「致命的な希望」
ドイツ語題:Tödliche Hoffnung (致命的な希望)
原題:Kvinnorna på stranden (浜辺の女)
2009年
トーヴェ・アルステルダール
Tove Alsterdal
(1960〜)
<はじめに>
二〇一四年、「Låt mig ta din hand(手を取って)」で、スウェーデン推理作家アカデミー賞を受賞したトーヴェ・アルステルダールのデビュー作。二〇〇九年の作品。彼女は既に五十歳近かったが、それまでの人生経験をぶつけた、渾身の一作となっている。
<ストーリー>
スペイン最南端の町タリファ。向こう岸はアフリカ、モロッコである。未明、漁船が港に着く。アフリカ人の若い女性、マリーが岸に上がる。彼女は海の中で衣服を失い、船の中にあったレインジャケットとタオルだけを身に着け、足を痛めていた。マリーは、足の痛みに耐えながら、柵を乗り越え、砂浜に降りる。彼女は、砂浜のベンチの上に、女性用の靴が置いてあるのを見つける。それを履き、マリーは街に向かって歩き続ける。
テレーゼ・ヴァルナーが気付くと、砂浜に寝ていた。彼女の他には誰もいない。彼女は昨夜、ディスコで出会った男、アレックスと、海岸に来てセックスをした。その後のことは、テレーゼの記憶にない。ハンドバックは近くに落ちていたが、財布から金が抜き取られ、パスポートも消えていた。靴も見つからない。彼女は身体中に付いた砂を洗うために波打ち際へ行く。そこで、何か柔らかいものを踏みつける。それは、裸の黒人の死体だった。
ニューヨーク。アリーは自分が妊娠していることに気付く。彼女は、パリに取材に行った夫のパトリックに何度も連絡を試みるが、夫は電話に出ない。劇場で働くアリーは、一週間前、舞台で使う古い家具を、同僚のベンジーと一緒に、ボストンまで引き取りに行った。まさにその家具を運んでいるとき、パトリックから電話があった。フランスは真夜中のはず。パトリックは、
「人身売買の取材をしているが、素晴らしい記事が出来そうだ。」
とアリーに話す。そして、ヴィクトル・ユーゴーの墓がホテルの窓から見えると言った。
「もし、自分の取材したことがニュースになると、自分は命を狙われるかも。」
と彼は言う。そのとき、パトリックに別の電話が架かり、彼はそれに出た。フランス語で何かを話している。そして電話は切れる。それが、アリーがパトリックと話した最後になった。
アリーが劇場に戻ると、フランスからの郵便物が届いていた。宛名の筆跡はパトリックのもの、中には、手帳、CD、エッフェル塔の絵葉書が入っていた。
「もう少しで仕事を終えて帰る。それまで、これを劇場に置いておいてくれ。」
絵葉書にはそう書かれていた。アリーはCDをコンピューターに入れてみる。そこには数十枚の写真が入っていた。男たちが写っており、どれもピントが合っていなかった。普通の勤め人のような、スーツを着た男が、何枚にも登場していた。
アリーは新聞社のリチャード・エヴァンスに電話を入れる。パトリックはフリーランスの記者として、エヴァンスが編集長を務める新聞に、記事を書いていた。アリーは、エヴァンスが朝食を取っているカフェを知り、そこに駆け付ける。彼女は、パトリックから、一週間連絡がないことをエヴァンスに告げる。アリーが、パトリックの取材のターゲットは何かとエヴァンスに尋ねると、彼は、
「人身売買についてだ。」
と答える。エヴァンスは、仕事は新聞社が発注したものではなく、あくまで、パトリックが個人で行っているもので、新聞社には責任がないことを強調する。彼は、パトリックにまだ、金は払っていないと言う。アリーは愕然とする。パトリックは、新聞社から前金が出て、その金で交通費や滞在費を賄うと言っていたからだ。エヴァンスは、パリに女性の特派員がおり、パトリックも彼女には連絡を取っているはずだと言う。
アリーは、劇場で、チェホフの「三姉妹」のプロデュースをしていた。初日が迫っており、アリーは神経質なっている出演者の説得などに忙しい。アシスタントのベンジーが彼女を助けていた。彼女はベンジーに、自分が妊娠していること、夫と連絡が取れないことを話す。
「あなたならどうする?」
という、アリーの問いに対して、ベンジーは、
「俺なら、全てを投げ捨てて、夫を探しにパリに行くだろう。」
と答える。
アパートに戻ったアリーは、産まれてくる子供のために積み立てているパトリックと連名の口座から、一万ドルが引き出されていることを知る。アリーは、パトリックとの生活を振り返る。アリーが同僚と食事をしているレストランに、パトリックが、アリーの知っている作家を連れて現れた。パトリックたちはアリーたちの席に加わる。
