「終盤戦」
原題:Slutspel
ドイツ語題:Endspiel
(1976年)
ジーン・ボリンダー
Jean Bolinder
(1935‐)
<はじめに>
会話の多い文体、流れるような会話、このような作品を書ける人には共通点がある。劇作家、演出家の素養のある人である。ボリンダーも作家であると同時に、劇作家であり、演出家であった。
<ストーリー>
ストックホルムのタクシー運転手、フィッゲ・ヘグルンドは、一月のある深夜、雪の中を運転していた。助手席には、黒い革ジャンを着た男性客が座っている。男はナイフを取り出し、
「俺はこれからマーギット・スヴェンソンという女を殺しにいくのだ。」
とフィッゲに言う。フィッゲは、驚くと同時に、身の危険を感じる。
「俺は、その女のお蔭で、警察に捕まり、刑務所に入っていた。今、その女は別の男と暮らしている。その女は死にしか値しない。」
運転手のフィッゲは、何とかして、その男をなだめて、思い留まらせようとする。彼が殺そうとしている女性にはトーマスという子供がいるという。
「母親を殺したら、子供が可哀そうだ。」
フィッゲは更に男を説得しようとするが、男はフィッゲの頬にナイフを突きつけ、
「黙って行け。」
と言う。
フィッゲは、男の指定した通りの一つ前の通りの同じ番号の家の前で車を停め、そこが目的地だと嘘をつく。そして、本当の目的地であった家の前に車を停める。フィッゲがドアベルを鳴らすと、深夜にも関わらず、きちんとした服装をした若い女性が、彼を招き入れる。玄関のドアに鍵は掛かっていなかった。
「電話があったので、ボッセの来ることは知っていた。」
とその若い女性は言う。ボッセというのはタクシーの客の男らしかった。彼女は、自分はマーギットであると名乗り、茶を飲んでいくようにフィッゲに勧める。フィッゲも自己紹介をする。マーギットは、自分は精神科の診療所のアシスタントをしているという。
そのとき、玄関のドアを激しく叩く音が聞こえる。ボッセが正しい住所を見つけてやってきたのだった。彼は、ドアを叩き、大きな声でわめく。マーギットがドアを開けようとするが、フィッゲはそれを必死で止める。
「開けたら、あなたも自分も殺される!」
マーギットはドア越しにボッセをなだめにかかる。間もなく、ボッセは消える。
「彼が自殺したら私の責任。」
とマーギットはつぶやく。マーギットはボッセが、自分の勤めている診療所に来た患者で、自分の職業的な態度を、好意だと誤解したという。ボッセの言ったように、マーギットには息子、トーマスがいた。フィッゲは眠っているトーマスを見てから、マーギットのアパートを去る。ボッセを絶対に中に入れてはいけないと、彼はマーギットに念を押す。家に帰ったフィッゲは、マーギットに恋をしている自分に気付く。
二日後、フィッゲはマーギットに電話して、彼女をデートに誘う。厳密に言うと、息子のトーマスも一緒に誘ったので、「コブ付き」のデートではあるが。マーギットは、
「どうしてもと言うなら。」
と言うことでデートの誘いに応じる。翌日、ふたりはドライブをする。トーマスはマーギットの姉夫婦のところにいるということで一緒に来なかった。マーギットは自分の母が五歳のときに亡くなり、その後、村で店をやっていた父と一緒に住んでいたと話す。姉のベールは十五歳上であるという。彼女は一度スコーネ地方に住み、トーマスの父親ビルガー・スヴェンソンと結婚し、子供を設けたが、その後離婚してストックホルムに戻ったという。ふたりは、宛てもなく色々な町を訪れる。フィッゲは彼女を好きだと言い、彼女にキスをする。
「わたしはそれに値しない女よ。」
そう言いつつも、フィッゲのキスを受け入れる。
二人はマーギットのアパートに戻り、セックスを始める。マーギットが突然、
