「谷間の百合」

原題:Le Lys dans la vallée

ドイツ語題:Die Lilie im Tal

(1835)

 

オノレ・ド・バルザック

Honoré de Balzac

(17991850)

大食漢、浪費家としても名を馳せたバルザック。

 

<はじめに>

 

「谷間の百合」はフランスの文豪、オノレ・ド・バルザックが一九三五年に発表した小説であり「人間喜劇」の一作に数えられている。どうしてこれが「喜劇」なのか分からないが。

当時はフランス革命の反動の時期、ルイ十八世が王位に就き、王政復古の嵐が吹き荒れえいる頃であった。高貴な家柄に産まれながら、母からも他の家族からも虐げられ、不幸な少年時代を送った「私」、フェリックスが、モルソフ伯爵夫人との恋を通し大人へと成長していくという、一種の教養小説と言ってよい。一八三五年の発表当時はまずロシア国内で名声を得た。フランス国内でも人気を博すに従い、「人間喜劇」シリーズの中のシリーズとして採用されている。

筆者は中学生の頃この小説を読み感動した。今回また本を手に取ったのは、この小説を四十年後の今読んでも感動するかという、ひとつの実験をやってみたかったからだ。しかし、この小説をドイツ語で読むことは、実に根気の要る作業だった。

 

 

<ストーリー>

 

私、ヴィコムト・フェリックス・ヴァンデネスは、貴族の家族の末っ子として、三歳まで乳母に預けられ、家族と離れて過ごした。三歳で実家に戻るも、母親からはほとんど愛情を受けられず、兄や姉からは虐められる境遇であった。そんな境遇に慣れた私は、孤独を愛し、十歳余りにして既に「悟りを開いた」子供になった。

五歳上の兄シャルルは私の家族の「希望の星」であり、良い家庭教師を付けられ、十分な教育を受けていた。しかし、私はまず田舎の学校に送られた。友達と遊ぶのに十分な金もなく、貧しい弁当を食い、ひたすら本を読んでいた私は、学校で友人からも疎んじられた。両親の私に対する態度は、「無関心」の一言であり、私があるとき学校で賞をもらうことになり、その式典があったっときさえ、両親はそれに出席しようとしなかった。

十五歳で、父は私をパリにあるギムナジウムに転向させた。父はブルボン王家を支持する王党派の貴族であった。私はパリで厳しい監視付きで五年間の生活を送る。一度舎監に借金をこしらえたのがばれてからは、監視は一層厳しくなり、私はパリに住みながら、その歓楽街に足を向けることなしに過ごした。私は一時自殺も考えるがそれは思いとどまる。

ナポレオン派の最後の反撃がパリに迫り、私はそれを逃れるためにパリを離れ、故郷のツールへ向かう。二十歳の私は身体も細く、弱々しかったが、感じることと愛することには、人一倍の感受性を持っていた。

ツールに戻っても、母親は私に関心を示さない。私は母親とは没交渉で生きていこうと決意する。ナポレオン派の反撃が収まり、いよいよ本格的な王政復古に時代となる。アングレーメ伯の屋敷で、それを祝う舞踏会が行われることになった。父と兄は公務で外出中、母は病気ということで、私が家族を代表してその舞踏会に出ることになる。舞踏会で、私はすっかり周囲の雰囲気の中で萎縮してしまい、気分が悪くなって屋外にでる。私はそこでベンチに座っている、ひとりの美しい女性を見つける。私は魅せられたようにその女性に近づき、彼女の肩にキスをしてしまう。

「ムッシュー!」

と彼女は叫ぶ。私は自分の行為に恥じ入る。しかし、唇には快い感触が残った。私はそれ以来、その女性のこと以外考えられなくなり、他人から心を閉ざしてしまう。私の「病気」を心配した母親は、私にフラペスルの友人の元へ転地療法に行くことを命じる。

 フラペスルは谷に沿って広がる美しい土地だった。

「もし、彼女が住んでいるならばこんな土地だろう。」

と私はキスをした相手の女性を想い、そんな考えに耽る。そして、事実「彼女」はそこに住んでいたのだ。水車が回り、花の咲き乱れる谷を、邸の主人、ド・シェセル氏と散歩する私の目に、谷間に咲く白い百合のような女性の姿が遠望できた。