「言葉の力で社会を変えたい。」
というパトリックの真剣さにアリーは打たれる。その夜、パトリックはアリーをアパートまで送って行く。一年後、パトリックはアリーにプロポーズし、その一年後二人は結婚した。アリーは、パトリックの机の引き出しの中を探す。しかし、パトリックがどこにいるのかについて、手掛かりになるようなものは見つからない。アリーは、パトリックが最後の電話で、ヘミングウェーと、ヴィクトル・ユーゴーの墓について話していたことを思い出す。
「ユーゴーの墓の見えるホテルに泊まっている。」
アリーはインターネットで調べる。ユーゴーの墓はパンテオンの中だった。アリーは、パンテオンの近くにあるホテルに電話を架けまくる。そして、一軒のホテルに、パトリックが滞在していたことを突き止める。しかし、彼は一週間前に、ニューヨークに戻ると言って、チェックアウトしていた。アリーは、パリに向かうことを決意する。
スペイン、タリファ。テレーゼは警察の事情聴取を受けていた。スペイン語のできないテレーゼを、父親が通訳していた。取り調べの警察官は、テレーゼに深夜海岸で何をしていたのだかと尋ねる。父親の手前、男といたと言えないテレーゼは、独りでいたと言い張る。警察官は、アフリカの国々からジブラルタル海峡を渡って密航を企てる人間が後を絶たないという。カメラやレーダーなどで監視を強め、密入国者の定住の条件を厳しくしているが、海を渡る人間はなくならない。昨夜も、タリファの他の海岸で、数人のアフリカ人の死体が発見されたという。テレーゼは結局真実を言わないまま警察署を出る。
パリ、九月二十四日。アリーは、パトリックの泊まっていたホテルの同じ部屋に入る。パトリックは八日前にホテルをチェックアウトしていた。彼は舞台の初日の午後、劇場を去ってパリに向かったのだった。同僚のベンジーだけが、彼女がパリにいることを知っていた。
翌日、アリーは、カフェにいた。彼女はパトリックの手帳に書かれた内容を解読しようとしていた。
「奴隷の価格:九十ドル」「ボートを調査」等の記述があった。最後のページには「ヨゼフK」という名前と電話番号が書いてあった。また、世界最大の蚤の市である「マーシュ・オ・プシェ」にある店の名前が書かれていた。アリーは、書かれていた電話番号と思われるものに、順番に電話をする。しかし、彼女が英語を話すと、相手は切ってしまった。
アリーは、タクシーで手帳に書かれていた住所へ行く。そこは「テイヴァン」という名のレストランだった。高級車が到着し、客が中に入って行く。アリーの携帯が鳴る。女性の声だった。
「パトリックを探していると電話をしたのはあんたか。」
女性は尋ねる。アリーは自分のいる場所を告げる。女性は、これからそちらへ行くと言って、電話を切る。アリーは、レストランに入り、
「パトリック・コーンウォルの名前で予約が入っていないか?」
と尋ねる。レストランの人間は、その名前で一名の予約が入ったのは、先週の木曜日だったという。しかし、その男はパトリックの名前を口にした後、急によそよそしくなり、アリーを店から追い出す。
一時間後、店の前に古い車が停まる。男が降りてきて、アリーに後部座席に乗るように言う。運転席には、スカーフで顔を隠した女性が座っていた。女性は、
「何故、『ヨゼフK』について知っているのか。お前はアラン・テリーの回し者か。」
と、英語でアリーに言う。アリーは、
「自分はパトリックと同じ新聞社で働いており、締め切りが近づいてきたのに、パトリックから連絡がないので調べに来た。」
と答える。名前を聞かれたアリーは、
「アレネ・サーカノヴァ」
と答える。それは、アリーがパトリックと結婚する前の名前だった。女性は、
「嗅ぎまわるのは止めて、ニューヨークに帰れ。私と会ったことは誰にも話すな。」
そう言って、アリーを車から降ろし、走り去る。
ホテルに戻ったアリーはフロント係のオリヴィエに呼び止められる。
「あなたは、パトリック・コーンウェルの奥さんですか。」
と、フロント係は尋ねる。彼は、パトリックとよく話をしたという。パトリックは彼に、奴隷売買の歴史について話をしていた。アリーは、彼に、「テイヴァン」に、アレナ・サーカノヴァの名前で予約を入れるように頼む。フロント係は、二週間前、外から架かってきた電話をパトリックに取り次いでいた。その相手はとても興奮していたという。