「わたしをぶって。」
と言う。
「そんなことはできない。」
フィッゲは躊躇するが、
「それができないなら、直ぐに出て行って。」
と言われ、フィッゲはしぶしぶ彼女に平手打ちを食らわせる。マーギットは、
「今度は、鞭で叩いて。」
と言う。フィッゲはそれにも従う。
暴力を好まないフィッゲは、マーギットとの関係の継続について迷い、彼女に数日間連絡しなかった。数日後マーギットはフィッゲに電話を架けてきて、夕食に誘う。フィッゲはマーギットのアパートで、彼女の手料理を食べ、ワインを飲む。ふたりは食事の後、ベッドに入るが、今回は、マーゴっとはぶってくれとは言わなかった。フィッゲにとって楽しい夜であった反面、言い表せない不安感も募る。明け方、目を覚ましたふたりは、窓の外に降る雪を見つめる。
翌日、姉の家から息子のトーマスをピックアップした後、三人は動物園に行った。トーマスはフィッゲの掛ける言葉に殆ど返事をしなかった。
「母親を取られて、自分に嫉妬しているのかも。」
とフィッゲは考える。動物園の後、マーギットが夕食を作っている間、フィッゲとトーマスは一緒に映画を見ていた。トーマスは、フィッゲに対しては黙ったままだった。
フィッゲは、タクシー運転手として夜勤がある他、夜間高校に通っていた。そのため、仕事と学校でマーギットに会えないまま一週間が過ぎた。土曜日、フィッゲはマーギットを訪れる。トーマスも加え、彼ら三人は森を散歩する。トーマスは徐々にフィッゲに慣れて、二人は話をするようになる。
フィッゲは、土曜日と日曜日は仕事を入れず、定期的にマーギットを訪れるようになる。フィッゲはトーマスに本を読んでやる。ある日、フィッゲが本を読んでいると、
「あんたは僕のパパなの?だとしたら、どうして他の人みたいにママをぶたないの?」
とトーマスが聞いてくる。フィッゲは、トーマスが、自分を「父親」という対象として見始めたことを嬉しく思う。
季節は冬から春に向かう。フィッゲ、マーギット、トーマスの三人は週末によく散歩をした。散歩の途中、マーギットは、
「フィッゲ、あなたは最高の父親だわ。」
と言って泣き出す。その夜、マーギットとフィッゲはチェスをする。終盤になり、フィッゲのナイトが、キングとクイーンを同時に攻めたため、マーギットはクイーンを諦めざるを得なくなり、マーギットは敗れた。
「男のためには、女が犠牲になるのね。」
とマーギットは言う。
「これは単なるゲームだよ。」
とフィッゲは彼女を慰める。その時、マーギットは言った。
「結婚しない?トーマスにはあなたのような良い父親が必要だわ。」
ふたりは三月二十一日に婚約した。
ある日曜日、夕食の時まで明るく振る舞っていたマーギットの機嫌がだんだんと悪くなる。彼女は何故かイラついていた。夕食後、トーマスを寝かせた後、マーギットは酒を飲む。
「あんたはトーマスとは上手く行っているけど、私とは全然ダメね。」
とマーギットは言い出す。気を悪くしたフィッゲは立ち去ろうとする。
「全ての幸せを目茶目茶にしてやる。」
そう言って、マーギットはフィッゲに殴りかかる。フィッゲは彼女を殴り返す。マーギットは殴られて、初めて、幸せそうな表情を見せた。
フィッゲはマーギットがマゾヒストであることを認めざるを得ない。しかし、彼は暴力を好まない。そして、もし殴っている途中に彼女を傷つけたら、自分は訴えられるという可能性もあった。彼は、ある夜、学校をサボってマーギットのアパートを訪れる。マーギットはいなくて、トーマスだけがいた。フィッゲはトーマスにベッドで本を読んでやる。翌朝、フィッゲがマーギットに電話すると彼女は帰っていた。フィッゲはマーギットのアパートに向かう。マーギットの頬には引っ掻き傷があった。