 私は、世話になっているフラペルス邸と谷を挟んで反対側にある邸とその住人について、ド・シェセル氏に尋ねる。同氏によるとその邸はクロシュグールドという名前で、「亡命貴族」(ナポレオン時代国外に亡命し、ナポレオン失脚後フランスに戻った貴族)のモルソフ伯爵一家が住んでいるということだった。

翌日、私とド・シェセル氏は隣人を訪れることにする。伯爵は不在であったが、夫人は在宅であった。そしてその夫人はまさに私が舞踏会で肩にキスをした女性であった。夫人も私とその行為を思い出し、驚いている。夫人はド・シェセル氏と私に対し、夕食まで城に留まるように勧める。私たちはその招待を受ける。夫人にはふたりの子供、娘のマデリーヌと息子のジャックがいた。私はふたりから病弱な印象を受けた。

伯爵が戻る。彼は私の父親を知っており、私に親しく話しかけてきた。粗野なイメージの田舎貴族で、年齢は六十歳近く、夫人とはかなりの年齢の差があるようだった。伯爵は何故か私を気に入っているようであった。私たちは伯爵の家族と会話に富んだ夕食をする。帰り道、ド・シェセル氏は、

「あなたほど、伯爵がこれほど打ち解けた人間はいない。」

と語る。

 私はちょくちょくクロシュグールド邸に出入りすることになる。モルソフ伯爵が過去にすがって生きている、時代遅れで無教養な人間であることが分かってくる。彼は恩赦を受け亡命先から無一文で帰国し、友人の好意で現在の場所に住み始めたものの、現在に至るまで、経済状態はよくなかった。ふたりの子供たちは、産まれた時には育つことが危ぶまれるほど病弱であったが、夫人の懸命の世話で何とか今日を迎えていた。モルソフ夫人を考え眠れない私は、ある夜宿を抜け出し、谷川のボートの中で、夫人の明かりの付いた部屋の窓を見ながら夜を過ごす。

 伯爵は私のことをすっかり気に入り、自分の領地を案内するほか、カードゲームにも誘う。そして、私から金を巻き上げては子供のように喜んでいる。伯爵に気に入られた私は益々足しげくクロシュグールドに通うようになる。ふたりの子供たちとも親しくなり、兄のような存在になる。もちろん、私の最大の目的はモルソフ夫人との時間を過ごすことなのだが。

 最初は驚きの余り身を引いていた夫人だが、そのうち私と心が通うようになる。私の気持ちを次々と夫人が言い当てるので、

「あなたは私の心が分かるのですか?」

と私は尋ねる。

「わたしもあなたと同類なの。」

と夫人は答える。

 私は持ち前の忍耐力で、モルソフ伯爵と付き合っていく。私たちはたびたびカードで遊んだ。最初は負け続けて金を巻き上げられていた私だが、次第に戦術を研究し、ある日伯爵を負かす。そのとき伯爵は子供のように逆上し、怒り狂った。そこで私は伯爵に突然発生する癇癪の発作があることを知る。その発作を夫人も、子供たちも恐れていたのだ。私はお世辞を並べることにより、伯爵の癇癪の発作を鎮めることに成功する。私は自分が伯爵家にとって、単なる友人以上の存在になりつつあることを感じる。

 癇癪の発作が治まった伯爵を寝かしつけた後、夫人と私は散歩に出る。私は、舞踏会で初対面の夫人の肩にキスをしたときから、ずっと自分は真剣に夫人を愛し続けてきたことを告白する。夫人は不幸だった少女時代、また無能な夫と病弱な子供を持って、心配事の連続だった自分のこれまでの人生について私に語る。

「夫は無学で無能で、独りではやっていけない。それゆえに私はここを離れることができない。」

と夫人は言う。しかし、彼女は自分と伯爵との結婚は、父母から強制されたからではなく、伯爵に共感を覚えたからであるとも述べる。悩みを共有することで夫人と私の心の絆は一層深まる。夫人は自分の伯母だけが呼んでいた「アンリエット」という名前で自分を呼ぶこと、そして手にキスすることを私に許す。