アリーの回想。プラハに住んでいた三歳のアリーは、玄関で父親の帰りを待っていた。母親が、
「あんたの父親はもう帰って来ない。」
と言って、アリーを中へ引き入れる。事実、その後彼女は父親に会っていなかった。母親によると、父はバンドでギターを弾いており、反体制的ということで、当時の社会主義政権に逮捕されていた。そして、裁判を前にした一九七七年に父親は居なくなった。一九八七年に、ベルリンの壁が崩壊し、チェコも社会主義でなくなった。父親の居たバンドは存続し、一度米国公演をしたこともあった。しかし、アリーはそのメンバーに会いに行かなかった。いや、会いに行けなかった。彼女は父親の名前を知らなかったからである。
パリ、九月二十五日。アリーは、パリの有色人種の多く住む地区にいた。そこの住所が、パトリックの手帳に書いてあったからである。彼女がその場所に行ってみると、そこは火事の焼け跡だった。アリーはその向かいのカフェに入り、従業員の男に話しかける。男は、
「二週間前の火事で、ホテルが焼け、十七人が死んだ。犠牲者は皆、亡命希望者のアフリカ人だった。」
と話す。火事のあったのは、ちょうどパトリックがアリーに最後の電話を架けてきた時だった。そして、その三日後、パトリックはホテルをチェックアウトしていた。
アリーはレストラン、「テイヴァン」で夕食を取る。超高級レストランで、客の多くは中年の男性か、観光客だった。アリーは給仕人に話しかけ、
「アメリカ人のジャーナリストの紹介でここへ来た。」
と言うが、「アメリカ人のジャーナリスト」と聞いただけで、給仕人は逃げるようにして行ってしまった。アリーは、パトリックがここで何か問題を起こしたことを確信する。レストランの帰り道、アリーはインターネットカフェで、火災について調べる。燃えたのは「ホテル・ロワイヤル」、福祉局が亡命申請中のアフリカ人たちを仮住まいさせるのに使っていた。火災で亡くなった十七人は、皆アフリカ人であり、放火の可能性があると、新聞記事には書かれていた。
更にアリーは、多くの違法滞在者が、劣悪な環境での居住を強要され、強制的に危険な労働に従事させられていることを知る。特に、子供たちが、奴隷のように強制的に働かされているケースが多いという。パトリックの手帳に、サラ・ラシードという名前があった。ラシードは弁護士で、三年前、強制労働をさせられている少女の弁護をし、雇用者を相手に勝訴し、少女に賃金を払わることに成功していた。アリーは、ラシードに会いたいというメールを書く。
アリーは、パトリックの手帳に「ボート」という言葉があったことを思い出し、更にそれをキーにして調べる。沢山のアフリカ人が、ボートで地中海を渡ることを試み、その中の多くが、途中で死亡しているという。それに関連して、数週間前に、スウェーデン人の若い女性が、スペインのタリファの海岸で、アフリカ人の死体を発見したという記事を、アリーは読む。
アリーは深夜レストランを見張っていた。顔に見覚えのある見習いの若者が店から出て来る。アリーは後をつける。男は地下鉄の駅へ入って行き、アリーは彼と同じ車両に乗る。
「あなた、『テイヴァン』で働いているでしょ。今日、あなたの店へ行ったわ。」
とアリーは話しかける。若者は、ミシュランの星が減らされてから、仕事がいよいよ大変になったとボヤく。
「大変ね。で、あのアメリカ人のジャーナリストが問題を起こした時も、あなた、店で働いていたの?同じアメリカ人として恥ずかしいわ。」
とアリーは水を向ける。若者は、アメリカ人はアラン・テリーという客を邪魔したので、出入り禁止になったと言う。アリーはその名前に聞き覚えがあった。車の女性が、
「お前はアラン・テリーの回し者か。」
と言ったことを、アリーは思い出す。
ホテルに戻ったアリーは、アラン・テリーについて、インターネットで調べる。テリーは、経済開発に関するコンサルティング会社を複数経営していた。その中核は「ルグス社」という名前であった。アリーはテリーの写真を何枚か見つける。その顔は、パトリックの送って来たCDの中の写真に写っているものだった。アリーはルグス社に対して、メールを書く。
パリ、九月二十六日。アリーは、弁護士サラ・ラシードとレストランで会っていた。ラシードは、ガードが固く、弁護士の守秘義務を盾に、サラへの情報提供を拒む。しかし、パトリックに会ったことは認め、それは、弟アーナードの紹介だったという。パトリックは、不法滞在者が、傷害、拘束、殺人などの犯罪の証人になり得るかどうか、その可能性を聞いてきたという。ラシードは、アーナードの電話番号をアリーに教える。アーナードは不法滞在者をサポートするNPOで活動していた。アリーはアーナードに電話をする。彼は姉とは違い、友好的な人物であった。アリーは彼と夕方に、彼のオフィスで会う約束をする。
