変わりゆく金沢
金沢で、披露宴の「前夜祭」。この店は昔からあり、今でもある。息子は50人で予約を入れた。
「金沢の印象はどうですか?」
僕は「歌う海洋生物学者」のNさんに聞いてみた。披露宴の前にホテルまで彼と奥さんを迎えに行ったときのことである。Nさんは仕事で、アンデスの山中から、インドネシアの海岸まで、世界中色々な場所に行っておられるが、金沢は初めてだという。
「ずいぶん、明るい雰囲気で、若い人も多いので驚きました。地方都市の中では、破格じゃないですか。」
とおっしゃる。
「でしょ、でしょ。」
僕もここ数年で、若い人や外人さんが増え、金沢の雰囲気がすっかり変わったのに驚いていたのだった。
僕は一九七〇年代から八〇年代、金沢に住んでいた。今では考えられないが、当時は、金沢城址に大学のキャンパスがあり、兼六園に入るのも只だった。と言うことで、僕は毎日、名勝兼六園の中を通り、重要文化財、金沢城石川門をくぐって大学に通っていたのだった。妻とはその時に知り合った。
当時の金沢は日本海側の都市の典型、よく言えば「しっとりした」、悪く言えば「暗い」街だった。天気は悪かったし、冬には一メートルを超える雪が積もった。しかし、ここ数年、金沢の街は変貌したと思う。若い観光客と、外国人が増え、街の雰囲気がすっかり明るくなった。それと「若い人向けの店」が増えた。ワタルが披露宴の前日、友達(ほとんど外国人)と「ミュージックバー」に集まった。また、披露宴の後、二次会で真夜中過ぎに別のバーに行ったという。そのような、若い人たちが、大挙して集まれるちょっとオシャレな場所、昔はなかった。街には、ごく普通に外国人観光客が歩いている。昔、外国人は、大学の先生か、留学生くらいだった。そして、地球の温暖化の影響だろう、雪が一メートル近く積もることもなくなった。
金沢の変貌の原因として、やはり、二〇一五年の北陸新幹線の開通が大きいようだ。東京から二時間半で来られるようになった。いわゆる「新幹線効果」。披露宴の前日の夕方、金沢駅に着いて、タクシーに乗った。運転手氏に、
「北陸新幹線が開通して、お商売、良くなりましたか?」
と聞いてみた。新幹線開業時には、週末の売り上げはそれまでの五割増しになったとのこと。最近でもまだ三割増くらいだという。
「金沢のタクシーは、もう、儲からん言うて、ちょっこも運転手のなり手がなかったんですわ。新幹線開通は『神風』やったね。おかげで、タクシー業界は息を吹き返したんです。」
なるほどね。政治家たちや、財界が、何とか新幹線を自分の町に引っ張ってこようとする、その気持ちが分かる。