たまには仕事
朝の散歩で訪れた秘密の海岸。地中海は干満の差がほとんどないので、いつも見えている岩は変わらない。
そんなわけで、僕たちは、朝飯を食い、ビーチへ行き、海で泳ぎ、プールで泳ぎ、プールサイドでビールを飲みながらポーカーに興じ、夕飯を食べて寝る、そんな、生活を続けた。借りた車は、ホテルの前に停まっていることが多かった。全て、ホテルの中で用が足りるので、外に出る必要がないのである。
変化があるのは、たまに、オンラインレッスンが入った時くらい。僕の場合、レッスンは「教わる」のと、「教える」の両方だ。教わる方は、「ドイツ語」と「北京語」。教えるのはもちろん「日本語」。つまり僕は、生徒であり、先生である。話は脱線するが、生徒と先生の役割を同時に果たすというのは、とても面白くて、役に立つ。生徒の立場で授業を受けると、「こうして教えてほしいよな」、「ここが分からない」という点が見えて来る。その点を、自分が教える立場になったとき、自分の授業の中に取り入れられるからだ。その逆も然り。「先生とって教えやすい生徒とは」という生徒像が分かると、そのように振る舞えば、先生に気に入られることになる。
しかし、これらのレッスン、休暇中なので、断れないこともない。でも、教わる場合だと、グループレッスンの人数が只でも少ないのに、僕が抜けると授業が成り立たなくなりそうとか。教える方だと、ここ二週間くらいレッスンがキャンセルになっていて、学力維持のため、今週はどうしても授業をしたいと思ったとか。そんな理由で、仕事を休暇に持ってきてしまうのだ。しかし、それ以外にもう一つ理由がある、授業を受けるとき、わざとベランダで海を背にして、「同級生」にちょっと見せびらかしたいという気持ちもあった。
四日目、妻と娘たちをビーチに送り出し、午後一時から、金沢大学名誉教授のK先生のドイツ語の授業を受けた。もちろん、
「モトさん、今どこにいるの。」
と聞かれる。
「コルフ島です。」
と答えたが、「同級生」の中で、この島の存在を知っている人はいなかった。「同級生」と言ったが、皆僕と同じく、六十歳を超えた人ばかり。幾つになっても学ぶ姿勢を失わない人はいるのである。その日まで、毎日ビーチにいたので、授業を理由にたまに日陰でゆっくりできるのもよかった。
翌日はPさんに、日本語の授業。今度は「教える」方。彼女は看護師さんである。日本に一度行ったときの印象がよくて、その後日本語を始め、かれこれ三年間、僕から日本語を習っている。仕事、子育て、超忙しい中でのレッスン。頭が下がる。だから、彼女のレッスンは、断りたくないのだ。
時間を見て、絵も描いた。京都植物園横の「なからぎの径」の絵。青いギリシアの海を見ながら、日本の桜の絵を描くのも、ちょっと変な気分。
ギリシアなのに、桜並木。描いていてそのギャップに笑ってしまった。