アリーは、地元の警察へ行き、行方不明人の捜索願を出したいという。アメリカ人の旅行者と聞いた警官は、米国大使館に連絡せよと言って取り合わない。
アリーは、テリーの経営する「ルグス社」の前に立つ。反射ガラス張りの建物で、中を一切見えなかった。彼女は配達の男の後に付いて、建物の中に入る。受付でアリーは、アラン・テリーに会いたいと言うが、約束がないので断られる。彼女は受付の男の隙を見て、オフィスの中に入る。誰もいない。最新型のIT機器やデスクが並んでいたが、それらは使われた形跡がなかった。アリーは飛んできた男によって、建物の外へ連れ出される。
アリーはその日の夕方、アーナード・ラシードを訪れる。古い汚い建物であった。アーナードの同僚の女性シルヴィーに尋ねると、パトリックはそこへ何度か来たという。アーナードは、移民援助組織のリーダーであった。
「労働許可書を持たない人たちが、汚い危険な仕事をしなければ、フランスの社会は、一日たりとも持たない。」
とアーナードは言う。アーナードは、パトリックに、奴隷のような強制労働から逃れてきた三人のマリ人を引き合わせ、パトリックは彼らにインタビューしたという。そして、その三人のマリ人のうち二人は、ホテルの火災で焼死したという。ヨセフKという人物に対して、アーナードはウクライナ出身の人身売買業者で元KGBであると答える。アリーは、残ったマリ人に合わせて欲しいと、アーナードに頼む。
アリーはバーで飲んでいた。バーテンダーは、パトリックもこの店に来たことがあるという。パトリックは、ニューヨークに素晴らしい妻がいると言い、子供のために二人で貯めた金を無断で借りてきたことを悔やんでいたという。その夜、アリーはパトリックの夢を見る。
スペイン、タリファ。マリーが目を覚ますと、窓に紙の貼られた部屋で寝ていた。彼女は、ジリアンという女性の家の一部屋にいた。ジリアンは、自分は味方だと言い、マリーに食事を持って来る。ジリアンがマリーを保護し、医者を呼んだのだった。マリーは治療を受け、三日後に熱は下がった。マリーは眠ると、海で溺れる夢を見た。モロッコの海岸に現れた「船」はゴムボートだった。マリーを含む合計十二人が乗り込んだ。三人の男がボートを操っていた。男たちは、乗客に金を要求する。そして、逆らった者は容赦なく海に突き落とされた。最後には、マリーも海に放り込まれた。ジリアンが英語の新聞を持ってくる。土曜日から日曜日の夜に、何人ものアフリカ人の死体が、スペインの海岸に流れ着いたという記事が載っていた。
アリーはホテルで目を覚ます。お腹に子供がいることを再認識し、飲み過ぎたことを反省する。彼女は分かっている限りのパトリックの行動を時系列に書いてみる。
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木曜日、レストラン「テイヴァン」で、アラン・テリーの写真を撮り、トラブルになった。
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金曜日、ホテルで人に会い、アリーに電話。同じ時刻に、ホテルが燃えていることを知る。
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土曜日、アーナードと会い、ホテルの火災は放火であると警察に話す。その後、ホテルをチェックアウトする。
アリーは、アラン・テリーが何者であるか知らなければならないと思う。彼女は、新聞社に、パリ特派員がいたことを思い出す。エヴァンスから貰った名刺を見て、政治特派員、キャロライン・ケニーにメールを打ち、会いたい旨を伝える。キャロラインから返信があり、ふたりは夕方に会うことになる。
パトリックの手帳には
「ルク>鞄売り、『ヨゼフK』>人身売買」と書いてあった。アリーは、マーケットに行く。そして、鞄を売っている男に、
「あんたがルクか?」
と尋ねる。男は否定も肯定もしない。アリーは男にパトリックの写真を見せる。
「あんたは不法労働者だろう。正直に言わないと警察に言うよ。」
とアリーは男を脅し、男はようやく口を割る。
「自分は百ユーロを貰い、『ルク』を訪ねてきた男に電話番号を教えるように頼まれただけだ。」