「隣の猫を抱いているときに引っ掻かれたの。」
とマーギットは理由を説明する。
「私たちの子供が欲しいの。」
と彼女は言う。
復活祭休みに、フィッゲ、マーギット、トーマスの三人は、キャンピングカーを借りて、一週間の予定で海辺に出かける。マーギットがまだ眠っている早朝、フィッゲとトーマスはよく散歩に出かけた。フィッゲはトーマスと一緒にいる時間を楽しんでいた。しかし、マーギットはその場所に退屈し始めていた。フィッゲは、キャンピングカーを移動させることにする。フィッゲは、途中、自分の両親が住んでいる町の近くを通ることに気づく。
「僕の両親に会っていかないか。無理にとは言わないけど。」
とフィッゲはマーギットに尋ねる。フィッゲの予想外に、マーギットはそれをオーケーする。三人はフィッゲの両親を訪ねる。マーギットはフィッゲの両親と親しく話し、フィッゲの両親も、マーギットとトーマスを気に入ったようであった。その日の夜、
「良い人であり続けられない人もいるのよ。それがわたし。」
「わたしに近づく男たちは、前世で何か悪いことをして、今罰を受けているのよ。」
と、フィッゲが理解に苦しむ発言をする。
フィッゲは眠れない夜を過ごす。翌朝、フィッゲは何時ものようにトーマスと散歩に出る。ふたりがキャンピングカーに戻るとマーギットがいない。朝食を取り、本を読んでも、マーギットは戻って来ない。フィッゲはマーギットに、
「あなたを探しに行く。昼には戻る。」
と書置きをして、トーマスと外に出る。昼過ぎになり、ふたりは滝の傍にいるマーギットを発見する。帰り道、マーギットは全てに投げやりになり、フィッゲとトーマスの気持ちを害するような言葉ばかり吐く。三人はストックホルムに戻る。
ストックホルムに戻ってから、フィッゲはマーギットに会う気持ちになれなかった。数日間、フィッゲは彼女に連絡を取らなかったが、やはり会いたくなり、学校が終わってから彼女のアパートに向かう。マーギットのアパートの前に立つと、中から、大音響の音楽が聞こえてくる。「アバ」である。フィッゲがドアベルを何回も鳴らした後、やっとドアが開く。バスローブを着た男が立っていた。フィッゲはその男に見覚えがあった。彼は、有名なボクサーであった。その後ろにやはりバスローブを着たマーギットが居た。彼女は明らかに酔っていた。フィッゲはその場を立ち去る。
フィッゲは、マーギットを諦めきれなかった。彼は、自分がかつてのボッセの立場になっていることに気づく。フィッゲは、何度もマーギットに電話をするが、誰も電話を取らなかった。フィッゲは四月三十日の早朝、マーギットのアパートに向かう。しかし、フィッゲは数時間彼女のアパートの前に佇んだ後、車で南へ向かう。フィッゲはひたすら走り続ける。日が暮れて、おりしもヴァルプルギスの夜、あちこちで焚火が燃えていた。疲れたフィッゲは、一見のモーテルの前に車を停める。彼は、そこに泊ることにする。
翌朝、フィッゲは若いフロント係の女性と話す。彼は、マーギットのことは忘れて、自分が次の一歩を踏み出すようにしなければいけないと思っていた。
「自分は、マーギットのような複雑な女性ではなく、このフロント係のような単純な女性を好きになるべきだった。」
と彼は思う。彼は、フロント係の女性アスタに、
「今晩、仕事が終わってから食事に行かないか。」
と誘う。彼女もそれをオーケーする。その夜、ふたりは村のレストランへ行き、同じ村の人々と一緒に踊る。
翌朝、フィッゲは遅い朝食を取るために、モーテルの食堂に降りていく。そこにはその日の朝刊が置かれていた。その新聞で、フィッゲはマーギットが殺されたことを知る・・・
<感想など>
