万里の長城
本当にこの場所に来られて感激。唯一無二。カイロのピラミッドを見たときと同じ気分。
「死ぬ前に、一度万里の長城を見てみたい。」
これは僕の夢だった。目の前に延々と続く長城を見ながら、
「ということは、もう、これで死んでもいいということだろうか。」
と考えてしまった。また、「これを見たら死んでもいい」という次の目標を作る必要がある。次はペルーのマチュピチュにしようかな。
北京二日目の朝、僕たち六人は、八時に、昨日と同じ運転手の車で、昨日と同じガイドを乗せてホテル、新国贸饭店を出発。北へ向かう。一時間半ほどで、慕田峪(ムーディェンユー)に着く。北京の周辺には、数か所長城を観光できる場所があり、慕田峪は「比較的混んでない場所」として、観光案内書に載っていた。
僕は、車を降りたら、直ぐに長城が見えるものだと思っていた。しかし、長城はそこからまだまだ先だった。駐車場で車を降り、切符を買う。そして、そこからシャトルバスで山の麓に向かう。そこから、歩くか、リフトに乗って、長城の連なる、稜線に登るのである。リフトの列は長く、一時間以上待った。
「こんな待つなら、歩いた方が絶対早い。あなたの選択は間違えだ。」
とワタルがガイドに文句を言っている。
「まあまあ、ここまで並んだんだから。」
ということで、リフトで上まで登った。そして・・・
「来た甲斐があった。」
と心から思った。稜線に沿って、延々と城壁が続いている。幅五メートルほどの城壁の上は、道というより階段の連続である。百メートルに一ヶ所くらいの割合で、砦が築かれている。足に自信のあるワタル、ゾーイ、マユミ、スミレを先にやり。ミドリとふたりでゆっくりと階段を上り始める。階段はところにより、四十五度以上の傾斜があり、そんな所は両手両足を使って、よじ登るしかない。
万里の長城は、紀元前二世紀、北方民族からの防御のため、秦朝が建設を始め、その後、色々な王朝によって、色々な場所に拡張されてきた。延べ六千キロメートルに上るという。現在僕たちが歩いているのは、明の時代に作られ、一度廃墟のようになったのを、観光用に修復した場所だという。ガイド氏によると、この莫大な時間と、労力をかけて作った城壁、実際は、余り役に立たなかったという。長すぎて、維持ができない上、一度敵の手に堕ちるや、物資の運搬路に使われてしまった。
「わあっ、ムカデがいる。」
階段には沢山のムカデがはい回っている。僕とミドリは、観光客に開放されている場所の終点まで行った。マユミがいた。他のメンバーは、廃墟になっている、更に先の部分を見にいったという。近隣の人々が、長城の石やレンガを持ち去り、自分の家に使ったとのこと。修復されていない場所は、崩れ落ちた壁の跡が見えるだけである。
歩くというより、よじ登るという感じ。