。しかし、自由に生きたいクリスマスはその誘いを断り、その代わりに相棒のサントを紹介する。
一週間に一度クリスマスとルースがセントラルパークのベンチで会っていることが、ルースの父母に知れる。ルースの父母は、彼女にクリスマスと会うことを禁じる。クリスマスはいつもの場所で待っているがルースは現れない。そのうちに運転手のフレッドが現れ、クリスマスにルースの手紙を渡す。
「全てはお終い。私のことは忘れて。」
とその手紙には書かれていた。
数週間後、ルースは運転手のフレッドに頼み込んで、クリスマスのアパートに連れて行ってもらう。クリスマスに会った彼女は、
「ハリウッドで映画の事業を始める父母について、自分もロサンゼルスへ移る。」
と伝え、立ち去る。クリスマスはその後もルースに手紙を出し続けるが、返事は来ない。
それから二年が経つ。クリスマスは文字通り、チンピラとして、ニューヨークの裏街道を歩んでいた。ある日、彼はギャングの大ボス、アーノルド・ロススタインの所に連れて行かれる。彼が、ロススティンと懇意であるように振舞っていることが、本人の逆鱗に触れたのだ。しかし、ロススティンは、話しているうちに、ルースに魅力を感じ、彼の才能に気付く。クリスマスは、自分はラジオに興味があること、自分は他人が信じるような話を作る才能があると訴える。ロススティンは、「NYブロードキャスト」というラジオ局での仕事をクリスマスに紹介する
ビルは、デトロイトに流れ着き、そこで暮らし始める。彼はそこでひとりの女性と知り合う。そこでやっと、彼は悪夢から逃れることができた。しかし、付き合っていた女性が妊娠していることを知ったビルは、彼女を殴り倒し、下宿の大家の金を盗み、その場を立ち去る。彼は、ルースから奪った指輪を金に換え、その金で車を買い、ロサンゼルスにやって来る。新しい土地で、最初は羽振りの良かったビルだが、間もなく金が尽き、生活に困るようになる。彼は映画会社の職を見つけ、大道具係として働き始める。ある日、彼は映画のセットの中で女優を強姦する。その様子を映画監督のアーティが見ていた。彼は「陵辱者」ビルを主人公にしたポルノ映画を作ることを思いつく。
ロサンゼルスに来てからルースは精神的に不安定になる。父親のパーティーの席で、錯乱状態となった彼女は、窓から飛び降りる。命を取りとめ精神病院に送られた彼女は、その病院で、ミセス・ベイリーという中年の女性と同室になる。
ルースの両親は時々彼女を見舞う。父親、フィリップ・アイザクソンの映画事業は思わしくなく、彼は屋敷を売り払い、会社は倒産寸前に追い込まれる。母親はそんな夫に愛想を突かしていた。
父親はある日、これまで母親がクリスマスからの手紙を全て握りつぶしていたことを告げる。彼女がクリスマスに書いた手紙も、母親が破り捨てていたのだった。父親は彼女に詫び、ライカのカメラを渡す。ルースはそのカメラで病院の患者の写真を撮り始める。彼女の同室の女性、ミス・ベイリーの夫、クレアランス・ベイリーはオークランドで写真スタジオを経営していた。クレアランスはルースの撮った写真を見て彼女の才能に気付く。退院したルースは、クレアランスの家に下宿して、彼の会社の専属カメラマンとして働くことになる。彼女は、決して笑ったり、微笑んだりしている人間を撮らなかった。ある日、ルースは人気俳優ジョン・バリモアの屋敷で彼の写真を撮る。バリモアは彼女とその写真が気に入る。
ラジオ局で働けると喜び勇んで局にやってきたクリスマスであるが、与えられた仕事は、シリルという黒人技術員の助手であった。彼は、マイクの設定などの下働きを続ける。ある日、彼は冗談でマイクの前で、「ダイアモンド・ドッグ団の顛末」という話をする。その話を、ラジオ局の企画課のカール・ヤラッハが聞いていた。カールはクリスマスに話をさせ、それを録音する。カールは局の上層部に、「ダイアモンド・ドッグ団」の企画を持ち込むが、ボツにされる。レギュラー番組のナレーターが突然来られなくなったときに、カールは上層部に無断でクリスマスの話を放送する。番組は聴取者に反響を持って迎えられるが、勝手な行動が上層部の逆鱗に触れ、クリスマス、カールの二人は、ラジオ局を首になる。
クリスマスとカールは、技術に強いシリルと三人で、無許可、非合法なラジオ局を開設することにする。彼等はシスター・ベシーという女性のアパートを改造したスタジオから、時計台の後ろに隠したアンテナを通して、放送を開始する。三人の名前の頭文字を取って名付けられた「CKCラジオ」から流れる、クリスマスの語る「ダイアモンド・ドッグ団」の番組は、ニューヨークの聴衆に受け入れられる。フレッド・アステアやデューク・エリントンなどの有名人も「誘拐」され、ゲストとしてCKCラジオに出演する。そのうち、CKCラジオに「誘拐」されることが、ニューヨークの有名人の証しという雰囲気になってくる。ギャングの親分ロススティンは、出資者として、また有名人を「誘拐」したり、ラジオ局の秘密を守る協力者として、陰でクリスマスを助ける。