一九七六年の作品、手にしたドイツ語訳は一九七九年のものである。もちろん古本で入手した。しかし、古さは殆ど感じられなかった。それどころか、楽しめる作品であった。これほどの作者が、英国でもドイツでも、殆ど知られていないのが、不思議であり、残念であった。
一応、「スリラー」、「ミステリー」という範疇に入ると紹介されており、表紙にもそう書かれている。しかし、半分を過ぎても、書かれている内容は、フィッゲとマーゲットの恋愛関係のことばかり。
「何故、これがミステリーなの?」
と考えてしまった。フィッゲとげマーギットは婚約する。しかし、マーギットは常に謎の多い行動をとる。そして、本の半分をかなり過ぎたところで、マーゲットが殺されという展開になる。彼女の死の背景を探るために、フィッゲが彼女の過去を訪ねる旅に出る。そこで、物語がミステリーの色を帯びてくる。そして、彼女を殺した犯人が判明する。それは・・・その意外さには思わず拍手を送らにはいられない。一見犯罪小説っぽくないが、殺人事件が起こり、裏に心理学を駆使した解決が用意されている。見事な構成であると思う。
この作品はおろか、ジーン・ボリンダーという作者の名前も、スウェーデンの国外ではほとんど知られていない。「アマゾン」で調べた限り、この作品が、英語またはドイツ語で読める、ボリンダーの唯一の作品であった。
まず流れるような自然の会話が素晴らしい。スウェーデン犯罪小説界の会話の達人、オーケ・エドワードソンはボリンダーの流れを引いていると思う。そもそも、ボリンダーは小説家であるずっと以前から、劇作家であった。会話による物語の進行はお手の物なのである。
そして、詩として通用するような表現も素晴らしい。
「次第に春になった。青い夕方とステンドグラスのような空。」
ヨーロッパで季節が春に向かうとき、これまで真っ暗だった朝夕の空が青みを持ち出す。そして、日の出の後、日没の前、空の雲が本当にステンドグラスのような模様と色を作り上げる。北ヨーロッパにいないと味わえない景色である。そして、それを、これほど短い言葉で表現するというのは、ほぼ詩人の領域である。
話をストーリーに戻そう。マーギットは、実に不可解な行動を取る女性である。フィッゲに対して、親密な態度を取るかと思えば、打って変わって投げやりな態度を取る。また、セックスの途中に、自分をぶってくれと頼む。これまで、しょっちゅう男を取り換えてきたことが、息子の話で分かる。「ユングの心理学」が一度、フィッゲとマーギットの会話の話題になるが、マーギットの気まぐれな、一見不可解な行動が、彼女の心の中では「首尾一貫性」を持っていたことが最後に分かる。それが、「本当の犯人は誰か」という点につながっていくのである。
さてタイトルの「終盤戦」の意味だが、これはフィッゲとマーギットがチェスをしていたエピソードから来ている。マーギットは、最初駒の犠牲を最小限に抑えようと無理をする。その結果、終盤戦になり、フィッゲのナイトにキングとクイーンの両方を攻められる。将棋で言う「王手飛車取り」である。彼女はクイーンを失い、最後はゲームに負ける。
「最初から、小さな犠牲を覚悟しておけば、最後に大きな犠牲を払わなくて済む。」
これが、人生に於いても、自分の犯した失敗であるとマーギットは悟る。しかし、それは彼女には遅すぎた。
後半は、フィッゲがマーギットの過去を探る旅に出る。マーギットの評判はどこでも芳しくない。最後に、フィッゲはマーギットの心の中の原風景を見ることができたと思う。そして、それが事件の解決でもあったのだ・・・・
冒頭でも書いたが、国、時代を越えて楽しめ、共感を得られる作品と作家である。返す返すも、スウェーデン以外では知られていないことが非常に残念である。
(2019年2月)