鐘の音
城塞から見下ろすナミュールの街。僕が昔住んでいたドイツのマーブルクと本当によく似ている。
駅を出ると、建物の向こうに高台が見える。僕はそちらの方向へ向かって歩き出した。大きな教会のある広場に出て、そこを横切っていくと川に出た。マース川だ。マース川はフランスに源を発し、ベルギーを流れ、オランダに入り、マーストリヒトを通り、ところで、ロッテルダムで北海に注ぐという大河である。ロッテルダムでは何回もお目にかかった川だ。ロッテルダムって港町だから、海に面していると皆が思いがちなのだが、実はそうではない。結構海から離れていて、船はこのマース川を遡って、ロッテルダムに着くのだ。
川の向こう岸は、城塞になっていて、石垣が続いている。僕はマース川に架かる石の橋を渡り、城塞を登る坂道を歩き出した。結構急な坂で、途中何度か立ち止まって呼吸を整える。そう言えば、駅を出てから、道路脇に座っていたホームレスの兄ちゃん以外、まだ誰にも会っていない。
「誰にも会わない、困ったな。」
僕はつぶやいた。何故困るかと言うと、僕を入れた写真がないということだ。ナミュールに着いて街を歩きながら、持参のコンパクトカメラを使って何枚か写真を撮った。でも、セルフィースティックなど持っていない僕は、自分の入った写真が撮れないのだ。誰かに会ったら、
「すみません、シャッター押していただけますか?」
と頼めるんだけど。そう思いながら歩いていると、石垣の上から、携帯電話で街の写真を撮っている男性と初めて会った。
「すみません、街をバックに写真をとっていただけますか?」
と英語で頼むと、彼は快くシャッターを押してくれた。
「これで、とりあえず、『証拠写真』は一枚出来た。」
と少し安心する。
基本的に濃い灰色のスレート葺の屋根の並ぶ街であるが、ところどころに色づいた木々の黄色が、アクセントを添えっている。
十時になると、見下ろす街の教会の鐘が一斉に鳴りだした。日曜日の礼拝の開始を告げるものらしい。古い街並みに響き渡る教会の鐘の音を聞くとき、自分がヨーロッパにいると改めて感じる。もう、三十年以上もいるのにね。
「この景色、何故か馴染みがあるぞ。」
一種のデ・ジャ・ヴーに囚われた僕は、頭の中の、自分の過去が綴じられたページを開いてみる。ドイツのマーブルクであった。ドイツへ来て初めて住んだ町。やはり丘の上に城があって、城から街を見下ろすと、古い街並みと、教会の尖塔が見えた。そして、日曜日の午前中には教会の鐘が響いていたっけ。
坂道を降りて、街を歩くと少し人通りが増えていた。黄色の蛍光色のベストを着た人が、道路の角に立っている。聞いてみると、今日、街中で走りのレースが行われるらしい。
二枚の鏡を立てて映したようなナミュール駅の看板。