「罪なき無罪」
原題:Skyldig utan skuld
ドイツ語題:Schuldlos ohne Schuld
(1989年)
シェル‐ウーロフ・ボーネマルク
Kjell-Olof Bornemark
(1920−2006)
<はじめに>
遅咲きで、しかも、わずか八作しか発表せず、短期間で 作家活動を終わったボーネマルク。この作品で、「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞」を一九八九年に受賞している。現在のところ、英語、ドイツ語の翻訳が出ているのは、この作品のみである。
<ストーリー>
マルティン・ラーションはバーにいた。彼は周囲の人間が、特に女性が自分を避けていることを常に感じていた。マルティンの居るテーブルの反対側に、男女のカップルが座る。マルティンはその女性をこれまで何度も見ていた。彼女は、いつも相手の男性を取り換えている。マルティンは、誤ってビールのグラスを落として割ってしまう。それを挑戦と見て、相手の男性は身構える。一触即発の空気が流れる。それに気付いた店主はマルティンに店を出ていくように言う。
マルティンはアパートに戻る。彼は、掃除用具入れから靴の箱を取り出す。そこには拳銃が入っていた。その拳銃は、フィンランド人の男、カレから買ったものだった。数か月前、マルティンはバーで、ひとりのフィンランド人に話しかけられる。ふたりは、バーで会って話すことになり、ふたりの間には友情のようなものが芽生える。ある日、カレは、
「売りたいものがある。買ってくれないか。」
とマルティンに持ち掛ける。三千五百クローネだという。カレが金に困っていることを感じていたマルティンは、唯一の「友人」を助けるために、それに応じる。翌日、マルティンは全財産の三千五百クローネを銀行から降ろしてバーへ向かう。カレは靴の箱をマルティンに差し出す。蓋を開けると中には拳銃と薬莢が入っていた。拳銃を手に入れたマルティンは、今までと違った自分がいることに気付く。マルティンは時々、その銃を眺める。拳銃の存在は、マルティンに人間としての自信を取り戻させる。
マルティンは、ある夜、拳銃をジャケットの内ポケットに入れて外出する。彼は自信に満ちていた。路地で、向こうから、いかにも金持ちそうな、鷹揚な態度の男がやってくる。普通なら、道を譲ってしまうマルティンだが、その日は道の真ん中を歩き続ける。相手の男がよけたのを見て彼は満足する。しばらくして、マルティンは人気のない場所で、三人のティーンエージャーに囲まれる。三人はマルティンに絡んでくる。三人に殴られたマルティンは、拳銃を抜く。若者たちは拳銃を見て、一目散に逃げていく。実は拳銃に弾は入っていなかった。マルティンは、拳銃を試射して、その扱いを習得する必要を感じる。
マルティンはアパートの窓から、向かいの木に掛かった鳥の巣を見ていた。彼は、一カ月前から、アパートに閉じ籠っていた。マルティンは、一カ月前、職場で、突然上司のアウグストソンに呼び出された。上司はマルティンに、解雇を通告する。「精神的な障害により、早期引退とする」という名目であった。マルティンには、何とか暮らしていけるだけの年金が支給されることになっていた。その直前、拳銃を手にしたマルティンは、自信を取り戻し、職場でも積極的に同僚と話をするようになっていた、同僚も、マルティンの変化に驚いていた。マルティンは職場の給茶室で、イレーネという女性と話していた。イレーネは、マルティンの前でスカートをたくし上げる。それを挑発と受け取ったマルティンは、彼女にキスをしようとする。イレーネは大声を出し、同僚や上司が駆け付ける。そして、一か月後、マルティンには何も相談がないまま、彼は解雇と早期引退を通告されたのであった。
マルティンは森の中で拳銃を二発試射する。二発目は成功で、弾は思った方向に飛んだ。彼は森の中で犬を連れた男と遭い、上空を警察のヘリコプターが飛び去るが、幸い誰にも気づかれずに、マルティンは帰宅することが出来る。
マルティンの父親は花屋であった。母親はマルティンが幼い時に死んでいた。父親はマルティンを殴ったが、ティーンエージャーになったマルティンは父親に殴り返し、父親に大怪我をさせてしまう。マルティンはその後、父親から離されて叔母の家に住むことになる。数年後に父親は亡くなり、マルティンは店を売った金を相続する。しかし、その金をマルティンは数年で酒と競馬で失ってしまう。