と彼は。依頼者は背広を着た白人だったという。パトリックは「ヨゼフK」の電話番号を得た後、ホテルをチェックアウトした。そして、アリーに電話をし、
「もうひとつだけ片付けないといけないことがある。」
と言った。それは、「ヨゼフK」と会うことだろうか?とアリーは考える。
マリ人の三人がホテルに居るのを知っていたのはアーナードだけだとすれば、パトリックにホテルが火事だと電話したのは誰?アリーは疑問を持つ。彼女はアーナードに電話をする。アリーは、パトリックが行方不明になっていることを正直に話し、生き残ったマリ人のひとり、サリフに会いたいという。アリーは、もうひとつパトリックの手帳に書かれていた住所に行ってみる。そこは工業団地であった。アリーは道に迷った振りをして建物に近づくが、犬を連れた警備の男が来て、直ぐに立ち去れという。アリーは急いで外に出る。
アーナードがアリーを、サリフの隠れ家に連れて行く。彼は、移民の多く住む街のアパートの一室にいた。サリフは、火災から逃れる際、建物から飛び降りて、足を骨折していた。アリーがアメリカ人で、パトリックを探していることを知ったサリフは、
「パトリックが約束したように、アメリカに連れて行ってくれ。彼は俺を助けてくれると言った。」
と言う。サリフはこれまでの経緯を語る。彼と二人のマリ人は、同郷で、身内が借金をして国を送り出してくれた。そして、アルジェリア、リビア経由でヨーロッパに渡り、コンテナトラックに乗せられてフランスへ来たという。国を渡るごとに仲介人が変わり、その度に金を要求された。フランスに着くと「セーフ・ハウス」という名前の倉庫のような場所へ運ばれた。そこのボスに、
「お前らは借金があるので、当分只で働いてもらう。逃げたら、故郷の家族に影響が及ぶ。」
と言われ、数カ月間、建築現場で働かされた。三人は逃亡を計画、隙をみて建築現場を逃走し、モスクに逃げ込んだ。そこのイマムがアーナードに連絡、ホテル・ロワイヤルに案内されたということであった。サリフは「MPLエクスプレス」と書かれたトラックが彼らを乗せたコンテナを引いていたという。アリーにはそのトラックに見覚えがあった。彼女の訪れ、追い出された倉庫の横に停まっていたのと同じだった。
ホテルにパトリックが現れ、サリフと後の二人に「セーフ・ハウス」の位置、トラックに書かれていた名前、強制的に働かされていた建築現場の位置などを質問した。その夜に火災が起こった。逃げようとするが、廊下に椅子などが積み上げられており、退路を阻まれた。あとの二人は下へ向かい焼死した。サリフだけが屋上に逃げ、そこからアーナードに電話をしたが出なかった。それで、パトリックに電話し、ホテルが燃えている旨を伝えた後、屋根から隣の建物に向かって飛び降りたという。しばらくして、パトリックが現場に現れ、
「すまいない。」
と何度も誤った。アリーは、サリフにパトリックの送って来た男たちの写真を見せる。その写真は、既にパトリックが彼に見せていた。サリフはその一人を「セーフ・ハウス」で見たと言う。サリフとアリーの会話は、アーナードによって通訳されたが、アリーはアーナードが全ての質問と回答を通訳していないことに気付く。アーナードは、
「余分な人間をトラブルに巻き込みたくないからだ。」
と言い訳をする。
アリーはニューヨークの新聞の特派員であるキャロライン・ケニーとカフェで会う。キャロラインは六十代のアメリカ人であった。最初、キャロラインは、アリーの意図が分かるまで、質問には答えられないという。アリーは、経緯を語りだすが、泣き出してしまう。それがきっかけで、アリー自身もすっきりとし、キャロラインの警戒心も解ける。
キャロラインは、パトリックが三週間前、九月一日に連絡してきたという。アリーはパトリックの送って来た写真を見せる。キャロラインはそのうち何人かに見覚えがあった。アラン・テリー、政治家のマルセル・デフェーヴル、ロビイストのガイ・ドゥ・バローであった。バローは、「ラ・リグネ・フランセ」という組織を立ち上げ。移民問題関する法律を作る活動をしているという。テリーとバローは「テイヴァン」で写真を撮られていた。キャロラインは、貧しい家庭で育ち成り上がり物のテリーは、有名人と付き合い、派手な生活にあこがれていると言った。そして、テリーは最近ビジネスと付き合いの輪を、フランスだけではなく、ヨーロッパ全土に広げようとしていたという。テリーとパトリックは一度会っていた。それをアレンジしたのはキャロラインだった。
