ムソルグスキーの音楽
作曲者のモデスト・ムソルグスキー。鼻が赤いが、彼はアルコールの問題を抱えていた。
オペラはもちろん歌で構成されている。ストーリー、舞台、演技も大切だが、もちろん曲、歌が大きな割合を占めている。
「噛めば噛むほど味の出る音楽や。」
僕はそう思った。モーツアルトのオペラのように、ひとつひとつの曲を口ずさめるような、メロディーのはっきりした音楽ではない。良い曲なのだが、頭に残りにくい、結構覚えにくいメロディーなのだ。しかし、「事前リサーチ」で、マリインスキー版とボリショイ版を聞いて行ったことは、大きなプラスになった。メロディーがある程度頭に入っているので、より楽しめるのである。初めて聴く新鮮さも大切だが、クラシック音楽に関しては、そうではないというこが、少なくとも僕の考えだ。
「やっぱ、聞いたことのある曲は安心して聴けるわ。」
そして、その安心感が、他のことも楽しむ余裕というのを与えてくれるのである。「吉本新喜劇」を見ていてもそうだが、「期待していたことが起こる」、「次に起こることを知っている」という安心感は結構大切で、それでもなおかつ笑ってしまうところが、人間の面白いところだと思う。
ムソルグスキーの作品で、ポピュラーなものと言えば「禿山の一夜」と「展覧会の絵」だろうか。どちらも、音楽単体だけではなく、映画のバックグラウンドなどで、頻繁に使われている。「ボリス・ゴドゥノフ」の中の音楽は、なかなかいい曲ばかりだった。ロシアということで、何となくメロディーに東洋の香りがして、日本人には好まれると思う。
また、舞台でそれらの曲を歌う、歌手、コーラスも素晴らしかった。ウェールズ出身のブライン・ターフェル(Bryn Terfel)が、初めてボリス役に挑んだということらしいが、美しい声で、しかも安定していて、聞いていてうっとりするような歌いぶり。彼だけでなく、他の歌手の声と演技も良かった。
「あれはすごかったね!」
と、娘も僕も、公演が終わった後、まず異口同音に行ったのは、ボリスの息子役のボーイソプラノの声の可愛さだった。プログラムによると、ジョシュア・アブラムズ君という十三歳の少年が演じているという。
次に、娘と私がほぼ同時に口にしたことは、
「女の人が少なかったね。」
ボリスの娘、その乳母、宿屋のおかみさん、役が付いていた女性はその三人だけだったと思う。その辺、ムソルグスキーの時代は、登場人物の男女バランスを考える時代ではなかったのだ。
ムソルグスキーの伝記を読んでいて、驚くのは、彼の本職が、官吏、公務員であったことだ。この作品が書かれたとき、彼は林野庁に転勤を命じられた直ぐ後だった。本職の合間にこんな作品を書いてしまうのであるから、昔の人はすごい。
最後のシーン。ボリスは錯乱のうちに死ぬ。左は秘密を知る僧のピーメン。