若くして引退を余儀なくされ、社会保障で生きるマルティンは、何とか自分が「二級市民」でないことを証明したいと思う。彼はスーツを着て、日曜日の朝早く、街に出る。そこで、彼はパーキングメーターを引っこ抜き、婦人靴店のショーウィンドーに投げ込む。ショーウィンドーは粉々になり、展示してあった靴があちこちに飛び散る。マルティンは達成感を得る。彼は、平然としてその場を立ち去る。彼は帰り道、新聞配達をしていたフィンランド人の女性に会い、彼女が坂道で手押し車を押すのを手伝う。その女性はオイバと名乗る。マルティンはオイバに好意を持つ。
靴屋のショーウィンドーが壊された件は、新聞にも載らず、話題にもならなかった。自分の存在の証明のためにそれをやったマルティンには、それが不満であった。彼はバーを訪れる。そこでは数人のフィンランド人のグループが酒を飲んでおり、その中にオイバもいた。マルティンはそのグループに近づき、オイバに話しかける。その後、フィンランド人たちはマルティンの理解できないフィンランド語で話を始め、会話は次第に険悪なものとなる。オイバが、
「わたしはこの男にストーキングされているの。」
と言ったのだ。フィンランド人の男たちがマルティンに殴りかかり、喧嘩となる。警察が呼ばれる。警察官が手錠を掛けて連行したのは、先に手を出したフィンランド人ではなく、マルティンであった。マルティンはパトカーへ連れていかれる途中、警察官からも殴る蹴るの暴行を受ける。
数か月後、マルティンは裁判所に呼ばれ、裁判官によって有罪判決を受ける。罰金刑と、損害の賠償であった。彼を起訴した検察官も、彼に判決を下した裁判官も女性であった。彼はただでさえ少ない年金の中から、罰金と損害賠償金を差し引かれることになった。マルティンは、検察官と裁判官に復讐をすることを考える。ふたりの女性の写真を窓際に置き、どちらから先に殺そうかと思案する。彼は拳銃の存在を支えに、何とか自分の心の平衡を保っていた。マルティンはこれまで、小動物さえ殺したことがなかった。しかし、今回に限り、自分は獲物を追って必ず仕留める「猟師」になれなければいけないと、自分に言い聞かせる。失敗したら後がない、一発勝負の猟。彼は、夜の街を歩き回って、犯行の準備を始める。
夜、マルティンはカフェにいた。閉店近くで、彼の他には、イラン人らしき男がもう一人いるだけだった。マルティンの外套の内ポケットには拳銃が入っていた。
「店を閉めるから出て行ってくれ。」
とバーの中にいた老婦人が言う。イラン人の男は、そのスウェーデン語が理解できないようである。マルティンはその男に近づき、彼の肩に触れる。イラン人の男は、怒り出し、理解できない言葉でマルティンを罵倒する。
店での諍いの後、外に出たマルティンは、そのイラン人が映画館の前にいることに気づく。まだ頭に来ていたマルティンはそちらに近づいていく。マルティンは、映画館の前に人だかりがしており、その中心に、マルティンもよく知っている、政治的に極めて重要な人物がいることに気づく。間もなく、映画館の扉が開き、人々は中へと入っていく。一瞬、その重要人物とマルティンがふたりだけで対峙することになる。マルティンは拳銃を抜き、その人物に向かって発射する・・・
<感想など>
マルティンが射殺した「政治的に極めて重要な人物」とは、当時の首相のオロフ・パルメである。ウィキペディアによると、パルメは、一九八六年二月二十八日、午後十一時二十一分、ストックホルムの中心街を、妻のリズベット・パルメと映画館に向かって歩いている途中、何者かに銃撃された。パルメは即死、リズベットにも二発命中したが軽傷だった。その当時、首相夫妻はボディーガードを持っていなかった。以前に傷害致死罪で起訴されたことのあるクリステル・ペターソンという男が、容疑者として逮捕され、一九九八年に殺人罪で有罪判決を受けた。しかし、控訴裁判所はそれを覆し、彼は無罪となった。この事件は、スウェーデン国民にとって大きな衝撃であった。自国の首相が公共の場で暗殺され、警察の威信をかけた捜査にも関わらず、犯人を見つけることが出来なかったからだ。それは、福祉国家、安全な国家に住んでいるというスウェーデン国民の幻想を、打ち砕くものであった。この小説は、パルメ暗殺事件の「真相」、あるいは「可能性」のひとつを提示している。
本人は周囲と上手くやろうと努力はするのだが、その努力が裏目に出る人間というのを、私もこれまで見てきた。「場を読めない」、「空気を読めない」、そんな人間は、周囲に疎まれる。この物語のマルティン・ラーションは、まさにそのような人物。身体から、「皆に嫌われるオーラ」を放っている人物として描かれている。バーで飲んでいても、誰も彼のテーブルには近寄らない。彼が接近しようとした人物は、ことごとく予防線を張ってしまう。彼がよかれと思ってかけた言葉は、他人に「挑発」として受け取られる。他人には、虫けらのように扱われているそんな彼が、唯一自信を取り戻せるのが、フィンランド人から買った拳銃を手にしたときである。彼はその拳銃で、自分を虐げた人々に復讐をすることを思い描き、何とか心の平衡を保っている。彼は自分が始めたのではない喧嘩で、逮捕され、起訴され、有罪判決を受ける。そして、自分をそんな目に合わせた「社会」、「体制」に復讐するために、毎晩拳銃をポケットに入れてストックホルムの街を徘徊する。