アリーがホテルに戻ると、オリヴィエは、パトリックがチェックアウトする前日、女性が彼を訪ねてきたという。彼は、妻であるアリーに気を遣って、これまでその女性の訪問について語らなかったという。その女性は、小柄で色が黒く、目の大きな女性で、ジュリエット・ピノシェに似た感じだったという。アリーは、レストランの前に車で乗り付けた女性と同一人物だと想像する。アリーは、その女性の番号にもう一度電話する。彼女は、留守電にメッセージを入れる。
翌朝、アリーの携帯に女性の声で電話が架かる。
「もう関わるなと言ったはずだ。あんたのせいでサリフは死んだ。」
と女性は言い残して電話が切れる。アリーは身支度をして、アーナードのオフィスに出かける。シルヴィーがオフィスの前に居て、建物の中で殺人があり、殺されたのはサリフだったという。アリーがアーナードに電話すると、
「朝オフィスに来たら、サリフが倒れていた。」
と言う。サリフは両手を広げ、額を撃ち抜かれて死んでいた。
アリーとアーナードは、サリフが隠れていたアパートに向かう。隣人が、昨夜警察が来て、サリフという男を探していると言ったと証言する。どうして、警察はサリフの居る場所が分かったのだろうか。サリフの使っていた携帯が残されていた。そこには、十時ごろに着信があった。電話は、パトリックのものだった。アリーは、何者かがパトリックの電話を盗聴していて、彼の架けた電話番号から、サリフの位置を察知、踏み込んだのではないかと考える。
アーナードは、パトリックが、「ヨゼフK」をインタビューするためにパリを発ったという。「ヨゼフK」は、人身売買組織から抜けるために地下に潜ったと、アーナードは言う。アリーがホテルに帰るとサラ・ラシードが待っていた。
「アレナ・サルコノヴァという記者はニューヨークにはいない。あんたは何者だ。」
とサラは迫る。アリーは自分がパトリックの妻であることを認める。サラは、自分がパトリックと何度か会っていたと認める。パトリックは、サラに幾つかの調査を依頼していた。最初の依頼は不動産の所有者の特定、次の依頼は「ラ・リグネ」の資金調達の経路だった。九月十一日、何者かに殴られたパトリックが助けを求めてきたという。ホテルを出たところを襲われたという。負傷したパトリックはタクシーでサラのところに来て、ソファの上で寝て行ったとサラは言う。
「誰も俺を黙らせることは出来ない。この攻撃で俺のやっていることの正当性が証明された。」
とパトリックは言った。その日、パトリックはレストラン「テイヴァン」でテリーとトラブルを起こし、翌日ホテルが火災を起こしていた。サラは、弟のアーナードを評して、
「ナディマのためには何でもする弟は狂っている。」
と言う。そして、パトリックは、タクシーで自分の家に来る前、「ホテル・プラザ・アテネー」のロビーに寄っていたという。
アリーは、「ホテル・プラザ・アテネー」へ向かう。そこは高級ホテルだった。彼女はバーで待つ。真夜中前になってテリーが数人の男性と若い女性と連れてバーに現れる。アリーは彼らの席に行き、
「我々の共通の友人、パトリック・コーンウェルについて話をしませんか。」
と持ち掛ける。テリーの顔色が変わる。テリーは男の一人に、アリーをホテルから連れ出すように命じる。
アリーが再びホテル戻ると、見覚えのある古いプジョーが前に停まっている。そして、中には、例の女性が座っていた。
「あなたは誰だ?」
というアリーの問いに対して、
「どうしてあんたは自分がパトリックの妻だと言わなかったの。」
と反問する。そして、自分をナディマと呼ぶように言う。その名前にもアリーは聞き覚えがあった。サラの語った「アーナードと関係のある女性」の名前だった。ナディマは、パトリックが自分に電話をして「ヨゼフK」について聞いてきたという。しかし、彼が自分の電話番号をどうして知ったのかは謎だと言った。アリーが、マーケットの鞄屋のルクという男から聞いたというと、ナディマは、
「しまった、それは罠だ。」
と悔しがる。ナディマは「ヨゼフK」の正体について詳しく知っていた。彼は人身売買業者であり、名付け子の娘を溺愛していた。その娘がモデルになると言って出て行った。そしてこともあろうに、同じアラン・テリーの人身売買組織の別のグループに捕まり、ブラチスラバへ連れて行かれてしまった。「ヨゼフK」は、
「もし娘を返さなければ、組織についてばらす。」