 ある夜、私の前で伯爵は再び癇癪の発作を起こす。その激しさに、召使や子供たちは逃げ惑う。私はゲームで伯爵の機嫌を取ろうとするがそれも逆効果に終わる。夫人が何とか伯爵を寝かしつけ、ふたりはテラスで話をする。

「私たちはどうやら同じような子供時代を送ってきたようね。」

私は自分の少年時代のことを夫人には一言も話していないのに、夫人はそう言い切った。夫人は自分の生い立ちを語る。彼女は男性の跡継ぎが全て亡くなった家に生まれた。家を継ぐべく、母親に全ての決定権を握られ自由のない少女時代を過ごしたのであった。また、全く経済観念がないのに専制的で、時として間癪の発作を起こす夫と、無事育つか分からないほど病弱な子供たちを抱え、苦労の連続だった結婚生活について語る。

「私は一応夫の顔は立てているけれど、城の管理全般を握っているのは私なの。」

と夫人は言った。

「このことは秘密よ。誰にも言わないでね。そのご褒美として、あなたはいつでもここへ来ていいわ。」

「しかし、夫人は同時に。誰よりも自分を愛し、誰よりも自分に頼っている夫を愛している。」

とも夫人は言う。

「恋愛は常識の例外なの。」

彼女はそう理由付けた。夫人は彼女なりのポジティブ思考で、これまでの生活を乗り切ってきたのだった。私は、彼女の悩みを共有することにより、彼女の心の支えになっていこうと決心する。夫人は私のことを、「女としての愛」ではなく「母としての愛」で愛すると約束する。

モルソフ夫人の伯母、公爵夫人がその町を訪れる。モルソフ伯爵は領地の一部を公爵家に売ることにより、まとまった金を得ることになる。また息子のジャックが、モルソフ家のみならず、公爵家の跡取りとして正式に指名される。モルソフ家にもようやく幸運が訪れたのだ。

モルソフ夫人は、日曜日の礼拝の後、私を伯母に引き合わせる。

「この人間関係を利用して、パリに出て、『大物』になりなさい。」

と夫人は私に言う。ジャックの家庭教師として町に残りたいという私の希望に対して、

「自分を縛り付けるような真似はなさらないで。」

と夫人は諭す。

私を紹介された公爵夫人も私のことを気に入ったようであった。また公爵夫人は私の家族をよく知っていて、私を「味方」として、勘定に入れたようでもあった。公爵夫人はモルソフ伯爵をも政府の職に就けようとするが、夫にそんな能力のないことを知っている夫人はそれを断る。

公爵夫人の去ったクロシュグールドには元の生活が戻る。私は前にも増して頻繁にクロシュグールドを訪れることになり、婦人との間には一種の姉弟のような連帯感が生まれた。私は谷を歩き回り、花束を作り、邸の応接間に飾るようになった。私は銀色の百合を好んで使った。私はその花束の中に夫人に対するメッセージをこめ、自分の愛をその花束で表そうとした。夫人は私の「作品」を見て、その出来栄えに言葉を失うこともあった。

季節は夏から秋に移り、ブドウの収穫の季節になった。伯爵家の子供たちも、そのブドウ摘みに大はしゃぎで加わっている。その日は私の人生の中でも、忘れられない楽しい一日となった。

「あなたが私たちの家に幸福をもたらしたんだわ。」

と夫人は喜び、私のことを初めて「あなた」ではなく「きみ」と呼んだ。

夫人は自分が死んでも、子供たちに現金収入が入るよう、夫と言い争いながらも、着々と体制を整えていく。また「ジャックの家庭教師」にこだわる私の意見を退け、自分の家族関係を利用し、私をパリの社交界にデビューさせようと手を尽くす。病弱だった子供たちも、徐々にではあるが健康をかちえていく。そうしながらも、夫人は間もなく来るであろう、私がいなくなる日のことを考え不安に陥る。