しかし、CKCラジオが成功するに従って、外部からの切り崩しの試みも顕著になってくる。クリスマスとカールは高額のギャラで、NYブロードキャストから再契約の誘いを受ける。しかし、三人は、自分達の放送局に固執する。ある日、クリスマスはハリウッドの映画会社から、専属の脚本ライターにならないかという誘いを受ける。
CKCラジオは大手のラジオ局の出資を得て、めでたく合法な放送局の仲間入りをすることになった。そのための準備期間を利用して、クリスマスはハリウッドの映画会社と話をするために、ロサンゼルスへと向かう。しかし、彼の本当の目的は他にあった。ルースを探し出し、彼女に会うためである。彼は、ルースの住所を訪ねるが、ルース一家は引っ越した後であった。映画会社のマイヤーは、クリスマスに自分と契約をすることを熱心に勧める。クリスマスは迷う。マイヤーの部屋で、彼は俳優ジョン・バリモアと会う。「クリスマス」という名前を聞いて、バリモアは、
「きみと僕には共通の友人がいる。」
と述べる。
バリモアから、ルースが今写真家として働いていることを知ったクリスマスは、ベイリーのスタジオを訪れ、ルースと再会する。その夜ふたりは結ばれる。しかし、ルースは、クリスマスの前から姿を消す。翌日、
「私は普通の女ではない。あなたには値しない。」
と、ルースはクリスマスに言う。
「私を捜さないで。私があなたに会いたくなったら、私があなたを捜すから。」
彼女はそう言って立ち去る。
ポルノ映画に出演し、黒覆面の「女性に鞭を振るう男」、「陵辱者」として有名になったビルは、大金を得て豪邸を借りて住み始める。ある朝、警察官が逮捕令状を持って玄関先に立っていた。ビルは裏口から逃げ出す。警察から逃れて乞食のような生活を送っているビルを、プロデューサーのアーティが発見。ビルに新しいアイデンティティーを与え、再びポルノ映画に登場させようとする。今回は無声映画ではなくトーキーである。しかし、ビルが強姦のシーンを撮影しているときに、彼は突然不能になってしまう。アーティはビルにコカインを勧め、その効果でビルは映画の出演を続けることができる。しかし、ビルは日常生活でもコカインなしでは生きられなくなってしまう。アーティはビルに見切りをつける。ビルはその復讐のために、アーティの家にコカインを置き、警察に通報して、アーティを逮捕させる。
ハリウッドの俳優達のポートレートを展示したパーティーが開かれる。そこで、ルースの撮ったバリモアの写真は人気を博し、ルースはスターとなった。一方、ビルは、コカインを売り捌くために、有名人の集まるそのパーティーに紛れ込む。ルースとビルはお互いに相手を見つける・・・
<感想など>
この小説を読むと、初期のラジオと映画の様子がよく分かる。アカデミー賞を取った「アーティスト」という映画があった。その中でも、一九二〇年代、映画の黎明期の様子が語られていた。それによく似た雰囲気である。しかし、驚くべきことに、そんな時代からポルノ映画があったのだ。印刷、写真、映画、インターネット等、新しい技術はスケベなことに利用されることによって受け入れられ、発展していくというのがよく分かった。また、テレビもラジオも初期は全て生放送であったのだ。その頃の、ドタバタした様子が描かれてうて、面白い。
ひとりの貧しい少年が夢を育み、実現させる姿を描いている。爽やかな物語である。彼の特技は「本当のような嘘の話」を語ること。面白い話でも、現実から乖離していると、嘘くさくて、誰もその話に没入できない。「本当だろうか、嘘だろうか」そのギリギリのところにあるストーリーこそ、読者に、視聴者に受け入れられる。もうひとりの主人公、ルースも写真という特技を認められ、写真家になる。しかし、それまでカメラに触ったこともなかった彼女が、一気に才能を発揮するというのは、ちょっと嘘くさい。クリスマスの相棒のサントは、有名店の店長となる。ともかく、皆それぞれの道へ巣立っていく。
最後のシーンは、かつての人気ドラマ「ロングバケーション」の最終回を思い出させた。音楽コンクールでピアノを弾くために、主人公のキムタクが舞台に上がる。まさに演奏を始めようとしたとき、客席の後ろの扉が開き、もうひとりの主人公の山口智子が現れる。これとまったく同じパターンが、偶然ではあろうが使われているのが面白かった。
クリスマスは金髪に黒い眼という面白い取り合わせを持っている。
「おまえはイタリア人か。」
と尋ねられると、彼は必ず、
「俺はアメリカ人だ。」
答える。まだまだ、各国からの移民が流入し、有色人種に対する人種差別の激しかったその時代、彼の考え方、生き方は光っている。
ルカ・ディ・フルヴィオは一九五七年、ローマで生まれのイタリアの作家である。大学では演劇術を勉強したとのこと。戯曲、脚本も数多く手がけている。この小説も、会話が多く、そのまま舞台や映画の台本として使えるのではないかと思われるほどだ。
作者にも、作品にも、全く予備知識がなく読み始めたが、なかなか面白く、読後感も良く、「当たり」だと思った。
(2013年2月)