と組織のボスに迫る。ボスはアラン・テリーだった。コンサルタントというのは表向きで、実は裏家業の人身売買、強制労働で稼いでいたのだった。職を求めてパリに来た多くの人々を囲い、強制的に働かせ、雇い主から金を取っていた。それをパトリックは嗅ぎつけたのだった。アリーは、パトリックの手帳に書かれた情報を見せることを条件に、「ヨゼフK」の隠れ家を教えていいという。アリーは、手帳を見せる。ナディマは自分が「ヨゼフK」をポルトガルのリスボンに逃す手配をしたという。「ヨゼフK」は、元KGBのエージェントで、人身売買ビジネスの全てを克明に記録していた。パトリックはその記録を国外に持ち出し、「ヨゼフK」をブラジルに逃亡させる計画を立て、リスボンに向かったという。
「しかし、『ヨゼフK』は死んだ。」
とナディマは言う。展望テラスから墜落して死亡し、自殺として片付けられているという。また、「ヨゼフK」の名付け子の娘を死体で戻った。
「おそらく、組織の人間が、何らかの方法で、『ヨゼフK』の居所を知ったのだ。」
と述べる。ナディマはアリーに、リスボン行の航空券と、リスボンでのホテル予約を届けると言って、去っていく。
アリーはアーナードのオフィスへ行く。彼は、パトリックがリスボンに向かったことは知らなかったと言う。ナディマとは微妙な関係で、彼女は全てを自分に語っていなかったとアーナードは答える。
「ナディマは、周囲の男性を虜にする、魔性の女だ。」
と彼は語る。アリーは、シルヴィーがいなくなったのに気付く。そして、彼女が、テリーに雇われ、アーナードや匿っているマリ人の関する情報を流していたことに感づく。アリーは「一叩きで蠅を二匹殺す」というルグス社のモットーを思い出す。
スペイン、タリファ。テレーゼは、再び「ブルー・ヘブン・バー」を訪れる。砂浜でセックスをしたアレックスに再会する。テレーゼは明日スウェーデンに帰ることを告げる。アレックスはテレーゼに興味を示さない。彼はテレーゼの金とパスポートを盗んだことは認めるが、警察に通報したら、テレーゼの行動を父親に話すと逆に脅迫する。
リスボンに着いたアリーは警察署に行き、警視のベルダ・フェレイラに会う。展望テラスから落ちて死んだウクライナ人についてアリーが尋ねると、フェレイラは、
「ミハイル・イェツェンコのことか。」
と言う。アリーは初めて「ヨゼフK」 の本名を知る。アリーは、イェツェンコが、組織から足を洗うためにリスボンに来て、アメリカ人の記者の取材を受ける予定だったこと告げる。リスボンの警察は、イェツェンコが死んだ現場の近くで目撃された黒人の男性を、容疑者として探していると言う。アリーはそれが夫のパトリックであると直感する。アリーは、テリーの会社のモットーが「一叩きで蠅を二匹殺す」だったことを思い出す。テリーの部下が、イェツェンコとパトリックの両方をここで一気に片付けようとしていたのではないかと思い、アリーは戦慄を覚える。フェレイラは、自分はパトリックが犯人であるとは思わないこと、また、同じころ、ふたりの背広を着た白人も目撃されていることを話す。そして、イェツェンコが妻と一緒であり、妻はまだリスボンに滞在していることを告げる。フェレイラは、イェツェンコが死んだ現場と、彼の妻が住んでいる場所をアリーに明かす。
アリーは夫の泊まっていたホテルに行く。ホテルの男は、パトリックは三泊したが、四日目に金を払わずに消えたという。アリーは金を払い、パトリックの部屋に残されていたスーツケースを受け取る。中には、パトリックの衣服が雑然と詰め込まれていた。しかし、彼のラップトップは入っていなかった。
アリーはイェツェンコが死んだ現場に来る。イェツェンコは展望テラスでパトリックを待っていた。おそらく、海の方を見ていたであろう。後ろから忍び寄り、突き落とすのは容易なことだと思えた。おそらく、テリーの部下は、パトリックの先回りをし、テラスで待っているイェツェンコを突き落とした、そうアリーは推測する。
展望テラスから近いアパートにイェツェンコの妻、ヴェラは住んでいた。アリーは彼女を訪ねる。
「あなたの夫は殺された。私は誰がやったか知っている。」
アリーはドアの隙間からヴェラに言う。ヴェラはアリーを中に通す。彼女は六十代の身なりの良い女性だった。アリーが自分は、イェツェンコと約束していた米国人記者の妻だと名乗る。
「じゃあ、あんたが代わりに取引に応じて、ブラジル行きの切符と金をちょうだいよ。」
とヴェラは言う。イェツェンコとパトリックは、イェツェンコがテリーの組織の詳細を書いた資料を渡す代わりに、パトリックがイェツェンコとヴェラのブラジルへの逃亡の便宜を図るという約束をしていたのだった。ヴェラは夫が亡くなり、金も入らず生活に困っているようだった。ヴェラは書類にはコピーがあるという。アリーはその書類を千ユーロで買い取る。アリーはその書類をホテルに持ち帰り、物置にあるパトリックのスーツケースの中に隠す。