「パパがママをいじめている。」

マデリーヌの叫びで私が駆けつけると、伯爵と夫人は大喧嘩の最中だった。私は口論の最中に気を失った夫人を寝室に運ぶ。伯爵は

「自分はもうすぐ病気で死ぬのに、妻は私のことを何も分かってはいない」

と嘆く。寝室で眠る夫人に対して私は手紙を書く。

 私の滞在予定期間の三ヶ月が過ぎ、私が戻る日が近づいてきた。夫人が提案し、伯爵は馬鹿げたことだと一笑に付した新しい農地の利用法も、小作人たちの理解を得られるようになった。いよいよ私の出発が明日に近づいた日、夫人は私にこれから社会に出て行く上での助言をする。そして私に一通の手紙を渡す。

 伯爵と夫人は私をツールまで送り。私はそこからパリへ向かおうとする。私は預かっていた鍵を返すためにもう一度クロシュグールドに戻り、夫人にもう一度別れを告げる。

 色づき始めた木の葉の中、私は谷を去り、パリに向かう。私は夫人から預かった手紙を読み始める。そこにはパリの社交界で生きていくうえでの大切なことが書かれていた。賭け事はしないこと。約束を気軽に連発しないこと。信用できる友人は二、三人にとどめておくことなど。また、生き馬の目を抜くようなパリで生き延びるコツ、商売で成功するコツなどが書かれていた。しかし、何よりも大切な教えは「若い女性に近づくな」ということであった。若い女性を近づけることで、私の貴重な時間が浪費されることを夫人は警告していた。

 私はパリで兄や、アンリエットの伯母であるルノンコート公爵との交友を深める。そして、王の側近としての仕事を得る。しかし、王党派ということで、間もなくエルバ島から逃れたナポレオンの率いるボナパルト派に追われて、森から森への逃亡を繰り返す。私はその逃亡の途中に森でモルソフ伯爵と出会う。伯爵は自分の邸に私を連れて行き、夫人に会わせる。婦人はかなりやつれた表情であった。

私は王の密命を帯びて、ボナパルト派の様子を探る。ナポレオンの蜂起は百日天下で終わった。私はボナパルト派蜂起の際の活躍で、国王に引き立てられ、王の側近の中でも重要な役割を得て、パリの社交界にデビューする。もちろん、モルソフ夫人による、彼女の伯母を通じての働きかけもあった。兄や両親は、これまで家族の中の異端児であった私の突然の出世に驚き、嫉妬を覚える。私は、ごくまれだが、モルソフ夫人との文通を続ける。

国王の下で働きだしてから数年が経った。私は王より六ヶ月の休暇をもらい、押しも押される青年貴族としてツールを訪れる。クロシュグールドに戻った私は伯爵一家に迎えられる。伯爵はそれほど変っていないが、夫人はさらにやつれがひどいように見えた。

「ここでは、あなたは昔のように振舞っていいのよ。」

と夫人は言う。伯爵は私の成功を明らかにねたんでいるようであった。

「わしの成功があんたにすりかわってしまった。」

と伯爵は述べ、しきりに体調の不良を訴える。伯爵の行動は益々一貫性を欠き、癇癪の発作は前よりも激しく、それは夫人にも家人にも手に負えないものになりつつあった。夫人は手を変え品を変え夫をなだめながら、その横暴に耐えている様子であった。私は夫人に伯爵のことをある程度無視するように、母のように接するのをやめるように忠告する。

私がクロシュグールドに来て数日後、伯爵の様子が急変する。医者が呼ばれる。伯爵は数日間生と死の間をさまようが、何とか命は取り留める。夫人は夫の病気に対して、自分を責める。

伯爵は快復するが、前にも増して家中では「飾り物」の役割しか果たすことはない。また、病気が快復するとともに、横暴と暴力も前にも増して激しくなってきた。

「自分たちを苦しめる人間を私は助けなければならないのか。」

私は思い悩む。自分を責める日々を送っている伯爵夫人は、

「結婚して私のことなど忘れなさい。」

私に言う。

私は国王からの手紙を受け取り、パリに戻らねばならなくなる。別れ際、夫人は自分の髪の毛を私に渡す。

王政復古のパリではまるで「中世」が戻ったような生活であった。宮廷を中心にサロンが復活。私はそのサロンで一人の英国女性、レディ・アラベル・ダドレイに出会う。裕福で美貌の彼女は、サロンでの人気を独占していた。私に興味を示し始めたアラベルは、色々な策を尽くして私に接近する。私はアラベルの激しいアプローチに負け、彼女と関係を持ってしまう。私はモルソフ夫人には「忠実な僕」と書きながら、自分がふたつの顔を持っていることに気付き悩み始める。夫人から、手紙の返事が来なくなる。

