朝の散歩
夜は大勢の人で埋まるが、朝早くは誰もいない、バジリカの前の広場。
ブダベストの二日目。朝六時前に目を覚が覚める。ベッドと枕が変わったわりには良く眠れた。カーテンを開けると、目の前にデリ駅のプラットフォームが見えた。十本ほどのプラットフォームに、色とりどりの列車が停まっている。天気は良さそうで、既に駅の建物には朝日が当たっている。僕は朝の散歩に出かけることにした。
当初の予定では、デリ駅から列車に乗って、一時間かかって八十五キロ離れたタタバーニャに行き、そこの駅からタクシーに乗り顧客を訪れることになっていた。その場合は朝七時過ぎにはホテルを出なくてはならない。ところが、協力会社の社長のAさんが、僕をホテルまで車で迎えに来て、顧客まで一緒に乗せて行ってくれるという。
「八時十五分に玄関にいてください。」
と昨日別れ際にAさんが言った。
「ラッキ〜!」
僕は八時十五分から逆算する。
「ええと、シャワーに十分、朝食に二十分、その時間を引いても、一時間は歩けるぞ。」
僕は、午前六時にホテルを出て、今日は最初にブダの丘のトンネルを潜り、鎖橋を渡って初めてペスト側に渡った。そこで三本の地下鉄の交差するデアク・フェレンク広場まで歩き、聖イシュトバーン大聖堂、別名バジリカの前を通り、また鎖橋を渡りブダ側に戻り、そこから坂を上がり、丘の上にある王宮とマーチャーシュ教会の前を通り、坂を下りてホテルに戻った。太陽が東から照っているので、ペスト側からブダ側を見る方が、その逆より、朝日が建物や木々に当たり、格段に美しい。マーチャーシュ教会のモザイクのような屋根が、カラフルできれいだった。鎖橋のペスト側の袂に、日本レストランがあるのをマークしておく。ホテルに戻ると七時二十五分だった。
「わあ、朝から一時間二十五分も歩いてしまった。」
僕は部屋に戻り、シャワーを浴び、着替えて朝食を取った。それでもまだ八時。約束の時間までには十分余裕がある。
八時十五分に迎えに来たAさんの車に乗り、タタバーニャに向かう。助手席に座り、運転席のAさんと色々話をする。ハンガリーは第二次世界大戦後ソ連に占領され、東側のグループ、社会主義国となる。途中、自由を求める「ハンガリー動乱」等があったが、それらはソ連軍により鎮圧された。そしてソ連の崩壊と共に、一九八九年にハンガリーも共産党の一党支配が終り、複数政党による共和制に移る。その後、急速に西欧社会への接近と同化が進み、今ではハンガリーはNATOとEUのメンバーである。Aさんは社会主義時代に大学に通い、働き始めた年に社会主義が崩壊。新生ハンガリーの電信電話公社のメンバーとして、情報インフラストラクチャーの近代化の一員として働いてきたという。
「当時は本当に全てが、毎日刻々と変化して、とても忙しい時期でした。」
とAさんは言う。実は同じ時期、つまり東欧社会主義の崩壊の時期、僕はドイツに住んでいて、その「毎日刻々と変化する」状況を、テレビやラジオや、時には自分の目で見ていたのだ。そのときのことを、Aさんと懐かしく話した。
ブダの丘の上に聳えるマーチャーシュ教会、カラフルな屋根が美しい。