言葉を超えたコミュニケーション

 

エレンさん僕の母、絶対に似ている。実の親子だと言っても皆信じる。

 

大徳寺大仙院で、僕たちは枯山水の庭を見て、抹茶を飲んだ。中国・日本共通の「漢字文化」の便利なところなのだが、「蓬莱山」なんて書いてあっても、中国人は何となく理解できてしまう。中国へ行っても、漢字の標識とかで全然苦労しなかったのと同じ。「禅宗のお寺で抹茶を飲む」、

「ここまで来たら徹底的に『日本文化』で攻め切ろう。」

って感じ。縁側で「座禅」の組み方を説明、実演をしたのだが、さすがに彼らはそれをできなかった。大徳寺は結構有名なお寺なのだが、その日は人が少なく、「京都の静けさ」を味わってもらうには、良い機会だった。

 十一時半ごろ、母の家に戻ると、母が寿司を取って待っていた。少し早いが、四人で、寿司で昼食。タクシーが迎えに来るのは一時である。一時十分ほど前、

「ちょっと煙草を吸ってきま〜す。」

と言って、ハンさんが外に出た。僕も付き合って外に出る。タクシーが来たので、家の中に入ると・・・エレンさんと母が、何やら楽しそうに話している。

「う〜ん、理論的に言うと、ふたりの間に、コミュニケーションの方法はないはず。」

母は日本語しか話さないし、エレンさんは日本語を解さないし。しかし、それでも通じ合えるということは、人間には言葉を超えた「真心」というのがあるのだと、そのときヒシヒシと感じた。別れ際、

「お母さんも今度シンガポール来てね。」

「行けるといいね。」

と、エレンさんは英語で、母は日本語と言いながらも、きっちり通じ合っていた。

 タクシーに乗り、京都駅へ。おふたりとも(僕もなのだが)「ジャパン・レール・パス」を持っておられるので、切符を買う必要がない。ちょうど停まっていた、関空行の特急に乗ってもらう。

「どうも有難う、次はシンガポールでね。」

そう言って、二人は去って行かれた。

 電車を見送って、改札口に向かって歩き出す。そのとき、急にクラクラっときて、倒れそうになった。

「やっぱ、疲れているんや。」

と自分で思った。ハンさん夫婦は、本当に気さくで、一緒に居て楽しい人たちだった。しかし、木曜日に関空に着いてから、一日休んだだけで、この一週間、八時間の時差ボケの中、移動、披露宴、移動、観光ガイドと結構神経を使っていた。それにしても、息子の嫁のご両親と、こんなに濃密な時間を過ごせたのは、将来にとって、とても貴重なことだったと思う。

「帰ったら銭湯へ行って、ノンビリしようっと。そして、次回はハンさんも銭湯に誘って、背中の流しっこをしよう。」

そんなことを考えながら、僕は京都駅を後にした。

 

そして、何となく義兄弟のような関係になってしまったふたり。

 

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