 私はクロシュグールドに戻ることを決心する。アラベルも近くのツールまで行き、そこで宿屋に泊まることになる。クロシュグールドに着くと、

「やっぱりあなたは来たのね。」

と夫人が言った。まるで私の来ることを前もって知っていたように。今回、モルソフ夫人の態度は大変よそよそしいものだった。夫人は、英国と英国の女性に対して、辛らつな言葉を投げかける。

しかし、夫人の態度の変化は、私に対してだけでなく、家族全員に対してのものであった。

「ここ数ヶ月、家内の様子がおかしい。その原因を家内に聞いてくれないか。」

と伯爵は私に懇願する。伯爵は自分の病気について説明する。そして自分は後半年しか生きられないと私に言う。しかし、伯爵が説明した病気の症状は、皆、伯爵夫人にあてはまるものだった。私は、夫人に医者に行くように勧めるが、夫人は、

「私は神の導きにしたがう。」

と言ってそれを拒絶する。

私は夕方ツールのアラベルの元へ向かう。モルソフ夫人もそれに同行する。しかし、アラベルは夫人と私を見たとたん、馬で駆け去る。翌朝、宿屋で、

「夫人はきみにとってライバルではなく姉妹だ。」

と私はアラベルに説明するが、

「お説教のような話はやめて。道徳や貞淑は私には似合わない。」

とアラベルは拒絶する。アラベルと別れられない私は彼女とパリに戻る決心をする。私は城に戻り、夫人と別れを告げる。

「女性と『友人』であり続けることは難しい。」

と私は改めて悟る。

「死を許容しないで、医者にかかって。」

と私は別れ際に夫人に懇願する。

 アラベルと私はパリに戻る。アラベルは得意になって私を社交界に連れまわす。私は次第に失った物の大きさに気付くようになる。ある日、私は一緒に働く伯爵夫人の父親から、夫人が死の床にあることを聞く。私は国王に休暇を願い出て、クロシュグールドに向かう。アラベルには告げることなしに。邸の近くで、邸から戻ってきた医者と出会う。

「あなたはもう間に合わないかも知れない。」

と医者は私に告げる。私は後悔と自責の念に駆られる。

 私が到着すると、子供達が庭で祈っていた。夫人はまだ存命であるという。不思議なことに、夫人は私の到着を予感しているようであった。慌てて夫人の病室に急ごうとする私を、

「夫人は準備ができてから会いたいとおっしゃっております。」

と執事が引き止める。準備ができたということで私は夫人の病室に入る。夫人は骸骨のようにやつれていたが、白いドレスを着て、ソファに座って私を待っていた。そして、部屋中に花が活けられていた。それが、夫人の私の訪問に対する「準備」だったのだ。

「私は生きたい。あなたを愛するために。」

と夫人は子供のような表情で私に訴える。そして、気を失う。私は夫人をベッドに運ぶ。牧師が呼ばれ、婦人は家族と私に見守られて息を引き取る。夫人はいまわの際に、

「私が死んでから読んで。」

と一通の手紙を私に託す。

 葬列に参加した後、私はパリに戻る。クロシュグールドには二度と戻らない決心をしていた。道中、私は夫人から預かった手紙を読む。その中には、舞踏会での私のキスが人の中に火を燃え立たせ、その後も私を愛し続けていたことが書かれてあった。

「あなたを失うときは、私の死ぬときです。」

と書かれていた。私は自分の青春が今終わったことを知る。そして、今後はひたすら政治の道で生きていこうと決心する。

 

 

<感想など>

 

 この小説の中に、「ナタリー」という女性への呼びかけが登場する。この小説は、私がナタリーに語りかけている、いや手紙を書いているという形式で書かれている。こんな読むのに一週間以上かかる手紙をもらったナタリーも迷惑な話だが。このナタリーが誰であるかは、最後の彼女の手紙で明らかになる。

 またこの小説には、当時のフランス社会における理想の女性像が語られているように思える。「谷間の白い百合」のようなモルソフ伯爵夫人のイメージは、戦後の日本の「吉永小百合」のように、当時の万人の「アイドル」、「理想の女性」がどんなものかを伝えているように思える。