マルティン・ラーションの性格設定だが、かなり極端さを感じる。いくら何でも、ここまで全てが裏目に出て、ここまで皆に嫌われる人物はあり得ないような気がする。いずれにせよ、後のストーリーの伏線として、極端な登場人物の性格設定は、どの小説にもあるので、仕方がない。しかし、「それにしても」という感じを受けた。
オロフ・パルメ暗殺事件が一九八六年、この小説が発表されたのが一九八九年。つまり、執筆の段階で、まだ容疑者の逮捕、起訴は行われていなかった。そんな状態で、この小説は、「犯人像」、「犯行の動機」について、一石を投じた形になっている。警察、検察は、オロフ・パルメに敵意を持つ者、敵対する利害関係を持つ者を探していた。しかし、この小説は、
「被害者は、パルメでなくても、誰でもよかった。犯人は『社会』と『体制』に対して復讐したかったのだ。」
という、新しい観点から、事件の背景を推理している。
文体も流れるようで、ストーリーの展開も読者を飽きささない。ボーネマルクはこの作品で、スウェーデンの「犯罪小説作家アカデミー賞」に輝いている。その後、ドイツ語の翻訳も出たのだが・・・さっぱり売れなかったらしい。当時は九〇年代のヘニング・マンケルや「ノルディック・ノワール」ブームのまだ前。スウェーデンの小説は、ほとんど注目されていなかった。私の読んだ本は、二〇〇七年に再販されたものである。
タイトルは「罪なき有罪」、「冤罪」という常識を破って、「罪なき無罪」という表現が使われている。マルティンは殺人を犯すが、二重の意味で「無罪」と言えるのではないか。ひとつは、彼が逮捕され、起訴されなかったこと。もうひとつは、彼が殺人を犯さざるを得ないような境遇に追い詰められていくことである。
この本が私にとって貴重な理由は、ボーネマルクの略歴が、編集者によって記されていることである。ボーネマルクについての、英語、ドイツ語の資料は殆どない。この作家紹介はためになった。その要約を以下に記しておく。書いているのは、編集者のエリク・グロースマン(Erik Großmann)である。
「シェル‐ウーロフ・ボーネマルクはスウェーデン犯罪小説の歴史の中で、おそらく最高齢でデビューをした作家と考えられる。ボーネマルクが「Legat till en trolös(トロリーへの遺産)」で一九八二年にデビューを果たしたとき、彼は既に五十八歳であった。その作品で、彼は、同年の「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー・新人賞」を受けている。裏切者の共産主義者をめぐるスパイ小説は、ジョン・ル・カレJohn le Carré(1931年生まれ、英国の小説家、スパイ小説で知られる)の作品群と比べられた。「Aktuellt i politiken」誌のレビューは、 ボーネマルクがカレと同じような乖離したモラルと、同じような疲れた皮肉を持っていると述べている。ボーネマルクは、続いて「Skiljelinjen(分割ライン)」(1983年)、「Förgiftat område(中毒地域)」(1984年)、「Handgången man (操られて歩く男)」(1986年)を発表したが、最初の作品のレベルに達するものではなかった。
三年間の空白の後、一九八九年に発表された「罪なき無罪」は、スウェーデン中に大きな反響を巻き起こし、その年の「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞」に輝いた。批評家たちは、今回はボーネマルクを、当時、人間の本能的な不安の表現で人気を博していた米国の作家、スティーヴン・キング(Stephen King)と並び称した。ボーネマルクもこの作品で、主人公を精神的な極限状態に追い込んでいる。しかし、ボーネマルクの場合は、社会的な枠外へと追いやられ、自らが犯罪者となるように仕向けられた人間の、微妙な心理図を提供している。」
この文章を読んでも、ボーネマルクの作品の中で、この作品が傑出していることが分かる。この作品しか翻訳が出ていないことはそれなりの理由があったのだ。予想外に面白い作品であった。
(2019年3月)