その夜、アリーは夢を見る。奴隷の乗ったボートが沈没する夢だった。目を覚ました彼女は、パトリックが「ボート」という言葉を手帳に書き付けていたことを思い出す。彼女は「不法移民」、「ボート」、「死」をキーに検索エンジンを調べ、スペインのタリファで、スウェーデン人の女性、テレーゼ・ヴァルナーが、黒人の死体を発見した記事に行き当たる。そして、その死体には刺青があったことが書かれていた。アリーは夜明けを待ってテレーゼの電話番号を探し出し、彼女に電話をする。そして、電話を取ったテレーゼに、死体にあった刺青について尋ねる・・・
<感想など>
ウィキペディアのアルステルダールの記事によると、彼女は、作家になる前、フリーランスのジャーナリストとして働き、戯曲を書いていたという。登場するパトリックはジャーナリストであるし、アリーはニューヨークの劇場で制作を担当している。まさに、作者の経験がフルに生かせる設定になっている。
ドイツ語訳で四百ページ近い大作である。舞台も、ニューヨーク、パリ、ポルトガルのリスボン、スペインのタリファ、スウェーデン、チェコのプラハと多岐に渡っている。読んでいて、作者のこの作品に懸ける意気込みや、熱意を感じた。デビュー作ということもあり、作者が渾身の力を注いで書き上げた作品であることを察することができる。
パトリックが黒人であることが、後半になって初めて分かる。それも突然。それまで、パトリックの肌の色には一切触れられていない。妻のアリーは白人である。当然、パトリックも白人であることを予想して読んでいた。それなりにイメージを築きながら。彼が黒人であるという記述に出会ったとき、心に描いていたイメージが壊され、愕然とした。何故、作者は、パトリックが黒人であることを、ずっと伏せていたのか。その時は不思議だった。だまし討ちに遭ったような気がした。しかし、最後まで読むと、その理由が分かった。これが三人称で書かれた小説なら、そんなことは出来ないだろうが、この小説はアリーの立場で、一人称で書かれていた。彼女が伏せたければ伏せられるという、盲点を巧みに突いた構成。私は唸ってしまった。
パトリックは「社会正義のために戦うジャーナリスト」として描かれている。今回彼が戦っているのは、「不法移民を奴隷のように働かせる悪徳資本家」である。不法移民の弱い立場を利用し、彼等に労働を強いて、その対価を着服する。収入はあるが支出はないという、何とも美味しい商売。しかし、奴隷のような労働は別にしても、欧州の経済が、移民の安価な労働力によって支えられているのは確かである。英国でも、多くの人々が移民を毛嫌いしているが、彼等が「3K」の仕事を引き受けてくれるからこそ、経済が成り立っていると思う。その意味では、非常に現実味のある設定である。
「ヨゼフK」という人物が語られる。直接登場することはない。他の人たちにより語られ、その人物像がだんだんと鮮明になってくる。良く分からないのが、彼がパトリックと取引をした内容である。自分属していた人身売買組織の詳細を売る代わりに、パトリックからブラジル逃亡に必要な金を受け取るという点。彼はこれまで、あくどく儲けてきた人物のよう。その秘密を、わずか数百万円で売る気になった動機が良く分からなかった。また、最初「「ヨゼフK」」は非常に注意深い人物として描かれているが、最後は、随分馬鹿な行動をして墓穴を掘っている。この辺りの変貌ぶりも、読んでいて良く分からなかった。
まあ、重箱の隅をほじればきりがないが、前にも書いたが、作者の熱意がヒシヒシと伝わってくる、力作、名作である。
トーヴェ・アルステルダールは一九六〇年、マルメーに生まれた。一度は北の町、ウメオに住んでいた。ジャーナリストとして活動の後、夫と劇場経営を始め、劇作家としても活動していた。リザ・マークルンドと交友が深いという。二〇〇九年、この作品で小説家としてデビュー。二〇一四年には「Låt mig ta din hand(手を取って)」で、スウェーデン推理作家アカデミー賞を受賞した。二〇二〇年現在、四作の小説を発表している。四作はシリーズものではなく、単発である。今年六十歳、もう「若手」とは言えないが、書きっぷりはエネルギッシュで若々しい。最後に、リザ・マークルンドへの賛辞がある。この作品を書くことを勧めたのがマークルンドであると、アルステルダールは書いている。
(2020年2月)