 決して読み易い文章ではない。一応会話であっても、片方の台詞が延々と数ページに渡って続く。基本的にこの小説に出てくる会話は現実的でない、戯曲における台詞を紙に書き記した物といってもよい。小説が戯曲の大きな影響を受けていた頃の作品であるといえる。また、一人の人物の描写が延々と数メージに渡ることもあり、それを読み進むにはかなりの根気と忍耐が必要だ。

 この作品は「人間喜劇」と呼ばれるシリーズに入っているが、確かに、この物語に描かれる「人間関係」は複雑であり、興味深いものである。「私」の人妻に対する恋。夫に忠誠を誓いながらも「私」を受け入れる妻。無能だが誇りだけは高い夫。しかしその夫の最大の話し相手は妻に恋する「私」なのだ。そして最初は「私」を兄のように慕うが、最後は「母を堕落させ、死に追いやった」と責める娘。しかし、現実の世界を考えてみると、このくらいの複雑な人間関係は「ざら」だとも思う。そして、その人間関係の揺れ動きを巧みに描写するバルザックはやはり「名人」、「文豪」だと納得させられる。

 夫人は「私」に色々と忠告を与える。その忠告は、現代でも通用するものが多いと思う。夫人の忠告の中で一番心に残っているのは、

「親友は二、三人にとどめておきなさい。」

という点である。

「この人とは親友だ。」

と思っていても、その人にもっと親しい友達がいることが分かると、何となく裏切られたような気持ちになる。またそんなに大勢の人間に、正直に、誠実になれるわけがない。この教え、十代のときに読んだときにも心に沁み、今も身に沁みる教えだ。

 この小説のなかで一番心に残る言葉は、病床のモルソフ夫人の

「他人の幸福は、もう幸福になれない人にとっての喜びである。」

という一言。死んでいく人のことをくよくよ考えても仕方がない、ポジティブに考え、幸せに生きることが死んでいった人のためにもなるということか。

 私事になるが、モルソフ夫人の死のシーンを読んだ場所は、墓地であった。かつての同僚の葬儀に参列するために墓地に行き、早く着きすぎたので、この本を開き最後の数ページを読んだ。その葬儀は個人の好きだった音楽が流れる「明るいお葬式」だった。そのとき、「他人の幸福は、もう幸福になれない人にとっての喜びである」という言葉を、筆者は噛みしめた。

 それまで「私」に対する恋心を押し隠していた夫人が、死の直前に私に会ったとき、

「あなたともう一度人生をやり直したい。」

と言うシーン。これは涙を誘う。「私」はその中に「少女の姿」を見る。人間は死ぬ前、一度子供に帰るというのは本当だと思う。

 「谷」というと、日本では黒部峡谷のような「V」字型の渓谷を思い浮かべるが、ヨーロッパでの「谷」の概念は、もっとなだらかで、緩やかなものである。この本を読んでいるとき、ドイツ中部のヘッセン州にある、ヴァイデンハウゼンという村を訪れた。ゆるやかな谷に沿った村で、この「谷間の百合」の舞台も、おそらくこんな場所なのだろうと勝手に思った。頃は六月の終り、緩やかな傾斜の麦畑が広がり、麦の穂が出揃い、その周囲には色とりどりの野の花が咲いていた。それを見るにつけ、

「主人公のフェリックスはこんな花を集めて、夫人のために花束を作ったんだ。」

とそのとき筆者は思い、ひとりで感激に浸った。

 さて最後に、十代のときに読んで感動した本を、四十年後に読んで同じような感動を得られるかという実験の結果に触れておこう。結論的にはこの本に関しては「否」であった。この物語の主人公「私」は二十代である。おそらく、十代の時には、年上の女性への憧れなど、それなりに「私」と同じ問題を抱えていたのだろう。筆者の私は自分と主人公の「私」を重ね合わせながら物語の世界に浸ることができたのだ。しかし、今の筆者には、年齢にギャップがありすぎてそれができない。

 とにかく根気と忍耐の要る、「いい加減な気持ち」では読み通せない作品だということで結びにする。

2011年8月)

 

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